軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

【SIDE】黒皇帝(300年前)

―――『オレは何のために生きているのか』

そう自問した際、返せる答えは常に1つだった。

『贖罪のため』

あの美しく輝く深紅の髪を、意志のみなぎる鮮やかな金の瞳を、慈愛を生み出す白い腕を、……この世界から失わせた罪に対する贖罪。

そのためならば、どれほどの犠牲でも、代償でも、苦しみでも、払うつもりでいたのだけれど、―――あの日、あの時、あの場所で、オレの心は壊れてしまった。

もはや、何があったとしても、痛む心は残っていない……

◇◇◇

「我がアルテアガ帝国における新たなる皇帝の誕生を、臣下一同、心より歓迎いたします!」

そんな帝国宰相の声が響いたのは、アルテアガ帝国の皇城にある玉座の間だった。

玉座に座ったオレを囲む形で、広い部屋を埋め尽くすほどに多くの者たちが揃っている。

ずらりと並んだ帝国の貴族や騎士たちが、最上の敬意を表すために片膝を突いて跪き、頭を膝の位置まで垂れていた。

居並ぶのは誰もが大陸中に名の通った貴族や騎士たちで、大陸一の強国といわれるアルテアガ帝国の現状を正しく表すような光景だった。

少しばかりでも権力欲や名誉欲がある者ならば、嬉しさで奮い立つような場面であると思われたけれど、―――その光景を眺める心はいつものように凪いでいて、興奮も感動も呼び起こさなかった。

……ああ、このような状況でも心が欠片も動かないとは、オレは本当に壊れてしまったのだな。

冷静に心の中でそう独り言ちると、ゆっくりと周りを見回す。

誰もかれもが首を垂れて、オレの発言を待っていた。

傍らでは、前皇帝がそんな様子を満足気に眺めている。

オレは行儀悪くも片方の足首をもう一方の膝の上に乗せる形で脚を組むと、玉座に頬杖を突いて、跪く家臣たちを見回した。

「皇帝カストルだ。今後はよくオレに仕えよ」

オレの言葉を聞いた幾人かの肩が、驚いたようにびくりと跳ねる。

想定していた名前と皇帝の名前が異なったので、動揺したのだろう。

だが、生まれ持った名前は、あれの死とともに捨て去り、二度と名乗る気はなかった。

あれの傍らにいて守り続けることこそが、人生の役割だと信じていたのだから、―――あれの死とともに役割は終わったのだと、名前とその名前に付随していた人生を捨ててしまったのだ。

……大聖女とともにあった、光り輝くような日々は過去のものとなった。

その傍らにいたがために光り輝き、名誉に満ちていた名前を名乗り続けることなど、出来るはずもない。

しかし、居並ぶ者たちは、捨て去った名前であるにもかかわらず、その名に付随する功績を大なり小なり聞いているようで、オレの即位に誰一人として異論を差し挟むことはなかった。

そのため、耳に痛いほどの沈黙でもって、オレの即位は帝国の重臣たちに受け入れられたのだ。

―――他方、帝国の民の間で、オレの姿は恐ろしいモノとして映っていたようだった。

それを証するように、即位後すぐから、オレは『黒皇帝』と陰で呼ばれるようになった。

元々、『黒騎士』と呼ばれていた身であるからでも、黒髪黒瞳の見た目からでもなく、ただただ皇帝の苛烈さを指して、そう呼ばれていたのだ。

人の身を「黒」と称する場合、多くの者は『魔人』を連想する。

つまり、―――魔人と仄めかされるほど、恐怖の対象と見做されていたということだ。

……けれど、その見方はあながち間違ってはいなかった。

なぜならオレは、己の望みを叶えるために皇帝となったのだから。

オレが望むのは、近隣諸国を含めた多くの土地の併合だ―――その達成のために、今後、ありとあらゆる場所で戦火を生むことになるだろう。

可能な限り広大な土地を治め、それらの土地をくまなく探索する。

大陸中のあらゆる土地を切り開き、踏み入り、たった一人の魔人を探す―――それが、オレの真の望みだった。

―――世界から美しい希望を奪い去った、狡猾で、残忍で、邪悪なる魔人を探し出すことが……

もはやそれだけがオレの望みで、贖罪を完遂する唯一の方法だった。

……それから何年が経過したのか。

日付が変わろうという時刻に一人で戸外に立ち、満ちた月を眺めていたところ、唐突に声を掛けられた。

「暗闇の中にお一人とは物騒ですね、『黒皇帝』」

まるで夜の静寂を切り裂くように、耳に心地よい声が響く。

振り返るまでもなく、声を発した人物を特定できたため、オレは月を眺め続けた。

―――それは月の美しい夜で、全てを塗りつぶす漆黒の闇の中、しかし、明るく輝く月の光が、暗闇の中に立つオレの姿を、はっきりと浮かび上がらせていた。

場所は皇城の庭園で、……オレが一人で月を眺めている時は、誰一人話しかけないことがこの城の暗黙のルールになっていたのだが、……声を掛けた人物は、気にする風もなく近付いてきた。

