作品タイトル不明
第三十九話「ボトリング」
二月二日の早朝。
どんよりとした空の下、ステンレスタンクを馬に括りつけた三人の騎士がシーウェル城を出発した。
今日は天気があまり良くないことと、二日続けて蒸留所建設予定地を見て回ったことから、休養日に当てる予定になっている。
もちろん、両親と兄は今日も帝都で必要な知識を詰め込まれることに変わりはない。
俺の予定だが、午前中は蒸留所建設予定地の最終的な打合せで、午後はムーラン村のワインをボトルに詰める作業を行うことにしている。
ロックハート家の他の者たちはのんびり過ごすらしい。といっても、真面目なことにリディ以外は皆、訓練に勤しむそうだ。
ただ、駐留する帝国軍との合同訓練は行わない。その理由だが、ここの帝国軍の技量が低く、訓練にならないためだそうだ。
その話をした時、妹のセラが憤っていた。
「聞いてよ、ザック兄様! ここには強い人が全然いないの! 自警団と訓練した方が百倍マシなのよ、もう!」
それにセオも同調する。
「確かにそうだったよ。ベアトリス姉様やロッド兄様くらいの人を期待していたわけじゃないけど、せめてルークくらいの強さの人はいてほしかったな」
新たに従士になったルーク・ウィルビーは剣術士レベル三十八。農民である自警団上がりにしては異常に高いレベルだが、その程度の剣術士がいないとは思えない。
「たまたまじゃないのか? いくら何でもそんなことはないだろう」
ここシーウェル市には千人にも及ぶ治安維持部隊が駐留している。ただし、正規軍団のような騎兵中心の攻撃的な編成ではなく、歩兵中心の編成だ。
外征軍である正規軍団より、治安維持部隊の技量は劣るが、それでもレベル三十五を超える者、すなわち五級傭兵クラスがいないということはあり得ない。
訓練に参加したシム・マーロンに聞いてみると、
「確かに見なかったですね。精々レベル三十くらいで、セラ様のおっしゃるとおり、うちの自警団員の方が腕は立ちそうでした」
それだけでなく、訓練に参加し模擬戦の申し込みをしたが、誰一人受けなかったというのだ。
エザリントンで行った第四軍団の精鋭との模擬戦で、ロックハート家が圧勝したという噂を聞いて、尻込みしているようだ。
(辺境の農民に負けたとなると外聞が悪いから、相手をしなかったんだろうな。多少腕の立つ者も万が一負けたら格好がつかないと、どこかに隠れていたのかもしれないな……)
憤慨するセラには下手に帝国軍を挑発されても困るから、「仕方がないよ。この辺りは平和なんだから」と宥めておく。
横で聞いていたメルが俺の考えを汲み取ってくれた。
「セラ様の相手は私がしてあげますよ。セオ様とお二人でどうですか」と言ってニコリと笑う。
セラは「うん」と言ってスキップするような軽やかな足取りで準備に向かう。
一方のセオは「メル姉様相手にセラとかぁ」といい、「ザック兄様かリディア姉様が来てくれると嬉しいな」と言ってこちらを見ていた。
普段のメルはセオやセラには実の姉以上に優しく接しているが、訓練になると人が変わる。祖父ゴーヴァンと同じく情け容赦なく叩きのめすため、骨折くらいは覚悟しないといけないと思ったのだろう。
「俺は無理だがリディには頼んでおくよ。多分、午前中は行ってくれると思うよ」
そう言うと「じゃあ、がんばってきます!」と言って、元気に妹を追い掛ける。何だかんだ言ってもセオも訓練好きだ。
訓練に行くメンバーを見送った後、ラドフォード子爵を筆頭とした文官たちと蒸留所の建設について話し合う。
既に蒸留職人たちの修行は始まっており、再来年には研修が終わる予定だ。さすがにシーウェル侯爵領の命運を賭けた事業ということで、職人たちのやる気は鍛冶師ギルドが派遣した者に引けは取らない。
蒸留所の建設自体はそれに合わせて来年半ばくらいから着手すればいいが、問題は蒸留器の設置とメンテナンスだ。
ここシーウェル市は武具の需要が少なく、鍛冶師ギルドの支部が存在しない。
支部がないということはドワーフの鍛冶師がいないということだ。
別段、鍛冶師はドワーフでなくともよいのだが、ラスモア村で使っているサイズの蒸留器を作るには優秀な鍛冶師が必要になる。
大掛りな製造設備を開発すれば別だが、現状ではそんな設備は存在しないため、蒸留器の大型化にはどうしてもドワーフの鍛冶師が必要になるということだ。
地球での蒸留酒の歴史どおり、最初のうちは小型の蒸留器で作るという選択肢もないではないが、ドワーフの鍛冶師がいれば比較的容易に大型化できるなら、効率がいい大型蒸留器にしたいと考えるのが普通だろう。
「ドワーフの鍛冶師を招聘するというのが、最も現実的な方法でしょう。幸い、この街にドワーフの鍛冶師はいませんし、酒も枯渇するほど少ないわけではないですから、揉めることもないでしょう」
