作品タイトル不明
第五十二話「試飲会という名の儀式」
トリア暦三〇一七年九月二十三日、午前十一時頃。
鍛冶師ギルドの 匠合(ギルド) 長室でカウム王国からの使者との面談を終え、集会室に戻る。既に準備はほぼ終わり、あと一時間ほどで宴会が始まるということで、まさにギルド職員たちが料理を並べようとしていたところだった。
俺はそれを見て、料理を運びこまないよう指示を出す。
「食事はザックコレクションの試飲が一通り終わってからで……食事の匂いが酒に混ざるのを避けるためです」
食事といっても前菜など簡単な料理が多く、匂いが強そうな料理はなかった。職員たちは一様に怪訝な顔をするが、酒にうるさいことで知られる俺がそう言っているのだからと、特に何も言わずに料理を下げていった。
その間にもリディたちが水用の器――陶器製のタンブラー――を並べていく。
それを見た今回の試飲会の責任者であるジャック・ハーパーが、「鍛冶師方に水はいらないと思いますが?」と遠慮気味に伝えてくる。
「ああ、もちろん判っている。だが、これは必要な水なんだ。魔法で出したとはいえ、蒸留所のあるラスモア村の水と同じ味の水だからな。それも二種類、春と秋の味のものを用意している……」
ジャックは一瞬、呆れた表情を見せるが、すぐに頷いた。
彼に俺の言いたいことは全く伝わっていないだろう。俺の方でも彼にそれ以上理由は説明せず、黙々と魔法で作った水を水差しに注いでいった。
正午前になり、ようやく試飲会の準備が完了した。
テーブルの上には、水を湛えた水差しと陶器のタンブラー、そして、テイスティンググラスが載せられたトレイだけしかない。
ただ、ボトルに詰められたスコッチだけは最前列のテーブルに並べられ、窓から差し込む日の光を受けて美しい琥珀色を煌めかせていた。
正午になると、鍛冶師たちが続々と集会室に入ってくる。だが、いつもの宴会とは全く違う雰囲気に、皆、戸惑いを隠せないでいた。
ギルド長であるウルリッヒ・ドレクスラーも同様で、満面の笑みを湛えて集会室に入ってきたが、料理が準備されていない状況に顔が強張る。
「どういうことじゃ?」
近くにいたジャックにそう尋ねるが、彼は困惑した表情で首を横に振り、俺に視線を送りながら、「ザカライアス様のご指示でして……」と言葉を濁していた。
俺はその言葉を引き取るように、
「すべて俺の指示だ。もちろん、理由はある」
「理由じゃと?」
俺は大きく頷き、
「すべてはザックコレクションを最高の状態で飲むためだ。昨日も言ったはずだ。一杯目だけは俺の指示に従ってもらうとな」
ウルリッヒは俺の意図は理解できないものの、全て俺に任せると言った手前、腹をくくり、何も言わずに自らの席に向かった。
異様な雰囲気だった。
ドワーフたちは“ザックコレクション”を片手に楽しく宴会が出来ると思い、笑顔で入ってくるのだが、料理もなく、グラスとボトルのみが並ぶだけの光景に困惑し、黙ってしまう。そして、自分の席に着くのだが、隣同士でぼそぼそと囁きあい、周囲を見回していた。
それが連鎖し、増幅していく。
三百人からの陽気なドワーフたち――十数人女性が含まれている――がいるとは思えないほど声は低く、落ち着きなく動く首が彼らの不安を如実に表していた。
ただ、前方に置いてある美しいボトルを見ると、「あれがザックコレクションか」といって目を細めていた。
全員が揃ったところでウルリッヒが立ち上がった。
「いつもと違う趣向じゃが、今日の仕切りはザックに任せてある! 最高の飲ませ方で飲ませてくれるそうじゃ! ザック、後は頼んだぞ」
俺はそれに頷き、壇上に上がった。
「今日はここにいるスコットと私たちの歓迎の宴と伺っておりますが、まずはスコットが作った 現状(・・) で最高の酒、長期熟成酒を堪能していただきたいと思っております。では、準備を」
