軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

ゆっくりと沈む

「シェリー、待っていましたよ」

アンダーソン家の広大な敷地や大きなお屋敷を前に、驚きを隠せずにいるわたしに、ノエル様はとびきり美しい笑顔を向けた。太陽よりも眩しいその姿に、目が眩んでしまう。

彼はわたしの手を取りエスコートしてくれて、まるで自分がお姫様にでもなったような気分になる。馬車の中で抱えていた不安な気持ちなど、既にどこかへ飛んで行った。

「君と一緒に暮らせるなんて、夢みたいです」

「結婚もしていないというのに、驚きました」

「今から籍を入れに行きましょうか?」

「結構です」

わたしの素っ気ない態度にもいい加減慣れてきたのか、ノエル様は変わらずに笑顔のままで。本当に申し訳ないと思いつつも、少しだけ安堵した。

「仕事の送り迎えも勿論させますから、寄り道なんてしないで毎日まっすぐ帰ってきてくださいね」

もちろん俺もそうしますから、というまるで新婚夫婦のような言葉にときめきつつ、毎日一分一秒でも早く此処へ帰ってくると、心の中で誓う。

「伯爵夫妻はどちらに? ご挨拶をしなくては」

「大丈夫ですよ。ここには俺しか住んでいませんから」

「えっ?」

「ですから、誰にも気を遣う必要はありません」

確かわたしの記憶が正しければ、アンダーソン伯爵夫妻はまだご存命のはずだ。それなのになぜ、彼はこんな広い屋敷に一人で暮らしているのだろうか。

「ここが、君の部屋です」

そう言って案内されたのは、シンプルだけれど品のある素敵な部屋だった。「シェリーの好みが分からなかったので、今度一緒に買いに行きましょう」と言われ、ノエル様とお出掛けが出来るなんて…! と嬉しくなってしまう。

「すみません、せっかく君が来てくれた日だと言うのに、午後から急遽仕事が入ってしまいました。執事のホレスに屋敷の中を案内してもらってください。わからないことや必要なものがあれば、それも彼に」

「わかりました」

「……本当に、君が来てくれて嬉しいです。ありがとう」

ノエル様はそう言うとわたしの頬に触れ、支度をしてきますと名残惜しそうにその場を離れて行った。

それからはホレスさんに、屋敷の中を案内して貰っていたけれど。わたしは長い廊下を歩きながら、先程から気になっていたことを彼に尋ねてみた。

「あの、ノエル様はいつからお一人で此処に……?」

そんなわたしの質問に対しホレスさんは困ったように微笑むと、歩みを止めた。

「旦那様は10年ほど前から領地の方に住んでおり、奥様もノエル様が成人されてすぐに出て行かれました」

「……そう、ですか」

つまり彼は五年以上、ここに一人で住んでいることになる。こんなにも広いお屋敷に一人で暮らしていて、寂しくない訳がない。つい先程言われた『本当に、君が来てくれて嬉しいです』という言葉を思い出し、胸が痛んだ。

それと同時に、わたしは彼自身のことを何も知らないのだと今更になって気付かされていた。

「ノエル様は、本当に嬉しそうに準備を進められていたんですよ。私共も、シェリー様に来て頂けて嬉しいです」

「そんな、こちらこそよろしくお願いいたします」

そして何も言わずいつの間にか仕事へと行ってしまい、見送ることも出来なかった彼にもまた、寂しさを覚えた。

わたし自身も仕事があるため毎日は無理だけれど、せめて今日くらいは帰宅した彼を出迎えたいと思い、起きて待っていることにしたのだけれど。

「いつもなら、既にご帰宅されている時間なのですが……」

「師団長になられたばかりですし、お忙しいんでしょうね」

普段は子供かと言われる位に寝るのが早いわたしは、広間のソファで船を漕ぎ続けていた。ホレスさんはそんなわたしが寝てしまった時の起こし役を、買って出てくれている。

ノエル様を待っている間、彼と沢山の話をした。子供の頃のノエル様の話を聞かせて頂いたわたしは、夢心地だった。そして時折、本当に夢の中へ落ちて行きかけていた。

結局、彼が帰ってきたとの知らせを受けたのは、深夜を過ぎた頃だった。両頬を軽く叩くとローブを羽織り、玄関へと急ぐ。廊下は少しだけ肌寒く、ぶるりと鳥肌が立つ。

そして丁度玄関に着いたところでドアが開き、中へと入ってきたノエル様と目が合った。

「おかえりなさいませ」

相変わらず声は素っ気ないものだったけれど、そう言えたことにわたしは達成感すら感じていた。ここまで本当に、本当に長かった。ここで立ったまま眠れそうだ。

彼はそんなわたしを見て、驚いたように目を見開いた。

「……どうしてこんな時間に、」

「たまたま、寝付けなかっただけです」

そんな態度をとってしまうわたしの後ろで、ホレスさんが首を横に振っていたなんて知る由もなくて。何故彼が小さく笑ったのか、わからなかった。

「ただいま、シェリー」

嬉しそうにそう言うと、ノエル様はわたしをきつくきつく抱きしめた。そして彼が今にも消えそうな声で言った「ありがとう」という言葉が嬉しくて、切なくて。

此処へ来てよかったと、心の底から思った。

◇◇◇

「すみません、お待たせしました。……シェリー?」

温かいミルクでも飲みながら5分だけでも話をしないかと誘えば、彼女は「仕方ないですね」と言ってくれて。

急いで着替えて広間へと戻ってくると、彼女は背もたれに体を預けたまま、すやすやと寝息を立てていた。

「とても眠そうな中、お待ちしていたんですよ。その間もずっとノエル様のことを話されていて、先日の舞踏会で一緒に踊れなかったのが残念だとも言っていました」

「……本当に、彼女がそんなことを?」

「ええ、勿論です」

そんな彼女にブランケットをかけていたホレスは、柔らかな笑みを浮かべそう言った。彼女にはもう、嫌われていると思っていた。だからこそ、その言葉に驚きを隠せない。

……彼女はどうしてこんなに遅くまで無理をして、俺を待ってくれていたのだろう。

この家で使用人以外に「おかえりなさい」と言って貰えたのは、いつぶりだっただろうか。あまりにも嬉しくて、気がつけば彼女を抱きしめていた。

気持ちよさそうに眠るシェリーを起こさないようそっと抱き上げ、彼女の部屋へと運ぶ。時折、その唇からは「んむ」なんて可愛らしい声が漏れて、思わず笑みがこぼれた。ああ、なんて愛しいんだろう。

ベッドに彼女を寝かせると、少しだけだと自分に言い聞かせて、すぐ側に腰掛けた。

……自分のせいで彼女からの愛情が失われたというのに、それでも裏切られたような気持ちが大きすぎて、彼女を責めるようなことばかり言ってしまった。

その上、彼女の気持ちを無視して婚約をし、こうして屋敷にまで呼んで。ひどく自分勝手なことをし続けている自覚はある。それでも、こうして目の前に彼女がいるだけで幸せで仕方ないのだ。俺はなんて愚かなんだろうか。

「……手放してあげられなくて、ごめん」

まるで幸せを象ったような、彼女の可愛らしい穏やかな寝顔を見つめながら、俺は一人そう呟いた。