軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

1 愛していたのに

お気に入りの公園でのデートも、今日だけはちっとも楽しくない。

「本当にごめん、ユーニィ……」

深く頭を下げる恋人の声が、どこか遠く聞こえた。

「でも、俺が愛しているのは君だけなんだ! どうかそれだけは信じてくれ!」

呆然と立ちつくすわたしに、がばっと顔を上げたレオは縋るような目を向けた。

わたしとレオが付き合いだして、今日でちょうど一年になる。

どちらも男爵家の生まれで、幼いころからよく遊んでいた。政略ではなく、愛情によって結ばれた関係。このまま夫婦になり、幸せな家庭を築くのだと、ずっとそう思っていた。

だけど、現実はそうならなかった──彼がとある公爵令嬢に見初められてしまったせいで。

「わたしは……あなたと一緒にいたいわ。あなたはどうしたいの?」

わたしは震えながら問う。両親が公爵令嬢との縁談を受け入れてしまったと言った、恋人に。

「……君を日陰の存在にしてしまうことを、どうか許してほしい……」

胃がぎゅっと絞られるような痛み。上手に呼吸ができない。

聞き間違いだと信じたかった。

だって彼のその言葉は、わたしを愛人として繋ぎとめるという意味だから。

「──いで」

「え?」

「ふざけないでよ!」

バシンと音が大きく響く。わたしの手のひらが彼の頬を力いっぱい叩いた音だった。

「どうしてっ、どうしてなの!? わたし、あなたのこと、信じてたのに!」

目元が熱い。視界がぼやけていく。頬を伝う涙をぬぐう余裕もないまま、わたしはめちゃくちゃに叫んでいた。

「駆け落ちしようって言ってよ! わたし、あなたとならどこででも生きてくのに!」

貴族としては、この答えはきっと間違っている。だけど、それぐらいの熱量がほしかった。

「それか、エリザベス様との結婚は絶対撤回させてみせるって言って! おじさまとおばさまを説得してよぉ!」

レオは、わたしに譲歩させることを選んだ。あの公爵家を敵に回さず、両親にたてつくこともせず。わたしにだけ、折れろと。

それは、わたしのことを軽んじている証明だ。

「それなのに、不倫しようってどういうこと!? わたしだけを愛してくれるって言ったのに!」

「愛してるよ! 愛してるからこそ離れたくないんだ!」

「いやっ、いやいやいやぁ! 絶対にいやっ! 馬鹿にしないでちょうだい!」

伸ばされた手を払いのけて、愛した人に背を向ける。

「さようなら、レオ。わたし、あなたのこと、優しくて誠実な人だとずっと思ってた。でも本当は、自分が嫌われたくないから周囲にいい顔をしているだけの、臆病者だったのね」

わたしの初恋は、こうして終わりを迎えた。

*

わたしはフェリル男爵の妾の子だ。ただしその事実は隠されていて、表向きは男爵夫妻の間に生まれた正式な娘ということになっている。

父と義母は典型的な政略結婚。嫌い合ってはいないが、二人の仲は冷めていた。

結婚して数年が経ってから、義母が不妊体質であるとわかったらしい。けれど父は政略上の結びつきを重視して、義母とは離縁しなかった。その代わり、跡継ぎをもうけるための愛人を作ることにしたらしい。

出戻りの 石女(うまずめ) とそしられることを恐れた義母はこれを容認。父が借り腹に選んだのは、義母と同じチェリーピンクの髪とエメラルドグリーンの目を持つ美しい舞台女優だった。

