作品タイトル不明
第三十六話「蒸留所候補地探し」
一月三十日の朝。
早朝から霧が立ち込めている。昨夜はよく晴れていたから放射冷却で冷え、シーウェル河から霧が流れ込んでいるらしい。
ダンとシャロンは夜明けと共に帝都プリムスに向かった。ダンはロックハート家の紋章が入ったマントを外し、茶色い普通のマントに替えている。普段森に入る時は迷彩柄のマントだが、目立つため普通のものにしている。
シャロンも完全に冒険者スタイルに換えており、遠目に見る限りは小柄な冒険者に見える。ただし、上品な顔立ちであり、装備も豪華であるため、貴族令嬢のお忍びに見えないこともない。一応、注意はしたが、彼女も自分が目立つことは充分に理解している。
「できる限りマントのフードを被っておきます。宿でも一人にならないように注意しますから、安心してください」
シャロンが自信を持っているため、それ以上何も言わなかったが、ダンにはもう一度注意を促しておく。
「街道で襲われることはないと思うが、宿や食堂で絡まれる可能性は常に気にしておいてくれ。ダンに勝てるような奴が無駄に絡んでくるとは思わないが、いざとなったらロックハートの名を出してもいい。頼んだぞ」
「お任せください」と頷き、
「多分大丈夫だと思います。駆け出しの若造が一旗上げにいくみたいに見せますから」
そう言って笑い、シーウェル城を出ていった。
今日はラドフォード子爵らと蒸留所建設候補地を回る予定になっている。
ロックハート家側のメンバーは俺、リディ、ベアトリス、メル、そしてルナだ。
父と兄はシーウェル侯爵から皇宮で行われる陞爵の式典での儀礼や貴族の人脈関係のレクチャーを受けることになっている。
母も同様でシーウェル侯爵夫人やラドフォード子爵夫人、更にはローレンシアたちから貴婦人としての礼儀作法を叩き込まれることになっていた。
母は習うべき内容を聞き、がっくりと肩を落とし、「こんなにいっぺんに覚えられないわ」と零していた。
弟たちはシムたち従士と共に駐留している帝国軍の訓練に参加することになっていた。
そのため、ルナの行き場がなく、俺たちと一緒にいることになったのだが、ここ数日で随分コミュニケーションが取れるようになったから、ちょうどいいと思っている。
朝食後、蒸留所建設の責任者バーナード・ダルントンから建設候補地の説明を聞いた。
「ラスモア村でザカライアス卿、スコット殿に教えていただいた、樽の保管に適しているか、原料の輸送は容易か、水は豊富にあるかなどを参考に、何箇所か候補を決めました。本日はシーウェル河東側の村を見ていただくことになります……」
候補地はシーウェル河の両岸にあり、一日ですべて回ると移動距離は五十キロ以上になる。これは河を渡るための橋がシーウェル市付近にしかないためで、一旦北上した後、シーウェル市に戻り、再び北上というルートになるためだ。
そのため、今日は東側、明日は西側を見て回ることになっていた。
候補地は八箇所ほどあるが、最初に建設する場所を決める予定だ。しかし、将来的には蒸留所は五箇所以上作ることになるため、その候補地にも当たりをつけておき、問題点の解決手段も考えておく。
ダルントンの説明に出荷の容易さがないが、これは忘れているわけではなく、どの地点も問題ないことが確認できているためだ。
シーウェル侯爵領から大消費地である帝都やエザリントンに輸送するルートだが、陸上輸送ではなく、シーウェル河を使う。これはシーウェルワインの出荷ルートと同じだ。
シーウェル河だが、トリア大陸最大の大河ファータス河や帝国東部を流れるファネル河のような大河ではないが、水量は豊富だが急流は少ない。また、大河でないためか、急流が少ないためかは分からないが、サーペントのような大型の水棲魔物がおらず、比較的安全だ。
東から西に流れているため、下りだけでなく、遡上に西風が利用できるため、水運に適しているのだ。
もっともシーウェル市付近より上流では地形が急峻になり、水運には向いていない。そのため、シーウェル侯爵領のワインを出荷するためだけに使われている。
ブランデーの出荷にもシーウェル河を使うことになっており、ブドウ畑がある川沿いの村なら、どこで蒸留しても問題ないのだ。
「本日はブルイック村、カルダム村、ソルスギス村、クライタイモア村をご視察いただきます。明日はドワリー村、クレイグラッグ村、ムーラン村、ブレア村をご視察いただく予定です……」
