作品タイトル不明
第三十四話「辺境伯の悩み」
四月二十七日。
昨日、デオダード商会での蒸留所建設について簡単な追加資料と共に再説明を行った。商会長のヴェルノ・デオダードを始め、建設に携わる従業員は俺の作った計画書を相当読み込んだのか、書いていない想定外の状況についても考えており、ジルソールでの蒸留所建設は俺がいなくても何とかなりそうだ。
昨夜には鍛冶師ギルドで宴会を行い、支部長のザムエル・オビッツらと別れを惜しんだ。その際にデオダード商会からアウレラの名物料理である“ムール貝のビール蒸し”や“牡蠣のワイン蒸し”、“ニシンのフライ”などの差し入れがあり、夜中まで盛り上がった。
アウレラでやるべきことはこれで終わったため、今日、草原に向けて出発する。
何度か話し合ったが、一度草原に行ってから故郷ラスモア村に戻ればいいという結論になったためだ。
ザムエルらドワーフたち、そしてデオダード商会の従業員たちに見送られて出発する。「お気をつけて!」という声と「ジーク・スコッチ!」という声が混じる中、手を振りながら街道に向かった。
アウレラ市の巨大な城門を出ると、思った以上に荷馬車が多かった。話を聞くと、ペリクリトルに向かう者と、帝国中部域を目指す者がいるとのことだ。
ペリクリトルは復興特需を狙っているものだが、中部域はカエルム帝国とルークス聖王国の戦争の需要を狙ってのことらしい。
本来なら輸送コストが安い船を使う方がいいのだが、ルークスが雇った海洋国家ペリプルスによる海上封鎖と帝国による大型船の徴用のリスクを考え、陸上輸送にしているということだった。
四月の下旬ということでのんびりと馬に乗るにはちょうどいい季節だ。
以前なら風景を楽しみながら旅を楽しめたが、今日に限ってはその余裕はあまりない。
「馬に乗るのって、こんなに疲れるものだったかしら」とリディが言ってきた。
「船旅の弊害だな」と返すことしかできない。
船旅ばかりで歩くことも少なかったことに加え、馬に乗るために必要な感覚が鈍っており、いつも以上に太ももや腰が痛いためだ。
それでも一日乗れば以前の感覚を取り戻し、必要以上に疲れることはなかった。
五月四日。
アウレラ街道と帝国北方街道が交わる交通の要所、ロークリフの街に到着した。一応、 天の神(カエルム) の言っていた期限である五月一日は過ぎているものの、ここは帝国の版図だ。神々から警告が来るのではと警戒したが、何も起きなかった。
ロークリフから北部の主要都市ウェルバーンに向かう。
ウェルバーンまでは五十キロしかなく、早朝に出ればその日のうちに到着できるが、急ぐ旅でもないため、途中で一泊する。これは夕方の遅い時間にウェルバーンに到着するとそのままドワーフたちとの宴会に突入するためで、午後二時過ぎに到着できるように調整する意味もあった。
五月六日の午後二時頃。
予定通りウェルバーンに到着した。宿にチェックインした後、北部総督でもあるラズウェル辺境伯に挨拶に向かう。
一応、ロックハート家は北部総督の配下という扱いであり、次男といえども目通りを願うのは儀礼上必要とされる。
もっとも相手が大貴族であることから子爵家の次男程度が面会できることは稀で、儀礼上の意味しかないが、俺の場合は普通に会えるはずだ。
辺境伯の居城であるウェルバーン城にいくと、予想通りすぐに面会が叶う。
家宰であるフェルディナンド・オールダム男爵がすぐに現れた。ここ数年は北部も落ち着いており、彼の顔にも余裕があった。
「前触れもなくお伺いし、申し訳ございません」と言って頭を下げると、笑顔を返される。
「問題ありませんよ。ザカライアス卿であれば、いつでも歓迎するとお館様もおっしゃっておられますので」
そんなことを話しながら、辺境伯の執務室に向かう。
執務室ではヒューバート・ラズウェル辺境伯と嫡孫であるフランシスが待っていた。