「……カノープスか。こんな遠地にまで嫌味を言いに来たのか?」

オレは月から目を逸らすことなく、ぽつりと呟いた。

対するカノープスは、オレの横に並ぶと小さく首を振る。

「お戯れを。私が陛下に嫌味を言うことなどあり得ません。このような時分に到着したのは非常識でしたが、王国からの定期報告に参りました」

けれど、非常識な時間に王国から報告に来たと告げたカノープスは、その内容をすぐに披露することもなく、並んで月を眺め始めたため、急ぐ案件ではないようだと結論付ける。

カノープスは月を見上げたまま、感情が読めない声を出した。

「……本当に、今宵は月が美しいですね。美しい月を見ると、どういう訳か、私の主を思い出します。あの方は殊更、夜闇を照らす月を好まれていましたから」

「…………」

「そのことが知れ渡って以降、夜の王城の巡回業務は、騎士たちの間で争奪戦になりました。誰もが夜の巡回業務をやりたがり、運よく殿下に出会えた騎士たちは、『月がきれいですね』と声を掛けるんです」

……覚えている。

有名な文豪が、「愛の言葉」を「月を賛美する言葉」に置き換えたことを真似て、あれに懸想する多くの騎士たちが、せめてもと月の美しさを伝える振りをして想いを吐露していたことを。

「……そうだな。あれは全く気付かずに、『確かに月がきれいだ』と同じように騎士たちに返していたな。それから、オレのところに来て、『月の美しさに着目するなんて、騎士はロマンチストだ』などと、見当外れなことを言っていた。……最後まで、自分の魅力を理解していなかったな」

今となっては、あれのことについて共に語れるのはカノープスだけになってしまった。

白騎士はオレに寄り付きもしなくなったのだから。

そう考えながら、ちらりと視線を上げると、心配気な表情のカノープスと目が合った。

……あの時から、この男は物凄くオレを心配している。

恐らく、オレが月を眺めながら何を考えていたかなどお見通しで、敢えてそれを言葉にさせようとしているのだ。心の中にあるものを吐き出させることで、少しでもオレの心を軽くするために。

分かってはいたが、まだあれについての深い話をする気にはなれず、話をずらそうと試みる。

「どうした、オレの顔など見つめて。眺めて面白い顔でもあるまい」

オレの心情を理解したカノープスは、一瞬悲し気な表情をしたけれど、気を取り直すように瞬きを繰り返した。

「……そうですね。私が女性であれば、驚くほど端正な陛下の顔を眺めているだけで楽しかったのかもしれませんが、生憎私は男ですから。眺めていても、そう楽しくはありませんね」

そう言うと、カノープスは小さく息を吐き出した。

「ただ、 件(くだん) のご令嬢はどのようなお気持ちだったのかと、尋ねてみたいところですが……。聞きましたよ。あなたを慕って寝所に忍び込んだ公爵令嬢を手討ちにしたそうですね?」

つい数日前の話なのに、早耳だなと思いながら、僅かに目を眇める。

この情報収集能力の高さならば、結論も既に知っているはずだと思いはしたものの、オレ自身が否定することに意味があるのかもしれないと考えて口を開く。

「噂話は得てして大きくなるものだ。すんでのところで、控えていた騎士たちに止められた」

「つまり、止められなければ、切り殺すつもりだったのでしょう? ほとんど同じことですよ」

カノープスは呆れたように首を振ると、天を仰いだ。

「しかし、ご令嬢も無駄なことをするものですね。今さら陛下に、動く心など残っていないでしょうに……」

カノープスの言葉に、オレは小さく頷いた。

「ああ、その通りだ。あの日、あの時、あの場所で、オレの心は壊れた。二度と、動くことはない」

―――あれが、生き返りでもしなければ。

吞み込んだ言葉は、しかし、正確にカノープスに届いたようだった。

それを証するように、カノープスが口を開く。

「……セラフィーナ様は志の高い方でした。『魔王を封じる』という目標を掲げられていましたから、それを完遂するために、いつの日か戻って来てくださるのではないかと、私はまだ夢を見ているのです」

オレはちらりとカノープスの体に視線を走らせると、軽く肩を竦めた。

「その際に、再び護衛騎士になろうと体を鍛えているのか? 祈りの世界には、体を鍛える必要などなかろうに」

……だが、皮肉交じりに発した言葉とは裏腹に、心の中ではカノープスの発言の正しさを認めていた。

その通りだ、生きていくには希望が必要だと。

祈りに似た希望が、明日を生き抜く力を与えてくれるのだと。

―――オレの罪は深く、贖罪のための生だと言い聞かせなければ、立っていることも難しいけれど。

いつの日か、あれの仇を見つけ出し、この手で封じるという希望を持ち続けることで、この世界に留まることができている。

本当は、……今夜のように月を見上げ、あれを想う度に、壊れたはずの心が痛むように思われたけれど、―――心がないオレが痛みを覚えるはずもないと、弱い心を切って捨てた。