作品タイトル不明
第八十二話「ある中鬼族の末路:後篇」
中鬼族の 操り手(テイマー) テイヨ・ハールラがこの世を去った頃、彼の甥、カウノ・ハールラはレリチェ村――カウム王国の要衝トーア砦の五十km東にある村。トーアの北にある抜け道を使い、侵攻するための重要な拠点――に到着した。傍らには彼が調教した野生のオーク五匹がいた。
一般的に野生の魔物を 操魔術(テイム) により調教することは非常に難しいとされている。力で序列が決まる中、群れの長であることを自らの腕力をもって認めさせなければならず、 操り手(テイマー) の能力だけでなく戦士としても卓越した能力を必要されるからだ。
同じ鬼人族の中でも体格に優れ、戦士としての能力が高い大鬼族であれば、野生のオーガを力でねじ伏せることはそれほど難しくはない。しかしながら、中鬼族の場合、野生のオークとは膂力において大きな差があり、個人の技量に拠るところが大きい。
その点、カウノは戦士としても天才だった。膂力に優れる若いオークのオスを素手で屈服させ、自らの眷属としたのだ。
このオークたちは彼の武器であり、眷属を増やす“種”でもあった。優秀な野生のオークで召喚した眷属は通常のものより頑健で寿命が長いだけでなく、能力的にも野生のオークを凌駕し、調教によっては武器を使うことや簡単な任務なら単独行動すら可能になる。
カウノはレリチェ村の責任者に命令書を見せ、自分が特別任務を受けて西側に潜入することを伝えた。更に西側の事情に詳しい人族をサポートに付けることも要求した。
その時のレリチェ村の責任者は中鬼族であり、ことは比較的簡単に運んだ。誰も命令書を偽造するなどと考えなかったし、同族が単身敵地に潜入するという名誉ある任務につくことを羨むことはあっても、疑うことはなかったからだ。
カウノのサポート役についた人族はレックスという中年の男性であり、カウム王国出身の優秀な 斥候(スカウト) であった。
彼がレリチェに流れ着いたのは、妻を上級貴族に奪われたことが発端だった。彼の留守中に王国の上級貴族に妻を奪われ、何とか取り戻そうと努力したが、絶望した妻は自殺してしまった。復讐を果たすべく様々な手を尽くしたが上級貴族の権力は強大で協力者を得ることもできず、逆に捕らえられそうになり森に逃げ込んだ。失意のうちに森に潜んだ彼はこのような状況を放置したカウム王国全体に恨みを抱くようになった。だが、自分一人の力ではどうにもならないことも嫌というほど思い知らされた。
レックスは王国に復讐すべく、魔族の力を利用しようと単身アクィラ山脈に挑んだ。そして、彼の執念が一流の冒険者パーティでも困難とされたアクィラ越えを成功させた。
単身で危険なアクィラ山脈で行動できるほどの技量を持ち、更にはカウム王国に恨みを抱く人材、偶然だがカウノは最適の人材を得ることに成功した。
カウノはレリチェ村を出た後、ある夢を見た。
それは神託とも言えるほど鮮明なもので、夢の中で聴いた言葉は『準備を怠るな。さすれば 我ら(・・) の目的が達せられる』というものだった。カウノは自らに語りかけたものが 闇の神(ノクティス) であると信じて疑わなかった。
(あれは間違いなく 闇の神(ノクティス) だ。漆黒でありながらも神々しさと温かみを感じた……俺は神託を受けたのだ! そうだ、俺は神の戦士となったのだ!)
