軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第三十五話「裏方:後篇」

私(わたくし) 、バーバラ・ハーディングは、ここウェルバーン城で二十年以上、侍女として働いております。元々は他の侍女たちと同じように行儀見習いと結婚相手を見つけるためだったのですが、結婚相手には縁がございませんでした……

殿方が嫌いというわけでも、高望みをしたというわけでもございません……いえ、なかったはずです。

ただ、同世代の殿方はどうしても幼く見えてしまい、結婚するという気になれなかっただけなのです。

二十歳を過ぎた頃からお付き合いしたいという申し出が一気に減ってしまいました。少し焦りを感じましたけど、その頃には侍女の仕事にやりがいも感じておりましたので、それほど気になりませんでした。

十年前にお館様のご嫡男パトリック様がご結婚なさり、奥様であるコーデリア様付きの侍女になりました。その後、先代の侍女長が引退されるということで、その時最年長――ああ、なんて嫌な言葉なのでしょう!――だった私が侍女長に就任いたしました。

侍女長ともなりますと、縁談の話どころか、女性として扱われることすらなくなります。侍女長はここウェルバーン城ではとても重要な役職ですから。

文官を束ねるオールダム男爵閣下のもとでラズウェル家のプライベート部分を切り盛りしなければなりません。特に三年前にお館様の奥様が他界されてからは、私が裁量すべき事柄が増えております。そのため、北部の貴族方も私に敬意を持って接して下さるようになりました。ですが、それはラズウェル辺境伯家の重要な家臣として扱われているにすぎないのです。

別にそれに不満があったわけではございません。

けれど、久しぶりに女性として、それも 貴婦人(レディ) として扱われると、私もまだ女だったと思い出すことができました。

それが私より二十も若い少年だったのが意外でしたけど。

ザカライアス・ロックハート卿は確か十五歳。でも、あの方を見ていると私より年上の、そう、お館様と同じくらいの成熟した男性を感じておりました。もちろん、お歳を召しているように見えるというわけではございません。お館様やオールダム男爵閣下とお話しされておられるお姿が老練な政治家のようであり、また、一流の武人のようであったからそう感じたのでしょう。

私自身おかしいとは思いましたけれど、どうしても年上に思えてしまうのです。

お館様からザカライアス卿より給仕について学ぶようにと命じられた時には内心不満がございました。私も既に二十年以上、そう、ザカライアス卿がお生まれになる前から侍女として働いております。そして、お館様には私の仕事ぶりをご満足頂けていると自負しておりましたから。

しかし、お館様のお話を伺い、考えが変わりました。

あの(・・) ドワーフの鍛冶師方に、お酒の召し上がり方を変えさせるなどということは、皇帝陛下にも不可能なことです。どのような権力者であったとしても、ドワーフの鍛冶師方のお酒に対する考え方を変えさせることはできません。お館様も同じことをお考えだったようで、とても驚いたとお笑いになられていらっしゃいました。

更にザカライアス卿がご用意されたグラスの話では、不覚にも膝が震えてしまいました。お恥ずかしいことですが、私の実家の食器類の価値は、そのグラスの一つ分にも満たないはずだからです。

もちろん、上級貴族の屋敷であったとしても、そのグラスと同じ価値の食器、宝石などをあしらわず純粋に食器としてそれだけの価値を持つ物をお持ちの家など存在しないでしょう。皇帝陛下ですら、これほどの一品はお持ちではないはずです。

私はお館様に荷が重いと正直に伝えました。

お館様はそれまでのお優しい笑顔から真剣な表情に変えられました。

「うむ。バーバラの言うことも判らぬではないが、ザカライアス卿の折角の好意なのだ。それにグラス類は引き出物として我が家の所有となる。当然、ここで使うこともあるだろう。今のうちに慣れておいた方が良いのではないか」

私はそれでも迷いました。もし万が一、若い侍女や給仕たちが破損してしまったら、取り返しがつかないからです。私が返答に困っていると、

「割ってしまうことを恐れておるなら、心配はいらぬよ。ザカライアス卿は破片から見事に元に戻して見せたのだからな……」

ドワーフの鍛冶師方との宴の席で修復の魔法を披露されたと教えて下さいました。

私はそのような非常識な……いえ、驚愕すべきお話に言葉を失ってしまいました。

「何よりザカライアス卿の想いも汲んでやらねばならん。我が娘ロザリーと彼の兄ロドリックのために半年以上かけてグラスを作ったそうなのだ。これほどの想いが詰まった品を使わぬというのは……何とか頑張ってみぬか」

