作品タイトル不明
第七話「頭痛の種」
トリア暦三〇一七年十一月五日。
ルナをここラスモア村に連れてきてから半月が過ぎた。
母や義姉ロザリー、メイド長のモリーらが頻繁に声を掛け、メルとシャロンが甲斐甲斐しく世話をしている。もちろん、俺も声を掛けたり、外に誘ったりしているが、未だに心を閉ざしたままだ。
“時間が和らげない悲しみはない”という言葉があったはずだが、その“時間”というのがどのくらいなのか全く分からない。今のところ打つ手がなく、今はただ時間が解決してくれることだけを祈っている。
(半年くらい時間を置いた方がいいのかもしれない。新聞を斜め読みした程度の知識しかないが、焦りは禁物だったはずだ……)
村に戻った後に父たちと決めた村の防衛計画だが、こちらは比較的順調に進んでいる。
自警団の訓練は今までの二倍に増やされた。それまで訓練は半月に一回程度だったが、今は十日に一回に増やされ、更にヘクターやガイと共に森の偵察も加えられている。この偵察にはベアトリスとダンも加わっており、それぞれがリーダーとなって、二班体制で自警団員を扱いている。
今は農閑期に差し掛かったところであり、時間的な余裕はあるが、訓練が二倍になったことで自警団員から不満が上がりつつあった。
これには祖父ゴーヴァンが自警団員に以下のように説明を行っている。
「先日のオークの群れが村を襲っておったら、何十人もの仲間が命を落としたはずじゃ。五年前のオークとオーガの群れならば、村が全滅していてもおかしくはない……なぜ襲われなかったのかは分からん。単に運が良かっただけなのかもしれん。しかし、僅か数 km(キメル) の距離を二度も通っておるのじゃ。二度あったということは三度目もあるかもしれん……」
そこで言葉を切り、 獅子心(ライオンハート) と呼ばれた往年の迫力でこう言い放った。
「この状況で家族を守る気概のない者は村を去れ! 帝国は守ってくれんのだ! そのことを理解できん者にこの村に住む資格はない!」
その言葉に不満を抱いていた者たちも口を噤むしかなかった。実際、この辺りが安全なのはロックハート家と自警団のお陰だ。自警団員の中にはそのことを誇りに思っている者も多く、祖父の言葉に頷く者がほとんどだったからだ。
しかし、不満が内にこもると厄介だ。俺は密かに手を打っておいた。それも“絡め手”と言われる類のものだ。
俺の打った手、それは訓練後の打ち上げに“ある配慮”をしたことだ。
ラスモア村の自警団員は訓練を終えると、公衆浴場で汗を流し、そのまま村の中心部にある酒場で打ち上げを行うことが慣習となっている。その打ち上げでは麦酒を飲むことが多い。
その麦酒だが、冷蔵庫等がないため非常に温い。ブラウン系のエールなどなら、多少温いくらいの方がうまいが、それでも常温は温すぎる。更にこの村では淡色系のピルスナータイプが多く、これらはキリキリに冷やした方が断然うまい。
そこで、俺が行った配慮だが、魔法で麦酒を適温に冷やしてやるというものだ。
もちろん、一樽だけでそれ以上飲むなら温いビールになるのだが、ドワーフでもない限り、二百リットル以上の樽を三十人程度で飲み切ることはほとんどない。
俺かシャロンが擬似ペルチェ効果の魔法で麦酒を冷やしてやる。たった、これだけのことで、ほとんど不満は出なくなったのだ。
最初は領主の次男や従士の娘にそんなことをさせるのは恐れ多いと言っていたのだが、激しい運動の後に風呂でさっぱりと汗を流し、冷たいビールという“コンボ”にほとんどの者が嵌ってしまった。
最近では普通の日に飲むビールがうまくないと言い始め、訓練の日は“うまいビールが飲める日”ということで待ち遠しいと言う者すら出始めている。
酒で釣るという作戦に我ながらどうかと思ってしまうが、ロックハート家らしい、いや、俺らしいと言えるので、誰も何も言わない。ただ、リディとベアトリスがニタニタと笑っているのが気になるくらいだ。
