作品タイトル不明
第九話「ローグデール峠」
五月十三日。
フォルティスでの用事を終え、故郷ラスモア村に向けて出発する。
見送りには鍛冶師ギルドのドワーフたちと共に、元一級傭兵のギデオン・ダイアーと彼の妻フランチェスカが来てくれた。更に出発直前には、多忙なはずの傭兵ギルド長のクライド・ホルボーンも駆けつけてくれ、思った以上に大物たちの見送りを受けることになった。
鍛冶師ギルドの支部長ルディガー・ナイチェルたちに「いつでも歓迎するからな」と言って握手をする。彼らは半年後を目途にラスモア村に研修に来るためだ。
ギデオンとフランチェスカには稽古を付けてもらった礼をする。
セオとセラの二人は昨夜の宴会で修行に来いと言われ、思った以上に打ち解けていた。近い将来、祖父の許可をもらってここに戻ってくるはずだ。
そんな彼らが羨ましくもあるが、俺はこれからルナを教え導かなければならない。
彼らとの別れを終えると、父が出発の合図をし、フォルティス市を後にした。
フォルティス市からラスモア村には二つのルートで行くことができる。一つはフォルティス街道を東に進み、帝国東部域の主要都市エアルドレッドに入ってからカウム王国を経由するルート。
もう一つは北東に向かうエルウィンドウッド街道を進み、ペリクリトルに入ってから、アルス街道を南下するルートだ。
エルウィンドウッド側は距離こそ短いものの、街道とは名ばかりの細い道で、馬車での通行が困難であることから最初から候補にすら上がっていない。
フォルティス街道の方だが、ポルタ山地の難所ローグデール峠を越える必要があり、こちらも危険が伴う。この峠だが、五十キロメートルにも及ぶ長い回廊で、緩やかだが上り坂が続く厳しいところだ。
そして、このローグデールという名は“盗賊の谷”という意味があり、昔は山賊が出没する危険な場所だった。今でこそ山賊は減ったものの、山に棲む魔物が多く、危険であることに代わりはない。
ローグデール峠の入口までは約二百三十キロメートル。十日の行程で、そこまでは比較的安全だ。
五月二十三日。
難所であるローグデール峠に入る。
「この先は魔物と盗賊に特に注意が必要だ。トロールとグリフォンがいたという情報があった。更に盗賊団らしき武装集団が雪解けを待って入ってきたという話もある。この先は馬車の間隔は広げすぎるな。従士は御者に的確に指示を出せ。道はあまり整備されていない。御者の諸君も一つの操作ミスが我々全員の命に関わると思って慎重に馬車を操ってほしい……」
いつも以上に細かい指示を出していた。
この先はいつも通り、ダンが先行して危険が無いことを確認しながら進む。父は中央で全体の指揮を執り、ベアトリスが前方集団、俺が後方集団の指揮を執る。
リディとシャロンは中央で父の指揮下に入り、メルはベアトリスの指揮下に入っている。
更にネザートンのドワーフたちがハンマーを手に馬車の御者台に座り、いつでも飛び出せる体制になっていた。
両側を切り立った崖に挟まれた狭い道を慎重に進んでいく。
何度か弱い魔物の姿が見えたが、襲い掛かってくることなく、山に帰っていった。ただ、先頭を行くダンが何度か視線を感じていると言っており、全員が緊張しながら馬を進めている。
初日の宿場に無事到着した。
ローグデール峠には何箇所か宿場がある。町というほど大きなものではなく、木製の防壁の中に十軒程度の宿と傭兵ギルドが派遣した守備隊がいるだけだ。
二日目も襲撃を受けることなく、無事に宿に到着した。ただ、ダンが言っていた視線は相変わらず付きまとい続け、俺たちは緊張を強いられ続けていた。
宿に入り装備を外した後でベアトリスが「うっとうしいね」とはき捨てる。彼女は最も危険な前衛の指揮を執っており、常に緊張を強いられていたためだ。
「恐らく盗賊だと思うんですけど、何がしたいのか分かりませんね」
ダンが感想を漏らす。彼の感じた限りでは三人ほどが一定の距離を保ちながら、先行しているらしい。
「こっちが気づいていると向こうも分かっていると思うんだが……本当に何が狙いなんだろうな」
「こちらを疲れさせて、峠の一番厳しいところで待ち伏せするとか?」とリディが俺の疑問に答える。
「その可能性はあると思うが……それにしてもロックハート家と鍛冶師ギルドを襲う盗賊がいるとも思えないんだが……」
一番の疑問はその点だった。
ロックハート家だけでなく、鍛冶師ギルドの紋章が付いた馬車も同行している。つまり、酒が絡んだ一行だとすぐに分かるはずだ。
酒絡みでドワーフを敵に回す恐ろしさを理解できない者は少ない。仮にその少ない愚か者が狙っているにしても辻褄が合わない。そんな者たちなら、こちらの様子を探ることはしないだろう。
