作品タイトル不明
第三十九話「舞踏会:中篇」
トリア暦三〇一七年七月二十日午後八時頃。
ロックハート家の部屋に戻ると、夜会用のドレスに身を包んだベアトリスが待っていた。彼女は大胆な深紅のドレス――胸元が大きく開いたノースリーブのマーメイドスタイルのような体の線が判るドレス――が気になるのか、普段の堂々とした感じは影を潜め、所在無げに視線を彷徨わせていた。
「こんな格好で行ってもいいのかい? 物凄く恥ずかしいんだけど……」
俺が何か言う前にメルとシャロンがベアトリスの周りを回りながら、明るい声を上げる。
「とっても似合いますよ! 大人の女って感じですね。背中もこんなに開いているんだ……」
メルがそう言って感心していると、シャロンも珍しくはしゃいでいた。
「本当に素敵です! いいな、私も早くこういう大人っぽいのが着たいな……ザック様も早く何か言ってあげてください」
その時、俺はベアトリスに見惚れており、やや放心していたようだ。
元々このドレスのデザインは俺が提案したものなのだが、ドクトゥスの街で作った時には見せてもらえなかった。リディがいたずら心を起こし、ウェルバーンでのサプライズを狙ったからだが、見事にリディの思惑通りになった。
俺は言葉も無く、その姿を見つめていた。
その間にもメルとシャロンが俺に見せようと、ベアトリスをゆっくりと回していく。
ナイトドレスとでも言うのだろうか。首の後ろでリボンのように結んだドレスで腰の辺りまで大きく開き、背中のほとんどが見えてしまうデザインだ。足元も脛が見えるように開いており、ヒールの高い編み上げのサンダルを履いているため、色気のある美しいラインになっている。
ショートの髪から覗く虎耳と腰の辺りから出ている尾が虎獣人であることを主張しているが、コスプレ感は全く無く、深い胸の谷間と凛とした顔立ちが大人の女の魅力を余すことなく出している。そして、左手の薬指にはトパーズをあしらった指輪が嵌められている。
「本当にきれいだ。驚いて言葉にならなかった……」
いつも思うのだが、ベアトリスが着飾ると普段とのギャップが大きすぎて言葉にならない。
無骨な革鎧を身に纏い、荒々しく槍を振り回す印象が強いだけではなく、普段のしゃべり方、考え方が男っぽいことが影響している。
その彼女が恥ずかしそうに身悶えていると、庇護欲のようなものを感じてしまうのだ。上目遣いで「本当かい?」と聞かれると思わず抱きしめたくなるほどだ。
二人で並んで廊下を歩いていく。
だが、元々二m近い上背のあるベアトリスが十cmほどのヒールのサンダルを履いているため、俺より二十cm近く背が高くなり、彼女はそのことをしきりに気にしていた。
「いいのかい、こんな大女を連れて。リディアーヌだけの方が良かったんじゃないかい」
「馬鹿なことを言うなよ。もちろん、俺が一緒にいたいからに決まっているだろう」
まだ納得していないようだが、会場はそれほど遠くでもなく、すぐに到着したため、それ以上何も言わなかった。
大広間ではちょうど曲が終わったところのようで、踊っていた若い男女が用意されているテーブルに向かうところだった。
俺たちもダンが待つテーブルに向かうのだが、会場に入ったところで周囲からの視線が俺たちに集中する。ひそひそと話す招待客たちの声がざわめきとなって会場に広がっていく。
ベアトリスは自分に集まる視線とそのざわめきに自信を失ったのか、小声で俺に話しかけてきた。
「やっぱり場違いじゃなかったのかい」
「みんな、君に見惚れているだけだ。良く見てみろ。女たちの羨望のまなざしと、男たちの俺に対する嫉妬の視線だけだ。自信を持って、堂々としていればいい」
俺が自信有り気にそう言うと、ベアトリスはちらちらと周囲を窺う。
俺が引っ張るようにして歩き出すと覚悟を決めたのか、絡める腕に力を入れて歩き出すと、海を割るモーゼのように俺たちの前の人垣が割れ、道が出来る。
ベアトリスのドレスは招待客たちが纏うものと大きく異なっており、それだけでも注目を集めるのだが、更に彼女の高い身長と豊かなバストがそれに輪をかけていた。
女性たちの着るドレスは基本的にはスカートが広がった形、いわゆるAラインに近い形のもので、コルセットによって腰の細さとバストの豊かさを協調するクラシックな感じのドレスだ。だが、それとは大きく異なり、見ようによっては娼婦と見紛うようなドレスは奇異の目で見られても仕方がないだろう。
