軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

40 「そうやって、すぐ俺を喜ばせることを言う……貴女は狡いです」

「お嬢様!!」

気がつけば、涙目のジルがいる。どうしたのだろう?

それからわたしは、自分がベッドで寝ていることに気がついた。

「お、お嬢様! お身体は大丈夫ですか? あ、動かないでください!!」

ジルの背後にいただろうメイドが、室外へ行く。誰か呼ぶようだ。

「わた、わたし……?」

「お嬢様はあの日、馬車にはねられそうになったのです!!」

涙ながらにジルが語る。

どうやらわたしは、四日ほど寝ていたらしい。あの日、繁華街でわたしはいきなり道の中央に移動したとか。勿論、わたしが歩いたり走ったわけではない。

ジルもわけが分からないという。全ては瞬く間で、わたしが突然消えて次にははねられそうになっていたので驚いたと、涙を拭き拭き教えてくれる。

「わたしは……」

「お、お嬢様は……直接はねられこそしませんでしたが、あちこち擦り傷があり……っ、ど、ドレスも酷い有様で……お顔にだって傷が……、あとは残らないとはいえ、こんな恐ろしいこと……」

そこでドアが開き、デミオンと両親がやって来る。

「リリアン、大丈夫かい?」

「リリアン、貴女……」

両親が、わたしを恐る恐る抱きしめる。温かな手と手にわたしは包まれた。父はもう泣いているし、母は涙ぐんでいる。その様子を見ながら、本当にわたしは怪我をして寝込んだんだと実感した。

頬には何かが貼られてるし、あちこち包帯している。動かせないわけではないので、擦り傷や打撲があるのだろう。父と母に抱きしめられたわたしは、その後ろにいるもうひとりを見る。

デミオンは立っているままだ。

わたしは不吉を覚える。離れていくのではと感じた。悪い予感は悪いことほど当たり、まるで嫌がらせのようなのだ。きっとそれは、世界問わずに訪れる悪夢だろう。

「……デミオン様」

わたしは手を伸ばす。

包帯に巻かれた手だけど、引きつる痛みが走ったが、掴むために伸ばすことをやめるもんか。

(だって……デミオン様だって怪我をしてる。その顔の傷は何のためについたんです?)

両親がそっと離れる。わたしの意を汲んでくれた。だからわたしはもっと声を出す。

「デミオン様は、わたしを助けてくれたのでしょう?」

あの時の記憶は、ショックのためか朧げだ。でも誰かがわたしを一生懸命に掴もうとしてくれた、掠めるような服の端へひたすら手を伸ばし、引き寄せたんじゃないのかな。

「俺ではありませんよ、リリアン嬢。貴女が助かったのはご両親のお陰です」

「では、どうして怪我を?」

彼は答えない。代わりに話してくれたのは父だ。

「リリアンはね、はねられそうになったが、ぎりぎりのところで馬車の進路が大きく崩れたらしい。蹄からは逃れたが、馬車の車輪にドレスが巻き込まれ、そこから逃してくれたのはデミオン卿、君だろう?」

「もし、この子が車輪に巻き込まれたままでしたら、きっとわたしたちはベッドに娘を迎えるのではなく、棺へ迎えなくてはいけなかったわ」

「ですが……俺は」

デミオンが言い募ろうとするのを、両親が首を振り閉じさせる。

「リリアン、彼はね君をずっと守ろうと頑張ってくれたんだよ」

それから父はデミオンに近づき、跪く。彼の右手を取り、手の甲を自分の額に当てた。母もそれに続く。

「伯爵!!」

弾けるように、彼が父を呼ぶ。

それはそうだろう。父が、母が、見せたのはこの国では最高級の感謝を示す仕草だ。生涯忘れえぬ謝意を相手へと表す行為。

「君が何と言おうが、卿は僕らの大切な子を守ってくれた。本当に、本当にありがとう……それ以外の言葉なんてないよ」

デミオンの顔がくしゃりとなる。涙を我慢する幼児のよう。きゅっと唇を結び、感情をこらえているみたいだ。

やがて、父が立ち上がり、母が並ぶ。

「少し僕らは席を外そう。リリアン、まだ無理してはいけないよ。後でバーク先生が診察に来るからね」

そうして、両親も使用人もいなくなる。残されたのはわたしとデミオンだけだ。

だけど、彼はわたしに近づいてくれない。

(じゃあ、わたしが近寄ればいいよ!)

