作品タイトル不明
第九十一話「蒸留所候補地視察」
四月十二日。
今日は鍛冶師ギルドの依頼で、ウェルバーン近郊の蒸留所建設の候補地を視察することになっている。
俺に同行するのはいつも通り、ザックセクステットのメンバーとルナだ。
父と兄は従士たちを連れて、義勇兵や傭兵の練度を確認にいき、母は末の妹のソフィアと共に実家に帰る。
セオとセラは入りたいと考えている北部総督府軍の第四騎士団の見学に行くといい、朝早くから気合が入っていた。
しかし、彼らが北部総督府軍に入れるかは微妙だ。ロックハート家とラズウェル家の関係が悪化している芝居があるためだ。
兄嫁ロザリーは父親であるヒューバート・ラズウェル辺境伯のことが心配なのか、侍女のエレナと共に城に残っている。
いつもなら兄に付き従うはずのシム・マーロンだが、今日はアンジーことアンジェリカと一緒に彼女の実家であるコールリッジ男爵家に向かうことになっている。
理由はもちろん、結婚の申し込みだ。
コールリッジ男爵領はウェルバーンから二十キロメートルほどと比較的近く、治安もいいため、二人だけで行くそうだ。
二人はデート気分なのか、甘い雰囲気を醸し出していたが、シムは男爵家に近づくにつれ、緊張していくことは間違いない。
出発前に侍女長のバーバラ・ハーディング男爵令嬢に、辺境伯たちの愚痴を聞いてやってほしいという話をしている。聡明な彼女は俺の意図を汲んでくれたようだが、結果が出るのは先だろうと考えていた。
しかし、蒸留所建設予定地の視察に行こうとした時、フェルディナンド・オールダム男爵から話があると言われた。
「申し訳ないのですが、御館様と私も同行させていただけないでしょうか」
話の流れが判らず困惑する。
ウェルバーン近郊に作られる蒸留所は鍛冶師ギルドが作るもので、北部総督府は関与しない。
蒸留所建設の話は昨年の野外での宴会の際に話をしており、北部総督府に依頼することはないという認識だ。
強いて言うなら馬車が通れないような道であった場合に街道の整備を頼むくらいだが、鍛冶師ギルドなら自分たちの資金でやってしまうだろうから、それが理由とも考えられない。
俺が困惑していると男爵が理由を説明してくれた。
「御館様の気晴らしにと思いましてな。迷惑かもしれませんが、ぜひともお願いしたいのです」
そこで何となく理由が分かった。恐らくだが、早速バーバラが動き、辺境伯や男爵がその意図に気づいたのだろう。
「同行されること自体問題はありませんが、警備はどうされますか?」
人手、特に兵士が極端に不足している状況で、総督の護衛とはいえ、多くの兵士が城外に出ることは問題だろう。また、建設予定地の住民たちが萎縮してしまうことも懸念される。
「今日の視察予定地は三 km(キメル) ほどのマッケラン村と聞いております。御館様がおっしゃるには、あの村までは遠乗りでよく行かれた場所とのことですし、ザカライアス殿たちとご一緒なら問題は何もないだろうと」
既に場所まで確認しており、辺境伯も馬車ではなく、馬に乗って行くつもりらしい。
治安がいいとはいえ、一国の支配者に匹敵する北部総督の護衛が俺たち六人というのは何かあった時に不味い。
「ウェルバーン衛士隊から何名か来ていただくことは可能でしょうか」
ウェルバーン衛士隊は総督直属の護衛部隊だ。今回の出征でも一個中隊全員が残っている。
「無論可能ですが、今回は衛士隊を同行させぬ方がよいのではありませんかな」
「確かにそうですが……私の一存では決めかねますので、父に断りを入れてまいります」
男爵の言う通り“お忍び”という方が俺の目的にも、辺境伯の目的にも合致する。
更に言えば、総督が護衛を連れずに遠乗りできるほど北部の治安は保たれているという宣伝にもなる。
しかし、俺の一存で決め、何かあった場合、父に迷惑が掛かる。少なくとも報告・連絡・相談の“ 報連相(ほうれんそう) ”はきちんとしておくべきだ。
父の下にいき、報告すると、父も驚きを隠せない。