だが、堂々と歩く姿に娼婦のような媚びる雰囲気は微塵も無く、女王のような威厳すら感じさせ、それが道をあけさせる要因になったと俺は思っている。
俺たちの登場と言うハプニングがあり、周りでは次の曲の相手を慌てて探し始めていた。
一人待っていたダンはベアトリスの姿に目を丸くするが、すぐに笑顔になる。
「よく似合っていますよ、ベアトリスさん」
ダンの言葉に顔を赤くし、「からかうんじゃないよ」と言うが、満更でも無さそうだ。
俺はダンが一人でいることを不審に思い、
「誰かと踊ったのか?」
ダンは僅かに顔を赤らめ、はにかみながら、
「ええ、結構申し込みがありましたけど……この中では一番身分が低いはずなんですが、なぜなんでしょう?」
申し込みはあったが、俺たちを待っていたため、誰とも踊っていないと言う。
「遠慮なく相手を探してこいよ。すぐに始まるぞ」
律儀なダンの尻を叩き、相手の女性を探しに行かせる。
ダンに多くの声が掛かったのは彼自身の魅力ということもあるが、ロックハート家の紋章をつけていることも関係しているだろう。
もちろん、今日の招待客たちなら、彼がロックハートの名を持つ者でないことは分かっているはずだが、飛ぶ鳥を落とす勢いのロックハート家の紋章を付けているのだ。例え従士であっても、嫡男であれば普通の騎士階級の子息より有望株に見えてもおかしくはない。
主家であるロックハート家が帝国屈指の大貴族であるラズウェル辺境伯家と縁戚関係になったこと、世界から注目されている蒸留酒技術を独占していることから、当主、すなわち父マサイアスが望めば、子爵位を得ることは容易いと言われている。主家が子爵ともなれば、古参の従士は騎士に叙される可能性は非常に高い。
つまり、ダンは将来騎士の家を継ぐ可能性が高く、 普通(・・) の騎士の家の次男などより、よほど有望な結婚相手に見えるのだ。要するに、ここに結婚相手を探しにきているような女性にとっては、格好の“青田買い物件”なのだ。
さすがに爵位持ちの家の令嬢が食指を動かすことはないと思うが、ロックハート家の真の価値を正しく理解していれば、そして、俺の表面上の価値を理解している当主であれば、自らの娘を平民である従士に嫁がせる決断をしてもおかしくはない。
傍から見れば、ダンは俺の筆頭従士であり、俺が独立すればロックハート家の分家の重要人物になる。各国がその存在にやきもきする謎の長期熟成酒“ザックコレクション”の 持ち主(オーナー) であり、多くの国から爵位を提示されている人物の筆頭家臣に見えるのだ。
そんなことを考えていると、ダンが一人の女性とペアになっていた。
年の頃は俺たちと同じくらいの十代半ば、身長百八十五cmほどのダンより僅かに背が低いだけの比較的長身の女性で、顔については影になっており良く判らなかった。こちらからは濃いブルーのドレスと金色の豪華な髪だけが見えるだけだった。
俺はそれを微笑ましく思いながら、ベアトリスに右手を差し出した。
「私と一曲踊っていただけますか?」
ベアトリスははにかんだような笑みを浮かべ、「よろこんで……」と小さく答える。
彼女とともに大広間の中ほどに向かう。身長百九十cmくらいの俺と二mを超えるベアトリスのペアは他のカップルより頭一つ分ほど高い。
緩やかな曲調のBGMから、ワルツのような軽やかな曲に変わった。カップルたちは一斉にお辞儀をし、踊り始める。
俺たちも同じように頭を下げ、彼女の体を引き寄せて踊り始めた。
ベアトリスなのだが、さすがに一流の槍術士ということでステップなどはあっという間に覚えてしまったのだが、最初の頃はダンスというより武術のようであり、ムードも何も無かった。今はリディたちの指導もあり、かなりダンスらしくなっている。
一曲目が終わる頃には俺たちのことを気にする者もなくなり、ベアトリスの緊張も解れていた。
「意外と楽しいもんだね。あんたと出会う前はこんなことをやるなんて思ってもみなかったよ」
踊り終わり、空いている席に向かい、ダンを待つ。
ダンは相手に挨拶をした後、俺たちのところに笑顔で戻ってきた。
ベアトリスが「今の相手は誰なんだい?」とからかうような口調で尋ねると、
「エレアノール・メイスフィールド様ですよ。ザック様もご存知の方ですよ」