彼の自尊心はこれ以上ないくらい肥大した。
スカウトのレックスにその話をしたが、おざなりな返事が来るだけで彼を崇めるようなことはなかった。だが、カウノはそれに腹を立てなかった。
(所詮は人族、我ら 闇の神(ノクティス) の眷属とは違うのだ。まあよい。俺は神に選ばれし者なのだ。奴が協力を惜しまぬなら、俺の方が度量を見せてやればよい……)
カウノは横柄な態度を取ることが多いものの、レックスの提案を無下にすることはほとんどなかった。そして、レックスの方も中鬼族は横柄な者が多く慣れていたこともあり、自分の提案を採用するカウノを密かに見直していた。二人は比較的良好な関係を築くことに成功した。
レックスと共にアクィラ山脈を越えたカウノはトーア街道から少し離れた森の中に拠点を作った。そして、野生のオークの群を見つけてメスを奪い、眷属を召喚していく。更には街道沿いの村から若い女性を攫って眷族を増やしていき、最終的には二百五十匹を超えるオークを得ていた。
(あの頃が一番楽しかったな……俺は何でも出来ると思えた……)
オークの数は揃ったものの満足な武器がなく、手頃な開拓村を襲うことに決めた。開拓村は危険と隣り合わせであり、人口に比して武器が揃っており、また、人の行き来が少ないため、発覚の恐れも少ない。
レックスはそれに反対した。開拓村にいるような者は国の方針に逆らった者や貴族たちの横暴から逃げてきた者が多く、心情的に彼に近かったからだ。彼は冒険者パーティを襲って武器を奪い続け、業を煮やして討伐に出てくるカウム王国軍を殲滅して武器を奪えばよいと提案した。
当初、カウノは敵国軍から武器を奪うというレックスの豪胆な案に魅力を感じて従ったが、トーア街道付近では冒険者の数が少なく、半年近く経っても討伐軍が派遣されなかった。これはカウム王国の硬直化した行政機構のなせる業だったが、気が短いカウノはこれ以上時間を掛けることを厭った。そして、冒険者狩りをやめ、偶然見つけた開拓村、クララエ村を襲った。
既に自分が操れる限界に達していたため、苗床にする女性は攫わず、武器を奪った後、村人は殺し始めた。元来、残忍な性格であるカウノは無抵抗の村人を嬉々として惨殺していった。
レックスはそのやり方に反発し、カウノの隙を突いて二十人ほどの村人を虐殺の場から逃がした。だが、カウノはそれに気付き、レックスと共に逃げた村人を森の奥で見つけ、虐殺していく。優秀なスカウトであるレックスだったが、村人を見捨てることができず、彼も村人と共に殺されてしまった。
虐殺の直後こそ、裏切り者を処断した高揚感に包まれていたが、すぐに後悔する。
(あれは失敗だったな。奴は使えた。奴がいなくなって初めて情報って奴の重要性を知った……)
レックスを失った彼は目と耳を失ったに等しかった。
自業自得と言えばそれまでだが、それから新たな開拓村を探すため、十日以上森の中を彷徨い続け、九月二十七日になってようやくエイリース村を見つけることができたのだ。
彼はこの状況を憂い、協力者を確保しようと考えた。また、まだすべてのオークに武器が行き渡っていないため、その調達も襲撃の目的としていた。
翌日、慎重に村を包囲し、一気に襲い掛かった。だが、一軒の家だけは襲わなかった。彼は家族を殺された村人が言うことを聞かない可能性があることと、家族を人質に取れば裏切らないと考え、特に深く考えることなく最も大きな家を選び、その家の者だけは殺さず、他の村人はすべて殺した。
その際、彼は訓練のつもりで武器を使って殺すよう命じていた。命乞いをする村人たちを木偶人形代わりに斬り殺させる。その様子は訓練というより遊びのようで、広場で一人ずつ引き出していき、逃げ惑う村人を惨殺していったのだ。
襲われなかった家の者たちはその残虐な行いに憤りを感じながらも、次は自分たちだと思って悲嘆した。
村人を皆殺しにしたカウノは残した村人たちに協力するよう命じた。虐殺の場を目の当たりにした村人たちは頷くことしかできなかった。
カウノは使えそうな若者が三人いたことに気を良くしながら、目的地に向かうことを命じた。
だが、気分が良かったのは短い期間だけだった。若い男に偵察を命じたが、何の訓練も受けていない村人では満足に地形も把握できない。怒りに任せて、その男を撲殺してしまった。