俺の合図でリディたちとギルド職員数名がスコッチのボトルを手に取り、テーブルに散っていく。そして、用意されたグラスに注ぎ始めた。
全員が息を飲んでその様子を見守っていた。
トットットッという音が妙に大きく感じていた。
「準備の間に少しだけ説明します。この長期熟成酒は三つの樽のスコッチを組み合わせたものです。味はバランスを重視し……次に飲み方についてですが、まずは香りを楽しむため、グラスの口を鼻に近づけ……次に一口だけ口に含んでください。但し、すぐに飲み込まず、舌の上に置くような感じで口の中に広がる香りと味を楽しんで下さい……十分に香りと味を楽しみましたら、飲み込みながら喉の奥から上がる香りに注意してみてください。今までのスコッチとは全く違うことが判ると思います」
俺の声が集会室に響いていく。
だが、ほとんどのドワーフは聞いていない気がしていた。皆、注がれるスコッチに視線が釘付けになっていたからだ。
「味を見た後は、用意してある水を口に含んでください。仕込みに使っている水と同じ味のものを用意しております。スコッチは水が命ですから、その水も感じて欲しいのです……」
俺の説明が終わる頃、ようやくすべてのグラスが満たされ、全員の前に置かれた。
その間、誰も口を開かなかった。
外から聞こえてくる荷馬車の車輪の音や人々の話し声すら消えたように、集会室は静寂に包まれていた。
誰かが“ごくり”と喉を鳴らした。その音が部屋中に響き渡る。
「では皆さん。まずは香りを楽しんでください!」
ザザッという衣擦れの音とともに鍛冶師たちの無骨な指がグラスを掴む。
そして、ゆっくりと、だが、一糸乱れぬ動きでグラスを持ち上げていく。開け放たれた木窓から差し込む日の光によって出来る影法師が、同じように一斉に動いていた。それはまるで無声映画のワンシーンのようだった。
(全然聞いていないと思ったんだが、意外と聞いてくれていたようだな……ん?)
俺の説明を聞いてくれていたと思ったが、どうも動きがおかしい。
全員が鼻にグラスを近づけたまま、ピクリとも動かないのだ。ただ蕩けるような表情を浮かべ、視点が定まっていないように見える。
十秒ほど待ったが、誰も口をつけようとしない。周りで見ている職員たちは困惑の表情を浮かべて、しきりに俺に視線を送ってくる。
俺もこの状況に困惑し、思考が停止しかけていた。だが、この状況を変える必要があると思い、意を決して口を開く。
「香りを楽しんだ後は、少しだけ口に含んでください。口の中に広がる香りを存分に楽しんでください」
俺がそう言うと、またしても衣擦れの音とともに、鍛冶師たちが一斉に動きだした。
どこかの独裁国家のマスゲームでも、これほど息の合った動きは見せられないだろう。それほど見事な揃い方だった。
全員が一斉にグラスに口をつけた。
次の瞬間、再び動きが止まった。
誰もグラスから口を離さず、同じ姿勢で固まってしまったのだ。
しかし、良く見ると動きはあった。
ドワーフたちの表情がゆっくりと、だが、確実に変わっていく。全員が蕩けるというより、恍惚といえる表情を浮かべ、中には涙を流している者さえいたのだ。
俺はこれ以上何も言わないことにした。俺がとやかく言わなくても、刻まれた本能が最適な飲み方に導いている。そう思うことにしたのだ。
俺の横にリディがすぅと近づいてきた。そして、聞こえるか聞こえないかというほどの小声で話しかけてきた。
「ねぇ、どうなっているのよ、これは……大丈夫よね……」
俺も小声で「多分大丈夫だと思う」と答えるが、そう言われると自信がなくなる。俺の中で、本当に大丈夫なのかという思いが強くなっていった。
(何か崇高な儀式をやっているって言われたら、素直に頷きそうだ。しかし、“うまい”という声すらないんだが……)
恐らく、時間にすれば一分も経っていないのだろうが、体感時間では十分以上に感じていた。この部屋の中だけ、明らかに“時間の流れが違う”と感じるほどだ。