辺境伯は五十代後半だが、喫緊の問題がないためか、初めて会った時より若々しい感じだ。また、フランシスも十六歳になり、貴公子らしい凛々しさを感じさせる。
「随分いろいろなところに行っておるようだな。まさかここにまで来てくれるとは思わなかったぞ」と辺境伯が笑う。
兄嫁ロザリンドを通じて情報を得ているようで、俺がジルソールに向かったことを知っていた。
「蒸留所の状況を見にきただけではあるまい。儂にできることがあれば可能な限り手伝うぞ。卿には借りがあるからな」
俺がどのような理由でここに来たのかは聞かず、協力だけを申し出てくれた。借りというのは以前行われたルークス聖王国への懲罰戦争において、北部総督府が大きな負担に喘いでいた際に、治安維持の方法を提案したことだ。
今のところ頼むことはなく、礼を言うだけに留めている。
その後は雑談に興じるが、フランシスの表情が硬く、ほとんど話に加わってこない。
「フランシス様、政務に慣れましたか?」と話を振るが、「おじい様の下で勉強しているところだ」と言うだけであまり話に乗ってこない。
十分ほどすると、フランシスは立ち上がり、「鍛錬の時間ですので失礼します」と辺境伯に頭を下げて執務室を出ていった。
彼の姿が消えると、辺境伯は大きく溜め息を吐く。
「甘やかしているつもりはないのだが、政務にも軍務にも身が入っておらん。困ったものだ」
その言葉にオールダム男爵が反論する。
「フランシス様も重圧の中、がんばっておられます。そのようにおっしゃられては……」
どうやら北部総督を継ぐという重圧に耐えかねているらしい。
名君として三十年以上君臨する祖父の跡を継ぐという 重圧(プレッシャー) には同情の余地はある。しかし、ラズウェル家の直系の男子はフランシスの他に、以前問題を起こした辺境伯の弟、コンスタンス・タイスバーン元子爵しかおらず、彼以外の選択肢がない。
また、辺境伯の健康に問題はないものの高齢であることから、早急に後継者を育てる必要がある。そのこともあって、帝都の高等学術院に入学することなく、辺境伯と男爵からマンツーマンで教育を受けているのだろう。
「ザカライアスよ。そなたによい知恵はないか」
突然話を振られるが、子供がいない俺には答えようがなく、「申し訳ありません」と頭を下げることしかできない。
「あの、よろしいでしょうか」とシャロンが発言を求めた。
「何かよい知恵があるのか」と辺境伯は目を輝かす。
「知恵というほどのことでもないのですが」と前置きした上で、
「フランシス様にご学友はいらっしゃるのでしょうか? 総督閣下にオールダム男爵様がいらっしゃるように、フランシス様にも胸襟を開いて話ができる友人がいらっしゃれば、悩みを分かち合うこともできると思うのですが」
シャロンの指摘に辺境伯と男爵が同時に顔をしかめる。
「儂も探したのだが、北部には辺境伯家の跡継ぎと友人付き合いできるほどの者はおらぬ。儂とフェルディナンドは帝都で共に学んだ仲なのだが……ここに残したのが失敗だったのかもしれん。しかし、フランシスに何かあったらラズウェル家は……」
広大な領地を管理し、絶大な権力を持つ北部総督は伝統的に皇帝から危険視されている。
それを利用したのが、ルークス聖王国だ。辺境伯家の男子を暗殺することで辺境伯を揺さぶり、北部総督府が独立するという噂を流して混乱を起こそうとした。
更に帝国貴族たちもラズウェル家の最大の弱点が後継者問題だと分かっている。北部総督の権益を手に入れるため、謀略を仕掛けてくる可能性は低いものの否定はできない。
その懸念があるため、安全なウェルバーンに留めているのだが、それが却って仇になったのだろう。
北部におけるラズウェル家はカエルム皇室に匹敵するほどの権威がある。また、北部域にも貴族はいるが、そのほとんどが子爵家以下の下級貴族だ。
また、現当主ヒューバートは名君として三十年以上にわたって北部域に君臨している。そのため、フランシスと同世代の子供を持つ三十歳くらいの貴族にとっては、生まれた時から総督をしているヒューバートは尊敬すべき相手であるとともに畏怖の対象だ。
