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作品タイトル不明

第四十八話「宰相フィーロビッシャー公爵:前篇」

儂が宰相の地位に就いたのは二十年以上前。先代の宰相が急死したため、四十歳を過ぎたばかりの儂が指名された。

無論反対する者は多かったが、当時の皇帝陛下の鶴の一声で決められたのだ。

当時はルークスとの戦争に加え、ラクスとも二十年近く戦っておったから、財政的に苦しかった。後に陛下から当時の財政状況を何とかできる人物がおらず、儂以外に指名しようがなかったと笑いながら言われたほどだ。

もっともその原因を作ったのが陛下なのだから、笑うことはないと思っておるが。

その後、ラクスと停戦に漕ぎ着け、ルークスにも散発的にしか侵攻しない政策に変更したことから、財政的には何とか持ち直した。

帝国は豊かな国だが、軍を優遇しすぎて何度も財政難に陥っておる。

今はルークスへの本格的な侵攻を唱えるラングトン大公らを抑えておるから何とかなっているが、もしレオポルド殿下が至高の座に就かれたら帝国の財政が破綻する可能性が高い。

本来ならレオポルド殿下のお生まれでは皇太子であられるジギスムンド殿下の 対抗馬(ライバル) とはなりえぬのだが、ジギスムンド殿下に問題がありすぎる。

そのため、レオポルド殿下もラングトン大公も諦められぬのであろう。

儂自身、ジギスムンド殿下が皇帝陛下となって大丈夫なのかと思わないでもない。

ただ、レオポルド殿下は帝国を滅ぼす可能性があるが、ジギスムンド殿下にはその恐れはない。

まあ、一部の者には多大な迷惑を掛けるが、国を滅ぼすほどの悪政を行う覇気はなく、評判の悪い皇帝として名を残す程度だ。

悪評に塗れた皇帝など、長い帝国の歴史の中ではさほど珍しいことでもない。

第一、儂の後任となるアレクシス・エザリントン公爵が手綱を握れば問題が起きようはずがない。

儂としてはジギスムンド殿下でもレオポルド殿下でもない別の皇子に皇太子になってほしいところだ。

しかし、お二人以外はいずれも十代半ばと若く、今上陛下があと十年ほど健康でいていただかなければ候補とはなりえぬ。

その陛下だが、四十代半ばという年齢であり、今のところ病に冒されているわけではないが、過度の飲酒と運動不足で健康に不安がないとはいえぬのだ。

懸念は皇帝の後継者と財政だけではない。

一つは商業ギルドの暗躍だ。

彼らが帝国の政治に口を挟み始めたのは最近のことではないが、ここ数年は後継者問題に絡めて影響力を強めようとしておる。

儂とて手を 拱(こまね) いているわけではなく、アウレラ街道の実質的な封鎖とルークスへの寄港禁止の徹底で、アウレラの拝金主義者どもに大きな打撃を与えておる。そろそろ音を上げるはずだが、未だにインゴールスロップ公らを使って干渉してくる。

