軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

49.公爵家の印章とデート②

「ブランドナー侯爵家主催のサロンコンサートも同じだ。子どものころ、よく母と一緒に行った思い出の場所だ」

ディランが続けるのをエイヴリルはただ真っ直ぐに聞く。

エイヴリルがランチェスター公爵家の女主人について知っていることといえば、今はその座が空白ということぐらいだ。アリンガム伯爵家でさまざまな情報を把握し、実務を行なっていたエイヴリルでも、ランチェスター公爵家の内情は知らない。

先代のランチェスター公爵は社交界にほとんど姿を見せることがなかった。それよりも自分の趣味を優先し女性と遊んで暮らしたいという好色家である。

今となれば「辺境の地に住む好色家の老いぼれ公爵閣下」という二つ名は前ランチェスター公爵をとてもよく表したものとわかる。それを踏まえて、エイヴリルはおずおずと問いかけた。

「……ディラン様は領地にお戻りになることがないのですね」

「やはり疑問に思っていたか」

「ええ。これだけ領地のことに心を砕いていらっしゃるディラン様が、社交シーズンの最中とはいえ全く領地にお戻りにならないのは不思議だなと思っていました」

エイヴリルは辺境の地に嫁ぐつもりでランチェスター公爵家に来たのだ。にも拘らず、契約上の関係ではあるけれど夫となるディランは王都を離れる様子がない。

つまり、あまり領地へは行きたくないということなのだろう。

(かといって、ディラン様は特別に都会がお好きという感じはしないわ。いつも書斎でお仕事をされているか、お仕事にかかわるお出かけしかされていない)

この辺は、遊び放題だったアリンガム伯――自分の父親、が判断の材料になっている。どうしようもない当主かつ父親だったが、しょうもない底辺の振る舞いを教えてくれたという視点から見ると感謝しかない。

「私の母親は少女のような人だった。侯爵家の後ろ盾があったが、いつも夢見がちで温室育ちのお嬢様そのものだった」

「……」

エイヴリルは何も言わずに頷いた。今日、ディランが自分に大切な話をしてくれることはわかっていた。

だから、機会があればローレンスに託された印章を返そうと思って持ってきている。それを、ハンカチーフの中で握りしめる。

「無垢な母にとってこの結婚は夢のようなものだったはずだ。しかし、私の父親にとっては政略結婚に過ぎなかった。人目を憚らず多くの愛妾を置き、母を蔑ろにした」

「ディラン様のお母様は今どちらに……?」

「離縁した後はひっそりと実家で療養している。誰も寄せ付けず、一人で夢の中にいる」

「……この契約結婚の理由がわかりましたわ。ディラン様は本当にお優しい人なのですね」

(ディラン様がどなたとも結婚をしないのは、お相手にお母様のような悲しい思いをさせたくないからなのだわ……)

無論、ディランが前ランチェスター公爵のような振る舞いをするとは到底思えない。

けれど優しいディランのことだ。少しでも、相手に不安を与えるかもしれないと思うだけで怖いのだろう。

この半年間、ディランのことを見てきたエイヴリルは少しの情報で納得した。そんなエイヴリルをディランは心底不思議そうに見つめてくる。

「……エイヴリルは、私にいつも優しいと言うな」

「ええ。だって、本当のことですから」

「本当のこと、か。まぁエイヴリルのことは特別に大切にし、優しくしたいと思っている自覚はある」

少しだけ熱を帯びた声色に、エイヴリルは目を瞬いた。

(それは、契約をきちんと履行するためですね……!)

ならば、エイヴリルも契約を履行する中で受け取ったものをディランに返さなければいけない。包み持っていた印章をハンカチから取り出してディランに差し出した。

「私は、これをディラン様にお返ししないといけません」

「……印章か。ローレンスに渡されたんだな」

「はい。これは、ランチェスター公爵家の女主人が持つべきものと伺っております」

「つい最近まで、この家には不要なものだった。見るだけで不快になるから預かってもらっていた」

「……!」

見るだけで不快とは相当な代物である。ということは、これはディランに返してはいけない。けれどかといって自分が持っているわけにもいかない。

さてどうしたものか、と首を傾げると、印章をのせたエイヴリルの手にディランの手が重ねられた。

(……!? ええと、これは……?)

エスコートでも何でもないのに手が触れている。人払いをしているので、周囲に人はいない。クリスでさえ門の近くでお散歩をしている。

使用人たちへ契約結婚をごまかすため、仲の良い婚約者同士のフリをする必要はない……はずなのだが。

(これは……印章を見たくないから隠している……ということでよろしいでしょうか)

そうとしか思えない若干ずれたエイヴリルに、ディランが告げてくる。

「――エイヴリル・アリンガム。私と結婚してほしい」