父は彼女のパトロンとなり、合意の上で愛人契約を結んだ。

父は母に毎月決まった額の手当を渡し、彼女のために大きな屋敷を買い与え、女優としての活動を惜しみなく支援した。

与えられる贅沢と引き換えに、母は契約を履行した。そして生まれた男女の双子が、わたしと兄のユノというわけだ。

本当に必要なのは嫡男たりえるユノだけだったのだろうけど、わたしも一緒にフェリル家に引き取られた。

多分、赤ん坊なんて母にとって邪魔でしかないからだろう。わたし達が生まれてからも両親の関係は続いているようだが、弟妹ができる様子はなかった。

父は義母の実家が持つ利権を愛し、母の顔と体を愛している。

義母は父の地位と、父から与えられる安定した生活を愛している。

そして母は、父の金を愛している。

そんな大人に囲まれて育ったわたしは、愛というものに夢を見ていなくて──けれど、誰より強く憧れていた。

愛し愛される幸せな家族。全員仲が良くて、家の中はいつでも笑顔であふれている。それはうまく想像できなかったけれど、なんだかとても素晴らしいもののように感じられた。

だってわたしとユノはすごく仲が良かったからだ。ユノのように親しい人が夫で、子供であるのなら、きっと毎日楽しいに違いない。

父は王宮で要職についていたし、義母も領地の地味な暮らしより王都の華やかな暮らしのほうが好きだったので、わたし達一家は王都のタウンハウスに住んでいた。

その隣にある屋敷が、ミドガル男爵家……レオの家のものだった。

夏を迎えて社交期が始まると、貴族街は賑わいを見せる。

元から王都で暮らしている貴族のほかに、普段は領地にいる貴族達がタウンハウスにやってくるからだ。ミドガル男爵一家もその中の一つだった。

夏の間だけ会える隣の家の家族の、きりっとした年上の男の子は、わたしにとっては憧れのお兄ちゃんだった。

三つ年上の、面倒見がよくて太陽みたいに陽気なレオ。ユノと一緒に、毎日のようにレオと遊んでもらえる。だからわたしは夏が好きだった。

わたし達の間には、ドラマティックなものは特になかった。ただ友人として遊び、笑い、たくさん話をしただけだ。

けれど彼の溌溂とした笑みと温かな眼差しは、ゆっくりと時間をかけてわたしの心を奪っていった。

わたしが十五歳になって社交界デビューをした年の初めての舞踏会、父とファーストダンスを踊り、ユノと二曲目を踊り、三曲目をレオと踊った。

幸せだった。この時間がずっと続けばいいと、本気でそう願った。

その夢はすぐに叶った。……いいえ。今となっては、叶ったと思った、と言ったほうが正しいか。

告白はレオからだった。ある日の夜会、星が降るバルコニー。二人きりのその場所で、顔を真っ赤にしたレオは跪いてわたしの手にキスをした。

「愛してる、ユーニィ」

……舞い上がった馬鹿な自分のほっぺをつねってやりたい。

とにもかくにも、そうしてわたしとレオの蜜月は始まった。

十八歳になったレオは王太子殿下の近衛騎士として王宮に仕えていたから、社交期でなくてもタウンハウスで暮らしていた。だからわたし達は好きな時に好きなだけ一緒にいることができたのだ。

いずれ婚約し、結婚し、温かい家庭を築いて、幸せに生涯を終える──そう信じて疑っていなかった。

異変に気づいたのは、一か月前のことだった。

レオの多忙が理由で、デートの回数が減った。口数が少なくなり、困ったような顔で遠くを見ていることが増えた。

理由を聞いても教えてくれない。仕方ないのでユノに頼んで、それとなく聞き出してもらうことにした。男同士なら、レオも気を緩めてくれるかもしれないからだ。

数日が経って、ユノは気まずそうに教えてくれた。

「あいつ、職場で言い寄られてるらしい。相手は、新しく王妃殿下付きの侍女になった公爵令嬢なんだって」

正直、驚いた。わたしとレオの仲はそれなりに知られていて、事実上婚約しているも同然だったからだ。

だからわたしは他の令息に甘い言葉をかけられたことがないし、レオに秋波を送る令嬢もいなかった。……これまでは。

「そのエリザベス・ヘーラー嬢は病弱で、今まで社交界に出てこられなかったそうだ。やっといい薬が見つかって、人並みに生活できるようになったらしい。で、今まで何もできなかった分いろんなことを経験したいからって、実家のツテを使って王宮で行儀見習いをすることにしたそうなんだけど」

高位貴族の令嬢が王族の女性に侍るのは、話し相手としての役割を見込まれてのものだ。行儀見習いの侍女なんてまさにそう。

わたしも父のコネで、郊外の離宮で暮らす幼い王女殿下の 侍女(あそびあいて) をしている。だから、少し事情のある公爵令嬢が新しく王妃殿下の侍女になったという話は噂程度には聞いていた。