カウノは地図があるアクィラ山脈付近まで戻るか、このまま目的地に向かうか悩んだが、地形を把握しやすいアルス街道沿いを進めば移動できるとそのまま進むことに決めた。さすがに彼も敵国の主要街道付近では警戒が必要だと考え、カウム王国軍の動向を探ることにした。
その方法として、ボグウッドの町――カウム王国北部の国境の町――にロンという若者を送り込もうとした。
ロンと彼の家族はボグウッドのような宿場町に入るにはオーブ――身分証明の魔道具――を確認されるため、入り込むことなど出来ないと訴えたが、事情を知らないカウノは強引にロンに潜入させ、翌日の昼までに情報を持ち帰るよう命じた。
結局、ロンはボグウッドへの潜入に失敗し、不幸な事故――川に飛び込み頭を打って溺死――により約束の時間までに戻ることはなかった。ロンが裏切ったと思い込んだカウノは怒りに任せて彼の家族を皆殺しにした。
その時、彼は役に立たない人間を使って情報を手に入れようとするより、叔父であるテイヨが用意した地図を頼りにした方がよいと考えた。
幸い、テイヨの用意した地図はアクィラ山脈近くの森の中については十分な情報があった。ボグウッド周辺はアクィラ山脈が西に張り出しているところであり、この辺りの情報は比較的豊富に記載されていた。更にカウム王国の国境から五十kmほど北までは迷わず進めるほど詳細な情報が記載されており、自分の失敗の事は忘れ、北上を開始した。
その際、ボグウッドの北にあるラスモア村を襲うか迷ったが、地図の情報では五百人程度の村であり、今までの開拓村より大規模であること、更に二百人近い自警団がおり訓練が行き届いていると記載されていた。彼は強敵と矛を交わすという子供染みた誘惑に駆られたが、裏切り者である月魔族のマティアスとの決戦前に戦力を失うことを厭い、テイヨたちが使ったルートを辿るため、ラスモア村を迂回した。
だが、峠――カルシュ峠、カウノはその名を知らない――に入った辺りから、地図の情報がほとんどなくなり、移動速度が極端に落ちていった。これは地図を作った当時、強敵である月魔族のマティアスが潜伏している可能性があったため、イラリ――テイヨたちと共に潜入した翼魔族――を偵察に出せなかったことが原因だった。一応、テイヨたちが通ったルートは記載されていたが、斥候としての知識がないカウノに限定された情報から地形を読み取ることができなかった。更に優秀とは言え、オークを偵察に出すわけにも行かず、険しい山道を何度も行き来していた。
それでも頑健な彼とオークたちは体力に任せて乗りきり、ようやくカルシュ峠を越えた。峠の頂上付近から地図を照らし合わせてみると、眼下に目的地が確認できた。
目的地が確認でき、喜び勇んで峠を下っていった。時刻的に夜襲になる時間帯だったが、叔父であるテイヨの言葉を思い出し、歩みを速め、午後三時頃にティセク村に到着した。
(一日待ってもよかったんだが、月魔族の呪術師と暗闇で戦うなど自殺行為だ。そう考えたのが失敗だった……)
敵に悟られる前に一気に襲い掛かるつもりでいたため、包囲することなく、村に突入した。
収穫時期ということもあり、村人たちのほとんどが畑に出ていたため、オークたちは抵抗らしい抵抗を受けることなく、村人たちを殺していく。そして、裏切り者マティアスが出てくるのを待った。だが、カウノ自身はマティアスの魔法を恐れて村の外に待機し、タイミングを見計らって出ていくつもりでいた。
(奴はいなかった。よく考えてみれば、叔父貴たちが奴を追っていたのは十年も前だ。この辺りにいなくてもおかしくはない……俺は一度もそのことを考えなかった。なんて愚かだったんだ、俺は……)
オークたちが襲っている間に北に逃げた者たちがいたが、ただの村人であったため、戦力を分散させることを嫌い、マティアスの捜索を優先した。家の中を探り、生き残りの村人の尋問を行った。
「月魔族、背中に翼を持つ魔族の男を見た者はおらんか! そいつと一緒に逃げた黒髪の女でもいい。そいつの居場所を教えれば、助けてやらんこともない」
だが、誰一人、月魔族のことは知らず、更に一緒にいたはずの彼の妻である人族の女のことも知らなかった。マティアスの妻はこの辺りでは珍しい黒髪であり、捕えた村人や遺体を確認したが、それらしき女は見付からなかった。
一人の老人が震えながら、十年前に女が現れ、猟師と結婚したが、最初その女は黒髪だったと証言した。慌てて猟師の家に向かったが、倒れていた女は栗色の髪だった。