お館様のお言葉を聞き、自らの至らなさを、そして、狭量さを恥じました。

私は自分のことだけを、自分たちのことだけを考えていたのです。

ザカライアス卿は兄君のためにと、皇帝陛下ですらお持ちにならないような名品をお作りになられたのです。如何に天才とは言え、並大抵の努力ではなかったでしょう。それに引き換え、私は何と情けないことを考えていたのかと思い至ったのでございます。

私たちはお客様にご奉仕する仕事をしているのです。ザカライアス卿の給仕の仕方が素晴らしいのならば、躊躇うことなく教えを請うべきだと、それが私たちの想いをお嬢様にお伝えする方法なのだと気付きました。

私はお館様にザカライアス卿に教えを請うとお答えしました。

それでも、お館様の執務室を出てから、私は悩みました。

ザカライアス卿についてです。

お館様とお話ししているお姿を見ても判りますが、あの方は非常に冷静で知性的なお方です。あまり良い言い方ではございませんが、ある種の冷たさ、冷徹さを感じさせるほどなのです。

そのような方にうちの若い侍女たちが教えを請うとして、萎縮せずにいられるのか。正直に言えば、私も正面からあのサファイアのような蒼く冷たい瞳で見つめられたら、言葉が出なくなるかもしれません。

そんな思いが顔に出たのでしょう。

祝宴の担当者にこの話をする時、かなり固い表情をしていたようです。

私は本当の懸念を伝えることなく、ザカライアス卿が酒類に造詣が深く、かつ、使用されるグラスの価値が非常に高いことだけを皆に説明しました。

それだけでも、皆の顔色が変わってしまったのです。もし、これ以上の圧力が掛かれば、祝宴が失敗に終わる可能性すら感じるほどの緊張が皆に走っていたのです。

ですが、それは杞憂でした。

いいえ、グラスに関しては若いアイナが割ってしまい、失敗を犯してしまったのですが、ザカライアス卿に関しては全くの杞憂だったのです。

あの方は本当にお優しい方でした。私たちのような使用人に対しても高圧的な態度はほとんどなく、特に私たち侍女に対しては皆無でしたから。

それに本当に紳士だったのです。私だけでなく、最年少のアイナにすら、 淑女(レディ) として接して下さりました。

侍女である私たちは好色なお客様、特に酔ったお客様に体を触れられることがございます。大抵の場合は酔った勢いのいたずらに近い物でございますが、体を求められるようなことすらないとは言えません。ですが、あの方は指導の際に腕や背中に触れるような場合でも、必ず許可を求められ、私たちが承諾しなければ触れようとされなかったのです。

それだけではございません。高価なグラスを割ってしまったアイナに対して、本心からあの子のことを心配されておられました。

もし、これが帝都ならば、アイナは鞭打ちの罰を受けたかもしれません。いいえ、酷い場合であれば、グラスの代償として奴隷商に売られることすら考えられるのです。

それなのに、あの方はご自身の想いの詰まったグラスのことなど一顧だにされず、アイナ自身にケガがないか心配されたのです。

私を含め、皆が驚きをもってその様子を見つめておりました。

アイナが泣いてしまったことに対し、自らに責任があるとでも思われたのでしょう。優しく肩を抱かれ、治癒魔法を掛けられたのです。更に泣きやまぬアイナに優しい笑顔を向けられ、グラスを直してしまわれました。その際、アイナの頭を優しく撫でられており、不覚にも“私も”と思って……いえ、そのようなことはございませんが、少しだけ、ほんの少しだけ羨ましいと思ってしまいました。

とても意外だったことがありました。

ザカライアス 様(・) がお酒の話をされる時、“少年”のように“可愛く”感じられたのです。

何を言っているのかと思われるかもしれません。三十五歳の私が、十五歳の美少年であるザカライアス様のことを“少年”のように“可愛く”思うことは当たり前のことのように聞こえるでしょうから。

