軽量なろうリーダー

病弱な幼馴染を優先する婚約者を、夜会で叩き潰します。

作者: とろキオ

本文

約束の時間になっても、待ち人は来なかった。

こうなるのは約束した時点で予想していたとはいえ、何も感じないかと問われたら話は別だと答える。

リーゼロッテ・フォーエンバルクは、申し訳なさそうに伝言を携えた従者に微笑んで見せた。

「分かりました。どうぞお大事に、とお伝えください」

「はっ、はい……この度は誠に失礼を」

「まぁ、貴方の責任ではありませんわ。約束を反故にするとお決めになったのはレイモンド様ですもの」

「仰る通りで……申し訳ありません」

言葉の上では陳謝しているものの、主に軽んじられる令嬢に対する敬意は感じない。だからちくりと刺してやれば、さっと顔を赤らめる。一応、この状況が恥だという認識はあるらしい。

半年前に迎えたデビュタントと同時に申し込まれた婚約だが、レイモンド・シーラ伯爵令息との約束が果たされたことは数える程。

その数える程の機会も、果たしてあれは婚約者の交流と呼んでいいのか。

こちらは侯爵家だというのに、家格差を忘れたのだろうか、と毎回不思議に思う。

「なんにせよ、謝罪に訪れるのが本人ではない、というのも不誠実ですわね? その辺りをどうお考えなのか、次お会いした時に伺いますわ。お伝えくださいな」

「……畏まりました」

「ああそうそう、次からは、貴方が我が家にいらっしゃるのは遠慮して頂ける?」

問いかけの形をとっているが、上位からのそれは命令に近い。

侯爵家への出入りを禁じられた従者がそのままの地位で居ることは難しい。あっという間に馘になるだろう。

「な! 何故ですか! そのような横暴!!」

「嫌ですわ、たかだか従者の身で、わたくしに横暴だなんて。シーラ家の教育はどうなっているのかしら」

「……ッ!!」

例えレイモンドが自分を軽んじようと、その従者に過ぎないこの男に軽んじられる筋合いはない。

婚約者に見向きもされない癖にと言いたそうな顔をしてはいるものの、流石にそれを口にすることはなかった。不服を顔中に張り付けて、なんとかかんとか礼を取って辞していく。残念、反論してくるなら侯爵令嬢への不敬と、シーラ伯爵家に抗議できたのに。

「さて、イリア、また暇になってしまったわ。外出の準備をしてくれる?」

「畏まりました。どちらへ?」

後ろに控えていた侍女のイリアに振り向きながら、笑顔で答える。

「この状況を打破する為に、ね」

そう、リーゼロッテは、相当に、腹に据えかねていたのだ。

レイモンドとの婚約は、表立ってはいないが王家からの後押しがあって成立した。

財政難に陥ったシーラ伯爵領の保有する交易路を反王室派に奪われるわけにはいかないと、国でも有数の資産家であるフォーエンバルク侯爵家に支援をさせる為の婚約。交易路は国内有数の穀物地帯と王都を一路に繋いでおり、ここが他の領地に分割されてしまえば、不当な通行料がかけられかねない。反王室派でなくとも、自家の利益にしか興味のない貴族に占領されてはたまったものではない。

王都の穀物流通を支えている交易路ではあるものの、その所有者はシーラ伯爵でなくともよいとは思うのだが。

フォーエンバルク侯爵家がその商才で台頭しているのが気に食わない他家からの横やりもあっただろう。

リーゼロッテも最初は貴族の義務を果たすつもりだった。

大人しく嫁ぎ、傾いた財政を立て直そうと。

しかしシーラ伯爵家の内情を知る程に、フォーエンバルク侯爵家が損をするだけだとわかる。

伯爵一家は先代の時から交易路に上限いっぱいの通行税をかけ、贅沢することを覚えていた。上限まで税をかけるきっかけは、山間部で大規模な土砂崩れが起き、その復興の為、と王家に申し出たこと。その復興作業中に何度も災害が起きたことで、何度も同じ申請をできると学習してしまったのだ。

