軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

37.悪女のお仕事④

一人の機関士がぽりぽりと頭をかきながら教えてくれる。

「ん? 一応、次の港では半刻ほど停まることになっているが。そのことか?」

「いいえ、半刻では足りません。一日――いいえ、できれば合図があるまでこのヴィクトリア号を港に留めてほしいのです」

「どうしてだ?」

「私とこの少女、リンはこの船内の隠し部屋に閉じ込められています。そこには私たちの他にも大勢の女性がいて、異国で娼館に売られるのを待っています。皆、港町で誘拐されて連れて来られた女性です。次の港を出てしまったら、私たちに逃げる術はなくなってしまうんです」

「何を言っているんだ? まさか、この船にそんな」

当然、機関士は全くエイヴリルのいうことを信じていないようだった。困ったような笑みを浮かべたが、リンに視線を送りハッとしたようだった。

「……そういえば、お前はいつも一人でここをうろついているよな。家族で乗船しているにしてはいつも一人でこんなところへ来て不思議だと思っていた」

『ん? 私? そう、言葉が通じないけどなんか言ってることはわかるかも。そうそう、だからここで食べ物ほしいなって。かったいパンだけの暮らしにあきちゃってさ』

言葉が通じないリンの代わりにエイヴリルが説明する。

「リンさんはずっと部屋に閉じ込められていて、満足に食事ができていないそうです。それなのに、病気になった友人を助けるために船内を動き回っていたのです」

「まさか……うそだろう?」

初めはまったく信じてくれる気配がなかったが、一つ繋がると真実味が増したらしい。機関士たちの顔色が変わり緊張感が満ちていくのを感じて、エイヴリルは彼らをまっすぐに見据えた。

「すべて本当のことです。私たちは銃で脅され、逃げられません。もし今私たちだけをバックヤードの通路から逃がしてくださったとしても、残された女性たちが殺されます。無理に乗り込んでも同じことが起きます」

「だから港で船を停泊させてほしいと?」

「はい。私とは別に外で動いてくださっている方がいます。きっと船が出航さえしなければ、その方が何とかしてくれると思うんです」

(ディラン様はあらゆる可能性を考えるでしょう。だからきっと大丈夫です)

唇を噛んで、エイヴリルはポケットの中のネックレスを握った。

一方、エイヴリルの様子をじっと見つめていた機関士はとても迷っているようだ。こめかみを押さえ、眉間に皺を寄せている。

「だが……俺たちの一存で船を止めるわけにはな……。一応、俺たちはこの船を運行する会社に雇われた機関士や火夫なんだ。上から命令もないのに動いてクビになるわけにはいかない。それに事情を知らない乗客たちからは苦情が出るだろう」

(やはりそうなりますよね)

「その通りです。私たちに加担することで、皆さんに不利益があってはいけないのはわかります。犯罪者が捕まれば問題ありませんし私はそうなると思っていますが、皆さんには信じ難いことでしょう」

「まぁな」

言葉を濁す機関士の前に、エイヴリルはポケットから取り出した宝石をしゃらりと揺らした。

ゴールドのチェーンの先に揺れる、赤みがかったオレンジ色の美しい宝石。

この宝石の名を知らない者でも、一瞬で魅了される特別なネックレスだ。

(これは、おばあさまの形見です。そしてディラン様が私のために手を尽くして買い戻してくださった大切な思い出の品でもあります)

その大切なネックレスを機関士の目の前で揺らしたエイヴリルは真剣に告げる。

「これは相当な価値がある宝石です。皆様への報酬の担保としてこれをお渡ししますし、もし皆様が職を失ったとして、新たな職場や生活費を必要とする場合は請求くだされば後日お支払いします。――我が、ランチェスター公爵家が」

「ランチェスター公爵家、って」

機関士が目を見開き、ごくりと喉を鳴らしたのがわかった。普段のエイヴリルはランチェスター公爵家の名前を使うことはあまりない。

公爵家に嫁いできたばかりのころ、悪女のふりをしながらショッピングをするときなどは無理に名前を振りかざしていたが、いつもはできるだけ名前に頼らないように気をつけている。

すべてはディランの評判に直結するからだ。

(ですが、今は名前を使うべきでしょう。人の命がかかっています。このネックレスと家名の二つで彼らを動かせるのなら)

ちなみに、彼らに支払う報酬のもととなるのはエイヴリルが自分で稼いだ金だ。

少し前にエイヴリルの助言で納税が猶予された新興の商家があったのだが、そのおかげで業績を回復した商家は定期的に多額の寄付をしてくれている。

それは領民のために使ってもありあまるほどの額で、デイランがエイヴリル名義で貯金してくれているのだ。それがまさかここで役に立つとは。

けれど、彼らに助けを乞うエイヴリルは半ば祈るような気持ちだった。半刻で出航してしまったら、いくらディランが手を尽くしてくれても女性たちの居場所が見つけられない可能性がある。

自分だけなら逃げられなくもないが、そもそもエイヴリルにはその選択肢がなかった。

さっきまで好き勝手に振る舞っていたはずのリンは空気を読んで目だけを動かし、機関士の後輩らしき男や火夫たちはエイヴリルを信じられないという目で見る。

十秒ほど時間が経っただろうか。決心したように機関士が告げてくる。

「――そのネックレスはしまっていい」

「え? ですが、たくさんの女性の命がかかっています。どうか考え直してはいただけないでしょうか……!」

「ここに来たときから、スカートのポケットを大事そうに何度か握っていたから何が入っているのかと思えば……。そのネックレスは大事な人にもらったものなんだろう?」

「……はい」

確かにそれはそうなのだが、エイヴリルは何とか彼らに動いてほしいのだ。もう一度説得のために口を開こうとすると、機関士はニヤリと笑った。

「報酬はいらない。俺たちにだって船乗りとしてのプライドがある。乗客が困っているなら助けるのが当たり前だ。そうだろう?」