作品タイトル不明
第三十二話 バラ園での秘密
ニリュフェル姫殿下からの申しつけでは、私は毎日ウォルシャ伯爵邸へ来て、彼女とおしゃべりすることが義務だからそうするように、とのことだった。
こうなっては、私一人でカルストン伯爵邸での宴席やもてなしを回せない。賓客の出迎えや挨拶だけならいいが、事前準備——料理の選定や演出、それに招待客リストの確認、連絡などは私の最終確認を通さなくてはならない事柄ばかりだ。
なので、私は長兄、プルケリア、そしてアマベルへ一週間分の仕事を分担してもらえるよう頼み込んだ。
「急な、立て込んだ用事が入ってしまったので、一週間ほど協力していただきたいの。もちろんそれぞれに分担してもらうことで、あまり負担にならないよう調整済みです」
私は三人を朝食へ招待し、頼みたいことと担当する執事の名、それから一週間分の開催行事について書き込んだ紙を渡した。
朝からトスティグの料理が食べられるとあってウキウキでやってきた長兄、呼べば必ず来てくれるプルケリア、そして何も説明しなくてもついてきた義母アマベル。
それぞれにそれぞれの胸中はあれども、私の頼みを素直に聞いてくれた。
「ふむ。邸内の見回りや会場確認なら俺でも代わりが務まりそうだな」
「私は招待客リストの確認と連絡ですね。承知いたしました」
「あらっ、私が一番の役得じゃない! 料理のことなら任せてちょうだい、料理長に素敵なおこぼれをいただけるわ〜」
「あっ、それはずるい」
「ほほほ〜」
朝から顔ほどの大きさの ビステッカ(Tボーンステーキ) を 貪(むさぼ) る二人は元気そのもので、私とプルケリアはローストポークと野菜たっぷりのビスクで十分だった。
最近はイヴェルタリー伯爵領を経由しての海産物が王都へと届きやすくなったため、トスティグ料理長は新しい食材の開拓に勤しんでいる。それが生きたまま大量輸送されたカニやエビを丁寧に粉砕して濾したビスクとなり、北部の牛乳やチーズとよく合う。
「このスープ、何だかクレランシャ領の料理を思い出しますわ。あのときはロブスターの丸焼きには驚きましたけれど、潮気のある港で食べると本当に美味しかった。そんな思い出が蘇りましたもの」
「それはよかった。クレランシャの港からも食材を運んでもらえるよう、今度お父上のところへ交渉しに行きましょう」
「ええ、とってもいい案です。ぜひ」
プルケリアが持つカップの赤みがかったベージュの水面に、より濃い味を楽しむためのクリームソースが加えられ、ゆるやかな渦となる。
「話を戻しますと、それぞれを専門とする執事がいますから、詳細は彼らに話を聞いてもらえれば問題ないかと。私は開催時間までには帰れるでしょうけれど、それまではどうしても屋敷を空けなくてはならないでしょうから」
「ちなみに、 ま(・) た(・) 誰かの困りごとの解決かしら?」
「そうなります。相手が年端もいかないご令嬢なので」
「そう、それなら仕方ないわね。バーティもまだ帰ってこないだろうし、こちらは大丈夫よ。心配せずそちらに専念しなさいな」
「ありがとうございます」
意外なことに、アマベルは私の今までやってきたことを粗方把握しているようだった。直接話した記憶はないが、テーブルを挟んで向かいにいるプルケリアを見てそう言ったのかもしれないし、どこかで噂を耳に挟んだのかもしれない。
何にせよ、私は嘘を吐かず、さりとて肝心なことを話さずにいられた。
その気遣いに関しては、いずれ報いなくてはならない。アマベルだけでなく、長兄やプルケリアに対してもだ。
それに——昨日の機密書類の件は、私へ多大な衝撃を与えた。
ドニー王子の婚約。まさか姉王女メリザンドがこのような状況であるというのに、自分は結婚という国家の一大慶事を為そうというのか。
そこまで考えて、私ははたと思い出す。
あのドニー王子が、そんなことを主導できる立場にあるだろうか?