わたしはそろりと動く。ちょっとまだ痛いところがある。体を捻ると背中が痛み、動きが止まってしまう。

(ぎゃ! 思ったよりも痛い……背中って大事なんだ)

だけどわたしは生きている。死んでなんかいない。

ベッドでじわじわ動き出したわたしに、デミオンがはっとしたようだ。

「リリアン嬢、まだ動いては……!」

布団から足を出そうとして、思うように動けないからか。生まれたての子鹿ちゃんのように、何をするにもプルプルしてしまう。つま先がさっぱり床に届かない。

そこで、彼が駆け寄った。

「あはは……デミオン様がこちらに来てくれて、助かりました。体を動かすのが難しくて、どうやってベッドから出るのか、考えちゃってま……」

「……生きた、生きた心地がしませんでした」

ぎゅっと、デミオンがわたしを抱いていた。

頭の上で、喉の奥から絞り出したような声が降る。掠れていて、引きつったような声。

「俺は確かに貴女の隣にいたのに、次には貴女は道の真ん中で……馬車が迫っていました……間に合いようがなかった」

「でも、でも……助けてくれたんですよね。デミオン様でしょう、手を伸ばしてくれたのは」

「だけどあのままでは、絶対に間に合いませんでした。貴女を助けたのは俺じゃない。俺なんか、何もできなかった……」

彼はわたしを解放して、チェストの上に置かれていた物を差し出す。デミオンの手のひらの上、ハンカチに包まれていたのは精石だ。

「……これは、わたしがデビューした時に両親が贈ってくれたブレスレットです」

「では、このご両親の願いを込めた石が、きっと馬車の軌道をそらしてくれたのでしょう」

真っ二つに割れてしまったそれは、もう効力も輝きも失っていた。贈られたブレスレットには精石が三つ連なり、ひとつひとつが親指の爪ほどの大きさだ。

高価な物だと思う。きっと加護も強力だった。

「だから貴女を救ったのは、伯爵夫妻です。彼らの家族を思う心がこうしてリリアン嬢を守ったんです」

「そうですね」

わたしは、目の前に差し出された手を包む。カチャリと壊れてしまったブレスレットが鳴った。

「でも、それだけではありませんよ。父も母もデミオン様に感謝していました。車輪に巻き込まれかけたわたしを救ってくれたのは、貴方でしょう?」

ベッドに腰掛けてわたしが彼を見上げれば、また彼はくしゃくしゃな顔になってしまう。きっと心も同じくらいくしゃくしゃになっているに違いない。

「……俺は、体が丈夫で器用で何でもできる自信がありました。ずっと、ずっとそうだった。侯爵家で生きていた時だって、それで何とかなってきた。……だから、きっと心のどこかで自惚れてもいたのでしょう。人とは違うと嘆きながら、その特別を自負していた。とても──傲慢な男です」

そして、彼は俯き首を振る。

はらはらと零れるのは涙だ。

「それなのに、俺の特別は、俺は誰とも同じじゃないのに、誰とだって違っていたのに……俺は貴女を救えなかった。守れなかった。貴女こそを、俺は助けたかったのに……」

きりりと歯を食いしばる音がする。

「伯爵夫妻が感謝するべきは、俺じゃないんだ。彼らこそが、貴女を救ったんですよ……」

雫が、彼の思いが形となり溢れ、流れていた。

ぽたりぽたりと、雨粒のよう。

優しい、春の日の天気雨みたいだ。

「泣かないで……デミオン様」

片手を上げようとして、失敗した。

拭ってあげたいのに、今のわたしは上手く腕を動かすことができない。不器用さんになっているので、空振るだけだ。

何と情けない!

「デミオン様は救えているし、守れています。お母様が言っていた通り、わたしは棺桶に入らずにすみました。それはわたしを掴み、車輪に巻き込まれまいとしてくれた貴方の手があるからです」

届かない手も合わせて、再びブレスレットごと彼の手を包む。彼がびくりと震えるが、気にしない。

わたしは今までだって何度も彼と手を繋いだり握ったり、触れてきた。そうして、わたしは彼と仲良くなれたと思う。

だから今日も彼と繋ぐし、握るんだ。

(わたしは貴方に触れたい)

そうして、貴方に近づきたい。

「これからも離さないようにしてください。ううん……わたしが離しませんから、デミオン様はずっとわたしと仲良く手を結んでいてくださいね」

「そうやって、すぐ俺を喜ばせることを言う……貴女は狡いです。それに宣言通り、俺を泣かせましたし」

え……?

「ちが、違いますよ!! わたしはデミオン様を喜ばせて泣かせるので、今のはカウントしません! それこそ不本意です!」

「そうですか?」

「そうですっ!!」

じっと見られるので、わたしもじっと見つめ返す。

「……俺は貴女を好きになる、と言ったでしょう」

はい、そうでした。

「その通りに、俺はもう貴女でなくては駄目なんです」

それって、どういう意味で……と、問いかける前に彼がわたしに触れる。指が唇をなぞった。

「……ね、目を閉じて」

甘い声でねだられて、わたしは逆らえないことを知る。だってこういう時、デミオンは決して譲らない。

「つ、抓るとか、痛いのはヤダです」

「それも、楽しそうですね」

しまった、墓穴を掘った。

(いやでもまさか、本当に痛いことはしないよね)

わたしはビクビクしながら、覚悟を決めぎゅむっと目をつむる。緊張が呼吸を止めるよう。

見えないところで、彼の手がわたしの耳を触り、顎をすくい、上向かせる。

「──どうか、俺だけの白百合となってください。リリアン、貴女を愛しています」

言葉に吃驚して、わたしはつい目を開けてしまう。近すぎてぼけぼけの視界で「お行儀が悪いですよ」と、デミオンがいう。

それから、彼の唇がわたしに触れたのだ。