軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

王太子妃編1

王宮の朝は早い。しかし、私の朝はそれよりもさらに早い。

ヴァリエール王国の次期王太子妃――もとい、正式にジュリアン殿下の妻となり、王太子妃の座に就いてから数ヶ月。私の毎朝の日課は、王宮の広大な厨房を私物化……もとい、有効活用することから始まる。

「うん、完璧な焼き色ね。魔導オーブンの出力低下もなし」

私は腰にフリルのついたエプロンを巻き、トングで分厚いブリオッシュ生地をひっくり返した。ジュワッとバターが弾け、卵とミルク、そしてたっぷりの蜂蜜が焦げる甘い香りが厨房いっぱいに広がる。

ミーアが開発してくれた王宮仕様の特注魔導オーブンで焼き上げる、至高のフレンチトーストだ。

「おはよう、私の愛しい妃。今朝も王宮中のシェフたちが、君の料理の腕前に自信を喪失して泣いているようだが?」

「おはようございます、ジュリアン殿下。あら、彼らには後で私のレシピを伝授してあげる約束ですから、嬉し泣きですよ」

振り返ると、寝起きの少し乱れた金糸の髪をかき上げながら、私の愛する夫、ジュリアンが微笑みながら立っていた。

王太子としての威厳に満ちた普段の姿も素敵だが、私だけに見せるこの少し気の抜けた、甘い表情は反則級の破壊力がある。

「それにしても、朝から甘い匂いだな。カロリーという概念が具現化したかのようだ」

「ふふっ、私の魔法の源ですからね。それに、今朝の主役はこのフレンチトーストだけではありません。これに合わせるための『最高の相棒』が、今日ようやく届くんです」

私は得意げに胸を張った。

南方の大陸から海を渡り、ミーアの開発した魔導冷蔵コンテナで鮮度を保ったまま運ばれてくる『最高級のコーヒー豆』。

前世の記憶を持つ私にとって、甘いフレンチトーストと、香り高い深煎りのコーヒーの組み合わせは、人生の幸福度をカンストさせる最強のバフなのだ。

「今日の朝食には間に合いませんでしたが、午後のお茶会には、ジュリアン殿下にもその『琥珀のひとしずく』を味わっていただきますからね」

「それは楽しみだ。君がそこまで心待ちにしているのだから、さぞ素晴らしいものなのだろう」

ジュリアンは私の腰に腕を回し、首筋にそっと唇を落とした。

「あ、こらっ。朝から油断しないでください、もう」

「君が美味しそうな匂いをさせているのが悪い」

私たちが厨房の片隅で(シェフたちの生温かい視線を浴びながら)甘い新婚の朝食を楽しんでいた、まさにその時だった。

「アイラ様! ジュリアン殿下! た、大変ですぅ!」

厨房の扉がバンッと開き、専属魔導具技師となったミーアが、涙目で転がり込んできた。

「ミーア? どうしたの、そんなに慌てて」

「港の物流管理局から連絡がありました! アイラ様がお待ちかねだった『コーヒー豆』のコンテナが、王室財務局の監査官に差し押さえられたと……!」

「……は?」

私の手から、フレンチトーストを切り分けようとしていたナイフが、カチャンと音を立てて皿に落ちた。

「監査官のダリウス伯爵が言うには、『出所不明の怪しい黒い豆など、王宮に持ち込むのは王室の品位を下げる』『関税の申告に不正の疑いがある』と……。コンテナはすべて、伯爵の管理下にある第3倉庫に移送されたそうですぅ!」

「…………」

スッ、と私の中からあらゆる感情が消え失せ、純粋な「殺意」――もとい、冷たい怒りだけが残った。

私の、私の食後のコーヒータイムを。

この数ヶ月、南方の商人と交渉を重ね、輸送ルートを確立し、寝る間も惜しんで準備してきた私の至福の時間を、なんだって?

王室の品位を下げる?