自分の子供をフランシスの学友にするというのは恐れ多いと思っているのだ。
一方、上級貴族の子供を学友としてウェルバーンに招くことだが、帝都から遠く離れた辺境に子供を送る親はほとんどいない。帝都にある高等学術院に入学しないと、人脈を作る機会を失うことになるためだ。
学友となれば北部総督との大きなパイプを持てる。しかし、北部総督は伝統的に皇帝や元老に睨まれているため、侯爵家以上の上級貴族にとっては大きなメリットにはならない。逆に上級貴族になるほどデメリットになる。
そんなこともあって、フランシスには護衛や従者はいても、学友と呼ばれる存在はいないということだった。
「誰かよい者がおれば推薦してほしいくらいだ」と辺境伯が零す。
「セオフィラスさんでは駄目なのでしょうか?」
シャロンが提案するが、即座に俺が「それは駄目だ」と否定する。
「どうしてでしょうか? 年も近いですし、性格的にも明るくて友人となれると思うのですが」
シャロンのセオに対する評価は間違っていない。しかし、大きな問題があった。
「ロックハート子爵家とラズウェル辺境伯家がこれ以上親密に見えることは帝都の元老たちに警戒される。兄上はうちが子爵家になる前から 義姉上(あねうえ) と結婚しているからいいが、セオがフランシス様の腹心と見られればラズウェル家が鍛冶師ギルドという力を得たように見える」
「確かにそうですね」とシャロンはすぐに納得する。
「まさにそのことが問題なのだ。ロックハート家はもちろん、シーウェル家にすら声が掛けられん。困ったことだ……」
シーウェル侯爵家はラズウェル家と縁戚関係にあり、一見すると問題があるようには見えない。
以前は上級貴族の中でも比較的力を持っていないと目されており、あまり警戒されていなかった。しかし、シーウェルワインとシーウェルブランデーの成功により、帝都で大きな影響力を持つようになったことから、辺境伯としても距離を置くように配慮している。
しかし、リディがその考えを否定する。
「セオなら護衛という名目も立つのではありませんか?」
リディの意見は突拍子もないように見えて合理的だ。そのことに辺境伯も気づいたようだ。
「護衛か……確かにそれならば問題はない。何と言っても武の名門ロックハート家の男子であり、我がラズウェル家と縁戚関係でもあるから信用という点では申し分ない。元老たちに対しても堂々と説明できる」
「問題は弟がここに来たがるかということですね。今どこにいるかは分かりませんが、剣術を極めるということに関しては、私や兄以上ですから。まあ、妹たちよりは多少マシですが」
セオは剣術を極めようと、幼い頃から最強の傭兵、 剣聖(ソードマスター) の異名を持つギデオン・ダイアーに師事し、厳しい修行に明け暮れている。
セラフィーヌや一番下の妹ソフィアに比べれば常識的な範囲だが、彼が平和なウェルバーンに来たいと思うかと問われれば、否と答えるしかない。
「うむ。しかし、一度セオフィラスに聞いてもらえぬか。幼い頃しか知らぬが、あの頃でも物怖じせぬ性格だったと記憶しておる。もし、師が必要というなら我が家が招聘しよう」
剛毅なことに一級傭兵クラスを雇うと言ってきた。
一級傭兵を専属にすることはそもそも難しい。何らかの伝手があり、長期の契約が可能であっても傭兵ギルドの相場で言えば、年間数十万クローナ、日本円で数億円は必要なはずだ。
「実戦の経験が必要というなら、北部総督府軍所属ではなく、一個人としてポルタ山地の討伐隊を指揮することも認めるぞ。無論、北部総督府軍の将となりたいと希望するなら可能な限り考慮する。まあ、その時はロックハートの名は捨ててもらわねばならんが」
更にセオが望む実戦についても配慮すると言ってきた。
