軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

元服の日は厳かに感動も有りながら

天正二十一年(1593年)十一月十一日

遠江国 浜松城

「於義伊が、遂に元服を迎えるなんて。二十年前、当時の柴田様の領地の美濃国でお世話になっていた頃の事を振り返ると、感慨深いものです

改めて柴田様、誠にありがとうございます!於古都の事で大変なご迷惑をおかけしたのに。誠に」

皆さんおはようございます。前日のどんちゃん騒ぎから、あっという間に於義伊くんの元服の日を迎えて、お母さんである古茶さんから、感謝と謝罪を受けております柴田六三郎です

二十年前の事を古茶さんが話しておりますが、そう言えば、10年ちょい前にも浜松城に来ておりましたね、於義伊くんと於古都ちゃんが、美濃国に居た時より飯を食わない事を直してくれないか?

と、言われて出張先の三河国に居たのに、そこから更に出張して遠江国へ来た事もありましたよ。今となっては懐かしい思い出ですが、

幼い頃の於義伊くんの事を思い出すと、ハンバーグが好きな子供でしたし、赤備えの皆もあやしていましたから、盛大に祝ってくれております

本当、あっという間の20年だな。甲六郎は数えだと今年で5歳だから、早くて10年後、遅くて15年後に元服の予定だから、いや、親父の年齢を考えると、

7年後に元服させるか!?10年後は親父も80歳を超えるから、あまり遅いのは良くない!来年の話になるけど、実家に戻ったら道乃と相談だな

俺がそんな事を考えていると、俺の前に於大様が来ました。何かあったのでしょうか?と、身構えていたら

「六三郎殿。於古都の事があったのに、於義伊の元服の儀と祝言に出席してくれて、誠にありがとうございます!」

まさかの、平伏してお礼をして来ました。これは止めないとダメだな!

「於大様、於義伊殿の元服というめでたい日なのですから、その様な事はおやめください!」

そう言って、於大歳を起こすと、

「誠に、六三郎殿は昔から変わらないですね。普通、あの様な事が起きたら、面子を潰されたと怒り心頭になってもおかしくないのに。それなのに、於古都にも藤十郎にも、何の沙汰も求めないのですから」