この作戦の唯一の欠点は俺とシャロンしか冷やせないことだ。俺も防壁造りで魔力をほぼ使い切っているため、毎日というのは厳しく、どうしてもシャロンに頼むことになる。
まだ十五歳のいたいけな少女に、酔っ払いたちがたむろする酒場で冷蔵庫代わりになってもらうことは非常に心苦しい。
それに安全な村の中とは言え、やはり帰りは暗くなり夜道を歩かせることになる。
そのため、俺かダンかベアトリスが護衛を行うのだが、ベアトリスに頼むといつの間にか自警団員と一緒に飲み始めてしまい、更に帰りが遅くなってしまう。そして、俺やダンが忙しいからと言って、なぜかベアトリスがいつも立候補するから、余計に始末が悪い。家でも冷たいビールを出すのだが、外で飲む雰囲気が好きなのだろう。
最近ではシャロンも随分慣れてきており、酒場で村の人と話すのが割と楽しいといってくれているのが救いだ。
自警団のうち、兄ロッドの騎馬隊に配属された者は更に厳しい訓練を受けている。十名前後の騎乗の得意な者に対して、兄とシム・マーロンが毎日、館ヶ丘の北の草原で馬術の訓練を行っている。
ただし、訓練内容は草原を 襲歩(ギャロップ) で走らせたり、障害物を飛び越えたりという馬術に関する訓練だけで、今は騎乗戦闘の訓練は行っていない。
つまり、現状では騎乗での戦闘を考えていないのだ。
村の地形を考えた場合、騎兵は十分に役に立つ戦力だが、適性のある者が十五名程度と少なく、戦闘単位としては使い辛い。
それに今のところ軍馬の数が少なく、訓練を受けていない通常の馬を使うしかない。通常の馬では戦闘になればパニックに陥る可能性が高く、現状ではキルナレックやボグウッドへの早馬として使うだけのつもりでいる。
この騎馬隊の訓練だが、意外と人気が高い。理由は兄嫁ロザリーが侍女のアンジーやエレナとともに参加しているためだと考えている。帝国北部一の美女と名高い“姫様”と一緒に訓練ができること、更には都会育ちの美しい独身女性アンジーとエレナにいいところを見せたいという下心が人気の高さの秘密だろう。
弩(いしゆみ) についてはペリクリトルの商人、ヘンリー・ノートン――スコッチの輸送を請け負っている商人――に依頼しており、次に来るときには、第一陣として十基ほどが到着する予定だ。職人も同じくノートンに仲介を頼んでいる。
学校の増築については、建設が始まったところだ。木造二階建ての校舎をもう一つ作るつもりだったが、教室は足りているので体育館を建設することにした。
体育館といっても十五メートル×二十メートルほどの平屋建ての建物で、傭兵ギルドにある訓練場のような地面がむき出しの簡単な作りのものだ。折り畳み式の簡易寝台を用意しておき、避難所として使うだけでなく、野戦病院としても使うことも想定している。
最後に館ヶ丘の防壁についてだが、こちらは計画を少し変更している。最初は高さ五メートルほどの防壁を周囲に張り巡らすだけだったが、五メートルでは人間の二倍の身長があるオーガに対しては不安があったため、防壁の前に堀を掘ることにしたのだ。これにより、高さ五メートル、幅三メートルの防壁の前に幅五メートル、深さ三メートルの堀ができることになる。
このサイズに決めた理由は堀と防壁の体積を同じにすることで、防壁を地面から引き上げるのではなく、堀の部分から移動させるイメージにでき、消費魔力を減らせると考えたからだ。
これが意外とうまくいき、防壁だけを作る場合とほぼ同じ魔力消費量で堀が造れている。防壁と堀の表面の石化を含めても、一日当たり十メートル以上造れ、既に百メートル分ほど完成している。防壁の上面は凹凸の銃眼胸壁とし、更には上からの攻撃に対しても防御が可能な塔屋のような退避場所も造ってある。
造るに当たって、もうひとつ考えたことがあった。それは形状だ。
最初は函館にある五稜郭をイメージし、直線を結んだ多角形にする星型要塞案を考えた。五稜郭のような形状は円形に比べ、死角を生じないという利点がある。もちろん、星型要塞のような火砲による攻撃の衝撃吸収を考える必要はないから、土塁を斜めにする必要は無い。
