作品タイトル不明
393.妖精結晶の付与と金の目
作業用テーブルの上、敷布を置いてから眼鏡のレンズを二枚並べて置く。
透明な水晶ガラスのそれは、ヴォルフがすでに持っているものより一段高級品だ。
付与する魔力も多めに入るかもしれない。
もっとも、ダリヤの魔力では前回と同じかちょっとだけ上の付与で限界だろうが。
「先に一枚付与して、魔力ポーションを飲んだ後、二枚目の付与を行います」
魔力ポーションも作業台の端に準備してある。魔力枯渇で倒れる心配はない。
それでも自分を見るヴォルフの目は、すでに落ち着かない色になっている。
「無理だと判断したらそこで止めます。ご迷惑をおかけするかもしれませんが、お付き合いください」
「ご教授のほどよろしくお願いします、ロセッティ会長」
そう挨拶をし、コルンバーノはダリヤの斜め後ろ、手元が見えるぐらいの距離で立つ。
ヨナスとヴォルフはテーブルの向こう側、壁際に椅子を移して座ってもらう。
魔法の付与は集中力を必要とする。至近距離で見られるのは緊張するということで、この形となった。
「では、始めます」
ダリヤは妖精結晶に向き合った。
結晶体は、砕けもせずきれいに真ん中から二つに分割されていた。
特殊な加工によるもので、その方法は職人の 秘匿(ひとく) だそうだ。
左の手のひらに載せたそれは、ダリヤの親指の爪ほど、前回のような粉ではなく結晶体だ。
そのきらめきは粉よりもずっと強い。
付与する魔法の効果も一段強くなるといわれている。
右手の人差し指と中指から魔力を流し始めようとして、手にとても力が入っていることに気づいた。
気負わない気負わない――ダリヤは内につぶやく。
もし失敗しても妖精結晶が粉になるだけ、そのときはポーションを飲んで再挑戦すればいい。
そうして、今日はレンズ一枚だけの付与でやめる。
もちろん頑張りたい気持ちはあるが、ヴォルフから絶対に止められるのはわかっているからだ。
一度深く呼吸をすると、指先からほんの少し魔力を流してみる。
幸い、妖精結晶に 微塵(みじん) になりそうな魔力の揺れはない。
ダリヤはこの結晶体は扱えるだろうと判断し、手のひらの手前に妖精結晶、奥から指先にレンズをのせる形を取る。
緊張した自分の手に、レンズはひやりと冷たかった。
付与のために魔力を通していくと、虹色の結晶体はたちまちきらめきを強くした。
前回より魔力の値が上がっているせいだろうか、思いがけぬほど短い時間で、結晶は氷が溶けるように崩れていく。
しかし、液化することはなく、前回と同じく、 粘体(ねんたい) の生き物のように丸みを帯びた。
どうしても『虹色スライム』という喩えになってしまうが仕方ないだろう。
ここまでですでに、こめかみを汗がつたってくる。
汗を流しながらの付与は、魔力の少なさと制御の甘さを見せるようで、少し恥ずかしくもある。
けれど、性能に間違いがないものを作る方が千倍大事だ。
ダリヤは気持ちを引き締め、右手の指先から慎重に魔力を流し続けた。
一定の魔力を、きらめきが弱い右上へそっと足すように注げば、今度は左下がよこせというように暗く変わる。
そちらに足せば、今度は真上がわずかにへこみ、右側が光を淡くする。
ダリヤは粘体の意志を聞き取るように、角度を変え、場所を変え、強弱を変え、丁寧に魔力を流していく。
レンズに粘体を重ねると、虹色の光が一段濃くなり、粘体が 瞬(またた) くように光った。
『来る』、ダリヤはそう思って身構える。
妖精結晶での付与は、付与者にとって悪夢としか思えない幻覚を見ることが多いという。
おそらく、前回のように妖精の死を見るのだろう。どんな幻覚でも取り乱さないようにしなければ――
覚悟を決め、さらに魔力を流したとき、それは見えた。
血だまりに倒れ伏す、黒髪の青年――
「っ……!」
思わず悲鳴を上げそうになり、ぎりぎりで口を引き結ぶ。
視界の隅に本物の彼がいなければ、きっと半泣きで駆け寄っていただろう。
魔力は大きくゆらぎ、レンズの上の粘体は、血のようにだらりと平らになりかける。