「オールダム殿だけを供にするというのか……どうすべきだと思う?」
「男爵閣下のおっしゃるとおり、治安に問題はありませんし、私が命に換えても守ってみせます。この件を上手く利用すれば総督府に余裕があるというよい宣伝にもなります」
「そうか……従士から何人か連れていってはどうだ? それなら目立つまい」
「いえ、我々だけの方が目立たないでしょう。私が鍛冶師ギルドの職員と一緒に行動すれば、すぐに酒のことだと分かります。そこに総督閣下がいらっしゃるとは普通は思いません。ですが、兵士が同行していると逆に勘繰られる可能性が出てきます」
「そうだな。では、お前にすべて任せる。先ほど侍女長に話をしたと聞いたが、これほどすぐに効果が現れるとは……」
父には朝食中にゲートスケルが昨夜訪れたこと、今朝バーバラに話をすることは簡単にだが説明していた。
父の承諾を得たため、男爵に了解を伝える。
準備に時間が掛かると思ったら、すぐに乗馬服に身を包んだ辺境伯が現れた。いつもの煌びやかな服ではないため、一見しただけでは辺境伯とは気づかれないだろう。
彼の後ろにはバーバラが付き従っており、目が合うとにこりと微笑んだ。
「無理を言ってすまぬ。だが、これは必要なことなのだ。無論、分かっておると思うが」
すぐにオールダム男爵が二頭の馬を引いてやってきた。男爵もいつもの燕尾服ではなく、目立たない乗馬服姿だ。
「しかし、久しぶりでございますな。御館様と馬に乗るのは」
普段物静かな男爵が珍しく興奮気味だ。
総督府のナンバーワンとナンバーツーが同時に遠乗りに行くことは普通ありえないから、若いころを思い出しているのだろう。そう考えると、自分で提案したにもかかわらず、護衛が俺たちだけでいいのかと思わないでもない。
バーバラたちの見送りを受け、ウェルバーン城の城門を出る。
最初の目的地は鍛冶師ギルドだ。そこで案内の職員と合流することになっていた。
ギルドの建物の前では二十代半ばの男性職員と支部長のデーゲンハルトが待っていた。
デーゲンハルトが「ようやく来たか」と言った後、すぐに辺境伯の姿に気づき、表情を凍りつかせる。
辺境伯は「儂も見せてもらおうと思ってな」と言ってニヤリと笑った。
デーゲンハルトはそれに頭を下げた後、俺の腕を掴んで少し離れた場所に連れていく。
「どういうことじゃ。なぜ総督閣下がおるんじゃ」と小声で聞いてきた。
「ただの気晴らしだそうだ。前の宴会で話になっただろう。だから、どんなところに作るのか興味があるんだそうだ」
「護衛はどうするんじゃ?」
「安全な場所だと聞いているから、俺たちだけで充分だろう。俺たちなら盗賊の三十や四十は相手にできるしな」
デーゲンハルトの懸念は分かるし、自分自身でも思っているが、辺境伯の思惑は鍛冶師ギルドを通じてウェルバーン市民に余裕があることを発信することだ。
だから、彼には悪いが、芝居をさせてもらった。
「お前がそういうなら問題ないんじゃろうが……まあよい。では、うちの職員を紹介するぞ」
そう言って元の場所に戻っていく。
「こいつはうちの職員のジョージじゃ。ジョニーが戻ったら補佐につけようと思っておる。短い間だが、いろいろ教えてやってくれ」
ジョージと呼ばれた若者は力仕事が多い鍛冶師ギルド職員にも関わらず、小柄で痩せていた。美男子ではないが、細い目と大き過ぎる口に愛嬌があり、いつも笑っているようなそんな印象を受ける。
「ジョージといいます。高名なザカライアス卿と一緒に仕事ができ光栄です」
意外に太い神経をしているようで俺に対しても物怖じした様子がない。最近では鍛冶師ギルドの職員や食品関係の商会の従業員たちに恐れられている感じがしていたので新鮮だ。
ただ、辺境伯と男爵については気づいていないらしく、念のため教えると、笑顔が引きつった。さすがに自分たちの支配者が目の前にいると緊張するらしい。
それでもお忍びだということを伝えると、すぐにペースを取り戻し、