そして、それは突然起こった。
ウルリッヒを始め、全員がすくっと立ち上がったのだ。
俺は危険を察知し、「耳を塞げ!」と叫んだ。
次の瞬間、集会室は「「オゥゥ!!」」という雄叫びのような歓喜の声に包まれた。
それはまさに魂の叫びだった。
集会室が揺れた。
比喩ではなく、壁や天井がその雄叫びにビリビリと振動し、しっかりと作られているはずの床ですら小刻みに揺れていたのだ。
雄叫びによる騒音レベルは軽く百デシベルを超え、百四十に達しているかもしれない。
竜の咆哮を彷彿とさせる雄叫びだった。
その暴力的なまでに激しい雄叫びにシャロンとメルは耳を塞いでしゃがみこみ、ダンも耳を押さえながら、耐えるように身を硬くして立っていた。
ベテランの二人はさすがだった。
リディとベアトリスは見事に撤退のタイミングを極めており、雄叫びが始まる直前に集会室から脱出していたのだ。繊細で高性能な彼女たちの耳では、ドワーフたちの咆哮に耐えられないと判断したのだろう。
一般人に過ぎないスコットが一番の被害者だったかもしれない。俺の警告に反応できず、耳を塞ぐことができなかったのだ。俺が見た時には呆然と立ち尽くしていたが、良く見ると僅かに白目を剥いており、立ったまま気絶していた。
一般人でもギルド職員はさすがだった。ウェルバーンのジョニー・ウォーターは耳を塞ぎ、体を半身にして騒音に耐えた後、すぐに指示を待つかのように視線を俺に向けていた。
更に凄いのが、ジャックたち本部の職員たちだった。
彼らは普段から大人数のドワーフを相手にすることが多いためか、あの暴力的な騒音の影響をほとんど受けていなかったのだ。それどころか、既に新しい酒の準備に移ろうと、ボトルに手を伸ばしてさえしていたのだ。
良く見てみると、彼らは綿のような柔らかい素材の耳栓をしており、俺の警告の前から耳栓をつけていたようだ。
俺自身だが、こうなることは 一応(・・) 予想していた。ウェルバーンでの出来事や村でベルトラムたちに飲ませたときの反応から、ドワーフたちがどのような反応を示すか想像はできていた。当然、準備は怠っていなかった。
彼らが立ち上がった瞬間に、メルたちに警告を発しながらも用意していた耳栓を咄嗟につけたのだ。さすがに最初から耳栓をつけるのは失礼だと思い、直前に付けたのだが、これが仇になったようで、怒号のような歓声が続く中、未だに耳の奥がキーンと鳴っている。
もちろん、ダンやメルたちにも耳栓は渡してあったのだが、ここまでとは思っていなかったため、準備していなかったようだ。そのため、耳を手で塞ぐことで最初の怒号は耐えたが、未だに手を放すことができないでいる。
怒号が止みそうにないため、メル、シャロン、ダンに比較的広い場所に行くようハンドサインで指示を出し、俺もスコットをそこに引きずっていく。全員が範囲に入るところで防音の魔道具を起動したのだが、自慢の防音の魔道具でも木の床から伝わってくる音が大きく、完全に音を遮断できなかった。だが、暴力的な騒音レベルは脱したため、メルたちはすぐに回復した。
メルは「今のは何だったんですか?」と事態を把握し切れていない。シャロンも耳を押さえて小さく頭を振りながら、「まだ、耳がおかしい気がします……」と呟いていた。
ダンは二人の声が良く聞こえないのか、「何?」と聞いていた。
三人は何とかなりそうだが、スコットは意識を取り戻したものの未だに朦朧としているようだった。念のため、頭部に治癒魔法を掛け、椅子に座らせる。
(歓喜の雄叫びで治癒魔法が必要って……スコットが一番の被害者だな。もう少しきちんと説明しておけばよかった……)
スコットにもドワーフたちが突拍子もないことをすることは伝えてあった。だが、村の外に出た経験が少なく、ドワーフに対する免疫がほとんどないため、彼は俺が冗談を言っていると受け取っていたようだ。昨日の熱烈な歓迎で、俺が言っていることがある程度真実だと気付いたようだが、ここまでとは思っていなかったのだろう。