そう言われて良く見てみると、給仕の指導をした侍女の一人だった。
「なかなかきれいな方で……僕と同い年でした。剣術も少しだけ習っているみたいなので、暇を見て教えて欲しいと……」
「やるじゃないか、次の約束までしておくなんて。ダンもなかなか隅に置けないな」
そう俺がからかうと顔を真っ赤にして照れていた。
次の曲が始まり、ダンは慌てて別の女性を探しに行こうとしたが、すぐ近くにエレアノールが待っており、もう一曲踊ることになったようだ。
会場を見回すと給仕をしていた侍女たちの多くが舞踏会に参加しているようだった。彼女たちにとって、こういった機会は重要なのだろう。本来ならまだ仕事はあるのだろうが、侍女服から華やかなドレスに着替え、同じように相手を探す若い男たちと楽しそうに踊っている。
ここには結婚相手を探しに来ているそうだから、こんな婚活パーティみたいな機会は逃すわけにはいかないのだろう。
次の曲も無事に終わると、ベアトリスが用意してあった椅子に座る。
「リディアーヌを呼んできなよ。あたしはここで待っているからさ」
いつの間にかワインのグラスまで手にしており、のんびりと踊りを見ながら飲むつもりなのだろう。ようやく平常運転になったと安心し、俺はその場を離れた。
部屋に戻るとリディが待っていた。
シンプルだが美しい純白のドレスに身を包み、金色の髪には銀色の髪飾りを付け、白い手袋をした左手の薬指にはエメラルドの指輪が嵌められている。
いつものような無邪気な笑みではなく、妖艶とも思える微笑みを浮かべている。
俺はベアトリスの時と同じように、その姿に見惚れてしまった。
「何も言ってもらえないのかしら?」
十秒ほどの沈黙の後、リディがそう呟く。
俺は慌てて言葉を探すが、「い、いや」と言うだけで言葉が出てこない。
俺が慌てふためく姿がおかしかったのか、小さく噴き出した。
「もう、本当にあなたって……まあいいわ。早く行きましょ」
そういって俺の腕を取る。
黒い正装の俺と真っ白なドレスのリディ。まるでバージンロードを歩くカップルのようだと俺は思っていた。
(新婚カップルのお披露目みたいだな……まあ、対人恐怖症気味のリディが、人で溢れる舞踏会に喜んで行こうとしているんだから、このくらいはいいだろう……それにしても、そろそろ真剣に結婚のことを考えないといけないな。それを言ったら、これから先のことも……)
頭の片隅でそんなことを考えていた。
会場に着くと、踊っているところだったようで、入口からその様子を眺めていた。
リディが「楽しそうね」とぽつりと呟く。
「今までこんなところに来るなんて考えたことも無かったわ。でも、あなたがいれば……」
俺は何も言わず、絡めた腕に少し力を入れ、彼女を引き寄せた。
一分ほどでその曲も終わり、カップルたちの円舞の輪が開いていく。
俺はリディに小さく頷き、「行こうか」と彼女の腕を引いた。
ゆっくりとした足取りで会場の中に入っていくが、ベアトリスの時ほど注目は集まらない。だが、色付きのドレスが多い中、純白のドレスを纏った美女の姿は、ザワザワという囁き声とともに次第に注目を集めていった。
今回、ベアトリスとリディを最初から連れてこなかったのには理由がある。
会場の反応を見ても判るように二人とも非常に目を引く存在だ。もし、最初から会場にいれば、今夜の主役である兄嫁ロザリーの印象が薄くなるかもと考えたのだ。
ロザリー自身、帝国北部一の美女という評判通り、非常に美しい少女だ。だが、大柄で非常に目立つ容姿のベアトリス、大人の妖艶さをも見せるリディの二人がいると、どうしても注目度が下がってしまう。これがメルやシャロンならそこまではいかない。二人も美少女には間違いないのだが、上級貴族の令嬢として育てられたロザリーの方が立ち居振る舞いが洗練されており、主役の座を明け渡すことはないと思えるからだ。
兄夫婦のことを考えるなら、ベアトリスとリディの二人を舞踏会に参加させなければいいと思うかもしれない。だが、俺がそれをしたくなかった。
もし、二人が祝宴だけしか出なかったら、男装していた彼女たちは女冒険者としてしか見られない。二人の性格を知る俺はそうとしか見られないことを認めたくなかった。美女二人を見せびらかしたいという安っぽい思いがあったことは否定しないが、それでも二人が女性としても魅力があるというところを披露、いや、自慢したかったのだ。