復興が終わった後も税を戻さなかったことが王家に判明し、慌てて元の税に戻したものの、一度覚えた贅沢を忘れることができなかった伯爵家。

リーゼロッテが伯爵家に招かれた晩餐会では、公爵家のような絢爛さだった。

この家を存続させる意味はあるのか。

彼女は尖兵となり、シーラ伯爵家の内情を家族に伝える為に、レイモンドとの婚約を続けている。

しかし問題は、それだけにとどまらなかった。

「お邪魔致しますわ、おじさま」

「おや、リーゼ。珍しいですね」

柔和な微笑みでリーゼロッテを迎えたのは、三十代ほどの神官である。

神殿に籠っているのが世の損失と言われる程の神がかった白皙の美貌の主は、急に訪ねたリーゼロッテを歓迎してくれる。

おじさま、と呼んではいるものの、血縁関係はない。先代王弟の息子であり、リーゼロッテの魔術の師である、クラウスだ。神殿に入ったことで姓を捨てている。

次期神官長も間違いないと言われている相手で、先触れも無しに会えはしないのだが、そこは弟子の特権を使った。

「相談させて頂きたいことがあって伺ったのですけれど、お時間宜しいかしら」

「勿論。可愛い弟子の頼みならいくらでも聞きますよ」

手ずから淹れて貰った薬草茶で喉を潤し、いかにも悲しんでいます、という顔で話し始める。

「わたくし、半年前に婚約致しましたでしょう? その婚約者のレイモンド様の、幼馴染の方のことなのですけれど」

話が見えてこないのか、クラウスは形の良い青い瞳でぱちくりと瞬く。

神殿の中で生活し、社交界などと無縁の生活をしているクラウスは、現在リーゼロッテとレイモンド、そしてその幼馴染であるアリスの関係を知らない。

「その方、身体が弱いのですって。頻繁に寝込まれるのですけれど、レイモンド様は幼馴染の方を心配する余り、度々わたくしとの約束を反故になさって……」

「……度々」

「ええ、度々」

それが殆ど毎回だということは言わない。

言わなくても、付き合いの長い彼なら、含みを過たず理解してくれる。

「カフェや観劇に参りますとね、その方も連れていらっしゃるの。折角体調がよいのだから様々な経験をさせてやりたい、そう仰るから、ご遠慮願うのも可哀想でしょう?」

「なる、ほど?」

「まぁ、お断りするも何も、わたくしを迎えにいらっしゃる馬車の中におられるのですれけど」

「先触れは、ない?」

「ありませんわねぇ」

段々と愁眉をひそめていくクラウス。

それに反して、リーゼロッテは段々楽しくなってきていた。

そうよね、そうよね!? わたくし何も悪くないわよね!?

社交界では何故か、病弱な幼馴染に辛く当たる、爵位をかさに着て無理矢理婚約者を縛り付ける狭量な令嬢、ということになっているが、そんな振る舞いをしたことはない。その悪質な噂がどこから発生しているかなど、考えなくても分かる。

レイモンドは散財を止めること無く、出来てしまった借金を何とかする為に身売りせざるを得ない自分の事を大層哀れんでいる。そんなに嫌なら財政を立て直すよう努力すべきなのに、それは嫌なのだ。節約することは恥ずべき事、とでも思っているに違いない。

「それでね、おじさま」

「ええ、なんでしょう」

にっこり、とクラウスは笑っているが、その笑顔に隠し切れない怒りが見える。

神殿に入り姓は捨てたとはいえ、その身には王家の血筋、しかもかなり濃い血が流れているのだ。クラウスから進言して貰えば、婚約を破棄するのは難しくない。

だからリーゼロッテが頼むのは、王への口利きだろうと考えている顔だ。

「わたくし、その方の病を治して差し上げたくって」

「……はい?」

「おじさまは治癒術の第一人者でしょう? おじさまならば、死の淵に居る病人でも呼び戻せるのだから、外出できる程度の虚弱など、物の数ではない筈ですわ」

「それは、まぁ、はい」

「ただね、すこーしだけ、すこ---しだけ、問題がありますの」

「観劇に同行できるのなら、王都にいるのですね? ならば、中央神殿まで来ることができない、とは思えませんが」

「ああ、いいえ、違うのですわ」

外出が出来ないほど病状が重い訳ではないのだ。婚約者との交流に割り込む癖に、すぐ気分が優れないだの吐き気がするだの、熱が出てきただのとレイモンドにべったりくっついているが。

そう、問題はそこじゃない。

「その方、平民なの」

「……は?」

今度こそ、クラウスは二の句が継げなくなったらしい。

美しい瞳にはレイモンドへの侮蔑が浮かんでいる。

そう、社交界の令息令嬢も知らないが、レイモンドの幼馴染という娘は、貴族の血をひいていない。伯爵夫人が第二子の妹を出産した時母乳が足りず、急遽探された授乳役の中にアリスの母が居た。授乳に大した時間がかかる訳でもないので連れてくることを許されたらしいが、そのアリスとレイモンドが仲良くなり、母親は下働きの職を得たとか。そして母子家庭だった親子は住み込みで働くうち、レイモンドの幼馴染に収まった、と聞いている。

平民を幼馴染と扱うのが問題なのではない。

侯爵令嬢と平民を天秤に乗せた、という振る舞いが許されない。

そして、平民がクラウスに治療をしてもらおうとしたら、月に一回の治療会の抽選に応募するしかない。

そもそもクラウスの患者には重病人や国内外の重要人物が名を連ねている。本来外出できる程度の虚弱体質なら、クラウスの治療を受ける資格がない。治療会の抽選に応募するにも、命の危機があることや、四肢の欠損などの重大な怪我などの前提がある。