「では、本日の視察場所であるマッケラン村に向かいたいと思います」
そう言って騎乗する。ギルドの馬車でいくと思っていたが、騎乗のスキルを持っていたらしく、最初から馬で行くつもりだったと教えられる。
俺たちも同じように馬に乗り、彼の後についていく。
マッケラン村はウェルバーン市の東、約三キロメートルの場所にある。
ジョージの説明では人口は千人ほどで、小高い丘の間にあり、ウェル川の支流が村の中心を流れ、上質な水が豊富にあるそうだ。
「ジョニーさんから聞いている蒸留所の条件では水が豊富なこと、原料と燃料の輸送が容易であること、貯蔵庫を作るスペースが充分にあること、モルトのカスを処分しやすいことと理解しています。水についてはきれいな水ですから問題ないと思うのですが、他の条件については、どの程度考えておけばよいのかが……」
ジョニーからの手紙である程度の条件は知っているらしい。ただ、実際に蒸留所も貯蔵庫も見たことがなく、上手くイメージできないようだ。
ウェルバーンの郊外は平原になっており、十数軒の農家が固まって作る集落が多数ある。その周りには冬蒔きの麦が大きく育っているが、まだ“麦秋”というほどではなく、濃い緑の絨毯のように見える。
二キロメートルほど進むと道は丘陵地帯に入っていく。道自体はよく整備されており、荷馬車の通行に問題はないだろう。
それはいいのだが、もったいないことに丘は開墾されておらず、雑木林のままだ。
ラスモア村の丘より緩やかで開墾すればいい農地になりそうなのだが、全くの手付かずの状態だった。
オールダム男爵に聞くと、ウェルバーンの周辺は農地にできる平地が多く、わざわざ丘まで開墾しなくていいらしい。
雑木林の木々は芽吹いたばかりでまだ新緑の季節というほどの色合いにはなっていないが、それでも冬が終わったことを感じさせる。
手付かずの林の中だが、さすがに領都近郊ということで、ここの道もきちんと整備されていた。見通しはあまり利かないが、危険な気配は全くない。
それでも辺境伯が同行していることから、ダンが少し先行して安全を確認しながら進んでいく。
ルナも乗馬の腕が上がり、危なっかしい感じはほとんどなくなっている。ただ、不測の事態を考え、俺のすぐ横にいるようにさせていた。
「きれいな林ですね」
「そうだな。あと一ヶ月もしたらもっときれいになりそうだ」
そんな話をしながら馬を進める。
ルナのことだが、辺境伯にはそれとなく事情を話している。彼女が魔族の操るオークに襲われた村の生き残りであること、父と母が養女にしようと考えていることなどだ。
辺境伯も両親どころか知り合いすべてを失った少女のことを不憫に思ったのか、まだ養女でないにも関わらず、ロックハート家、すなわちラズウェル辺境伯家の縁戚の令嬢として扱うよう家臣に指示を出していた。
丘を二つほど越えると、マッケラン村が見えてきた。
丘の間を幅十メートルほどの川が流れ、その川沿いに民家が固まって建っている。丘の中腹は牧草地なのか、多くの家畜が放牧されていた。北方街道沿いの村では魔物を警戒していたが、ここではそんな感じもなく、“牧歌的”という言葉を思い浮かべるほど、長閑な感じだ。
ジョージが北にある丘を指差し、
「あの丘の向こうにも同じような集落があります。先に川を見られますか? それとも先に醸造所を見てみますか?」
「醸造所を見せてもらえないか。その後に川の水を確認したい」
「分かりました。では」と言って先導していく。
醸造所は集落の中心部からやや北にあり、比較的大きなものだった。
「この醸造所のビールはギルドでも買っているものなんです。支部長の好みとは違うようですが、ホルガー様のお気に入りのブラウンエールを作っているんです」
ホルガーはラスモア村に来たことがあるドワーフで、祖父と父の剣を作った鍛冶師の一人だ。
「それは楽しみだな。この時期ならいいエールがありそうだし」