カウノは口から出まかせを言われたと思って逆上する。
「貴様! 俺をたばかったな!」
「ひっ! は、初めて見た時はカラスの羽根のような真っ黒な髪だったんじゃ! 本当じゃ! た、助けてくれ!」
「ならば、なぜ茶色いんだ! 白髪になったのなら分からんでもないが、茶色くなるなど聞いたことがないわ! 口から出まかせを言いおって!」
彼はそう叫ぶと剣で老人を斬り殺す。逆上した彼は残りの村人を次々と殺していった。
(あの時は完全に切れてしまった……今考えれば、この村にマティアスの女がいるはずはないと分かるんだが……)
逆上していた彼も全員を殺し終わったところで落ち着きを取り戻し、ここにマティアスが居なかったことを認めた。
冷静になるにつれ、ここが敵地のど真ん中であり、更に土地勘もないことを思い出した。そして、このような所で自分たちの位置が知られることは危険であると考え、自分たちを見た者を抹殺することに決めた。
幸いオークの嗅覚は鋭く、村人を見付けることはそれほど難しくなかった。命乞いをする村人を情け容赦なく殺していくが、四方に散り散りに逃げたため、すべての村人を殺し終わったのは夜が明けたころだった。
オークの嗅覚をもってしても生き残りの人間が見つからなくなったことで、ようやく次のことを考える余裕が出てきた。
冷静になるにつれ、目的であった裏切り者の手掛かりすら見付けられず、さりとて命令書を偽造して出立したため祖国に戻ることもできず、彼は途方に暮れた。
仮眠を取ってから今後の方針を決めようと横になった時、それは唐突に起きた。
突然、オークたちが騒ぎ出したかと思うと、持っていた荷物を投げ捨て、ティセク村の方に向けて走り出したのだ。
彼自身、その瞬間には強い不安のようなものを感じたが、眷属が自らの命令を無視したことに驚き、何が起こったのか全く分からなかった。ただ、従順な眷属たちが血走った 眼(まなこ) で走り出したことに動揺していた。
「止まれ! どこへ行く気だ!」
そう叫びながら、オークたちの前に立ち塞がった。
それが彼の命取りとなった。
興奮したオークたちは主人である彼を乱暴に突き飛ばした。身体能力ならほぼ同等で普段なら十分に対処できたのだが、眷属の反乱という事態に動揺し、満足に体が動かなかった。そのため、尻餅をつくような形で転倒し、次々と走ってくるオークたちに何度も足蹴にされ踏まれていく。更に何とか立ち上がろうとした彼に対し、一匹のオークが邪魔だと言わんばかりに右手を振った。運が悪いことに、その手には剣が握られていたのだ。
その粗雑な斬撃は全くの偶然で防具の隙間を貫いた。右肩の付け根辺りを斬り裂かれ、革鎧を真っ赤に染められていく。
頭を打ち、朦朧としたカウノは自分に起きたことが信じられなかった。
(何が起きたんだ?……俺の 操魔術(テイム) が破られるなんて今までになかった……)
そして、立ち上がろうとしたとき、自らの体の下に作られていく血溜まりに気付いた。慌てて、傷口を押さえるが、噴出す血は止まることなく、血の川を作っていく。
「血が、血が止まらん!……誰か! 助けてくれ!」
だが、彼の叫びは誰にも届かなかった。
カウノは這うように辺りに散らばる荷物に辿り着く。そして、自分用に用意した薬が無いか荷物を漁り始めた。
「こんなところで死ねるか! どこかにあったはずだ! 開拓村で奪った傷薬が!」
どれだけ漁っても目的の傷薬は見つからない。その間にも血は流れ続け、頑健な中鬼族といえども徐々に動きが鈍っていった。
最後には左腕を動かすだけで何の意味もなかったが、それを止めることができなかった。
「嫌だ! 死ぬのは嫌だ! クソッ!……誰か……」
次第に意識が遠のいていく。
カウノは薄れゆく意識の中で自分が何をしていたのか考えていた。
(俺は何をしにきたのだ、この地に……俺がやったことは貧しい農民を殺しただけだ……)
結局、自分は罪もない弱者を嬲り殺しただけだと気付く。そして、目的である裏切り者、月魔族の呪術師マティアス・ヴァロを倒すどころか見つけることすら出来なかったことに自嘲する。
(……そもそもマティアスなる呪術師は生きているのか? 生きていたとしてもこんな辺鄙な場所に居続けるはずがない。どうしてそれに気付かなかったんだ?)