第一王女メリザンドや第二王女アミスならば政治的な動きもお手のものだった。しかし、弟であるドニー王子はいささか鈍感で、鈍重で、行動よりも動かずにいることのほうが利益になるであろう類の性分だ。
私は出会ったときからそう見ていたし、六年後の王宮を去るその日まで認識は一切変わらなかった。
それに、本人に愚鈍の自覚のあるなしではなく、王位継承者の結婚について大臣たちが関与していないわけがない以上、ドニー王子がアイデアを出したり主導的な役割を果たしたりする、とはとても思えない。
(いや……決めつけてはダメね。とにかく、確認すべきことが多すぎる。今の私の手元にあるカードで、どこまでカーテンの向こうの状況を開示させられるか。できるだけやってみましょう)
私はそこで思考を一旦切り上げ、ほろほろと崩れるローストポークへ慎重にナイフを入れた。
午前の遅い時間帯が、私がウォルシャ伯爵邸へ赴く時間として決められてきた。
相変わらずバスケットを片手に、淡い色合いの離れのサンルームでニリュフェルとささやかなお茶会を開く。毎回新しい茶器、それも薄く軽い陶器のカップを出してくるあたり、私は国賓並みに歓迎されているようだ。
ファッジは紙に包んだお土産として侍女スンビュルへ渡し、ニリュフェルはイチゴをふんだんに使った スポンジケーキ(フレジエ) の群れを前にして、夢中で食べていた。
東の大陸、ルーヴァ連邦同盟中心部でよく食べられるイチゴのケーキを参考に作られたもので、イチゴそのものを大胆にカットした断面が側面に並び、真っ赤な ゼリーがけ(ナパージュ) で艶出しされ、見た目にも鮮やかだ。
それに——私も試食ですでに味わっているが、アーモンドの風味をこれでもかと、イチゴに負けないほどに作られたスポンジケーキは、隠し味に岩塩を使っている。まさかケーキに、それもスポンジ部分に東の大陸産の岩塩をわざわざ使う、というのは珍しい。
その甲斐あって、ニリュフェルは黙々とフォークを動かし、食べ終えるまで私もスンビュルも目に入っていないかのようだった。
私は邪魔しないよう、出されたローズヒップティーをいただく。期せずして、赤いお茶と赤いケーキとなり、場は華やかだ。外のバラ園にも日が差し、幾重にも広がる花弁の数々がまさに笑うように咲いている。
ようやく、かちゃ、という小さな音とともに、フォークが取り皿に置かれた。
「やっぱり、トリッシュの持ってくるケーキが一番美味しいわ。こう、他のものと違って、味がとても濃厚なの。それにベリーも新鮮だし」
手元に置かれていたナプキンで口元を拭き、たらふくケーキを食べ終えたニリュフェルは満足げだ。
「我が家の味がお口に合ってよろしゅうございました、 姫殿下(ハイネス) 」
「この国は何でも甘さが控えめだもの。 樹液蜜(メープルデュー) 、あれには本当に助けられているわ」
「あれは菓子類だけでなく、肉料理にも合いますわ」
「そうなの……そうなの!?」
「ええ。また今度、いい肉が手に入りましたらその料理を持ってまいりましょう」
樹液蜜(メープルデュー) は、「この国の料理は薄味だし甘味が足りない」と愚痴をこぼしたニリュフェルのために、我が家の厨房から最高級品を強奪してきたものだ。個人的な趣味で揃えていたトスティグには悪いことをしたと思っている。
ティーカップを傾け、喉を潤してから、ニリュフェルは大きなガラス窓の外を指差した。
「スンビュル、あのあたりのバラを取ってきて、トリッシュへ花束を包んで」
すみやかに、スンビュルはサンルームから出ていった。外に咲くバラたちは百やそこらでは利かないほどだ、多少摘んでもウォルシャ伯爵夫人には怒られないだろう。
ただ、今スンビュルにそれを頼んだということは、厄介払いをしたということでもある。
ニリュフェルは立ち上がり、壁際の書棚に挟まれていた一枚の紙——白く上等だ——を持ってきて、私へと差し出す。
「トリッシュ。何も言わず、これを読んでほしいの」
一度は丸めて潰されたのだろう、その紙を受け取り、私は目を走らせる。
その紙の内容は、公式文書にも使えそうな格式ある書式で、ニリュフェルへと伝達されたものだ。
要約すればこうなる。『第一王子とニリュフェルの婚約を公にしてからの今後の日程について大使と相談している、しばし待ってほしい』、とのことだ。
言わずもがな、第一王子とはこの国のドニー王子のことだろう。間違ってもまだ幼いロウヴァン王子は指していないはずだ。
だとすれば、私の知る 閣僚会議(カウンシル) で議題に上った婚約と、ニリュフェルの婚約は高確率で同一のものだ、と推定できる。
(間違いない。ドニー王子とニリュフェル姫の婚約は、 閣僚会議(カウンシル) で議論されるほど進んでいる。しかも、手続きを急いで……)
私は冷静を保つため、自分の中から追い出すために、その単語をつぶやいた。
「婚約……」
ニリュフェルは密かに、愁眉を見せた。
「そう! 結婚は間近だけど、どうにか断る方法はないかしら? 私はこの国の作法や文法に詳しくないから分からないけど、あなたなら何か妙案が浮かんだりしない?」
断る?