ダリヤは魔力で必死に制御しようとするが、さざ波のような動きを止められない。
いまだ視界にだぶって見えるのは、地に倒れ伏すヴォルフ。
その周囲には魔物達の黒い影。
冷たそうな青白い顔、半開きで光を失った金色の目、力なく投げ出された手足――
その幻覚は胸に痛みを覚えるほどリアルで、息が止まりそうになる。
「……本当に、悪い、夢……」
己の小さなつぶやきに、悪夢であることを認識し直した。
これはヴォルフではない。彼はこんな色をしていない。
優しい金色の目、艶やかな黒髪、白いけれど少し日焼けのある顔と、赤みがさすこともあるその頬。
ヴォルフはもっと鮮やかな色彩で、もっと温かで、地に伏したそれとは絶対に、絶対に違う。
彼は強い。隊員仲間もいる。きっと、魔物になど倒されることはない。
自分はそう信じ、その無事を心から祈るだけ。
遠征から戻った彼が、明るく自分に笑いかけてくる。
あの優しい金の目を、ローザリアに伝えたいのだ。
ダリヤはぎりりと音がするほどに奥歯を噛む。
悪夢に 翻弄(ほんろう) されるほどに自分は弱い。そんなことは重々知っている。
騎士のように戦う力はなく、魔導師のように強い攻撃魔法も、神官のような癒やしの力もない。
それでも、魔導具師としてヴォルフを守りたい。
願うのは、ただそれだけで――
「くっ!」
願いに応えたかのように、妖精結晶の粘体は、ダリヤの魔力を一気に引き剥がしていった。
声はこらえても、その吐き気と神経を逆走するような不快感に、膝から崩れそうになる。
けれど、その感覚を押し殺し、ヴォルフの金の目を思い浮かべながら、ひたすらに魔力を流した。
気がつけば、レンズの上、波立っていた液体は完全な球体となっていた。
虹色の球体は、くるりくるりと金色の光を表面で回転させる。
そして、中心からふわりと多くの花弁を開くかのように光を伸ばした。
金を混ぜ込んだ虹色の花は、前回の付与のものよりも一回り大きい。
咲き誇るダリアのようなその花は、さらにまぶしく光り――
思わず閉じた目をようやく開いたとき、手のひらにはレンズだけがあった。
ぽたぽたと、 顎(あご) からの汗が作業台に落ちる。
それをふき取ることもせず、ダリヤはレンズを確認する。
指先の魔力はレンズに入らない、感覚的には前回と一緒なので、成功していると思いたい。
「ロセッティ会長、ありがとうございました。一枚で構いません。どうかご無理のないよう――」
呼びかけと共に、コルンバーノが歩み寄ってきた。
心配されているようだが、このまま二枚目のレンズへ向かいたい。
「大丈夫です、続けて仕上げますので」
ダリヤはレンズを置くと、魔力ポーションの瓶の蓋を開け、一気に飲んだ。
行儀が悪いけれど次の付与まで時間を空けたくない。
前回は魔力ポーションなしで二度の付与をしたのだ、今回の方が条件はましなはずだ。
そう考えていると、 暗緑(あんりょく) の目が自分に向けられているのに気づいた。
「ロセッティ会長、このままお続けになるのですね?」
「はい、続けさせてください、コルンバーノ様」
彼は一度うなずくと、元の位置へ戻っていった。
そうして、ダリヤは二枚目のレンズへの付与を開始する。
魔力が戻っているので吐き気も苦しさもない。
付与は順調に進み、先ほどよりも短い時間で再びの悪夢は訪れる。
これは幻覚だ、魔導具師が素材の悪夢などに負けてなるものか――
そう己に言い聞かせていると、その幻影は薄くなっていった。
魔力の制御も、再度半分魔力をもっていかれるのも、一度目ほどの辛さはない。
二輪目の金を帯びた虹のダリアも、レンズの上に無事に咲く。
その花が大きく花弁を広げ、光に変わるまぶしさに、ダリヤは目を閉じた。
おそらくは成功した、直感でそう思った。
安堵した瞬間、 瞼(まぶた) の裏に浮かぶのは先ほどの幻覚。
倒れ伏すヴォルフの姿を全力で否定し、結晶体の方が粉よりも悪夢度が高いのかと考え――はっとした。
自分はなぜ、妖精の死でも父カルロでもなく、ヴォルフが見えたのだ?