「アイラ」

ジュリアンが、スッと細めたエメラルドの瞳で私を見た。その口元には、私が世界で一番よく知っている、極上の「腹黒い微笑み」が浮かんでいた。

「私の愛する妻が、これほどまでに楽しみにしていたものを奪うとは。……ダリウス伯爵も、随分と命知らずな真似をしてくれたものだ」

「ジュリアン殿下」

私はエプロンを外し、メイドのマリー姉ちゃんに手渡した。

「……物理で吹き飛ばすのは、お豆が炭になっちゃうからダメですよね?」

「ああ。だが、社会的に炭にすることなら許可しよう」

「言質、いただきました」

私はバキバキと指の関節を鳴らしながら、王太子妃としての完璧な笑みを浮かべた。

「さあ、探偵チームの出番よ。王宮の腐った害虫を、ロジックと証拠で完璧に駆除してやりましょう」

ダリウス伯爵。王室の財政管理の一部を担う古参の貴族で、保守派の筆頭。

私のような新参者(しかも公爵令嬢とはいえ、型破りな行動ばかりする)が王宮で発言権を強めることを快く思っていない層の代表格だ。

だが、彼がただの「嫌がらせ」だけで私のコーヒー豆を差し押さえるとは思えなかった。

「ノア。聞こえる?」

私は自室に戻り、通信用の魔導具を起動した。

『はい、アイラ様。宮廷魔法師団のノア・ウィンザーです。今、リュカ先生に大量の書類を押し付けられて徹夜明けですが、何か?』

魔導具越しに、分厚い眼鏡を中指で押し上げるノアの姿が浮かぶ。

「港の第3倉庫に差し押さえられた私のコーヒー豆だけど。ダリウス伯爵の本当の狙いを弾き出して」

『……了解しました。少しお待ちを』

ノアの背後で、凄まじいスピードで書類をめくる音と、魔法陣が起動する光が走る。数秒後、天才の口から無慈悲な答えが告げられた。

『計算完了です。ダリウス伯爵の狙いは、コーヒー豆そのものではありません。南方の商人がコンテナに隠し持っていたとされる【魔力結晶石】の密輸ルートです。伯爵は「関税の不正」を口実にコンテナを差し押さえ、裏でその結晶石を横流しして私腹を肥やす気でしょう』

「なるほど。私のコーヒー豆は、ついでに巻き込まれたってわけね」

『さらに言うなら、王太子妃であるあなたの権威を失墜させる「一石二鳥」の策だと思っているはずです。愚かですね』

「完璧に理解したわ。ありがとう、ノア」

通信を切ると、ジュリアンが私に一枚の招待状を差し出した。

「今日の午後、王宮のサロンでダリウス伯爵をはじめとする財務局の定例報告会がある。……最高の舞台だと思わないか?」

「ええ、極上ですね」

私はもう一つの通信魔導具を手に取った。

「エドワード殿下、それにリリア。お願いがあるのだけど」

『お姉様! もちろんですわ! エドワード様と一緒に、すぐに第3倉庫へ向かいます!』

『 義姉上(あねうえ) の頼みとあらば。リリアの【物体の記憶】で、ダリウス伯爵の悪事の証拠をすべて洗い出してこよう』

通信の向こうで、相変わらずピンク色のオーラを放つ第二王子夫婦が頼もしく応えてくれた。

「それから、クロード。あなたも近衛の仕事の合間にちょっといいかしら」

『おう、師匠! ちょうど暴れ足りねえと思ってたところだ!』

「暴れちゃダメよ。あくまで『スマートな制圧』をお願いね」

手駒の配置は完了した。

あとは、罠にかかった哀れなネズミを、逃げ場のない檻の真ん中で追い詰めるだけだ。

午後。王宮の瀟洒なサロンにて。

長テーブルの上座にはジュリアンが座り、私はその隣で優雅に紅茶のカップを傾けていた。

目の前では、立派な髭を蓄えた恰幅の良いダリウス伯爵が、得意げに報告書を読み上げている。

「――以上が、今月の関税徴収の報告にございます。それから、誠に申し上げにくいことですが……王太子妃殿下が個人で輸入された南方のコンテナに、関税法違反の疑いが見つかりました」

伯爵が、わざとらしく悲痛な顔を作って私を見た。サロンに集まった他の貴族たちが、ざわめき始める。

「王宮の品位を保つためにも、私めが責任を持ってコンテナを没収し、中身を厳格に処分する手はずを整えさせていただきました。妃殿下におかれましては、今後、出所の知れぬ野蛮な嗜好品をお持ち込みになられぬよう――」

「厳格に処分、ですか」

私はカップをソーサーにコトリと置き、扇子で口元を隠しながら優雅に微笑んだ。

「それはおかしいですね。私が先ほど確認したところ、没収されたコンテナの中身は、あなたの手引きによってすでに闇市の商人の手に渡る寸前でしたけれど?」

「なっ……! な、何を根拠にそのような妄言を! 妃殿下とはいえ、王室の忠臣である私を侮辱することは許されませんぞ!」

伯爵が顔を真っ赤にして立ち上がった。

ジュリアンが、スッと手を挙げる。その瞬間、サロンの重厚な扉が音もなく開いた。

「根拠なら、ここにすべて揃っていますわ」

現れたのは、天使のような微笑みを浮かべた私の妹、リリアだ。その後ろには、山積みの書類を抱えたノアが続いている。

「ダリウス伯爵。第3倉庫の床や壁、そしてあなたが触れた書類箱から、【物体の記憶】を抽出させていただきました。あなたが闇市の商人と密会し、魔力結晶石の横流しを指示している映像、バッチリ視えましたわよ」