二つの理由で星型要塞案を採用しなかった。
一つ目は想定すべき敵に航空戦力があることだ。魔族が仮想敵であるから、翼魔族と彼らが使役する 妖魔(デーモン) ―― 翼魔(レッサーデーモン) や 小魔(インプ) ――が想定される。元々、星型要塞は地上戦を想定した城塞であったはずで、航空戦力に対して有効なのか判断が付かなかったのだ。
もう一つの理由は工期の問題だ。星型にすることにより、円形より壁の長さが長くなる。当然、その分、工期が延びるため、完成が遅れてしまう。敵がいつやってくるのか分からない状況であり、完成を急ぐことを優先したのだ。
最終的には、丘の形状に合わせるため、完全な円形ではないが、丘をぐるりと囲む防壁と堀が出来る予定だ。堀は空堀とはせず、東にある溜め池か、村の北を流れるアーン川から引き込むつもりでいる。空堀にしておいても放っておけば水は溜まるから、夏場には蚊の発生の温床となるし、冬には氷が張ってしまい、意味がなくなる。水が流れていれば、ボウフラの大量発生や氷が張るのを防げると考えたのだ。
魚の養殖に利用しようと考えたわけではないが、水量によってはイワナとかニジマスなどの魚の養殖に使ってもいいと考えている。防御のために造ったもので、最初から養殖を狙っているわけではない。ただ、イワナもニジマスも好物であることは否定しない。
総延長は一キロメートルを超えるため、少なくとも三ヶ月半はかかるだろう。
大きな欠点ではないが、一つだけ欠点というか、気に入らない点がある。
それは浅い地面の土を使っていることから、色がまだらな茶色で美しくないことだ。元々、白亜や黒曜の防壁を造るつもりもないので、それほど気にしていないが、完成後に表面だけ色を変えるかもしれない。
このように今のところ防衛計画は順調に進んでいる。ただ、いつ敵が現れるのか分からない状況であり、焦りはないが余裕があるとも言えない状況だ。
今日の午後、スコットたちが 蒸留酒定期便(スコッチライナー) と共にアルスから戻ってきた。
スコットと従士のウィル・キーガン、更に鍛冶師ギルド・ウェルバーン支部の職員ジョニー・ウォーターは街道の安全が確認されてから出発することになった。そのため、オークの群れが殲滅されたという情報がアルスに届いた翌日の十月二十二日、つまり予定より半月以上遅れて出発している。
俺たちザックセクステットを含め、ロックハート家の主だった者たちが彼らを出迎えた。そして、無事に帰ってきたことを喜び合ったが、ジョニーだけはあまり元気がなかった。
理由を聞いてみると、言葉を選びながらゆっくりとした口調で話し始めた。
「……スコッチの融通について匠合長にお願いしたのですが、いつの間にか来年の四月に ここ(・・) でウェルバーンの鍛冶師方の腕を見るという話に……ご領主様と先代様の武具を作るということになったのです」
ウェルバーンにスコッチを送るにはアルス向けから回すしかない。それについては総会で了承してもらったようなのだが、“ザックコレクション”を飲むだけの腕があるかを確認するため、ここラスモア村で腕試しをすることになったというのだ。
俺は思わず、「ザックコレクションを飲むために鍛冶の腕を見ると聞こえたのだが」と聞き直していた。
「ええ、その通りなんです。ですが……ご領主様と先代様にどうお願いしたらいいものかと……」
俺は僅かに頭痛を感じ、こめかみを押さえながら、「いや、そういう問題じゃないだろう」と彼の言葉を遮った。
「酒を飲む資格を鍛冶の腕で決める……おかしいだろう? それに ロックハート家(うち) がいくらで出すかも決めていないんだぞ……いや、そんな話じゃない。酒は味が分かる奴が飲むべきなんだ……第一、俺も父上もアルスにだけ売るなんて言っていない……」
俺はジョニーの言葉で混乱していた。
ザックコレクションの奪い合いをするのは仕方がない。ドワーフたちがそう考えるだろうということは俺の想定範囲内だ。だが、蒸留所のオーナーであるロックハート家の意向を無視するのは想定外だった。
