作品タイトル不明
第七十四話「陞爵の式典と晩餐会の裏方」
二月二十日。
今日は父マサイアス・ロックハートの陞爵の式典の日だ。
式典自体は午前十時からだが、父は朝の鍛錬をする余裕もなく、準備に余念がない。
朝食の後、正装に着替えると、母ターニャ、兄ロドリック、兄嫁ロザリンドを従え、皇宮に向かった。三人は式典の参列者として父の晴れ舞台を直接見ることができるが、俺を含め、他の家族の参列は認められていない。
ちなみに今日の式典だが、ロックハート家だけのものではない。
対ルークス聖王国戦争で武勲を上げた騎士や家督を継ぐ者たちへの爵位の授与の式典であり、十人以上が出席することになっている。
但し、今回の出席者の中で最も功績を挙げているのがロックハート家であること、皇太子派、レオポルド皇子派の双方から注目されていることから、ロックハート家陞爵が式典の目玉であることに変わりはない。
そのため、父は昨日の夜から緊張しっぱなしで、「魔物と戦っている方が百倍楽だ」と漏らすほどだった。
それでも青を基調とした正装を身にまとった姿は堂々としており、式典で映えることは間違いない。
皇宮での式典が終わると、午後からは皇室主催の園遊会となる。
この園遊会も父たちだけで俺たちに出番はない。この点は非常に気が楽だ。
かといって、俺が暇なわけではない。
今日の夜はシーウェル侯爵家の屋敷を借りて、ロックハート家主催の晩餐会を開かなければならないためだ。
その出席者だが、ほぼすべての元老に加え、侯爵が十名、伯爵以下の貴族が五十名以上もいる。そのため、出席者の数は百五十名を超え、シーウェル侯爵家の大ホールでも収容しきれないほどだ。
シーウェル侯、ラドフォード子爵と協議し、出席者を制限しようとしたが、しがらみが強すぎて減らすことができなかった。
本来なら家督を継いだ貴族や武勲を挙げて陞爵した騎士の晩餐会に分散するのだが、今日に限っては上級貴族のほぼすべてがロックハート家の晩餐会に集まっている。
これはロックハート家の重要性を考慮したという面が強いが、もう一つ大きな理由があった。
それは今日の晩餐会の料理と酒を目当てにしている者が多いということだ。
元々、シーウェル家は高級ワインで有名で、家宰であるラドフォード子爵は帝国一の美食家として知らぬ者はいない。
そのため、シーウェル家の晩餐会は元々人気があったのだが、俺が作った 発泡(スパークリング) ワインや蒸留酒、新たに注目され始めた長期熟成ワインなどがそれに輪をかけたらしい。
「これほど調整に困った晩餐会は初めてだよ」と、辣腕のラドフォード子爵がこぼすほどだった。
調整はしてもらったが、あくまでロックハート家が主催だ。そのため、シーウェル家から料理人や給仕たちを借りているが、俺が指揮を執って準備を進めなくてはならない。
兄の結婚の式典で似たようなことをやっているとはいえ、今回は大物が多数出席することから、前回以上に気を使う。
もちろん、給仕に対する教育はすでに終えているし、料理のメニューなどは決まっているが、当日にやらなければならないことが多い。
「この料理の味付けはこれで問題ないでしょうか?」とか、「ワインの温度はこのくらいでよいのでしょうか?」とかの相談を受け続けた。
更にグラスやナイフ・フォークなどのカトラリーのチェックなどをしていたため、昼食を摂る時間すらなかった。
午後になり更に忙しくなる。
リディたちも手伝ってくれたため、何とか午後四時頃には準備を終えた。
「お疲れ様です」と言って、ルナが柑橘のジュースを差し出してくれる。酒でないところが彼女らしい。これがリディやベアトリスなら間違いなく酒を出してきただろう。
「ありがとう」と言ってそれを受け取り、喉を潤すと、ふぅと息を吐き出した。
「凄いですね」と言いながらホールを見回している。俺も一緒に見ながら、「確かに凄いな」というほどの出来だ。
大ホールには長テーブルが並べられ、真っ白なクロスが掛けられている。小さなガラスの器に一輪挿しの花と燭台型の灯りの魔道具、そして、磨き上げられたクリスタルのワイングラスと銀製のカトラリーが置かれている。
アーチ状の天井を支える柱にはクリスタルガラスを組み合わせた灯りの魔道具を設置してあり、それらが外から入る日の光を受けて煌き、幻想的な雰囲気を作り出していた。
「みんなのおかげで何とか準備が終わったよ。そういえば父上たちは戻ってきているのかな」
「はい。さっき御館様と奥方様のお姿を見かけましたよ。ロッド様とロザリー様は見ていないですけど」