そこで神託のことを思い出した。
(あの夢を見てからだ、俺が疑問を感じなくなったのは。神の啓示があったのだ、俺の行動は全て正しい。そう思い込んだんだ……何が間違ったんだろうな。あれは確かに 闇の神(ノクティス) だった。俺はどこで失敗したんだろう……)
走馬灯のように断片的な記憶が流れ、そして消えていく。だが、徐々にそれもあやふやになり、ゆっくりと意識が薄れていった。
(つまらん人生だったな。だが、これでもう終わりだ……)
死を受け入れたが、静かに死ぬことは許されなかった。
(やめろ! 嫌だ! 助けてくれ! 悪かった。俺が悪かった……)
死を受け入れた直後、幻覚が彼を襲った。自らが手に掛けた農民たちが彼に取り付き、地の底に連れて行こうとする幻覚だった。
闇の神(ノクティス) の御手に委ねられることなく、冷たい地の底に封じられることはノクティスを信じる魔族にとっては死よりも恐ろしいことだった。
彼の脳裏では苦悶の表情を浮かべた老婆、子供を失い狂乱する母親、両親が惨殺され泣き叫ぶ幼子……彼が手に掛けた農民たちが次々と手を伸ばしていた。
(嫌だ!……静かに死なせてくれ……た、助けて……)
トリア暦三〇一七年十月十二日の正午頃、中鬼族の 操り手(テイマー) 、カウノ・ハールラは二十六年の生を終えた。故郷から数百km離れた異郷の地、それも猟師や冒険者たちですら滅多に足を踏み入れない深い森の中で誰にも看取られることなく、苦悶の表情を浮かべながら息を引き取った。
実際に彼の魂が地の底に封じられたのかは誰にも分からない。ただ、残された遺体は魔物に食い荒らされ、朽ち果てていった。
その日の夕方、日没と共にカウノ・ハールラの眷属であったオークたちの動きが変わった。カウノの死により 操魔術(テイム) が解け、野生に近い状態となったのだ。
一瞬、どうすべきか迷ったが獲物の匂い、それも若い女の匂いがすることに気付き、本能に従って獲物を追い始めた。だが、その獲物たちは逃げ足が速く、狡猾だった。
何とか追い詰めたところで、人間たちの大群が現れた。自分たちの倍以上の数と巨大な炎を投げつけられ、恐慌に陥った。カウノの死後、序列らしきものはできつつあったものの、明確に長が決まったわけでもなく、オークたちは自らの生存本能に従い、逃亡していった。
この時点で元の数から五十以上減っていたが、それでも二百匹近い数のオークが残っていた。
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カウノが西側に潜入した数ヶ月後、レリチェ村から鬼人族の都ザレシュへの報告によりカウノ・ハールラが西側に潜入したことが発覚した。
ハールラ家の長、ヨウニ・ハールラは嫡男カウノが行方不明になった直後から彼の行方を捜し、西側に単身潜入した事実を掴んでいた。だが、追っ手を差し向けるわけにもいかず、命令書を偽造した者が身内であったことから対応が後手に回っていた。何とか真犯人として対立する氏族に罪を被せようと画策していたが、工作中に事実が発覚してしまった。
カウノの行いに対して、対立する氏族からだけでなく、大鬼族や小鬼族、更には妖魔族からも非難を浴びた。重要拠点をいたずらに危険に晒す行為であるというのが彼らの主張で誰の目にも正当な非難だった。ヨウニ自身も内心では同じことを考えていたが自らの嫡男の失態に謝罪するしかなかった。バインドラー家やブドスコ家はハールラ家の力を弱めるため、徹底的に糾弾していった。
「この度の暴挙は祖国ソキウスを危機に陥れるものである! このような暴挙を未然に防げなかったハールラ家に族長会議に加わる資格はない!」
