作品タイトル不明
第2話「桂さん、その笑顔で言うことじゃないです」②
密航まであと十日。
桂に呼ばれた。場所は例の会合所。今回は桂と二人きり。高杉も久坂もいない。ということは、この話は実務だ。夢や理想じゃなく、泥臭い手配の話だ。
「顔ぶれを教えておく」
桂が名前を挙げる。伊藤俊輔。井上聞多。山尾庸三。遠藤謹助。野村弥吉。計五名。
「このうち、お前がまだ会ってないのは井上聞多だけだな」
「はい」
「近々引き合わせる。……事前に言っておくが」
桂が少し間を置いた。珍しい。この人が間を置くのは「言いづらいことを言う前」だ。前世の部長も同じだった。「村上くん、あのね……」で始まる時は、だいたい爆弾だった。
「井上は……少々、気が荒い」
「……どの程度」
「酒を飲むと暴れる程度には」
ああ、そういう。いるよね、そういう人。酒が入ると急に「おい、お前、俺のことどう思ってるんだ」とか言い出すタイプ。めんどくさい。めんどくさいけど、そういう人に限って仕事はできるんだよな。
「ただし腕は立つ。度胸もある。交渉事にも強い。性格に目を瞑れば、頼りになる男だ」
「性格に目を瞑る必要がある時点で不安なんですが」
「はっは。まあ、なんとかなるだろう。お前は人をなだめるのが上手い」
褒めてるのか仕事を押し付けてるのか判別不能な発言。たぶん両方だ。この人の褒め言葉は、だいたい次の仕事の前振りだ。
「それと」
桂が真顔に戻る。きた。これが本題だ。
「航海中は、お前が通訳と渉外を全て担当する。英語ができるのはお前だけだ」
「……全て、ですか」
「全てだ。船員との交渉、食事の手配、トラブル対応、上陸後の初動。全部」
つまり。
五人の中で俺だけが「外部とのインターフェース」になる。他の四人は英語ができないから、外の世界とのやり取りは全部俺を通すしかない。前世で言えば、海外案件の PM(プロジェクトマネージャー) 兼、通訳兼、渉外担当兼、総務兼、経理兼。
一人で五役。ブラックすぎるだろ。
「桂さん」
「うん?」
「それ、一人で回せる仕事量じゃないんですが」
「そうか? お前なら大丈夫だろう」
笑顔。満面の笑顔。なんで笑ってるんだこの人は。こっちは死にそうな顔してるのに。
でも、断れない。断る選択肢がない。「英語ができる」のが俺だけなら、この役を他に振れない。代替不可能性の罠だ。
前世でもそうだった。「この資料の作り方わかるの村上くんだけだから」「このクライアントの担当替えられないんだよね、村上くんしか知らないから」「このシステムを触れるの——」。全部それだ。「あなたにしかできない」は褒め言葉じゃない。無限に仕事を押し付けるための呪文だ。
生まれ変わっても同じ呪文にかかってる。転生の意味とは。
「承知しました」
「よし。ああ、それと」
まだあるんですか。
「横浜までの道中も手配が要る。五人が長州藩士だと気取られぬよう変装して東海道を行く。宿の手配、関所の回避、道中の資金管理。これもお前に任せる」
「…………」
「どうした」
「いえ。了解しました」
旅行幹事まで俺かよ。
中間管理職の業務内容を心の中で列挙する。「上への報告、下への指示、横との調整、顧客対応、資料作成、予算管理、トラブルシューティング、旅行幹事」。時代が江戸時代になっても、このリストに変化がないのは何かの呪いか。文明は進歩しろよ。せめてここは進歩しなくていいから。
桂がにっこり笑う。
「期待しているぞ、俊輔」
「……ありがとうございます」
ありがたくない。笑顔で人を死地に送るの、本当にやめてほしい。でもこの人、笑顔で送るのがデフォルトなんだろうな。「逃げの小五郎」って言われてるけど、逃げるのは自分だけじゃなくて、仕事も全部後輩に逃げてるよね。ある意味、一貫してる。
◇ ◇ ◇
密航まであと八日。
井上聞多との初対面。場所は桂の手配した料亭の一室。
俺が先に着いて待ってる。足音が廊下から聞こえた時点で「来たな」と分かった。足音がでかい。一歩一歩に体重を乗せる歩き方。絶対に大柄な男だ。
障子がバン!