つい最近もルークスと手を組み、北部総督府に混乱を与えておる。警戒を怠れない存在だ。

商業ギルドについてだが、儂自身は一定の価値を認めておる。彼らが存在することで産業としての商業が発展したことは間違いないのだから。

しかし、これ以上干渉してくるようなら一度潰すのも手かと思わぬでもない。

歳を取ると気が短くなり、堪えるのが難しくなりつつあるのかもしれん。

そして、もうひとつ気になっておるのが、最近活発に活動を始めた魔族の存在だ。

ここ十年ほどで二度、大規模な攻撃を加えてきた。

一度目は十二年前のトーア砦への攻撃だ。あの時はトーアを落とされ、アルス街道近くまで魔族が攻め入っておる。

そして、二度目がつい三ヶ月ほど前にあったアンデッドの大群の攻撃だ。

魔族の関与ははっきりしておらぬが、アクィラ山脈を越えて攻め込んできたということは魔族が関わっておる可能性が高いと言わざるを得ぬ。

いずれも奇跡的に侵攻を食い止めているが、特に今回のアンデッドについては一歩間違えば我が帝国にも影響が出かねぬところであった。

もし、ロックハート家が食い止めねば、アルス街道はアンデッドで溢れかえり、最悪の場合、トリア大陸が死の大陸になっておっただろう。

そのロックハート家だが、儂の頭痛の種になりつつある。

ほとんどの者は成り上がりの騎士と侮っておるが、彼らは非常に強い力を持っている。

それは蒸留酒を通じて得たドワーフの鍛冶師たちとの深い関係だ。

実際、五年前にはロックハートから蒸留技術を奪おうとした光神教が、ドワーフたちによって大きな打撃を受けておる。それがルークスの現在の苦境の遠因であり、元々一国の命運を左右するほどの力を持っておった。

そして、今回もアルスのドワーフたちはロックハート家のためにすべてを投げ打ち、救援に向かっておる。宰相府の軍事顧問に確認したところ、怒れる千人のドワーフの鍛冶師を倒すには騎兵二個連隊、四千名もの騎兵が必要だというのだ。

「帝国の騎兵は世界最強と聞く。大げさではないのか?」

「帝国の騎兵につきましては、閣下のご認識で間違いございません。帝国軍の騎兵は野戦においてはラクス王国軍の三倍、ルークスの農民兵であれば五倍以上の戦力であると考えられます。しかしながら……」

そこで言葉を探すように言い淀む。

「ドワーフはそれ以上に手強いと申すのか」

「その通りでございます……」と言って身震いをした。

「……酒が原因で怒り狂うドワーフほど危険な存在はございません。元々強靭な肉体と強い腕力を持っており、更にその体力は一昼夜戦っても余裕があると言われているのです。そのような者たちが怒りに任せて大型のハンマーを振り回せば、帝国の誇る騎兵といえども一撃で戦闘不能にされてしまうでしょう」

儂はにわかには信じられず、再度問い直す。

「相手は戦いの素人であろう。確かに暴徒は厄介だが、正規軍の敵ではない。ましてドワーフたちは我慢強いと聞く。狂戦士のように暴れまわるとは考えられぬ」

軍事顧問はその言葉を否定する。

「普段のドワーフたちは口こそ悪いものの少々のことでは逆上することはございません。しかし、酒が絡むと事情は全く違うのです。私もドワーフの鍛冶師と親交がありますが、酒のことで彼らを怒らせてはいけないということは、武人の常識となっております」

儂は文官であり、ドワーフの鍛冶師と個人的な付き合いはない。

敬語や礼儀作法は怪しいものの、こちらに対して充分に敬意を払ってくれる。彼の言う姿とはかけ離れており、想像が全く付かない。

そして、今日二月五日に鍛冶師ギルドの支部長以下、三十名のドワーフの鍛冶師と面談する。

申し出があったのは昨日の午後と急な話であったが、偶然時間が空いていたことと、ロックハート家絡みで相談したいことがあるという話であったため、急遽面談を設定したのだ。