何とか無事に式典と園遊会を終えて戻ってきたようだ。
それでもまだ晩餐会が残っており、気が休まるわけではない。
準備を終えた後、報告を兼ねて父たちの様子を見にいった。
父は礼服の上着を脱ぎ捨ててソファに横になり、母も力なく 肘掛け(アームレスト) にもたれかかっている。
「お疲れのようですね」と声を掛けるが、「ああ」という答えしか返ってこない。
酔っているのかと思い、「解毒の魔法が必要ですか?」と聞くが、
「それほど酔ってはいないと思うのだが……いや、念のため、掛けてくれないか」
父にしては珍しく、逡巡したような答えが返ってくる。
解毒の魔法を掛けると、少しだけ楽になったのか、ソファに座る。
収納魔法(インベントリ) から炭酸水を取り出し、レモンを絞って渡す。
父と母はそれを一気に飲み干した。
「生き返る……」と言ってグラスを置くと、再び疲れた顔になる。
「あれほど多くの人に囲まれるとは思っていなかったからな……」
父の話では、陞爵の式典は何事もなく、無事に終わったが、その後の園遊会が大変だったらしい。
元老たちを筆頭に、侯爵や伯爵クラスにひっきりなしに話しかけられたそうだ。
「……二時間ほどの間に何人と話したのか分からないほどだ。恐らく百は下るまい……」
最近では上級貴族と会話する機会が多くなったが、元々平民の生まれで貴族との付き合いなどなかった。それにラスモア村にいれば、騎士爵であっても貴族としての振る舞いをする必要はなく、これほど気を使うことはない。
「皇女殿下まで来られたのよ。ロザリーさんがいたから何とかなったけど、私ひとりだったら……本当にもうこりごり……」
母も貴婦人としての振る舞いをシーウェル侯爵夫人やラドフォード子爵夫人から叩き込まれたが、さすがに十日程度では付け焼刃にすぎず、本物の皇女が出てきたことでパニックになったらしい。
思い出させるのも悪いと思い、話題を変える。
「兄上たちのお姿が見えないようですが?」
「ロッドたちは園遊会の後の舞踏会に出ているよ。私にも声が掛かったのだが、さすがに限界だ。夜の準備を言い訳に逃げ出してきたのだ」
疲れている父と母に代わって兄たちががんばっているらしい。ロザリーはともかく、兄もそういう場は苦手だろうから、気疲れしていなければいいが。
父に晩餐会の準備が終わったことを報告し、あと一時間程度で来客を出迎える必要があると伝える。
父がふぅと大きな溜め息を漏らす。
「では、一時間ほどゆっくりさせてもらおう。そう言えば、第二会場の準備も終わっているのか」
大ホールに入りきらない子爵家以下の出席者は庭園での立食パーティになる。温暖な帝都とはいえ、冬である二月に屋外でのイベントは非常識なのだが、仕方がなかった。
そのため、軍から借りた天幕で風除けを作り、暖房用に大きな篝火をいくつも設置している。更に休憩室として、一階に面した部屋をいくつか借りており、そこの暖炉にも既に火を入れてある。
「準備は終えているのですが、あとで問題にならないかが気になります」
子爵以下の屋外組は公爵家などの家臣たちだが、随行を許されるということはそれなりに高い地位に就いている者たちだ。通常なら主賓席に近いところに席を設けられるため、屋外の立食ということで軽く見られたと揉めないかを気にしている。
この点についてはシーウェル侯やラドフォード子爵と話し合っており、事前に説明もしているのだが、貴族という特権階級の者たちはそんなことはお構いなしという者が多い。
ただ、ラドフォード子爵はそれほど気にしておらず、
「今回の趣向なら大ホールでなかった方が喜ぶのではないかな。私なら屋外を選びたいと思うほどだからね」
心配無用と言ってくれている。
「まあ、今更言っても仕方あるまい。田舎者が帝都に出てきたのだ。何を言われても甘受すればよいのだ」
父はそう言って再びソファに横になった。
ちなみに今日の晩餐会だが、俺は出席しない。
主催者として客をもてなすのは両親と兄夫妻だけだ。
これは人数の問題ということもあるが、俺がロックハート家の責任者として晩餐会を仕切らなくてはいけないことが大きい。
本来ならこういった場合、家宰など腹心の部下が取り仕切るのだが、家臣といえるのはシムとダンだけで、当然二人にこれだけの晩餐会は仕切れない。
そのため、俺が裏方を統括することになり、出席できなくなった。
リディたちも出なくていいという利点もあり、リディやベアトリスはその決定を聞き、非常に喜んでいた。