族長会議は鬼人族の主要な氏族の族長により構成される、鬼人族の最高意思決定機関である。その族長会議に参加できないということは三流以下の家格であるという烙印が押されることになる。当然、利権も失うため、族長会議から放逐された氏族は没落の道を歩むしかなかった。
ヨウニは必死に抵抗したが、彼を擁護する者はほとんどおらず、ハールラ家の族長会議からの放逐が決定した。数年後、ヨウニ・ハールラは失意のうちに病死した。
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トリア暦三〇一七年十月十二日に闇の精霊の暴走に気付いた者たちがいた。
一人は月魔族の“月の巫女”イーリス・ノルティア。数百km離れた妖魔族の都ルーベルナの神殿で、闇の精霊たちの異常に気付く。慌てて外に出ると、闇の精霊たちが空を覆い尽くそうとしている姿を目にし驚愕する。
(精霊たちがおかしいわ。どこかに向かおうとしている……西、少し南くらいの西ね。アクィラの山の近く……でも、ただ向かおうとしているわけでは無さそうね。そう狂喜しているように見える……何が起こったのかしら?……もしかしたら……)
イーリスは一つの仮説を立てた。
闇の精霊がこれほどまでに狂喜するのは 闇の神(ノクティス) の降臨か、それに近いことが起こったに違いないと。
(神の降臨ならば、この神殿が相応しいはず。ならば、神の寄り代たる“月の御子”の力が顕現したと見るべきでしょうね。月の御子を保護しなければ……これはこの国が始まって以来の重要な出来事……)
イーリスは直ちに同族たちを集め、月の御子が顕現したことを伝えた。そして、闇の精霊が向かおうとしていた先を告げた。
「アクィラの向こう側、ここからやや南に御子様が顕現されました。直ちに呪術師たちを派遣しなさい。そして、適切な場所に転送の魔法陣を設置するのです。これは最優先事項です……」
月魔族と翼魔族の呪術師、つまり魔術師たちが西側に派遣された。
ソキウスではもう一人、闇の精霊の暴走に気付いた者がいた。
それは妖魔族に属する黒魔族の呪術師、サウル・イングヴァルだった。
黒魔族は元々魔族の指導的な立場にいた部族だったが、千年前の大侵攻の失敗により人口を大きく減らし――現在では千人程度しかいない――、力を失っていた。だが、個々の能力では月魔族を凌駕しており、月魔族の後塵を排していることに納得していなかった。黒魔族は今でも指導的地位に返り咲こうと機会を待っていたのだ。
サウルはその黒魔族の中でも最も優秀な呪術師であり、戦闘能力の面では月の巫女であるイーリスを大きく凌駕していた。
(神の顕現か?……いや、月の御子の誕生だな。ならば、我らにとって好機。月の御子を手に入れれば月魔族を抑えることができる……)
サウルにもある程度の位置は分かっていたが、彼はすぐには動かなかった。
(放っておいても月魔族が見つけ出すだろう。私は奴らが見付け出すまで待てばよい。だが、準備は必要だ……)
彼は東に向かった。同族にすら行き先を告げず、ただ一人で。
もう一人、いや、もう一体と言った方がいいかもしれない。その人ではない何者かが闇の精霊の暴走に気付いた。
それは存在し始めてから千年以上の時を経ており、十分な力と知性を持っていた。
(あの力が欲しい……手に入れねばならぬ……)
その者は自らが潜んでいた廃墟から這い出した。周囲は明るい日の光が照らしていたが、その者が現れた瞬間、闇に包まれたかのように静まり返る。
(我に……我に与えよ……)
飢餓感にも似た狂おしいまでの渇望だった。