乱暴に開いた。
入ってきた男。大柄。がっしりした骨格。角張った顎。日焼け。目が鋭い。声がでかい。
「お前が伊藤か!」
まだ入口だ。まだ座ってない。俺も「どうぞ」と言ってない。なのに第一声がこれだ。声量もでかい。この部屋、八畳なのにスピーカーで拡声されてるみたいな音量だ。
「はい。伊藤俊輔です。よろしくお願いし——」
「井上聞多じゃ。桂さんから聞いとる。英語ができる男だと」
ずかずか入ってくる。どかりと座る。あぐらだ。正座じゃない。この時代、目上の人に対しては正座が基本なのに、初対面の俺の前であぐら。つまり、この人は俺を「目下」と見ているか、あるいは「そういうの気にしない」タイプかのどちらかだ。
じろじろと見られる。値踏みしてる。人の顔をじろじろ見るのに遠慮がない。営業時代に取引先から同じ目で見られたのを思い出す。あの時の相手は決まって「最初は舐めてかかるけど、数字出すと態度が変わる」タイプだった。この人もそうかもしれない。
「……ひょろいのう」
高杉と同じこと言われた。この時代の挨拶か? 「ひょろいのう」が「こんにちは」の意味なのか?
「剣は?」
「……不得手です」
「ふん。まあいい。剣は俺がやる。お前は英語をやれ」
おっ。明確な役割分担。これは嫌いじゃない。前世でも「俺が数字を取るから、お前は資料を仕上げろ」と最初に言う人は仕事がしやすかった。曖昧に「みんなで頑張ろう」って言う人より千倍マシだ。
「了解です。航海中の対外交渉は全て俺が引き受けます。井上さんは——」
「 馨(かおる) じゃ」
「え?」
「名前は馨じゃ。聞多は通称。まあ、どっちでもいいが。お前、歳は?」
「二十歳です」
「俺は二十七。年上じゃ。敬語は要らんと言いたいが、まあ好きにせい」
七歳上。前世で言えば先輩社員。雰囲気は営業部にいた「声がでかくて酒癖悪くて、でもコンペに勝つと奢ってくれる人」に似てる。距離の詰め方が独特なんだよな、このタイプ。いきなり「敬語は要らん」って言うかと思えば「好きにせい」って丸投げする。
「それで」
井上が酒を注文しながら言う。まだ昼過ぎだ。もう飲む気だ。
「桂さんから聞いた計画の全貌を確認したい。お前の口から説明しろ。お前が実務を仕切るんじゃろう」
「はい。では——」
俺は準備していた情報を整理して話す。航路。日程。変装の計画。横浜での乗船手順。商会との手配状況。費用。リスク。
井上は黙って聞く。酒を飲みながら。でも目は鋭い。話半分に聞いてる感じがしない。途中で質問を挟む。
「横浜までの関所は」
「二箇所、迂回します。ここが第一——」
「バレた場合の逃走先は」
「三つ想定しています。まずは——」
質問の切れ味が鋭い。この人、頭がいい。荒っぽいけど回転は速い。リスク計算ができる。前世の営業部にいた「体育会系だけど数字に強い」系だ。
十五分ほどで説明を終える。井上がうなずく。
「よし。分かった。お前、段取りがいいな」
「ありがとうございます」
「前から気になっとったんじゃが、お前はどこでそういう実務を学んだ。足軽の出で、ここまで手際がいいのは珍しい」
きた。経歴詐称がバレる質問。これ、前世でもよく聞かれた。「君はなぜそんなに調整力があるの?」って。本当は「ブラック企業で十年間、死ぬほど雑用をやらされたからです」だけど言えない。
「……見様見真似です。桂さんの仕事を傍で見ていて」
「ふうん」
半信半疑の顔。でも深追いはしない。実利主義の男だ。「なぜできるか」より「できるかどうか」で判断する。いいぞ。そういうの大好き。
「まあいい。とにかく道中と航海はお前に任せる。現地に着いたら俺も動く。一緒にやろうぜ、伊藤」
手を差し出す。握手。この時代にしては珍しい仕草。洋学をかじってるからか?
握手する。手がでかい。握力が強い。痛い。力加減を知らないタイプだ。でも嫌いじゃない。この人の握力には嘘がない。
「よろしくお願いします、井上さん」
「だから馨じゃ。まあいい。飲め」
酒を注がれる。まだ昼過ぎです。いや、もういい。飲む。どうせ明日は稽古も休みだし、今日くらい……