軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

浜松城内が盛り上がる頃、佐竹家の水戸城では

次男の信政に、仮とはいえ許嫁が決まった事で池田恒興は、とても喜ばしい気分で大広間に向かっていた。そこで取次の者へ事情説明し、家康へ会う許可を取り付けると

「徳川様、高代殿の出産を手伝った者達より、高代殿が無事に出産したと報告が入りました。六三郎殿の次男が産まれたとの事です」

家康へ、男児が産まれたとだけ報告する。それを聞いた家康は

「産婆の居ない中で産まれたとは何と見事な!池田殿!その者達に話を聞きたい!呼んでくれぬか?」

恒興の予想通り、3人に話を聞きたいとリクエストしたので、恒興は

「分かりました。それでは、その者達を連れて来ます」

そう言って、大広間を一時退出してから3人の元へ行き、大広間へ連れて行く。うめ、甲斐、通の3人を見た家康は

「おお!甲斐殿も手伝っておったのか!平八郎の娘の小松と戦い、勝利出来るだけの武芸の腕があるのに、出産の手伝いも出来るとは、見事じゃ!

二人も勿論、高代殿の出産を手伝った事、誠に感謝する。近場の産婆が誰も手が空いてないという、まさかの事態が起きた事が理由とはいえ、

問題く出産出来たと聞いておる。誠に感謝する。それで、高代殿が産んだ子の幼名は決まったのか?」

3人に感謝を示しつつ、幼名を聞いて来た。代表してうめが

「徳川様、高代殿が産んだ六三郎様の次男の幼名は「宗六郎」と決まりました」と伝えると、家康は

「その幼名に決まった理由は知っておるか?」

理由を尋ねると

「はい。高代殿曰く、弟君達以外にも実家の朝倉家に繋がる男児には、幼名も含めて宗の字を使いたい。と、理由を述べておりました」

うめは正直に答える。幼名の理由を聞いた家康は

「成程、朝倉家に繋がる男児には宗の字を使いたいか。いつか朝倉家を再興したい気持ちを忘れておらぬのは、流石じゃ!

儂達としては、産婆を準備出来なくて申し訳ない。そこでじゃが池田殿。罪滅ぼしという形になるが、儂としては三郎殿と六三郎殿が戻って来るまで浜松城で過ごしてもらっても構わぬ