「いずれにしても明日には峠を越える。帝国領に完全に入ってしまえば、盗賊なら手を出してこないだろう」
国境地帯は危険なものの、帝国の東部域は治安がよく、特に東部総督府があるエアルドレッドには治安維持のための兵士が多く配置されている。また、ポルタ山地から魔物が下りてくることが多いため、定期的に討伐も行われていた。
それでも監視者たちの考えが読めないことが気になる。
リディの言う通り、この先は更に厳しい上り坂になる。特に峠の頂上付近の勾配はきつく、速度は極端に落ちる。そう考えれば、そこで待ち伏せするのは分からないでもない。
ただ、分からないのはなぜこちらに存在を明かしたのかという点だ。待ち伏せておき、奇襲を掛けた方が有利になることは自明だ。ダンの能力を見誤ったという可能性もないわけではないが、それなら一旦気配を消すはずだ。
五月二十五日。
予定では今日中にローグデール峠を越える。
宿場から峠の頂上までは約十五キロメートル。峠を二キロメートルほど下った先にある宿場が今日の目的地だが、昨日まで付きまとっていた監視者の存在が気になり、全員が緊張している。
出発前、父が全員に訓辞を行った。
「……昨日まで付きまとっていた監視者が気になるが、いつも通り周囲を警戒して慎重に進んでほしい。油断することはないと思うが、必要以上に緊張しすぎるな。いざという時に万全の体制で当たれるよう、適度な緊張を維持してくれ。荷馬車の御者は何が起きようとも従士たちの命令に従ってほしい。なに、こちらには優秀な魔術師が三人もいるのだ。狭い峠では我らの方が有利。安心して馬車を操ってくれ……」
一般論でいえば、峠のような狭い場所で奇襲を受ければ魔術師の出番は少ない。範囲魔法が使えないため、速射がきく弓術士の方が役に立つことが多いからだ。
しかし、俺たちの場合、誘導できる魔法を使えることから、狭い場所でも不利になることはなく、逆に魔法の制御が上手い分、敵の場所が限定される狭い場所の方が戦いやすいくらいだ。
出発後、昨日感じていた監視の目が消えていることにダンが気づき、報告する。
彼は父の許可を得て大きく先行してみたが、一キロメートルほど先行しても監視者の存在は確認できず、その事実に更に疑問が大きくなる。
(昨日まで付きまとっておいて、今日になって消える……何を考えているんだ? 諦めてくれたのならいいのだが……)
そんなことを考えるが、警戒を強めて馬を進めていった。
■■■
元傭兵のダグはローグデール峠の頂上付近に潜んでいた。彼はルークス聖王国から依頼を受け、ロックハート家を襲撃することになっていた。
彼自身は詳しくは聞かされていないが、聖王国の行政府が依頼主だ。
ダグはトラブルを起こして傭兵の資格を失い、盗賊に身を落とす寸前だった。そんな彼を聖王府の諜報部隊が助け、帝国北部との国境に近い村に連れていった。彼の他にも同じような境遇の傭兵や冒険者が多数いる施設があり、そこで訓練に明け暮れる毎日を送っていた。彼らは帝国内で後方撹乱をするために飼われていたのだ。
ダグたちに接触する前、聖王府は資金を調達するため、ある人物に接触した。
それは元司教グレゴリオ・ルティーニだ。ルティーニはラスモア村封鎖事件により、背教者とされて教団を追いだされた人物だ。
聖王府は後方撹乱用の資金を得るため、彼に接触した。
「あなたがこのような境遇に陥ったのはすべてロックハート家が悪い。彼らがあなたの言う通り、聖騎士となって我が国に来れば、あなたは蒸留技術を手に入れた功績で大司教になれていたかもしれない……」
その頃のルティーニは背教者として蔑まれていた。家族からは縁を切られ、実家にいることもできず、各地を点々とするものの、行く先々でも後ろ指を指され、一箇所に落ち着くことができなかった。
元々精神的に弱かったが、そのような境遇に彼の精神は崩壊寸前だった。
「元凶であるロックハート家に正義の鉄槌を下すのです。帝国で我が世の春を享受しておるロックハート家を滅ぼせば、総大司教猊下の覚えもめでたくなり、教団への復帰も可能かと……」
彼の言葉にルティーニの濁った瞳が反応する。
「まことなのか……私が教団に戻ることができるというのは……」
「もちろんでございます」と役人は自信満々に頷く。
「だが、私には鉄槌を下す術がない……」とルティーニの瞳の光が再び消える。
「その点につきましては、我ら聖王府にお任せください。我らの持つ駒をお貸しいたします」
「手を貸してくれるというのか!」
「はい。ただ、無償というわけには参りません。駒を動かすにもそれ相応の金は必要ですので」
ルティーニは役人の言葉をほとんど聞いていなかった。ただ、過去の栄光が再び蘇ることだけを考えていた。
「金なら出す……いくらでも出す!……だから……」