俺がそう言うとベアトリスが「それは楽しみだね」と言い、リディも「ホルガーのエールってどんな味だったかしら、覚えている?」と聞いてきた。
俺が答えようとすると、「本当に皆さん、お酒好きですね」とルナが話に加わる。以前なら考えられないことだが、ここ二ヶ月ほどで随分明るくなったと自然に笑みが零れる。
「ホルガーのエールはコクが強くて、少し甘めのタイプだ。酵母の香りが強すぎるのと、ホップの利きが弱い点はあるが、麦芽の香りを最大限に利かせたいいエールだ」
俺がそう説明すると、
「いつ飲んだエールの味のことを話しておるのだ?」と辺境伯が呆れている。
そんな話をしているとすぐに醸造所に到着した。
予め連絡してあったのか、大きな前掛けをした職人が俺たちを出迎えてくれた。
鍛冶師ギルド御用達ということでジョージだけでなく、俺たちに対しても丁寧に対応する。
あいさつを交わしたところですぐに醸造所の見学を行う。
このメンバーの中で醸造所を見たことがないのは辺境伯と男爵だけで、二人は興味津々といった感じで説明を聞いていた。
「今日出荷する予定のものがありますが、試飲されますか?」
そう聞きながらも既に木製のジョッキを用意しており、俺たちが試飲しないとは思っていないようだ。
不思議に思って聞いてみると、
「うちの職人もラスモア村に修行にいっておりますので、お噂は聞いております」
どんな噂か気になるところだが、何となく想像が付くので頷くだけにした。
ジョッキではなく、こっそりと 収納魔法(インベントリ) から出しておいたグラスに注いでもらう。
注いだ瞬間、麦芽の香ばしくて甘い香りに包まれる。
「いい香りね。思い出したわ」とリディが言っているが、俺は受け取ったグラスに集中していたため、その言葉には答えていない。
(きれいなカラメル色だ……ろ過が甘いから酵母が浮いているが、出来立てだから、この感じは嫌いじゃない……)
香りを楽しんだ後、ゆっくりと口に含む。
「美味い!」と思わず言うほど美味かった。
「時間を置くと酵母の香りが鼻に付くが、出来立ては少し強めにローストした麦芽の甘みと香ばしさがいい。この味にはこれ以上ホップがいらないというのは正解だ。昼下がりにゆっくり飲めたら幸せなんだろうな……」
俺がそう呟くと、リディとベアトリスが同じタイミングでジョッキに口をつける。
「本当に美味しいわ。でも、これを飲んだ記憶はないわよ」
「確かに美味いな。あたしもリディアと同じ意見だ。前の宴会の時かい? それともドワーフ・フェスティバルの時かい? あたしにはどっちでも飲んだ記憶はないんだが」
「どっちでも飲んでいるぞ。ただ、ウェルバーンの宴会の時は夏を過ぎた後だから雑味があった。ドワーフ・フェスティバルの時は季節的には一番いい時だったが、長距離を移動した関係で発酵が進みすぎたんだろう」
二人は俺の説明に「だから別のものだと思ったのね」と言って納得していた。
「本当に美味しそうですね。私も早く飲めるようになりたいです」とルナが残念そうに言い、
「私たちも一緒よ。早く二十歳にならないと。ね、シャロン」とメルがいい、シャロンが大きく頷いている。
辺境伯とオールダム男爵も試飲していた。二人も目を丸くし、「これほど美味いエールは初めてじゃ」と辺境伯が絶賛していた。
ジョージはなぜか必死にメモを取っており、職人たちは俺たちの絶賛に肩を叩き合って喜んでいる。
「肝心の蒸留所の件は大丈夫なのでしょうか」とダンが聞いてきた。
「そうだな。忘れていたわけじゃないが、こいつが美味すぎたからな」と誤魔化しておく。
「まだ水を見ていないが、これだけのエールが作れるなら醸造所は間違いなく合格だ。見た感じでは他の条件もよさそうだし、ここに蒸留所を作ることに問題はないだろう」
その後、他の条件も確認したが、下調べしてあっただけのことはあり、全く問題なかった。
また、他の集落も見にいったが、同じように水や原料の条件もよく、マッケラン村では最大五つの蒸留所が建てられるという結論になった。