……でも、彼女が誰かに恋をして、その相手があろうことかわたしの恋人だったなんて、アンネリーゼ王女殿下が暮らす離宮には届かなかった。

「……お父様はこのこと、ご存知なの?」

「ああ、そうらしい。“ヘーラー家には私から話しておくから、君は君のすべきことをするように”って言われたって、レオが」

「そう……」

父の言葉の真意はわからない。娘の恋人を守ろうとしたのか、それとも娘と別れさせるために公爵令嬢と縁づかせたかったのか。それがわかるほど、わたしは父と会話してこなかった。

現に、父がすでに知っていた事実を、わたしは何も聞かされていなかったのだから。

それとなく嫌な予感がして、わたしは王宮に奉公に出ている友人達に、公爵令嬢エリザベスの様子を聞いてみることにした。

結果、知りたくなかったことばかりが出てくる。

エリザベスは体調を理由にして王妃殿下のそばを離れては、休憩中の近衛騎士……レオのところに行っているらしい。周囲がそれとなくたしなめても、彼女の態度は変わらなかったそうだ。

何か力仕事が必要となればわざわざレオを呼びつけたり、王妃殿下と王太子殿下が同席しているときに限って立ちくらみを起こしてはレオに抱きかかえられて離席する。

休日もわざと合わせて、街を案内させているそうだけど……その日付は、わたしとのデートの予定がキャンセルになった日と一致していた。

「どうして無関係のレオがそこまでエリザベス様の面倒を見ないといけないの!?」

「お可哀想な子だからそれぐらいのわがままは大目に見てあげなさい、って王妃殿下が……」

友人達は言いにくそうに目を泳がせた。……王妃殿下と、ヘーラー公爵家。この二つの権力が合わさったせいで、誰も何も言えないのか。

「大丈夫よ、ユーニィ。きっとエリザベス様は、自由の熱に浮かされているだけに決まってるんだから。こんなもの、すぐに過ぎ去るわ」

そうかもしれない。優しいレオは、それを拒めなかっただけ。心は変わらずわたしのところにある。だから、大丈夫。

それが間違いだったとわかったのが、今日のこと。

一過性の熱? 憐憫からくる手助け? 冗談じゃない。

エリザベス・ヘーラーは、本気でレオを自分のものにするつもりで──そしてレオは、一生をかけて彼女を支えることにした。

それが、わたしにとっての事実なのだ。

沈んだ表情で帰宅したわたしに、執事がそっと囁いた。父が書斎で待っている、と。

一体何を言われるの?

「今日、ヘーラー家からお前あての縁談を紹介された」

父が話すとき、わたしの目を見ることは絶対にない。いつものことだ。

「相手の男は、はっきり言えば最悪だ。後妻を探している老伯爵だが、倒錯した趣味がある。彼と結婚したが最後、お前が無事にこの家に戻ってくることはないだろう」

「……」

父の言葉を、わたしはどこか他人事のように聞いていた。

ミドガル男爵家からは、きっと何の釈明も来ていないのだろう。

だってわたしとレオはあくまでも恋愛感情で結ばれた恋人……子供同士の付き合いで、家が定めた政略上の契約なんてなかったのだから。

婚約だってしていないのだから、踏みにじっても問題ない。そう思われた。わたしの恋は、そんなちっぽけなものだと片づけられた。

「エリザベス様の幸せをおびやかしかねないわたしを、遠くに追いやりたいのですね」

「ありていに言えば、そういう腹積もりなんだろうな」

ユノと同じワインレッドの目。けれどユノと違って、父の目がわたしを映すことはない。

「ただし、この縁談は私から断りを入れておく。お前にこの話をしたのは、ヘーラー家の 回答(・・) を共有しておきたかったからだ」

「そうなのですか」

父はヘーラー家に抗議したのだろうか。それとも、ご令嬢の恋を後押しした?

「今日、レオから婚約したと聞きました。……エリザベス様と」

涙を必死でこらえながら、それだけ告げる。

愛人になるよう言われたことは伏せておいた。言えなかったのは、最後に残ったつまらないプライドのせいだ。

「そうか。こうなっては仕方ない。お前も好きにしろ。王都にいづらければ、領地に行っても構わないぞ」

「……いいです。その伯爵との縁談、お受けしますわ」

もうどうでもよかった。変態の老人に嫁がされて、悲劇的に死んでやろう。それで、レオの心の傷になれたらいい。

嗤うわたしを、父は初めてその目に映した。

「その必要はない。お前には死んでもらう」