作品タイトル不明
第二十二話 もう一人の主人の帰還
王都の北には、南と違ってのどかな風景が広がっている。
南側は主要な街道や宿場町があるため賑わっているが、北側はいくつかの湖を越えれば遠く山がちな地方へ繋がるだけで、あとは馬の放牧地に適した平地ばかりだ。
そのため、新しく建てたカルストン伯爵邸は王宮よりも広大で、牧場も二つある。実質的に王都の外であり土地が格段に安く、あとはアルバートが思ったよりもセダル公爵家から予算をたっぷりともらってきたことが大きかった。
三年を経て完成したカルストン伯爵邸は、家族が住む主館と、厨房などの設備や使用人たちの住む左右両翼の館で構成されているが、どこにも階段は一切ない。狭いタウンハウスのようなわずらわしさは不必要、と設計士がこだわった点だ。
それに、蜂蜜色の壁石や百を超える部屋だけでなく、舞踏会くらいなら二つや三つ同時に開催できるホールの多さも魅力的だ。社交界の都合に振り回されず、主導権を握ることもできるだろう。
その優位性をいかに有効に扱えるかは、たった今、エントランス前の砂利敷きの車寄せに入ってきた馬車に乗る 御仁(アルバート) 次第だが。
使用人たちを後ろで二列に並ばせ、私は屋敷のもう一人の主人たるアルバートを迎えるためにエントランスで待っていた。
馬車から降りた途端、屋敷を見上げて感心しているアルバートは、三年前はまだ放蕩息子らしさが残っていた青年から随分と様変わりし、大人びた顔立ちと少しくたびれた旅装姿で、東の大陸で多少なりとも苦労してきたことが見て取れる。
ようやく新しい住まいから目を離し、アルバートは私へ向き直った。
一瞬何を言おうか迷ったのか、奇妙な間が空いた。ただ、私は黙って待つ。
そして、私たちは三年ぶりに言葉を交わした。
「帰ったぞ。何だ、その……久しぶりだな」
「ええ、久しぶりね」
アルバートは気恥ずかしそうに、私は当然のように。
二人の間に流れる空気は、何ら変わらない。
しかし、私の背後に隠れていた豊かな髪の淑女だけが、その空気を破って飛び出した。
「お久しぶりね、 アルバート(バーティ) !」
ほんの少しだけしゃがれた、五十近い女性の声。
それを聞いた瞬間、アルバートは目を剥いて 後退(あとずさ) りした。
「母上!?」
その反応は遅かった。とっくに淑女——前カルストン女伯爵、現セダル公爵夫人、そしてアルバートの実母アマベルは、愛する息子の胸に飛びつき、とても嬉しそうに抱きしめていた。
膨れっ面のアルバートは、放蕩息子の名残が戻ったかのようだ。
屋敷の主人なのにまず応接間に連れていかれたこと、母の滞在を知らせてもらえなかったこと、それに——私が無断で第一王女メリザンドの子ベオフリック——今はお昼寝中だ——を養育していること、色々と積もった怒りがあるのだろう。
とはいえ、手紙は途中で検閲されている可能性もある。何もかもを伝えることは無理筋で、その判断は私に一任されているのだから、強く抗議することもできず、といったところだろうか。
私とセダル公爵夫人アマベルが同じソファに並んで座り、独り対面のソファに座らさせられていることもあるかもしれなかったが、とりあえずアルバートはこれまでのこの屋敷での話を大人しく聞いていた。
「……つまり、二年ほど前から第一王女メリザンドの子を預かって育っていて、その乳母役として去年から母上が実質ここに住んでいる、と?」
そうね、と私は短く答えた。要約すればそうなる。
だが、アルバートはその答えが気に入らなかったのか、「あのなぁ」と抗弁する構えを見せた。
そこへ、アマベル——私にとっては義母で姑、子の乳母役——が堂々と割って入る。
「まあ、ベオちゃんは私にとっては血の繋がった姪の子だもの。育てる理由がちゃあんとあるでしょう? それに、成長したら正式に我が家で引き取るつもりなのよ? そうだわ、弟と息子、バーティはどちらがいいかしら?」
ところで、アマベルは始終、この調子である。起きてから寝るまで、ずっとだ。
なので、私は正直苦手だった。おしゃべりで、我と押しが強く、行動も頭の回転も早い。一日中、何かしら動いている。
必然、私は言葉少なになるし、アマベルの行動を事後承認することになる。
確かに仕事はそのほとんどを先回りしてくれるため楽になったが、同時に私は暇を持て余している。特に、ベオフリックの育児に関しては、ほぼ丸投げ状態だ。
現に、アルバートとの対話もアマベルが独占している。
「ちょっと待ってください。母上は北海諸島の開拓に忙しいのでは?」
「あら、そんなの一週間で往復できるもの」
「は? どうやって?」
「北海諸島の漁民たちはロングシップの名手よ? その手を借りればあっという間に本土と行き来できるから、とっても助かっているの」
それを聞いて、アルバートは呆れていた。
「公爵夫人が、あんな荒れた海を、狭いロングシップで……母上、気は確かですか!? 危険どころの話ではありませんよ!?」
