作品タイトル不明
第七十五話:始業式
1983年9月1日 木曜日。
夏休みが終わり、始業式を迎えた校舎は、朝から騒がしかった。
「なんか飛行機が消えたらしいぜ」
「らしいな、何処行ったんだろな」
「俺、ファミコン買ってもらった!」
「え、ほんと! テトリス持ってる?」
「持ってる持ってる。今日来いよ、対戦しようぜ」
「俺も行きたい! 昨日四段消しできてさ」
「うそ、すげー」
教室のあちこちで声が飛び交う。
日焼けした中学生たちの無邪気な熱気の中。
忠夫は窓際の席に座り、ノートの裏へ、四角と線を書き込む。
(演算器をレジスタに寄せると、今度はシフタが詰まる。ロードストア側だけがどうしても長い……)
論理は完成している。
だが、配線が物理的に収まらない。
◇
体育館には、蒸し暑い空気がこもっていた。
壇上では、校長の単調で長い話が続いている。
「――規律ある学校生活を送り――」
忠夫は列の最後尾で壇上を見つめながら、頭の中で配置を動かし続けていた。
デコーダを縮めたことで、左上に広大な余白が生まれていた。
だが、ロードストアを寄せれば、今度は演算器の配線とぶつかる。
忠夫の思考が、一瞬止まった。
(……いや、単に「寄せる」のではなく。ロードストアのブロックごと、デコーダが消えて空いた『左上の余白』に完全に逃がしてしまったらどうだ?)
(そして、レジスタへの入口を一つにまとめず、上下に分割する)
(演算器からの配線と、ロードストアからの配線が真正面でぶつからないように、上下から迂回させてレジスタへアクセスさせる)
(そうすることで、複雑に絡み合っていた配線の交差が嘘のように消え、シフタ側にも十分な余裕ができる)
(……行ける)
その瞬間、頭の中で配置が完成した。
忠夫の目がわずかに見開かれる。
「――以上で、私の話を終わります」
壇上の校長が一礼し、後ろの列で誰かが、ほっとしたように小さく息を吐いた。
◇
土曜日。
忠夫は電車を乗り継ぎ、東芝へと向かった。
重い扉を開けると、そこは数日前から時間が止まっているかのような、煙草とコーヒーの入り混じった淀んだ空気が漂っていた。
部屋の中央では、無精髭を伸ばした西村と高村が、巨大な方眼紙の前で頭を抱え込むようにして固まっている。
「……おはようございます」
忠夫が声をかけると、西村が充血した目でゆっくりと振り返った。
「おお、来たか……」
「進捗はどうですか」
西村は手元のシャープペンシルを机に放り投げた。
「ダメだ。演算器とロードストアの配線がどうしても干渉する。シフタ側に寄せようとすれば、今度はそっちが通らない。……どうやっても物理的な面積が足りん」
忠夫は鞄を置き、製図台の方眼紙を覗き込んだ。
黒鉛で真っ黒になった紙面には、幾度となく引いては消された配線の跡が残っている。
「……ペン、貸してください」
忠夫は方眼紙を見つめたまま言った。
西村が怪訝そうにシャープペンシルを差し出す。
忠夫は紙面の空いた部分へ、素早く線を引いた。
「まず、ロードストアを、ここへ逃がします」
高村が眉をひそめる。
「……左上?」
西村は怪訝な顔をした。
「待て、そこはデコーダが……いや」
言葉の途中で、西村はハッと息を呑んだ。
「マイクロコードを捨てたから……そこが丸ごと空いているのか!」
「はい」
忠夫のペンは止まらない。
「そして、レジスタへのアクセス経路を二つに分けます。演算器と真正面からぶつからないように、上下から迂回させる」
すらすらと線が引かれていく。
ロードストアを空き地へ逃がし、経路を分割する。
そうすることで、複雑に絡んでいた配線が、一気にほどけた。
致命的だった配線の交差が消えた。
同時に、シフタの横に十分な余白が生まれた。
「……嘘だろ」
西村が呆然と呟いた。
「これで、配線層は足ります。遅延も最小限です」
忠夫がシャープペンシルを置く。
部屋はしんと静まり返っていた。
高村がゆっくりとタバコを取り出し、火をつけた。
深く煙を吐き出し、方眼紙を見る。
「……見事だ。これで、一番重い中心ブロックの配置方針は固まったぞ」
高村の嗄れた声に、部屋の隅で死んだように仮眠をとっていたレイアウト担当の関根と小林、そしてデータ入力担当の大門までもが跳ね起き、製図台に集まってきた。
完成した中心部の配置図を見て、全員の顔に疲労を上回る静かな興奮が広がっていく。
「さて」
西村が新しい消しゴムの包装を破りながら、凶悪な笑みを浮かべた。
「間取りが決まれば、あとは力技だ。残りのブロックを全部このマイラー紙に叩き込むぞ」
「おう!」
関根と小林が、赤と青の色鉛筆を削り直す。
大門も無言で自席に戻り、分厚いファイルの山と端末を睨みつけた。
奥のホワイトボードの前では、今川が斎藤と顔を見合わせてニヤリと笑った。
「私たちも負けていられんな」
忠夫は、それぞれの持ち場へ向かう大人たちの背中を静かに見つめた。
誰もが自分の専門分野で限界に挑み、互いの背中を預け合っている。そこにあるのは、年齢や立場を超えた確かな信頼だった。