クライタイモア村まではおよそ十二キロだが、更にその先の村の醸造所も見学する。途中にある村の醸造所も見学するが、目的は年に五樽贈られるワインを自分で選ぶためだ。
別に贈られるものにケチをつけるつもりはないので、シーウェル家側で選んでもらってもよかったのだが、ラドフォード子爵から、「ザカライアス殿が選んだ方がベアトリス殿も嬉しいのではないかね」と言われた。
「あたしも贈り物にどうこう言うつもりはないが、イグネイシャス様の言う通り、ザックが選んでくれるほうが嬉しいね」
ベアトリスはそう言ってから恥ずかしそうに顔を赤くする。そう言われてしまえば断ることもできないし、いろいろな村のワインを試飲できるのは俺としても嬉しい。そのため、ワイン作りの主要な村を見て回ることになったのだ。
午前九時に出発する。シーウェル家側はラドフォード子爵、ダルントンの他に文官二名と護衛の騎士五名が付く。
全員が騎乗で移動するため、すぐに一昨日見学したウィディアル村を通過する。出発から二十分ほどで、一つ目の目的地ブルイック村に到着した。
ブルイック村はシーウェル市から北に三キロほどの場所にあり、ウィディアル村からは二キロほど。その間にも小さな村はあったが、ワインは作っていなかったため、素通りしている。
ブルイック村は緩やかな丘陵地帯にあり、シーウェル河の河畔からブドウ畑が続いている。
村の大きさはラスモア村より少し小さく、人口は五百人ほど。農地のほとんどがブドウ畑となっており、自分たち用の野菜を作る畑がある程度で、ここでも主食である麦は作られていない。
集落は丘の間にあり、きれいな小川が流れている。その川にウィディアル村と同じように水車が設置されており、水が汲み上げられている。
醸造所らしき建物の前に二十人ほどの村人が待っていた。
馬を下り、ラドフォード子爵と共に村人の前に進むと、六十歳くらいの男性が歓迎の言葉を掛けてきた。
「ようこそ、ブルイックへ」
ラドフォード子爵から村長であると紹介され、挨拶を交わした後、村人に馬を預けると、すぐに建設候補地に向かう。
候補地は丘の間、醸造所の裏で水源が近い。丘の北斜面の陰になるため日当たりが悪く、野菜を作っている畑がある程度だ。
広さは百メートル四方ほどある。
「この場所になります。日当たりが悪く、畑には向きませんが、水は豊富ですし、広さも問題ないと思います……」
この他に原料となるワインやその搾りかすも近隣の村から入手しやすく、燃料となる石炭も比較的近くで取れる。
ちなみに石炭だが、トリア大陸の南部では比較的多く産出する。特にウェール半島では良質の石炭が多く採れるため、ほとんど薪を使わないほどだ。ウェール半島には食料、水、燃料が豊富にあり、それが帝国の人口を支えているといっていい。
「蒸留所を造ること自体は問題無さそうです。ただ、貯蔵庫の拡張だけが難しいようですが、近くに貯蔵庫を作ることはできそうですか?」
今のスペースでは蒸留施設と原料の仮置き場を考えると、大きな貯蔵庫はそれほど作れない。周囲を見回してもブドウ畑が広がり、貯蔵庫が建てられる場所があるように見えなかった。
俺の問いにダルントンが「確かにそうですね」といい、村長に近くに候補地がないか確認している。
その間に俺は周囲をもう一度見回していた。
(ブドウ畑は大きいが、家畜の数はそれほどいないな。マールタイプを作るなら、搾りかすの廃棄が問題になるな……)
マールタイプとはワインの搾りかすからアルコールを抽出して作るブランデーだ。ワインを蒸留するフィーヌタイプに比べ、廃棄物となる搾りかすが大量に発生するため、その処理が問題となる。ラスモア村ではスコッチの原料である麦芽の搾りかすと合わせて、豚や牛に食べさせているが、ここブルイック村には多くの家畜がいる感じがしない。
「丘を回りこんだ一 km(キメル) ほど先に林があるそうですが、道もなく現状では輸送は難しいそうです」
「貯蔵庫はシーウェル市付近でもいいですから大きな問題にはなりませんが、廃棄物の処理ですね。この辺りでは牛や豚を多く飼っているところはあるのでしょうか」
「この辺りには少ないですね。もう少し北に行くか、シーウェル市の南になら多く飼っている村があるのですが」
ラドフォード子爵らと協議し、この村は候補地止まりとすることになった。