ですが、私の感じたことは少し違うのです。

常にザカライアス様から感じていたことは“大人の男性”であるということです。ですが、お酒のことを話す時の表情は本当に少年のようで……例えて言いますと、第一騎士団長のマンフレッド・ブレイスフォード男爵閣下が名馬の話をされる時のようだったのです。普段は厳しい表情で軍務に就かれておられる閣下も、こと馬のお話では相好を崩されて話されるのです。ザカライアス様がお酒のことを語る表情がそのお姿にとても似ていると思ったのです。

ザカライアス様が反逆者ハリソン・ガネルに襲われたと聞いた時には心臓が止まるかと思うほどの衝撃を受け、膝から崩れ落ちそうになりました。ですが、すぐにケガは軽く既に治療済みと聞き、心から安堵いたしました。

ですが、念のためと思い、お見舞いに伺うと、信じられない光景を見てしまったのです。

ザカライアス様が床に跪かされ、謝罪させられていたのです!

エルフのリディアーヌ・デュプレさんと虎獣人のベアトリス・ラバルさんが二人してあの方を叱責していたのです!

私は侍女という立場を忘れ、思わず抗議しようと思いました。ですが、二人の少女、メリッサ・マーロンさんとシャロン・ジェークスさんが涙を浮かべて心配されている姿を見て、すべてを悟りました。この方たちは本当にザカライアス様を愛しておられるのだと。

その時、私の中に理不尽な想いが湧きあがってきたのです。何故、私はもっと早くこの方と出会えなかったのだろうと。ですが、すぐに思い直しました。もし、以前から出会えていたとしても、この方たちのような関係になれなかったのではないかと。

ロックハート家の部屋を後にした時、私はあの方への想いをはっきりと自覚しました。その身の程知らずの考えに自己嫌悪に陥るほどに。

その後の指導ではいつも以上に厳しく当たった気がいたします。理由は判っているのですが、素直に皆に頭を下げられませんでした。私もまだまだ人間ができていないということなのでしょう。

どうやら、ザカライアス様のことばかり考えていたようです。

私たちのことですが、僅か一日と少しの時間にしては良くやれたと自負しております。決して驕れるほどの技量に達したわけではございません。ですが、お館様、オールダム男爵閣下からお褒め頂くほどの技量には達しました。

少し厳しく指導し過ぎたかもしれません。ですが、それは祝宴を成功させたいとの思いからです。もちろん、ザカライアス様にお褒め頂きたいとの……いえ、何でもございません。

お館様にご確認頂いた後、私だけ残るように命じられました。

「以前から頼んであったロザリーに付ける侍女のことなのだが……誰が良いだろうか」

一ヶ月ほど前にロザリーお嬢様とともにロックハート領に向かう侍女について、私の意見を聞きたいとおっしゃられていたのです。私もある程度、候補は絞り込んでおりました。

「はい。お嬢様付きの侍女、アンジェリカ・コールリッジはお嬢様の支えになれると思います。他にはエレアノール・メイスフィールドがよろしいのではないでしょうか」

この二人を選んだのには理由がございます。

アンジェリカさんは六年前からロザリーお嬢様付きの侍女を務め、お嬢様が姉のように慕っておられます。お嬢様と一緒に剣術の修行もされており、尚武の気質のあるロックハート家にお仕えしても問題はないと考えたからです。問題があるとすれば、今年二十歳になり、結婚を焦っておられることでしょうか。コールリッジ家は伝統ある男爵家であり、アンジェリカさんが辺境のロックハート領に赴かれることに難色を示すことも考えられます。

もう一人の候補、エレアノールさんはお嬢様と同じ十六歳であること、騎士の家のお生まれで剣術や馬術も嗜まれることから、ご友人のような関係になって頂けるのではないかと考え、候補と致しました。

