軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

16.ブランドナー侯爵家の嫡男

来賓用の部屋を出たエイヴリルは、演奏の準備に入るサミュエルと別れ、ホワイエに降りた。

そこではすでに観客の入場が始まっていて、ディランが招待客に挨拶をしてくれているのが見える。エイヴリルは慌てて目当ての人物に駆け寄った。

「ディラン様! お待たせして申し訳ありません」

「エミーリア殿下への挨拶は終わったか?」

「はい! つつがなく。私を悪女とお思いのこと以外は順調です」

遠い目をしつつ答えると、ディランはわかりやすく破顔した。その瞬間に、いつも通り周囲の招待客がざわついたのがわかる。

「あれが噂の」と憚らずに発された声が聞こえるが、今更二人とも慣れたものだ。ディランはそれを気に留めず、エイヴリルをエスコートしていく。

ホワイエの高い天井に吊るされた豪奢なシャンデリアの下では、大勢の招待客が演奏前の歓談を楽しんでいた。

「さっき、ブランドナー侯爵家からの使いに会ったな」

「まぁ? 侯爵夫人は王都を離れられないということでお花をいただいたのですが、使いを寄越してくださったのですね! 私もぜひご挨拶を」

「案内する。……だが、その使い、誰だと思う?」

全く予想がつかない。エイヴリルが首を傾げると、ディランは複雑そうな笑みを見せた。

「フェルナン・ブランドナーだ」

「! もしかして、サミュエルの一番上のお兄様でしょうか?」

「ああ。ブランドナー侯爵夫妻が王都を離れられない代わりに、この距離を送り込んでくれたらしい。フェルナン殿も多忙だから、日帰りだと」

「ご嫡男を日帰りで……ブランドナー侯爵家のお気持ちが伝わりますね」

エイヴリルはフェルナン・ブランドナーに会ったことはない。けれど、あのブランドナー侯爵家を継ぐ次期侯爵その人が、将来有望な人物であることは、末の弟サミュエルの様子からも想像に難くない。

そして、社交界からの注目を浴びている人物だということは知っている。

そういった前提もあって、ブランドナー侯爵夫人はこの人選にしたのだろう。さすが社交界の華というか、とにかく、侯爵夫妻の心遣いに感謝するばかりだ。

(ブランドナー侯爵家の嫡男は王宮に出仕しているお方ですね。侯爵家を継ぐまでは国王陛下の側で勉強をされるのだと噂を伺ったことがあります)

次男のシリルはアカデミーに勤めているし、三男と四男のことは未成年のため噂を聞かないが、きっと優秀に違いない。ブランドナー侯爵家が社交界で眩しい存在なのも、納得だった。

けれど、ふと、サミュエルの自己紹介の言葉が脳裏に蘇る。

“――一番上の兄はヴァイオリン奏者でプレイボーイ”

(ん? プレイボーイ?)

栄光のブランドナー侯爵家に似つかわしくない言葉が思い浮かんで、エイヴリルは首を傾げた。

あの素敵な一家にプレイボーイ――女性と遊ぶのが得意な人間がいるのだろうか。いや、まさかそんなはずはない。

確かに、サミュエルはランチェスター公爵家の皆の心を掴んで離さない人気者だが、プレイボーイとなるとそういうタイプの人気者ではないはずだ。

そんなことを考えていると、ディランがエイヴリルの耳に口を寄せた。周囲にはあまり聴かれたくない話題なのか、親密な距離で告げる。

「フェルナン・ブランドナーは決して知らない仲ではないんだが……女性との距離感が少し変わっている。俺が一緒にいればいいが、そうでないときに声をかけられたら気をつけてほしい。二人きりにはなるな」

「はい……?」

わけがわからないものの、一応頷く。

ちょうどそこでエイヴリルに影が落ちた。背が高い男性に見下ろされる形になっていることに気がついたエイヴリルは、影の主を見上げる。

男は爽やかに笑った。

「エイヴリル・ランチェスター公爵夫人ですね」

それは、見目麗しいブロンドの青年だった。

整った顔立ちをさらに魅力的に引き立てる濃い紫色の瞳に、人あたりの良さそうな穏やかな微笑み。ほんの少し赤みがかったさらさらとしたブロンドは確かに覚えのあるものだ。

これが誰なのかエイヴリルが察するのと同時に、ディランがスマートに応じる。

「フェルナン殿。これから妻を連れて挨拶に伺おうと思っていたのです」

「奥方には初めてお目にかかります、フェルナン・ブランドナーと申します」

噂の人物の洗練された身のこなしを見て、ああこれはブランドナー侯爵家の人間だ、と実感する。あのかわいいサミュエルもきっと、こんなふうに洗練された大人になるのだろう。

エイヴリルはサミュエルの姿を思い浮かべて笑った。

「本日はお越しいただきありがとうございます。ブランドナー侯爵家のお力を借りてこの音楽祭が開催できましたわ。あらためて、感謝を申し上げます」

「とんでもない。こちらこそ、末弟を預かっていただいてありがたく」

噂通りの佇まいに、華やかな存在感。ディランと並ぶと眩しさがすごい。

周囲も同じことを思っているようで、エイヴリルたちとの間で交わされる和やかな会話に、ファンファーレの余韻でざわざわしていたはずのホワイエ全体が耳をそばだてている気配がする。

――ブランドナー侯爵家のご嫡男だわ。どうしてこんな辺境まで?

――見ろ。ブランドナー侯爵家のご子息が今日の音楽祭に参加しているようだ。間に合わせのイベントだと思ったら、意外と格が高いのか。

――にしても珍しい組み合わせじゃないか。いつの間にランチェスター公爵家と近づいたんだ?

そんな会話がどこからともなく聞こえてきて、エイヴリルの胸はありがたい気持ちでいっぱいになった。しかもそのついでに、こんな会話まで聞こえてくる。

――二人と一緒にいる女を見てみろ。あの公爵夫人は王都でも噂の悪女だって聞いたぞ。

――え? それは勘違いだろう?

――いや、私が聞いたのは、ランチェスター公爵閣下の好みに合わせて悪女になりきっていたと聞いたが?

――そんなアホな話があるか。

――そうだ、そんな間抜けなはずはないだろう? 先代が遊び相手として気に入っていた悪女をあの若造が気に入ったんじゃなかったか?

そんなアホな話があるか、と言われてしまったのが恥ずかしいが、その後の『先代が遊び相手として気に入っていた悪女をディランが気に入った』という噂が、事実無根にもかかわらず自分の振る舞いのせいで筋が通ってしまうことも結構気まずい。

(ディラン様には申し訳なく……)