なので、高代殿と話し合って、落ち着いたら柴田家に戻るか、二人が来るまで待つかを高代殿と話し合ってくれ」

産婆を準備出来なくて申し訳気持ちから、高代が望めば信長と六三郎が戻って来るまで、浜松城に居ても良いから、どうするか話し合ってくれ。と恒興に伝える

家康の言葉を聞いた恒興は

「ははっ!高代殿と話し合って、決めたいと思います」

そう答えるに留め、大広間をうめ達と共に退出した。こうして、高代の出産に関する事は一通り終了した

一方その頃、信長と六三郎は

天正二十二何(1594年)八月五日

常陸国 水戸城

「右府様!播磨守様!佐竹家屋敷に来ていただき、感無量にございます!どうぞ、ごゆるりとお寛ぎください!」

「佐竹常陸介!幼いながらに、見事な口上を述べる孫を見せたかったのじゃな?」

「はい。祖父馬鹿と言われるかもしれませぬが、拙者が三歳の頃に、これ程の落ち着きを見せていたわけではないので

右府様と柴田殿に是非とも一度、見てもらいたいと思いまして。それ程、太郎の嫡男の 義太郎(よしたろう) は、期待が高いのです」

皆さんこんにちは。現在、常陸国の大部分を治める佐竹家の屋敷にて饗応されております柴田六三郎です

佐竹義重さんが、賢くて落ち着いている孫の義太郎くんにデレデレなだけでなく、是非とも大殿と俺に見てもらいたい。との事でしたが

まあ感想としては、確かに数えで3歳、実質2歳である事を考えたら、とても落ち着いておりますし、難しい言葉もはっきりと言えております

俺の実質2歳の頃なんて、親父含めて大人の男が殆ど居なかったから、つるさんを始めとした女中の皆さんへ、「肉を食いたい」とかのワガママを言ってた記憶があるな

まあ、俺みたいな悪知恵と欲望を優先した結果、「柴田の神童」なんて呼ばれるよりも、義太郎くんの様な賢い子が神童と呼ばれるべきだよ

俺がそんな事を思っていたら、大殿は

「儂の孫も、少しずつではあるが政の事を分かって来ておるぞ。まだ十四歳ながら日の本から全ての戦が終わった後の事を倅と話し合っておるからな」

三法師様の事で、祖父馬鹿になっておりました。そんな中で、勘弁してくれと思う、いや、思わざるを得ない言葉が聞こえて来ました。それは

「しかしじゃ、親元に居てばかりでは、何処かで甘さが出てしまうからのう。儂としては六三郎の実家がやっておる巨大な寺子屋に三法師は勿論、

三法師の弟や妹も入れて、外の事を知りながら他家の者達との縁を繋ぐのも良いと思うのじゃが、まあ、こればかりは勘九郎と相談じゃな」

まさかの三法師様やその弟妹が、俺の実家にて学ぶ。と言う事なのです。いやいやいや、実家はそんな大きくないんですよ?安土城に居た方が絶対良いですって

でも、大殿が言っていた「巨大な寺子屋」なんて、実家にあるのか?播磨国に移動していたとしても、そんな広さの土地あるのか?

※六三郎は例の宿舎の事を知りません

まあ、それは実家に帰ってからだな。こんな遠い距離に居るから、何も出来ないし!うん、そうだ!そうしよう!

六三郎が三法師の事を含めた色々な事を先送りにした時、義太郎の父である佐竹義宣が

「右府様、柴田様。此処でひとつ我々佐竹家が武田家から葡萄を譲り受け、一から育て方と作り方を教えてもらったワインを味見していただきたく」

信長と六三郎へ、佐竹家産ワインを試飲してみてくれと頼んで来た。新たなワインという事で信長は

「よかろう!持ってまいれ!」

興味津々だった。しかし、立場的に信長から呑ませるわけにはいかないので、

「大殿、何も無いでしょうが、武家の習いとして拙者が毒味役をさせていただきます」

丹羽長重が毒味役をする事になった。勿論、佐竹家の人間は全員、納得している。長重の前にワイン樽が用意されて、一杯渡されて

「それではいただきます」

長重がワインを呑む。じっくり味わいながら、呑み干すと

「大殿、特に問題ありませぬ」

問題無い事を信長に伝える。それを聞いた信長は

「うむ。それではいただくとしよう」

そう言って、ワインを注いでもらう。六三郎にもワインが注がれる。それぞれじっくり呑むと、信長は

「常陸介よ、このワインじゃが、しっかり育つ前の葡萄を収穫して、樽に詰めたのではないか?そして熟成期間も短めではないか?甲斐国のワインと比べると

香りはまだまだであるし、味も程よい甘味が来たかと思えば、強い酸味が来る時もある」

ワインに対して舌が肥えて来たのか、味と香りの違いから育成状況と熟成期間を指摘して来た

信長の指摘を受けて、義重と義宣親子は

「その通りでございます。我々も武田家で呑んだワインの圧倒的な旨さに近づける様に、試行錯誤をしまして、どうにか呑めるワインが出来たので、

右府様と柴田殿に呑んでいただこうと思い、お出ししたのです。口に合わないワインをお出しして、申し訳ありませぬ」

「柴田様。甲斐国でのワイン作り、いえ、葡萄の育て方から教えていただけませぬでしょうか?」

信長に頭を下げて、六三郎に教えを求めた。そんな状況に信長は

「自らの力量不足を認めて頭を下げるだけでなく、改善する為に頭を下げるか。見事な心構えじゃ!六三郎、伊達家には到着が遅くなる事を伝える文を書いておく

だから、そうじゃな。葉月の間は、佐竹家に美味いワイン作りの基礎である葡萄作りを教えよ!」

佐竹家の姿勢が気に入った様で、六三郎に葡萄作りを教えて、そこからワイン作りを教えろと命令する

勿論、六三郎は

(いやいやいや!大殿、武田家と佐竹家で人材交流させたら良いじゃないですか!とは思うが、言えるわけねーよ!!

チクショー!これ、実家に帰るの年明け確定じゃねーか!こうなった佐竹家どころか、領民も巻き込んで働かせてやる!)

と、内心思っていたが、口にする事なく

「ははっ!」と返事をする腹芸で、その場を締めた。

こうして、裕福な国で食べ物に困っていない常陸国で短期間とはいえ、六三郎は働く事になった。