なぜ三十人もの人数で来るのか理解できないが、一般市民である鍛冶師が何百人来ようが、儂が萎縮することはない。だから問題ないと許可した。

面談の場は人数の関係から大会議室とならざるを得なかった。

領地から戻ってきたアレクシス殿が偶然宰相府に来たため、彼も同席することになった。

雑談をしながら、会議室に向かう。

「手紙ではロックハートとの交渉がうまくいったのか、よく分からんのじゃが」

アレクシス殿は苦笑いを浮かべ、

「交渉相手としては手強い相手でしたよ。何とか譲歩させようとしましたが、最低限の協力関係しか結ぶことができませんでした」

「それほどなのか? ロックハートの当主は武辺者と聞いておるが?」

「いえいえ、交渉相手は次男のザカライアスです。あの者を何とか取り込もうとしたのですが、どのような餌にも食いつきませんでした。ハハハ」

失敗したにしては妙に機嫌がいいことが気になった。

「何か得るものでもあったのかな? 妙に楽しそうじゃが」

「ええ、ザカライアスを得ることは叶いませんでしたが、領地発展のための策は得ることができましたから」

詳しく聞くと、ザカライアスからエザリントン産ワインの品質向上と蒸留酒の生産に関する協力を取り付けたというのだ。

「酒神の申し子と呼ばれておるが、アレクシス殿が喜ぶほどのことなのか」

「ええ、まさに酒神の申し子です。彼に優る者はこの世界にはおらぬでしょう。あのラドフォードですら、足元にも及ばぬと思えるほどでした」

ラドフォード子爵は美食家として帝都で知らぬ者はいない。シーウェル侯爵の家臣として、ワインに関しても帝国一と言われている男だ。

僅か十六歳の若者にラドフォードを凌ぐ能力があるとはどうしても思えなかったが、アレクシス殿が戯れでそのようなことを言うことはありえぬ。

「なるほど。では、儂もフィーロビッシャーの発展のことで相談してみるか。面白い話が聞けるかもしれんしの」

戯れにそう口にした。

「それがよいでしょう。恐らくですが、彼は何か考えているはずです。それも我々が思いもつかぬことを」

それまでとは打って変わり、その表情はなぜか真剣なものだった。しかし、会議室に到着したため、その話はそこで終わった。

会議室に入ると、三十人のドワーフが待っていた。儂らが部屋に入ったところで立ち上がり、一斉に頭を下げる。

会議室には宰相府の文官と護衛の騎士が二十名ほどいるが、ドワーフたちの存在感が強すぎて、彼らに囲まれている錯覚に陥った。

支部長のギュンター・フィンクが代表して立ち上がる。

「まずは忙しい中、儂らのために時間を作っていただき、感謝いたします。儂らにとっても帝国にとっても重要な話になるので、よろしくお願いしたい」

言葉こそ作法に則っていないが、敬意が感じられる真摯なあいさつだ。

こちらからもあいさつを返し、アレクシス殿が同席することを伝えるが、不思議なことに鍛冶師たちが不審がることはなかった。

アレクシス殿は偶然ではなく、これを狙ってやってきたのかもしれぬ。

「儂から話をさせていただく。済まぬが敬語がうまくしゃべれんので、普段通り話させてもらってもよいじゃろうか」

儂が頷くと、フィンクは頭を下げてから話を始めた。

「宰相閣下も儂らとロックハート家の関係はご存知だと思うが、改めて話させてもらう。ロックハートは儂らの友じゃ。それも儂らの命の糧、スコッチを作ってくれる恩人と言ってもいい。そんなロックハートにいらぬちょっかいを掛けようとしておる者がおると聞いた……」

フィンクは覚えてきた言葉を慎重に話しているように見える。

「……あくまで噂に過ぎんのだが、皇太子殿下がザックの嫁たちを手篭めにしようとしておると聞いたんじゃ。これは噂であっても見逃すことができん話じゃ。もし万が一、そのようなことが起きれば、儂らは、帝国にいるすべてのドワーフの鍛冶師は、アルスに引き上げる。そして、その後一切、帝国には協力せん」

驚いたことにフィンクは帝国の宰相である儂を脅してきた。これまでこれほど明確に脅しを掛けてきた者は少なく、怒りよりも驚きの方が大きかった。

しかし、帝国の宰相として見逃すことはできぬ。

「それは儂を、帝国宰相たるこの儂を脅しておるのか。帝国はルークスの愚か者とは違う。そのような脅しに屈するくらいならば、ドワーフを皆殺しにする方を選ぶが、よいのじゃな」

長く宰相をやっておる儂が逆に脅したのだ。大抵の者はここで額を床に擦りつけて許しを乞う。

しかし、ドワーフたちは全く違った。表情を全く変えず、儂を見つめ返してくるのだ。

儂の言葉を理解していないわけではない。理解し、恐怖を感じた上で、平然としておる。その胆力に敬意を抱かずにはおられなかった。

フィンクは静かに話し始めた。

「儂らも帝国と喧嘩がしたいわけじゃないんじゃ。皇太子殿下がザックの嫁に手を出さねば、今まで通り何ら変わることはない。ただ、儂らは友のためなら、命を捨てる覚悟があると伝えたかったんじゃ」