俺としても辺境伯家の混乱を防ぐことが、帝国、ひいては世界の安定に必要だと思っており、協力したいと考えている。
辺境伯の提案は充分すぎるものだが、弟にそれを押し付けるつもりはなく、彼の希望に沿うつもりでいる。
「草原に行った後にフォルティス経由で村に戻るつもりですから、その時に弟と父に話をしてみます。但し、無理強いするつもりはありませんので、あまり期待はしないでください」
辺境伯も「うむ」と言って大きく頷く。
その後、辺境伯の妻となったバーバラ・ラズウェルが現れた。控えめな感じは以前と変わらないが、少し柔和な雰囲気になった気がする。侍女長という役職でなくなったためだろう。
バーバラとは政治やフランシスの話ではなく、旅での出来事や料理の話をした。その話の中で彼女が本を書いたと聞き驚いた。
「お恥ずかしい話ですが、ザカライアス様に教えていただいた給仕の方法についてまとめてみたのです。折角教えていただいたことを私たちだけで独占するのはもったいないですから……」
詳しく聞くと侍女としての心構えなどをまとめた本、“侍女の心得――インストラクショナルブック・フォオ・ア・レディズ・メイド”を書き上げ、辺境伯が活版印刷を用いて出版したらしい。
「儂が見てもよく書けておると思ったのだ。帝都では貴族の屋敷で働く者を中心に飛ぶように売れておるそうだ」
「私が何か教えましたか?」とバーバラに聞いてみた。
「ええ、いろいろと教えていただきました。今の私があるのはザカライアス様に教えていただいたからですわ」
俺の記憶にあるのは給仕の仕方や酒の知識くらいで、侍女の心得などという大それたことを教えた記憶はない。ただ、彼女がそう思っているのなら否定する必要はないとも思っている。
一時間ほど滞在した後、ウェルバーン城から鍛冶師ギルドのウェルバーン支部に向かう。
支部に入ると、ここでもなぜか多くのドワーフたちに囲まれる。
「よく来た! ジーク・スコッチ!」という声が何度も掛かる。
支部長のデーゲンハルト・グラブシュに「来ることがよく分かったな」というと、
「城に入ったと聞いたからな。慌てて全員を呼び出したのだ。もちろん、マッケラン村からジョニーたちも呼んでおる」
マッケラン村はウェルバーン近郊の農村で、蒸留所を建設した場所だ。ラスモア村にも来ていたジョナサン・ウォーターが責任者として五つの蒸留所を仕切っている。
「お久しぶりです」と言ってジョニーがドワーフたちの間から声を掛けてきた。
その表情は以前よりも自信に満ちているが、これは蒸留所が上手くいっているためだ。
「上手くいっているみたいでよかったよ。去年のドワーフ・フェスティバルで飲んだホグスヘッドのノンピートは秀逸だった……」
昨年七月に行われたドワーフ・フェスティバルの蒸留酒部門ではウェルバーン支部のスコッチが大賞を取っている。三年物と若いながらも力強さの中に麦芽の甘みとオーク樽から加わるバニラやドライフルーツのニュアンスがあり、ラスモア村の蒸留責任者スコットが危機感を持ったほど出来がよかった。
「あ、ありがとうございます! ザカライアス様にそう言っていただけると感無量です……」
最後は感極まって言葉にならない。
「まずは宴会だ! ほれ、お前らも早く座らんか!」とデーゲンハルトが仕切る。
宴会はいつも通り大いに盛り上がった。
翌日、マッケラン村を訪問し、五つの蒸留所を巡る。ジョニーが管理しているだけあって、非の打ち所がなかった。
その日は辺境伯家で少人数での宴が行われた。
さすがに侍女たちも入れ替わっており、見知った顔は数人しかいないが、それでも見事な給仕を見せてくれた。
五月八日。草原に向けて出発する。
辺境伯やドワーフたちからはもう少し滞在してはどうかと言われたが、
「ネザートンもフォルティスも新しい酒を造っているからな。それがどうなったか早く知りたいんだ」
「ザックらしい」とデーゲンハルトに言われ、ドワーフたちの笑い声と共に南に向けて出発した。