ドワーフの鍛冶師には縄張りのようなものがある。ラスモア村のような小さな村や町の場合、ドワーフが増えすぎると酒が枯渇するため、一定数以上にならないように彼ら自身で自主規制しているのだ。
一方、この街はワインの街といわれるほど酒は豊富だ。もちろん、ドワーフで溢れ返るほどになれば別だが、蒸留器造りのための十人程度であれば、枯渇問題は発生しない。
「唯一心配なのは、ラスモア村で研修が受けられるチャンスということで希望者が殺到しないかということですね。私が募集するとそれこそ大変なことになりそうですし……」
俺の意見にシーウェル侯たちは全員頷いている。
「確かに君が声を掛ければプリムスといえども、ドワーフがいなくなるだろうな。これについては、私自らが動くべきだろう」
侯爵の言葉にラドフォード子爵が頷き、
「プリムスのドワーフは既に研修を始めていると聞いています。エザリントン支部がラスモア村に行きたがっておりますので、声を掛けるのが順当なのでしょうが、どのようなことになるかを考えると恐ろしい気はします……」
エザリントンにはいつ出撃するか分からない第四軍団がいる。そのため、エザリントン支部の鍛冶師はラスモア村にいつ行けるか決まっていない。当然、エザリントン領での蒸留酒生産計画も白紙に近い状態だ。
もし、そんなところにシーウェルでの蒸留酒生産計画を持っていけば、ラスモア村行きを巡ってドワーフたちの間で血の雨が降ってもおかしくはない。エザリントンからドワーフの鍛冶師が消える事態が起きても、誰も意外には思わないだろう。
「確かにそうですね。プリムス支部に相談してはどうでしょうか。新たな支部の設立については帝国全体を見ているプリムス支部に依頼するのが自然でしょう。ただ、プリムス支部に依頼すると、帝都のドワーフが 挙(こぞ) って手を上げそうで、他の支部と揉めるかもしれませんが……」
帝国内の鍛冶師ギルドの組織だが、帝都プリムス支部がカエルム帝国の支部を束ねるカエルム帝国本部を兼ねている。そのため、帝国内での支部の設立依頼はプリムス支部に行うことが筋だ。
ただし、これについては明確なルールがあるわけではなさそうで、帝国領であるラスモア村に研修所を作った際には総本部が仕切っている。もっとも、ラスモア村の研修所は総本部の肝いりで作られ、帝国本部の下にない独立した組織でもあるから、参考にはならないかもしれないが。
「とりあえず、帝都に行った際、私からプリムス支部長に依頼する。何が起こるか分からぬから恐ろしいが……ザカライアス、済まぬが付き合ってくれ」
侯爵はプリムス支部に依頼することに決めたものの、やはり不安があるようだ。
「はい。ただ、私が行っても何が起きるか全く予想はつきませんが」
その後、原料に関する検討結果が報告された。当面はシーウェル領で少量だけ作っている白ワインを蒸留する“フィーヌ”タイプと、ワインの搾りかすから蒸留する“マール”タイプの両方を作っていくことになった。
ちなみに赤ワインはそのまま蒸留すると皮の渋みというか味が残るため、蒸留に向いていない。
僅かしか作っていない白ワインでフィーヌタイプのブランデーを作るのは、蒸留が容易だからだ。
白ワインのアルコール度数は十度程度で、一回の蒸留で三倍程度に度数を上げられるため、二回蒸留で充分だ。
しかし、搾りかすからはどの程度のアルコールが抽出できるか分からない。そのため、何回蒸留したらいいのかが問題になるが、アルコール度数を計るものがないので、職人の感覚に頼ることになる。
ここはスコットも苦労していたところで、彼も始めた当初は両方を比較しながら作っていた。
すべての項目を確認し終えた後、侯爵が「これからも頼む」と真剣な表情で言ってきた。
ワインで潤っているとはいえ、蒸留酒は資金の回収が遅く、事業としては難しいからだろう。もちろん、その点についてもアドバイスを与えているので、俺としてはそれほど心配していないが、領地経営の責任者としては不安があるのだろう。
「私としましてもシーウェルブランデーをぜひとも成功させたいと思っております。これは私が飲みたいというのが一番の理由ですが。いつでも協力しますので、何でも言ってください。可能な範囲で最大限協力します」
こうして今回の旅の目的のうち、俺の趣味にとっての最大の関心事、シーウェルブランデー生産計画は立案された。
その日の午後。
午前中に蒸留酒生産の打ち合わせを終えたため、午後からはムーラン村のワインが長期熟成に向くか確認する作業を予定している。
今日は朝から天気が悪かったが、遂に雨が降り出した。