午後五時過ぎ、来客たちが到着し始める。
両親とシーウェル侯爵夫妻が玄関ホールで出迎え、ラドフォード子爵以下のシーウェル家の家臣たちが会場に案内していく。
兄夫婦は五時頃に戻ってきたばかりで、今は着替えをしているところだ。二人も出迎えに出るべきなのだが、舞踏会に出ていたことは知られており、特に問題になることはなかった。
午後六時、晩餐会が始まった。
俺はシャロンと共に料理の温度を上げる作業に忙殺されていた。
今回の料理は大ホールと屋外で出す物を変えている。屋外の立食形式でコース料理を出せないということもあるが、寒空の下で熱々の料理を味わってもらおうということもある。
屋外の料理の出し方だが、ビュッフェスタイルに近い屋台方式で、それぞれのブースで大鍋料理や揚物などを配っている。
子爵家以下の貴族とはいえ、このような形式は初めてであり、シーウェル家の使用人が十人、ロックハート家の関係者が十人の計二十人で貴族たちに料理や酒を運ぶスタイルにしている。
五十名の出席者に対し、二十人なのでそれほど待たせることないだろう。
五十人を相手に料理を提供するため、一部は作り置きをするのだが、鍋で温め続けるもの以外、どうしても冷めてしまう。そのため、俺とシャロンが擬似ペルチェ効果の魔法で温め続けることになる。
俺とシャロンだけが働いているというわけではない。
リディは魔法を使って氷を作り続けているし、洗い場でも活躍している。
メルとダンは給仕として会場を歩き回って働き、ベアトリスは裏方としてワインのボトルを開け続けている。
晩餐会の裏方は戦場のような忙しさだった。
百五十人もの出席者に最高の状態の料理を提供しなければならないのだ。それだけでなく、屋外という悪条件の会場にも不満を抱かせないように注意しなければならない。
メルを始めとするロックハート家の給仕だけでなく、シーウェル家の使用人にも簡単な料理の説明をするように頼んである。
更に大ホールでは通常より狭い席ということで、皿が溜まらないように工夫をしていた。一つには一品の大きさを小さくして回転をよくすること、もう一つの工夫はワインとの相性を考えていることと温かい状態で食べた方が美味いということを説明していることだ。
このことにより、皿が溜まるようなこともなく、次の料理にスムーズに移れていた。
ただ、一品を小さくするため料理の数が増え、その分食器の数が増える。さすがにそれだけの数の食器があるわけではなく、使い回す必要があった。
食器洗浄機などないからすべて手洗いだが、これが大変だった。
まず、洗い場自体が足りない。屋敷の裏庭に土属性魔法で臨時の洗い場を作らせてもらった。
人力(マンパワー) だが、エザリントン家の使用人、ロビンス商会の社員、更にはセオ、セラ、ルナの三人でも足りず、最後には給仕の手伝いに来てくれた鍛冶師ギルドの職員まで動員して対応している。
洗う方はそれで対応できたが、乾燥に時間が掛かる。そのためリディが応援に行き、送風の魔法で強制的に乾かして何とか間に合わせた。
その甲斐あってか、晩餐会は非常に好評だった。
普段ならいがみ合うことが多い皇太子派とレオポルド皇子派ですら、料理と酒に夢中になり、問題は全く起きなかった。
一つだけ問題があるとすれば、ムーラン村のワインを譲ってほしいと、シーウェル侯のところに多くの貴族が押しかけたことだろう。
さすがに公爵クラスには一定数譲る約束はしたようだが、今は本数が少なく譲れないということで少し問題になった。
ボトルがあれば千本や二千本はすぐに熟成させられるのだが、いかんせんボトルが少なすぎる。今のところ十五年物は二百本程度、五年物は五百本程度のストックがあるが、俺が帝都を離れたら一気になくなってしまうだろう。
ちなみにその数字はシーウェル家が保有する数で、俺が所有している分はカウントされていない。といっても、十五年物が三十本程度、後は五年から十年くらいの熟成加減のものが五十本程度だ。但し、インベントリには未熟成のワインがステンレスタンクに六十リットルほど確保してあり、ボトルを回収できれば熟成させることは難しくない。
これはベアトリスがラドフォード子爵に頼み込んでもらったものだ。子爵は今回の功労者であるベアトリスの頼みということで快諾した。
「これで帰るまでの分は確保できたね。村に戻れば一樽あるんだから当分大丈夫だろう」
シーウェルで使っている樽はバット樽で五百リットル近い量になる。
どれだけ飲むんだと突っ込みたくなった。