俺が混乱していることに気づき、ジョニーが慌てて説明を加える。
「ギルドも勝手に分配を決めるつもりはないんです。もちろん、ロックハート家のご意向を無視するつもりはありません」
「そ、そうなのか? そうは聞こえなかったが……」
ジョニーは大きく頭を下げ、「私の言い方が悪かったようです。申し訳ございません」と謝り、
「今回のことはあくまで鍛冶師ギルド内での分配なんです。アルスに売る分のうち、ウェルバーンにどのくらい回せるかという話なんです」
「……確かに最初はアルスに売るつもりだったから、分からないでもないが……」
俺が言葉を濁していると、珍しくシャロンが話に加わってきた。
「私がジョニーさんにザックコレクションはまだ売り先が決まっていないから、“総本部の分をウェルバーンが貰いますよと言ってみたらどうでしょうか”と言ってしまったんです……私の責任です」
詳しく聞いてみると、こういうことだった。
三年物のスコッチの分配の交渉に、まだどことも売買契約をしていない“ザックコレクション”を使うことを提案し、その点はうまくいった。
しかし、ウルリッヒたちが暴走し、ザックコレクションを飲むには自分たちと同じくらいの腕がなければ認めないという話になってしまった。
そして、その腕試しにウェルバーンにいたことがある祖父と父の武具を作るということになった。だが、祖父も父もここラスモア村を滅多に離れないから、鍛冶師たちがここに来て造るという話になったというのだ。
(酒を飲むのに鍛冶の腕のコンテストが必要か? それもウルリッヒたちが認めるか認めないかっていうレベルの武具だ。数億円の価値はあるはずだ。まだ、一回しか口にしていない酒だぞ。それを飲む資格を得るのに数億円……駄目だ。本当に頭が痛くなってきた……)
俺はドワーフの鍛冶師たちの非常識さに、こめかみを押さえる。
こめかみを押さえて頭を振っている俺にジョニーが「それでお願いなのですが」と言ってきた。
俺が「何か?」と言うと、
「先ほども言いましたが、ご領主様と先代様に受け取っていただかなければならないんです。ですが、お二人とも清廉なお方ですから、私が言ってもお認めになっていただけないのではないかと。そこでザカライアス様のお力をお借りしたいと……」
確かに祖父も父も超一流の鍛冶師の武具を無償で受け取ることはないだろう。それに今回の防衛計画でうちに余剰の資金はなくなるから、正当な対価を支払うことも難しい。
「確かに父も祖父も受け取らないだろうな。それ以前にこれは必要なことなのか? 正当な対価さえ支払ってくれれば、アルスにもウェルバーンにもザックコレクションは売るつもりなんだが」
ジョニーは悲しそうな顔で 頭(かぶり) を振る。
「在庫が豊富にあって、どちらも満足いくだけの量があればいいのですが、三年物でも足りないのです。ザックコレクションなら更に足らないと思うのですが……」
俺は「確かにそうだが……」と答えるが、それ以上言葉が出てこない。確かに完全に需要が供給を上回っている状態だ。小さなパイをめぐって奪い合う状態と言える。
「酒好きとしては納得いかないが、ウルリッヒたちには俺たちの武具を作ってもらった恩がある。父上たちの説得は俺が何とかするよ」
俺の言葉でジョニーの顔に笑顔が戻ってきた。
「ありがとうございます……後はベルトラムさんの工房の改造の話だけです。こちらはクルトさんがいるから何とかなるでしょう」
思わず、「ベルトラムの工房の改造?」と聞き返してしまった。
「匠合長が“最高の鍛冶場でなければ納得しないだろう”とおっしゃられて……今のベルトラムさんの工房でも十分だと思うのですが、今回はどんな素材を使うか分かりませんし、支部長たちの要望もあるでしょうから……もちろん、改造費用はギルドで負担させていただきます」
再び頭痛が襲ってきた。俺は「了解した。そちらは任せるよ」と言って、とりあえず、これ以上考えることを放棄した。