出発前に醸造所でワインを試飲することになった。
醸造所に入ると、すぐに職人たちが試飲用のグラスを手渡してくる。
それを受け取ったラドフォード子爵は日の光にかざしながら、
「この村のワインはブドウの木がよいのか、なかなかに濃い色をしている。特に今年は昨年よりよい出来ではないかと思っている……」
子爵は毎年すべての村を回って味を見ているそうで、今年の出来に満足していた。
グラスを受け取って同じように色を確認すると、濃い 紫水晶(アメジスト) にも似た美しい紫色で口に含むと濃厚なブドウの香りが広がる。やや酸味が強い感じはするが、子爵の言う通り、なかなかいい出来のワインだった。
「美味しいですね。新酒である分、酸味と香りのバランスはまだまだですが、味の力強さと果実香はウィディアル村のものより好きです。料理に合わせるにはちょうどいいワインですね」
「長期熟成にはどうだろうか?」と子爵が聞いてきた。
俺の感想だが、ブドウはメルローに近い感じである程度長期熟成に向く。ただ、ピノ・ノワールやカベルネ・ソーヴィニヨンほど長期熟成に向くかと言われるとやや疑問はあるが、十年程度なら充分に美味くなる可能性はあった。
「やってみないと分かりませんが、なかなかよいのではないでしょうか」
一時間ほどでブルイック村を後にし、二キロ先のカルダム村、五キロ先のソルスギス村を視察するが、やはり一長一短という感じで何らかの欠点があった。
(ラスモア村に比べたら充分にいい条件なんだが、どうしてももっといいところをと思ってしまうな……)
ソルスギス村で昼食を摂りながら、ラドフォード子爵たちとこれまでの視察結果を確認することになった。
ダルントンが手元のメモを見ながら、それぞれの得失を説明していく。
「ブルイック村は水、原料とも問題ありませんが、貯蔵庫のスペースと廃棄物の処理に関して問題が指摘されております。カルダム村は蒸留所のスペースは充分にありますが、よい水が確保できません。ソルスギス村も水の問題が指摘されていますが、こちらの方がカルダム村より幾分有望といった感じです」
ラドフォード子爵は顎を触りながら、「さすがに最初から完璧なところは見つからんな」と言った後、俺に確認してきた。
「今のところ、ここが一番有力ということでよいかな、ザカライアス殿」
「はい。今までの三箇所であれば、この村が最も有望でしょう。もっとも、いずれの村もラスモア村より条件はよいですから、蒸留所の建設に向いていないわけでありませんが」
「しかし、ここにはザカライアス殿もスコット殿もいないからな。私としては失敗のリスクは可能な限り減らしておきたい」
そんな話をした後、ベアトリスがソルスギス村のワインを飲みながら、ボソっと呟く。
「このワインは不思議な香りがするね。不味いわけじゃないが、何か別の香りがする気が……」
俺には濃い目の赤ワインの香りしか感じない。
「そうなのか? 俺には感じないが?」
「ああ、あたしもほんのちょっとだけ感じるだけなんだよ。あんたみたいに上手く言えたらいいだけど……ほら、スパイスとか……少し甘くて硬い感じ……そうだね、クローヴの香りがするね」
クローヴは丁子とも言われ、甘い中にしびれるような感じの香りがあるスパイスだ。肉料理によく使われ、ラスモア村でも使っている。
クローヴと聞き、もう一度じっくりと味わってみる。
(確かに濃い赤ワインだが……ベリーっぽい感じが強いな。さすがにクローヴまでは分からないな……)
俺は“クローヴ”という言葉に引っ掛かっていた。
(何だったかな?……そうだ! カベルネだ! スパイスという表現の中にクローヴがあったはずだ。これを飲んだだけじゃ、カベルネかどうか分からないが、もしかしたら近い品種のブドウが使われているのかもしれないな。それなら寝かせてみたら化ける可能性がある!)
俺の記憶はいい加減だが、ワインに一時期はまったことがあり、ボルドーのいいワインを結構飲んでいる。ボルドーのいい赤ワインのほとんどがカベルネ・ソーヴィニヨンであり、ソムリエがクローヴという表現を使っていた記憶が何となく残っている。
(もしかしたら勘違いかもしれないが、それでも違う品種のブドウがあることは間違いない……)
出来自体もよく、充分に美味いワインであるため、ここのワインを一樽もらうことにした。