治癒魔法の効果か、それとも単に時間によって回復したのかは判らないが、頭を軽く振りながら、ようやく言葉を口にすることが出来るようになった。
「い、今のは鍛冶師方の……何が起きたのでしょうか?……だ、大丈夫ですよね……」
意識ははっきりしたものの混乱は続いているようだ。
「大丈夫だ。恐らく感動を表しているだけだ……多分、そうだと思う」
そんな話をしていると、床の振動が収まってきた。
慎重に防音の魔道具を解除すると、未だに「うめぇ!」とか、「生きてて良かった!」などという言葉が叫ばれているが、耳が壊れるほどの騒音ではなかった。
一番近くにいたウルリッヒがスコットに近づいていく。その表情は鬼気迫るものに見えたが、良く見るとその目には涙が浮かんでおり、感動に打ち震えているだけのようだ。
スコットは本能的に僅かに後退るが、すぐに危険は無いと立ち止まる。
「ス、スコット殿……こ、これほどのものをよくぞ……ほ、本当によくぞ、作ってくださった……」
声を震わせながら、感動を表そうとしているが、うまく言葉に出来ないようで、最後には「よくぞ……」という言葉を繰り返すだけだった。
言われた方のスコットだが、自分の作った酒でここまで感動してくれたことが信じられないのか、頷くことしかできない。
このままでは延々と続くと思い、スコットに何か言うよう指示を出す。
「良く見てみるんだ。みんな、物凄く感動している。お前が頑張って作り上げたからだ……何か言ってやれよ」
スコットは小さく首を振り、
「何かとおっしゃいましても……そもそも、“スコッチ”はザック様の……」
俺は目でスコットの発言を制した。彼は俺が作ったと言いたかったのだろうが、四歳で酒を作ることは俺の秘密を公表するに等しいと気付いたようだ。
そして、「判りました」と頷き、ドワーフたちに向かって話し始めた。
「ここまで高い評価を頂き、ありがとうございます……」
感動に打ち震え、ストレートに感情をあらわにしていたドワーフたちだったが、スコットが話し始めるとすぐに静かになる。
「……このスコッチが出来たのも飲んでくださる皆さんのお陰です……」
その言葉にウルリッヒが「それは違う」というが、スコットは笑みを返してから、話を続けていく。
「いいえ。普通の酒でしたら、すぐに出荷できます。ですが、スコッチは最低三年という“時”が必要なのです……それだけではありません。飲んでいただいてお分かりの通り、スコッチには更に時間が必要なのです。その時間をお待ち頂ける皆さんがいてくださるお陰で作り続けることが出来るのです……」
ドワーフたちの中から「こんだけうめぇんだ。いつまでだって待つぞ!」という声が上がった。
「ありがとうございます……これから、更にうまい酒を目指します。 私たち(・・・) が目指す酒は、この程度ではありません。もっと深く、もっと薫り高い、そう、至高の酒……それを目指しているのです……」
“私たち”という部分を強調したことに気付いたが、ドワーフたちにはそれが誰を指すのか判らないだろう。
「これ以上の酒じゃと……さすがじゃ……」
ウルリッヒは涙を流しながら、そう呟いていた。
「私の代で完成するかは判りません。いいえ、恐らく完成しないでしょう。酒造りに終着点はありませんから……ですが、私は大恩あるロックハート家の方々と、私の酒を愛して下さる皆さんにこれだけは宣言します。私の跡を継ぐ者も現状に満足せず、今よりうまい酒を目指し続けると……」
俺は感動していた。
スコットは素朴な職人だが、これほどの決意を見せてくれたことに目頭が熱くなった。
俺だけではなく、その場にいたすべてのドワーフたちが感動していた。
最高の物を常に追い求める姿勢が職人たちの心を打ったようだ。