「な……っ!? お、おのれ、不当な魔法による証拠など法廷では……!」

「法的な裏付けなら、すでに終わっています」

ノアが、冷徹な声で書類の束をテーブルに叩きつけた。

「伯爵の個人口座への不正送金の履歴、過去五年分の裏帳簿のデータ、そして闇市の商人たちの自白調書。僕の計算に狂いがなければ、これだけであなたの首が三回は飛びます」

「あ……あぁ……」

伯爵の顔から、一気に血の気が引いていく。

「罠だ! これは、私を陥れるための罠だ!! ええい、近衛兵! この無礼者どもをつまみ出せ!」

伯爵が狂乱して叫んだ。

しかし、扉の前に立っていた近衛兵が、ゆっくりと兜を脱ぐ。

「へっ。誰をつまみ出すって?」

ニヤリと凶悪に笑ったのは、近衛騎士団の特別遊撃隊長となったクロードだった。その手には、抜身の剣ではなく、分厚い手錠が握られている。

「てめえみてえな国を食い物にする害虫は、俺の剣を汚す価値もねえ。大人しく縛につきな」

「ひっ……!」

クロードの圧倒的な威圧感(と筋肉)を前に、伯爵は腰を抜かしてその場にへたり込んだ。

ジュリアンが、椅子から立ち上がる。

サロンの空気が、一瞬にして凍りついたように冷たくなった。

「ダリウス伯爵。私の国を私物化し、あろうことか私の妻を陥れようとした罪。万死に値する」

「で、殿下! 誤解でございます! 私はただ、王室の品位を……!」

「黙れ」

ジュリアンの絶対零度の声が、伯爵の言い訳を完全に断ち切った。

「王室の品位を汚しているのはお前だ。近衛、この男を地下牢へ連行しろ。一族の処遇については、後日私が直々に裁きを下す」

「お、お助けをぉぉぉ!!」

クロードに首根っこを掴まれ、情けない悲鳴を上げながら引きずられていく伯爵の姿を、私は冷ややかに見送った。

「ふう。スマートな解決でしたね、ジュリアン様」

「ああ。君のチームの連携は、相変わらず見事としか言いようがない」

ジュリアンは私に向き直ると、ふっと表情を緩めた。

「さて。ネズミの駆除も終わったことだし。愛しい妃よ、そろそろ『琥珀のひとしずく』をご馳走してくれるのかな?」

その日の夕刻。

王宮のプライベートなバルコニーには、香ばしく、そして深い苦味を帯びた至福の香りが漂っていた。

「……なるほど。これが『コーヒー』か」

ジュリアンが、純白の磁器のカップに口をつけ、目を丸くした。

「ええ。南方の太陽をたっぷり浴びた最高級の豆を、私が魔法で1度単位の温度管理をして自家焙煎しました。この深いコクと苦味が、甘いお菓子と絶妙に合うんです」

テーブルの上には、無事に取り戻したコーヒー豆で淹れた一杯と、王宮のシェフたちと一緒に焼き上げた極上のフォンダンショコラ。

ナイフを入れると、中から熱々のチョコレートがとろりと溢れ出す。

「美味い……。いや、本当に美味いな。君の探求心にはいつも驚かされる」

ジュリアンはチョコレートの甘さとコーヒーの苦味の完璧なマリアージュに、すっかり魅了されたようだった。

「ふふっ。私の食への執念を甘く見ないでくださいね。私の美味しいご飯の邪魔をする者は、悪魔だろうが貴族だろうが、絶対に許しませんから」

「頼もしい限りだ。だが……」

ジュリアンはカップを置くと、私の手を取り、その指先にそっと口づけをした。

「君のその『執念』を、私は世界で一番愛しているよ。これからも、君の望むすべてをこの王宮で叶えよう。私と共に」

「……もう、殿下ったら。甘いお菓子より甘い言葉はずるいです」

夕陽に染まるバルコニーで、私たちは甘く、そして最高に美味しい勝利の味を分かち合った。

『王太子妃の事件簿』。

私と最強の仲間たち、そして最愛の夫がいる限り、この王宮に巣食う悪党どもに安息の日々が訪れることは、決してないだろう。

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場所が変わって、とある国の研究施設では、狂気の研究が続けられていた。

薄暗い緑色の光を放つ研究施設で、狂気に染まった研究者たちが人間の身体を切り刻み、継ぎ接ぎのように繋ぎ合わせている。

幸いなのは、切り刻まれ繋げられている人間が、既に生命活動を終えていることだろう。

研究者たちは血と腐臭に塗れながら、口々に遂に完成すると歓喜の声を上げていた。

苦痛に足を止める事無く、恐怖も感じない、不死身の軍団が作れるのだと。

命の冒涜とも言えるそんなものが可能なのかと問われれば、可能なのだ。

独自の魔導技術と禁忌の術式を融合させた研究者たちは、狂気の軍団となる生ける屍の軍隊を、ついに完成させたのである。