この数日間、ニリュフェルと話していても、私は一切彼女の身の上について詮索しなかった。
彼女もまた、高貴な女性らしく外部に漏らしてはいけないことについて熟知していたし、イライラと『気難しい』状態になる何かがある、ということだけしか表していない。
それがついに、ニリュフェルは追い詰められたのか、この国へ来た目的について私へと明らかにし、それを引っくり返す方法を求めてきた。
このとき、私の中ではニリュフェルの立場が明確になった。
一つ目は、大国の姫としてアルソナ王国のドニー王子と婚約しなくてはならないこと。
二つ目は、ニリュフェル自身は婚約を主導する者と思惑は一致していないこと。
三つ目は、ニリュフェルは婚約しているが、結婚を断りたいこと。
なるほど、気難しくなるわけだ。
ウォルシャ伯爵夫人の立場はどうあれ、私が頼まれていることは『 気難しいご令嬢(ニリュフェル) 』の話し相手だ。
なら、そのとおりにしよう。
私はスンビュルへ聞こえないよう、声をひそめる。
「断る方法の前に、まず婚約は成立しているのですよね?」
「そうらしいわ。スンビュルの後ろにいる 大宰相(サドラザム) がそのために私をアルソナ王国へ送り込んだし、私はまだこの国の文章を読めないからスンビュルの通訳が必須で、嘘を吐かれても分からないし」
「なるほど、確かにそうですわね。他に、婚約について書かれた書類などはお持ちですか?」
「あるわ。急いで、スンビュルが戻ってくる前に持っていって!」
ニリュフェルは慌てて、書棚に隠していた他の手紙もいくつか引っ張ってきた。それをまとめ、私はバスケットの底の布地へと隠す。
外では、スンビュルがバラを剪定用ハサミで切っていた。
「かしこまりました。明日までにこれらを読んで、考えてまいります。他言はいたしません、カルストン伯爵夫人の名にかけて」
「スンビュルのことだから、私の様子を見て気付いてしまうかもしれないわ。だから」
「ええ、ご安心を」
私はニリュフェルへ、簡単な演技の手解きをしておいた。
少しして、スンビュルが十数本のバラを紐で束ねて、麻生地で巻いて持ってきた。
「姫殿下、こちらでよろしゅうございますか?」
「あっ!」
そのときだった。
バラの花束に気を取られ、立ちあがろうとしたニリュフェルが足をテーブルに引っ掛け、お茶を私のほうへとこぼしてしまったのだ。
一人がけソファに座った私は避けようもなく、ドレスのスカートにローズヒップティーの赤が広がってしまう。
「トリッシュ、やだ、どうしよう」
「おかまいなく。ですが、シミになってしまいますので、急ぎ帰って洗いますわ」
「そうしてちょうだい! もう、何で」
ニリュフェルは自分を責めつつ、どうにかするにもどうしようもなく困惑する。
機敏なスンビュルが近くのナプキンや布巾で私のスカートの水気を取り、ひとまずは歩けるくらいにはしてもらう。
バラの花束とバスケットを手に、私はそそくさとウォルシャ伯爵邸を辞去し——馬車へ乗り込んだ。ここまで来れば、ひとまずは安心だ。
(さて、 お目付け役(スンビュル) を誤魔化せたかしらね。とにかく、この婚約について解明すれば、王宮内の状況も見えてくる。ドニー王子だけではない、メリザンド様にも繋がるかもしれないわ)
ニリュフェルの手元にあった婚約に関する手紙や資料を読んで、何がどこまで判明するかは分からない。
だが、当事者の一人から承諾を得て重要な資料にアクセスできることは、私の踏み出す一歩としては十分すぎた。