その横紙破りを弟子のおねだりで通そうとしても、今度は平民というのが問題だ。

クラウスは既に姓を捨て神殿に入った身とはいえ、王家の血を引く尊き方だ。

その御前にたかだか伯爵家の嫡男の、幼馴染を名乗る平民を立たせるなど、正気の沙汰ではない。

「いえ、まぁ、平民であることを理由に治療しないなど、有り得ないので、それは、はい、いいのですが」

告げられた情報が飲み込めないのか、額に手を当てながら、嚙みしめるように言葉を続けるクラウス。

「貴女より、平民を、優先している……?」

「そうですわね、結果としては」

「平民を、貴族の使う観劇席や、カフェの個室に連れていく」

「ええ、レイモンド様がプレゼントなさいますので、服装で咎められることはありませんが」

「侯爵令嬢の、前に?」

「ええ。わたくしの、前に」

は―――、と、肺の中の空気を全て吐き出すようなため息をついて、クラウスは首を緩く振った。

侯爵令嬢として生きてきて16年、平民と直接話したことが無いわけではない。孤児院の慰問などに行けば関わることもある。だが、婚約者との交流の場に、血縁でも何でもない平民を連れて来られるのは、とんでもない侮辱だ。

そんな侮辱を受け入れるしかないのだから、侯爵令嬢とはいえ見下してもいいのだと、今日伝言を持ってきた従者は舐めた態度を取ったのかもしれない。

リーゼロッテは許してなど居ない。

きちんと報復する為に、ひとつひとつ、記録して、周知させ、叩き潰す瞬間を見計らっているのだ。

まさか弟子が婚約者にそんな扱いを受けているとは思わなかったのだろう、クラウスは暫く黙っていた。

「その幼馴染は、従者見習いですよね?」

「え?」

「え?」

クラウスの質問にはきはきと答えていたリーゼロッテが、意表を突かれて間抜けな声をあげる。

自分は何かおかしなことを言っただろうか、と、クラウスもきょとんとした顔をする。

「ああ、幼馴染の方、としか、おじさまには伝えておりませんでした。その方は女性ですわ」

「……」

性別を言わなかったので、彼は勘違いしてしまったらしい。侯爵令嬢の婚約者より、立場のない平民の娘を優先する訳が無い、と思ったのだろう。

それなら見目のいい平民の男を連れてきて、リーゼロッテが不貞を犯したと難癖をつけて慰謝料を搾り取ろうと画策した、と考える方が自然だ。

何しろ、レイモンドとの婚約理由は既に伝えてある。

リーゼロッテを逃せば、借金を返す伝手は消え失せるのだ。爵位を返上する瀬戸際の癖に、女遊びして機嫌を損ね、蜘蛛の糸を切るような愚か者が存在する訳がない。普通は身辺を清めるし、もし愛人を囲うとしても婚約者の前に連れてきたりはしない。