ルティーニはそう言って役人に縋る。
彼の資産は数千万クローナ(日本円で数百億円)を超えていた。ルティーニ家は大きな荘園を持っていながらも、代々教団の重職についている関係から税を納めることなく蓄財に励んでいたのだ。
背教者となってから親族を名乗る者たちによって、資産は目減りする一方だったが、それでもまだ充分な資産を有している。
聖王府の役人はルティーニが持つ荘園の権利書などを手に入れることに成功した。
聖王府はルティーニから得た資金でカエルム帝国の侵攻に対抗する策を考えていた。それは帝国内で大きな事件を起こし、それをきっかけに政変を起こさせるというものだった。
聖王府は三月の上旬にロックハート家が子爵になるという情報を得た。そして、彼らを害することで帝国内に混乱をもたらそうと考えた。一子爵家ではあるが、ロックハートに何かあれば、鍛冶師ギルドが暴走することは火を見るより明らかで、それを利用する考えだった。
当初はレオポルド皇子派が暴走したことにしようと考えたが、帝国内に潜入した部隊から宰相の勧誘を断ったという情報を得て、宰相の派閥、中立派にターゲットを切り替える。
ロックハート家を襲い、その際に中立派が関与したという証拠を残す。その後、商業ギルドの支援を受けた皇太子派がそのことを理由に宰相の引退と、エザリントン公の軍団長解任に動き、次期宰相の座をインゴールスロップ公が手に入れる。
ここまで大きな政治的な混乱が起きれば、現在進行している懲罰戦争も中止せざるを得ない。そんなシナリオを描いていた。
ロックハート家は武の名門で、襲撃を行っても返り討ちにあう可能性は高いが、フォルティス街道を通って領地に戻ることは事前に分かっており、治安のいい帝国内より大規模な戦力を集めることは容易だ。
問題点はフォルティス国内にどうやって戦力を送り込むかだが、諜報部隊が偽造したオーブを使えば、帝国内を通過してフォルティスに入ることは難しくない。
聖王府が用意した戦力が、ダグたちだった。
彼らは傭兵や冒険者崩れのならず者で、オーブに犯罪履歴が残っており、通常では行動に制限がでる。しかし、聖王国が正式にオーブを作り直せば、帝国内での破壊活動に使うことができるのだ。
元々は商隊の護衛に紛れ込ませて都市に入り込み、火災を起こしたり、水源を汚したりするなどの後方撹乱を行わせる予定だったが、その部隊の一つをロックハート家襲撃に使おうと考えた。
聖王府は人材こそ持っていたが、続く戦争によって派遣するための予算がなかった。そこで国内で最も金を持っている者、すなわち聖職者から金を引き出そうと考えた。
そのターゲットになったのがルティーニだ。彼なら後で聖王府が糸を引いていることが発覚しても、教団からクレームが来る可能性は低く、失敗のリスクはほとんどなかった。
ルティーニから金を搾り取った聖王府はアウレラの商人に扮している諜報部隊を使って、ダグたちを帝国に送り込んだ。
本来であれば、中部域からフォルティスに入るオークホープ峠で襲撃する予定だった。そこが最も帝国軍が手薄で、リスクが少ないためだ。
しかし、船舶の航行が制限されていたため到着が遅れ、帝国軍が治安維持を行っているローグデール峠側で待ち構えることになった。
それでもダグは楽観していた。
彼には六十人を超える部下がおり、その多くがレベル三十を超えている。彼自身、四級傭兵であり、剣術士レベルは五十五だ。いくらロックハート家が猛者集団といっても、女子供を含めて二十人程度であれば、充分に殲滅できる。
楽観していたものの、彼は慎重だった。
ローグデール峠に先に入り、岩落としの罠を設置するだけでなく、待ち伏せての奇襲も狙っていたのだ。
もっとも彼の思惑は無能な偵察要員とロックハート家の優秀な斥候により無効とされていた。
偵察にいった元冒険者は自分たちが見られたと思いながらも、そのことをダグに報告することなく、偵察を続けた。ダグからはくれぐれも慎重に様子を窺うようにいわれていたにも関わらず。
元冒険者たちは楽観していた。
調べた限りでは護衛の数は帝都を出た時より少なく、逆に守るべき対象が増え、隊列が長くなっていた。この状況なら多少警戒されても問題ないだろうと勝手に判断してしまったのだ。
ダグはその事実を知らないまま、待ち伏せていた。
彼の部下の半数が崖の上の岩場に潜み、傍らには軍師役の弓術士ミックが控えている。
残りの半数は帝国側の森の中に潜んでいた。
ダグは猛者たちが多いロックハート家に対し、遠距離から攻撃するつもりだった。彼の後ろには岩を落とすための丸太が用意してあり、森に潜む部隊は弓を装備している。彼らは岩落としで混乱を与えた後、弓で攻撃することになっていたのだ。