幸い、ワインを取りにいってくれたシーウェル騎士団の騎士たちは降り出す前に帰ってきており、俺の手元にはワインが入った二十リットルのステンレスタンクが三つ並んでいる。
樽から直接タンクに入れ、馬で揺られてきたため、澱が回っている可能性が高い。そのため、タンクごと 収納魔法(インベントリー) に入れ、時間を加速させて沈殿させる。
この作業は見せることができないため、俺の部屋で行ったが、時間を千倍に加速しているから、十分ほど入れておくだけでも充分に澱は落ち着く。
午後はリディ、ベアトリス、メル、そしてルナが手伝ってくれる。四人と合流して厨房に向かい、人払いしてもらった一画でステンレスタンクを取り出しておく。
タンクを出した後、ボトルとコルク、そしてコルク打ちの道具を準備する。
そして、ボトルを煮沸した後、再びインベントリーに戻し、冷却乾燥させる。
(つくづくこの魔法は便利だと思うよ。俺の酒造りにはなくてはならない魔法だな……)
そんなことを考えているが、すぐに冷却が完了するため、三人に声を掛ける。
「いつも通りの役割で行くぞ。リディとメルがワインの移し替え、ベアトリスがコルクを打ち込む。最終的に俺が確認して封をする。ルナは俺の手伝いだ。俺が言った物を手渡してくれるだけでいい。今回はシーウェルで作ったボトルとコルクがあるから、ベアトリスは特に注意してくれ。ボトルの強度もコルクの硬さも違うからな」
一通りの注意を与えると、すぐに作業を開始する。
甘酸っぱい爽やかなワインの香りが作業場を包んでいくが、誰も口を開かず、黙々と作業を進めていく。
これはしゃべることにより雑菌がワインに入ることを防ぐためだ。俺を含め全員が、エプロンとマスクをし、髪はバンダナのような布で覆っている。
六十リットルあるため、フルボトルで八十本分になる。ワインを入れ終わった物から俺がチェックし、コルクに問題ないことを確認した後、アルミ製のキャップシールか蝋で封をする。
アルミのキャップシールも俺の手作りで、最後の密着も魔法を使って熱を加えている。アルミ以外の素材では鉛を使っていた時代もあったが、鉛中毒の危険があることと、鉛の値段が高くコストアップとなることから、そもそも使うつもりはない。
シーウェルで作ったボトルについては、ここで使っている蝋で封をする。同じ作り方で長期熟成が可能か確認するためだ。
ルナ以外の全員が慣れているため、作業自体は一時間ほどで終わった。
「シーウェルのボトルは口の大きさがまちまちで、コルクが入れにくいね。まあ、コルク自体もあんたの作ったものより硬いけどね」
「そうですね。入る量もビンごとに微妙に違いました。立てる時に少しガタつく感じもしましたし……」
ベアトリスとメルの感想だ。
とりあえず、すべて入れ終えたのでインベントリーに収納し、今日の作業は終了した。
「ところでいつ開けるんだい。明日くらいには味を見させてくれるんだろ?」
赤ワイン好きのベアトリスがニヤニヤしながら聞いてくる。まるで獲物を前にした虎が舌なめずりをしているようだ。
「明日の夜に開けようと思っている。それでだいたい三年分の熟成だから、味の変化は充分に分かるからな」
千倍に加速しているため、明日の夜なら二万六千時間分の熟成になる。
「そいつは楽しみだね。イグネイシャス様には何本渡すんだい?」
「出来次第だが、半分は渡すつもりだ。今のところ、三、六、八、十二年の四パターンで各十本ってところだな」
半分も渡すと聞き、ベアトリスの虎耳が僅かに下を向く。
「村に帰ったら一樽分あるんだから、それで満足しておけよ。いくら何でもそんなに飲めないだろ」
俺がそう言うと「仕方がないね」と本当に残念そうに答える。その表情に思わず笑ってしまう。
すべての作業が終わったが、まだ三時前であり、夕方の訓練まで一時間以上ある。
「折角だからのんびりお茶でも飲むか。ルナが買ってきてくれた菓子が結構合うはずだ」
ルナが三日前の一月二十九日にルナが買ってきたものは、マカロンとレーズンのパウンドケーキだった。他にもアンチョビを見つけてきた。
(アンチョビは完全に忘れていたな。エザリントンにもあったはずだし……こいつがあると酒のつまみのバリエーションが一気に増える。ベアトリスに聞いたが、ルナは最初から存在を知っていたみたいだし、ヨーロッパ辺りの出身なんだろうか? まあ、俺がいた時代の日本でもアンチョビは普通にあったから、どこということは言えないかもしれないが……)
この買い物の時、ルナが積極的に話をしていたらしい。そろそろ生き残るための訓練を開始する頃合いかとも思うが、焦りすぎて失敗したくはない。
(タイミングが難しいな。だが、焦りは禁物だ……)
そんなことを考えながら、お茶の準備をするルナを見ていた。