確かに脅しというより警告であり、こちらが過剰に反応する必要はないと思い直す。

「うむ。その思いは理解した。しかし、そのような話をどこで聞いたのだ? アレクシス殿は知っておったのか?」

「いいえ、私も初耳です。ただ……」

そう言って口篭る。

「何か言いたいことがあれば言ってくれぬか」

「はい……充分にありえる話ではあると。私は先日、彼女たちに会っています。あれほどの美しさであれば、殿下も……」

それ以上は不敬になると考えたのか、言葉を濁した。

確かに美しい女と聞けば、人妻だろうが関係なく手を出しておる。儂が尻拭いをしただけでも五十人は下らぬほどだ。

「それ以上に気になるのは、彼女たちは全員が一騎当千の戦士であることです。穢されるくらいならと抵抗すれば、殿下の方が危険かと……」

儂の得ている情報でもレベル六十を超えておる者もおり、魔術師もレベル四十以上と宮廷魔術師を凌駕するとあった。

今までのように安易に手を出せば、怪我をするのは殿下ということになるのは分からぬでもない。

アレクシス殿も知らなかったことを、なぜ鍛冶師たちが知っておったのかが気になる。

「しかし、なぜそのことを知っておるのだ?」

「このことは商人たちの間では噂になっておる。儂らがロックハートに関する噂に興味を持つと知っておるから、耳に入れてくれたのじゃろうと思う」

それならありうるが、儂の情報網に引っ掛かっていないことが気になる。

「それはいつの話なのだ?」

「儂らが聞いたのは一昨日じゃ。だから、急遽会わせてほしいと連絡を入れたんじゃ」

そこで腑に落ちた。

恐らく一両日中には儂の耳にも入ってくる。偶然、より近くにいた彼らの方が先に聞いただけであろう。

「とりあえず、話は分かった。儂の方でも気にしておこう。だが、一つだけ言っておく」

そう言って全員を見回す。

「帝国宰相を脅した事実は消えぬ。ここはカウムではないのだ。貴様らが帝国に逆らうなら容赦なく踏み潰す。できぬと思うな」

その言葉にドワーフたちは一斉に頭を下げた。

「儂らも帝国に逆らうつもりはないんじゃ。ただ、友が悲しむのを見ていることはできぬという想いだけじゃ」

それだけ言うとドワーフたちは会議室を出ていった。

儂は息を吐き出しそうになるのを堪える。ドワーフの鍛冶師たちの無言の圧力は思いのほか強かった。

「アレクシス殿はどこから知っておるのだ? まさか、この期に及んで偶然来たとは言うまい」

儂の言葉に彼は素直に頭を下げる。

「そのことについては謝罪します。私が知っているのは鍛冶師ギルドから、閣下に面談したいという申し出をしたという連絡を受けたことと、それがロックハート絡みだということだけです。私も蒸留所建設のことで最近ドワーフと話をしていますが、彼らのロックハートへの想いは尋常ではありません。もし対応を誤れば、帝国の存亡にも影響すると考え、下手な芝居を打たせていただきました」

「確かに宰相を脅したくせに、平然と帰りおった。殺すと脅されようと眉一つ動かさぬ。帝都には数百人のドワーフがおったはずじゃ。もし彼らが暴走したら、皇帝陛下のご威光に傷が付く。それこそ、ルークスの愚か者と同じだと全世界から笑われてしまうのじゃからな」

「では、閣下はどうされるおつもりですか?」

アレクシス殿の質問に僅かに答えに窮する。

「少しばかり付き合ってくれんか。ことロックハートとドワーフに関してはアレクシス殿に一日の長がある。意見を聞かせてもらいたいのじゃ」

「私でよければ喜んで」と言ってアレクシス殿もようやく笑みを見せた。

彼も緊張していたと初めて気づき、自分の顔に笑みが浮かぶのを止めることができなかった。