これでは、まるで、自分が――
内にわき上がる問いかけに、ダリヤは全力で 蓋(ふた) をする。
間違ってはいけない。
勘違いをしてはいけない。
万が一、自分がそんな想いを持ったなら、きっと彼を傷つける。
以前、『魔導具と魔剣のお話をするお友達でいませんか?』、そう自分が尋ねたとき、彼はとても無邪気な 表情(かお) で喜んだ。
そして、初めて普通に話せる女性の友達ができたと笑っていた。
自分とてそうだ。
前世は恋愛に縁がなく、ただ独りで死を迎えた。
今世は独りの最期を迎えたくないと、ただただ相手に合わせようとして別れにつながった。
自分には恋などわからない、変わりゆく想いも、辛くなる 絆(きずな) もいらない。
変わらずに笑い合える友がいれば、それだけでいい。
だから、これはきっと、友人への心配だ。
魔物討伐部隊の 赤鎧(スカーレットアーマー) 、命を賭して魔物と戦う、騎士である彼への心配だ。
ただの心配は切り換えて、自分は魔導具師として、ヴォルフを応援していけばいいのだ。
「ロセッティ会長、もしや、目を痛められたのでは?」
「――いえ、ちょっとまぶしかっただけです」
コルンバーノの問いかけに慌てて目を開き、レンズを確認する。
魔力はきっちり入っていたので、そのまま細い白金色のフレームに組み込んだ。
仕上がったものを作業台の敷布の上に置くと、ようやく顔を上げる。
向かいの壁際、ヴォルフは椅子から身を乗り出し、心配そうにこちらを見ている。
ヨナスは背筋をまっすぐに、膝の上で拳を握っていた。
「これで、完成です」
なんとか笑顔で言うと、二人とも椅子から立ち上がる。
ヴォルフが自分の横へ駆け寄って来た。
「ダリヤ、本当に大丈夫? だいぶ辛そうだけど」
「大丈夫です。魔力を半分もっていかれるとこうなるだけなので、気にしないでください」
見た目を考えて納得する。
一部の髪が額に張り付き、顎から落ちるほど汗びっしょりである。
化粧の剥げ具合に関しては鏡を見たくない思いだ。
すでに遅そうだが、とりあえずポケットからハンカチを取り出す。
「いや、魔力より、前と同じで妖精の……」
妖精の死の幻覚にショックを受けている、ヴォルフはそう思っているのだろう。
先の言葉を口にしなくても、自分を本当に気遣ってくれているのがわかる。
人として優しく、騎士として強い。
それなのに、他人の一方的な想いと誤解で、心に傷を受け続けて来た彼。
大丈夫、間違えたりしない。
私は絶対にヴォルフを――大切な友人を、傷つけない。
「この付与は慣れませんね……汗がひくまで、少し休ませてください」
ハンカチで顔の汗を押さえながら、ダリヤはそっと目を伏せる。
今は優しい金の目を見返すことが、どうしてもできなかった。