俺が2人に何もしない事を優しさだと言われましたが、俺としては許嫁(仮)だったし、破談になっても仕方ない。ぐらいの感じでしたからね

俺が於大様になんて説明しようかと考えていたら

「柴田様!間もなく、於義伊様の元服の儀が始まりますので、大広間へ起こしください!」

「うむ。それでは参ろう。古茶殿、於大様。失礼します」

俺を呼びに来た幼子、前日の宴会前に紹介されましたが、小五郎殿の嫡男の五郎くんの呼び出しを受けて、大広間へ向かいます。甲六郎よりも一歳年上なのも、

俺と小五郎殿の関係の様で、腐れ縁になりそうだなあ。と今から思っております。そんな事を考えていたら大広間に到着しまして、

指定された場所に座ったのですが、その場所が

「徳川様。拙者の場所は、上座に近すぎると思うのですが、この場所は於義伊殿の兄である三郎様の場所なのではないのですか?」

まさかの家康の斜め向かいなのです。どう考えても親族席に座っているのは間違っていると、家康に伝えると

「六三郎殿、三郎の事なのじゃが、もうそろそろ到着する予定じゃ。それに六三郎殿の隣に三郎が座るのは当然じゃが、その場所に六三郎殿が座って欲しいと希望したのじゃ」

まさかの於義伊くんのリクエストでした。じゃあ、仕方ないか

「分かりました。それでは、三郎様の到着をお待ちします」

そう答えてから、程なくすると

「父上!各々方!遅くなり、申し訳ありませぬ!」

かなり飛ばして来たのか、呼吸も荒い三郎様が到着しました。そんな三郎様を見て家康は

「何とか間に合ったか!ほれ、六三郎殿の隣に席を設けておるから、早く座れ!」

「早く座れ」と促す。促された三郎様も、

「ははっ!」

疲れた顔で、そそくさと移動する。で、俺の隣に座って早速、

「六三郎殿。父上から文で色々と教えてもらっておるが、関東での戦でも大暴れしたそうじゃな。

それも、於義伊の初陣の事も含めて書いておったぞ!改めて、感謝いたす。誠にありがとう!」

俺の手を握って、於義伊くんの初陣の事を感謝していた。で、そんなやり取りをしていたら

「於義伊様が入られます!」

進行役の井伊殿の於義伊くんの登場を伝える言葉で、一気に空気が変わる。そして、於義伊くんが大広間の中央に座って、元服の儀のスタートです

まあ、俺が烏帽子親をやるわけではないので、見るだけですが、それでも本当に大人になったんだなあ。と実感するくらいに、於義伊くんの元服姿を見ております

で、烏帽子を被せ終えると、井伊殿から

「皆々様。これにて、於義伊様の元服の儀は終了となりましたが、於義伊様より元服後の名を自ら書いて皆様に披露したいとのご希望ですので、書き終えるまで、しばらくお待ちください」

於義伊くんが新しい名前を書いて披露するどの事で、少し休憩になります。そこから10分後

「完成しました!」

於義伊くんの新しい名前が決まった様です。皆の注目が集まる中、於義伊くんが披露した新しい名前は

「 松平勝之尉康勝(まつだいらかつのじょうやすかつ) 」と、書かれていた。名字が徳川から松平へ変わるのが徳川家では大人扱いだとしたら、俺からは特に言う事は無いな

でも、父である家康は

「於義伊改め、勝之尉よ。その名に決めた理由を教えてくれるな?」

「その名前に決めた理由を教えろ」と質問します。少しばかり、親ではなく大名の顔になっておりますが、勝之尉くんは

「父上、兄上。そして皆様。拙者がこの名に決めた理由ですが、あくまでも父上と兄上を支える立場である事を示す為に、仮名に数を入れないと決めた事、

そして、幼い頃から世話になりました柴田六三郎様の諱の「勝」の字を使いたかった事、そして、父上の諱の「康」の字を上につけたかったからにございます!」

名前の理由を話した後で、勝之尉くんは産まれてからの事を語る

「皆様も知っておられるとは思いますが、拙者には双子の妹が居ます。拙者が産まれた当時、双子は忌み嫌われるものである事から、

妹は殺されるか寺に入れられるはずでした。しかし、祖母様が父上に頼んだ事もあり、拙者と妹と母上は、当時美濃国に領地を持っていた柴田家に避難する事になりました

共について来てくださいました、祖母様と本多作左殿から教えていただきましたが、まだ言葉も話せない拙者と妹を母上は奪われるのではないかと不安になっていたそうです

そんな母上に、当時十歳の六三郎様が

「子供は親にとって宝である。だから子宝と言うのだ。そして後から産まれた小さき子を守る事は先に産まれた者の責務じゃ

なので古茶殿もお子達も一人ではありませぬ。古茶殿は徳川家の宝を二つも増やしてくださったのです。此処には我々が居ます。今すぐでなくとも、少しずつで構わないので、我々を信頼してくださいませぬか?」

そう言って、母上の心を救ってくださいました。そこから柴田家で数年、世話になりながら成長して行きました。六三郎様の家臣の赤備えの方々を見て、

主家を支える事とはこう言う事かと知り、父上と兄上を支える男になりたいと思い、いつか六三郎様に恩返ししたいと思い、身体を鍛えて、頭も鍛えて、

三ヶ月前に初陣を迎える事が出来ました。ですが、まだまだ、父上と兄上を支えるには足りませぬ。六三郎様に恩返しするには足りませぬ

そんな拙者ですが、これからも精進して参ります!何卒よろしくお願いします!!」

語り終えた勝之尉くんが、全員に頭を下げると

「勝之尉様!ご立派です!」

「我々もお支えします!」

等の言葉と共に、万来の拍手が鳴り響いております。大広間に到着した於大様と古茶殿に至っては、言葉が出ない程、大泣きしております

うん。本当、色々あったけど改めて勝之尉くん、おめでとう!それじゃあ次は、明日の祝言だな!明日に備えて、今日は早めに休もう!

改めて勝之尉くん、おめでとう!