お館様は小さく頷かれました。

「うむ。だが、念のため、希望者を募ってはどうかな。二人が自ら手を挙げればよいが、行きたくない者に押し付けるわけにもいかんからな」

お館様はアンジェリカさんとエレアノールさんにこちらから声を掛けるのではなく、自ら望んでお嬢様とともにロックハート領に向かって頂きたいとお考えのようです。

「そのように取り計らいます。人選は二名だけでよろしかったでしょうか?」

「そのつもりだが……二人では不都合でもあるのかな?」

お館様は少し疑問を持たれたようで、不思議そうな表情でお尋ねになりました。

正直なところ、その時、私はあまり深く考えておりませんでした。ロックハート領に赴くという話を伺い、何となくそう考えただけだったのです。

「いえ……お嬢様とご一緒したいと考える侍女が多いのではないかと……」

お館様はなぜか愉快そうにお笑いになり、理由を尋ねられました。

「ほう。それはなぜかね。こう言っては何だが、ロックハート領であるラスモア村はかなりの辺境。若い侍女たちが望んでいくところではないと思うが?」

私はどう答えてよいものか悩みました。

私自身、確とした理由がなく、そう言ったからですが、よくよく考えるとザカライアス様に魅かれている侍女が多いと思い至り、お館様にどうお伝えすべきか言葉が出てこなかったからです。

「……特に理由があるわけでは……少なくともアイナ・ラシュトンは希望するのではないかと。もし……いえ、何でもございません……」

「アイナ・ラシュトン? まだ、若かったのではないか? それに最後に何を言い掛けたのかね」

「……私も希望しようかと……」

その時、私の頭はかなり呆けていたようです。侍女長たる私がこのようなことを口走って良いはずがございません。

予想通り、お館様は驚きの表情となられました。

「そなたもか! いや、そなたに辞められては儂が困る。な、何があったのか、詳しく聞かせてくれぬか」

お館様の動揺の大きさに驚いた私は正直にザカライアス様の指導の話を致しました。

お館様は最後まで私の話を聞いて下さいました。そして、小さく首を振られてから、話し始められました。

「……すると、ザカライアス卿に惚れた侍女が多いと……儂もあの噂は聞いたことがあったが、真のことだったとはな。まさに“ 全方位(オールレンジ) ハーレム王子(プリンス) ”だな……だが、そなたにはここに残ってほしいのだが……」

私もお館様がおっしゃりたいことは良く判っております。

私の後任となるべき者がまだ育っておらぬこと。そのため、オールダム男爵閣下にご迷惑をお掛けしてしまうこと。更に付け加えるならば、コーデリア様にとって気心の知れた者がいなくなってしまうためです。

「……私はここに残ります。ザカライアス卿に給仕術を学んだのですから……」

お館様は安堵の表情を浮かべられました。そこまで私を必要として下さることに驚くとともに、ラズウェル家に一生を捧げようと心に誓いました。

■■■

バーバラ・ハーディングはカエルム帝国流作法の創始者として後の世に名を残すことになる。

彼女は“侍女の心得――インストラクショナルブック フォオ ア レディズ メイド”と題した教本を書き上げた。

その本をラズウェル辺境伯が当時普及しつつあった活版印刷を使って世に広めた。

出版当時、彼女は既に結婚しており、姓は変わっていたが、著者名は侍女であった頃の旧姓を使っていた。そのため、彼女の名は旧姓のハーディングの方が一般には知れ渡っている。

また、貴族の若い令室、令嬢に対し、“女主人としての第一歩――ファーストステップ トゥワード ミストレス”なる書籍も出版している。これには美しい立ち姿や振る舞いといった項目から、 女主人(ホステス) としての常識として、酒類の提供の仕方、酒肴との組合せなど、多岐に渡っていた。

そして、そのいずれの書も冒頭にはこう記載されていた。

“ 私(わたくし) に侍女の、そして 淑女(レディ) の何たるかを教授して下さったZ氏にこの書を捧げます。”

彼女はそのイニシャルの人物について、生涯誰にも語らなかった。

出版当時、Z氏とはザカライアス・ロックハート氏のことであるという説が流れた。

それに対し、ロックハート氏本人も何も語らなかったという。

そして、年を経るごとに研究者たちの間ではそれを否定する説が有力となっていった。彼は平民上がりの騎士であり作法や形式に拘らないロックハート家の家風で育っており、侍女の何たるかを知っているわけはないという理由からだ。

ある研究者はリディアーヌ・デュプレに対するインタビューに成功した。

「……そうね。ザックは何でも出来る人だけど……さすがに侍女の仕事までは知らなかったと思うわ。もちろん、お酒の取扱いだけは若い頃から拘りはあったけどね……でも、あの 娘(こ) がね……」

インタビューした研究者は、その時の様子をこう記していた。

『……リディアーヌ・デュプレはそう言うと暫し沈黙した。私にはその時の彼女の表情が何か面白いことを思い出したような、そして、納得したように見えた……』