「だって、愛する息子にたくさん遺産を残したいじゃない? 北海諸島が両大陸北部の貿易拠点になれば、漁業や毛皮の流通を独占して大儲けできるわよ! そうしたらあなたが安泰じゃない! 贅沢でも何でもできるわよ〜」
そう、アマベルはただ愛する息子のために、どんな危険も顧みず働いているにすぎない。
私は直接アマベルから話を聞いたわけではないが、断片的に聞いた噂を繋ぎ合わせるに、昔の彼女はもっと内向的で、控えめな性格だったらしい。
それが、アルバートが生まれたことで一変。『この子のためなら何だってするわ!』——という、子煩悩のとんでもない母親も誕生してしまったようだ。
あくまで、それらは伝聞で耳にしただけである。
しかしアルバートに会った瞬間からの溺愛ぶりは、アマベルの噂をすべて事実にしてしまいかねないほどの信憑性を叩きつけてきた。
愛する息子のために、どんな手段を使ってでも確固たる財産を築き上げる。アマベルが年中荒れ狂うアルソナ王国北の海に浮かぶ寂れた漁村を、東西両大陸北部の毛皮取引の最大拠点に仕立て上げたのも、すべてはアルバートのためだ。
「実際のところ、 国王陛下(義兄上) からもたっぷり支援があるから、これは国策でもあるのよ。東西両大陸北部は、大きな山脈や川で南北の移動を遮られている以上、海を通じての貿易ルートしかほぼ使えない。だったら、両方から近くて海流も安定している北海諸島に便利な貿易拠点を築くのは間違っていないでしょう? たまに見たこともない宝石だったり、最高級の海獣毛皮も手に入るのよ。いいでしょう?」
アルバートはうんざりした様子で、頭を横に振っていた。
実際のところ、母親に溺愛されているさまを妻へ見せつけている現状、人並みに羞恥心があればそうもなるだろう。
母の愛情から逃れるためか、アルバートは私へやっと声をかけた。
「トリッシュ……喋らないな? どうした?」
「ここでしゃしゃり出るのは野暮でしょう。そのくらいわきまえているわ」
「そ、そうか」
声を出して初めて気付いたが、私はそれなりに——腹が立っていたらしい。思ったよりも無愛想な声色になってしまった。
それ以上何も言えなかったアルバートは、再度、お節介な母親に目を付けられた。
「ところでバーティ、あなた、どうしてそんな見すぼらしい服装をしているの」
「え? ああ、旅装ですから」
「ダメよ! 次期セダル公爵たるもの、いついかなるときもきちんとした身なりをしなさいと教えたでしょう! すぐに仕立て屋を呼ぶわ!」
「母上、落ち着いてください、服は他にもあります!」
「じゃあ見せなさいな! 出立までに全部見違えるほど直してあげるわ!」
「直さなくていいので! 子ども扱いしないでください!」
まったくもって、やれやれだ。
一般的に、子を思う母の気持ちとは、ここまで騒がしいものなのか。
実母に会ったこともなければ、養母もいなかった私としては、奇妙な光景を目の当たりにしている。もしベオフリックが成長すれば、私もああなるのだろうか——想像してみたが、その可能性は限りなく低そうだった。
もうしばらくこの茶番を見せつけられなければならないのだろうか、と諦めかけていたそのときだった。
アルバートは、きっぱりとアマベルのおしゃべりを制した。
「母上、久しぶりにお会いできて嬉しいのですが、俺はトリッシュに話があります。また改めて母上のお話は聞かせていただくとして、ひとまず」
それは反論を許さない、実にしっかりとした物言いで、さすがのアマベルも我に返ったように愛する息子の言葉を受け入れた。
「そうね。では、私はベオちゃんのお世話をしておくわ」
「お願いしますわ、アマベル様」
言うが早いか、すでにアマベルはソファから腰を上げ、応接間から風のように去っていった。
残されたのは、母親がいなくなってくったりと気の抜けたアルバートと、それを見下ろす私だ。
「疲れた……」
「お疲れ様」
はあ、と大きなため息を吐いて、アルバートが顔を上げる。
会話を続けようと気を引き締め直しているようだったので、私は静々とアルバートの隣へ座り直してから、その肩を掴んで膝へと引き倒した。
思わぬ行動だったのか、すんなりとアルバートは私の膝を枕に、横になっている。
恐る恐る、アルバートは視線だけで私を見上げた。
「い、いきなり、何だ?」
「疲れているのに、無理に話さなくていいわ。頭が働くときでないと、痛い目に遭うわよ」
私としては、気遣いというほどのことでもなく、単純に長旅から帰ってきたばかりの人間に実のある話をするつもりがないだけだ。
起き上がるかどうか迷っていただろうアルバートは、そのまま力を抜いて寝転がる。
「……お気遣いどうも、 女王(マイ・ソヴリン) 様(・レディ) 」
大したことでもなく、私は何も返さない。
アルバートは大あくびをして、目を閉じる。
「長旅で疲れた。少し寝る」
「どうぞ。夕食前には起こすわ」
「そうしてくれ」
このやり取りのあと、しばらくすると深い寝息が聞こえてきた。
私は特にやることもなく、新しく作ったばかりの応接間の壁紙とシャンデリアについて、考えを巡らせることにした。