「……無礼打ちしても許されますよ?」

「まぁ、そんな。病弱な方を苛める趣味はありませんわ」

「陛下に伝えます」

「あらあら、おじさまったら」

「リーゼの不幸の元凶は陛下でしょう。王命として命じられていなくとも、後押ししたのは陛下です。撤回も陛下が言えば叶います」

「それは確かに、そうなのですけれど」

「もしや、シーラ伯爵令息に、特別な感情が?」

「いいえ全く」

うふふ、とリーゼロッテは微笑む。

「わたくしが手ずから引導を渡したいのですわ」

納得したように、クラウスは一つ頷いた。

「何か考えがあるのですね」

「ええ、ございますわ」

「ならば何も言いません。可愛い弟子の頼みです。その平民の娘を治癒しましょう」

「ありがとうございます、おじさま」

「その代わりと言ってはなんですが、全てが終わったら一つだけ、私の頼みを聞いてもらっても?」

「まぁ、わたくしがおじさまのお役に立てるなら、一つと言わず幾つでも伺いますわ」

「言質は取りましたからね」

笑みを深くしたクラウスに首を傾げながらも、これでひとつは問題が片付きそうだ、と胸を撫で下ろす。

次は、侯爵家主催の夜会の準備だ。

神殿に籠っているとはいえ、クラウスの外出は禁じられていない。夜会に出席するのも問題はないが、次期神官長と目される尊き血筋の方を招くことができる家は限られる。

なるべく多くの、公衆の面前で、レイモンド及びアリスを叩き潰す。

リーゼロッテは淑やかに微笑みながら、徹底的にやろう、と決意を新たにしていた。

夜会当日。

煌びやかに飾り付けられた侯爵家のホールで、レイモンドの来訪を待つ。

招待状にはアリスさんもお連れ下さい、と書いたので、愛人に迎えることを認めたのだと勘違いした彼は嬉々としてアリスを伴ってくる筈だ。

本来婚約者の実家が主催する夜会なのだから、遅れてくること自体あり得ないのだが―――レイモンドが遅刻することは珍しくない。

兎に角伯爵家の跡取りとしては失格だと言わざるを得ない行いをするのだ。

挨拶に来た貴族たちと談笑していると、漸くレイモンドが会場入りする。

その片手にはアリスがくっついている為、自然と女性陣の目は厳しい。

社交界で幾ら噂が流れようが、この場は侯爵家の夜会である。基本的には侯爵家を敵に回したくない、友好的でありたい参加者が多い。その為、他の社交の場とは違い、病弱な幼馴染との仲を金の力で引き裂いている悪女、の構図は成り立たない。

今会場を占めているのは、婚約者以外の女を婚約者の家の夜会でエスコートしている浮気者、という視線だけだ。

「よくおいでくださいました、レイモンド様」

「お招きありがとう。アリスも連れてきて欲しいと言われたから連れてきたよ」

「ええ、あともう少ししましたら再度お呼びしますので、それまで自由にお過ごしください」

浮気相手をリーゼロッテが招いた、と、聞き耳を立てていた周囲が目を見張る。

しかもその後も自分をエスコートするのではなく、浮気相手のエスコートを認めているとは、一体どういう状況なのか、と困惑しているのが手に取るようにわかった。

問い質しそうにしている面々を視線で制止し、表面上は穏やかな夜会の空気を維持する。それが薄氷の上にあることに気付いている者は決して少なくない。

「クラウス様、ご来臨です!」

特別なお客様が来たときのみの宣言がなされ、清廉な神官服を着た美丈夫がホールに足を踏み入れる。

リーゼロッテが彼の弟子だという話は、ある程度耳聡い貴族なら周知の事なので、その繋がりで訪れたのだろうと納得する空気が漂っている。

誰しも神殿に籠り社交界に出てこない貴人と誼を繋ぎたいと、何とかして話しかけられないかとタイミングを窺っていた。

「こんばんは、侯爵、夫人、リーゼ。兄君は欠席ですか?」

「ええ、クラウス様。ドレイクはまだ王城でしてね。終わりまでには帰宅するでしょうが……」

父が代表して挨拶を返す後ろでカーテシーをする。

余り人前に出るのが好きではないクラウスに無理を言ったのだ、約束したお返しはきちんと果たさなくては。

内心気合を入れなおして、リーゼロッテは両親とアイコンタクトを交わす。

―――いきますわよ。

―――やっちまいなさい。

両親もまた腹に据えかねていたのだ。自分と同じ好戦的な光があるのを確認し、会場を見渡す。

アリスが提供されている軽食に興味を示したのだろう、二人がいるテーブルの周りには不自然に人が居ない。侯爵令嬢が忌避している相手と、幾ら伯爵家嫡男とはいえ親しくしたいとは思わない。それが社交界の常識でもある。

「レイモンド様、今宜しいかしら」

「っ、ああ、何かな」

滑るようにフロアを横断し、二人の前に立つ。

後ろにはクラウスがついてきている。

「アリスさんはお身体が弱くていらっしゃるでしょう? わたくし、ちょっとした伝手がありまして、クラウス様に治療をお願いしましたの」

「「エッ!!!!」」

「あら、どうしてそんなに驚かれるのかしら」

「いやあの、その」

クラウスとリーゼロッテの関係を知らずとも、神殿の秘蔵っ子であり国内きっての治癒術師のクラウスの事は知っているレイモンド。

まさかそんな大物を引っ張ってくるとは想像だにせず、だらだらと汗を垂らしている。

その様子を冷静に眺めて、リーゼロッテは予想が正しかったことを確信した。

リーゼロッテとの約束の日にばかり体調が崩れるなど、不自然極まりない。同席していても顔色は良く、食欲がないと言いながらきっちりケーキは食べて帰るし、十中八九仮病だろうな、と思っていたのだ。

「ああ、アリスさんが平民だから遠慮してらっしゃるのかしら」

ビシッ、と、空気にどでかいひびが入った音がした。

そこここで「平民を、侯爵家のご令嬢より、優先していたのか?」とか「なんて不敬を」とか、レイモンドには到底優しくない言葉が囁かれる。

なるべく多くの前で、レイモンドが仕出かした侮辱を知らしめたかったのだ。

これで、明日からの社交界での噂は風向きが変わる。関係者のみを集めて話し合いをしても、リーゼロッテにつけられた瑕疵は拭えない。しかし相手が平民であり、厚顔無恥にも平民を優先した、ということが広まれば、レイモンドのこれからは暗いだろう。

高位神官に虚偽を申し立てることは難しい。相手の発言の真偽を見抜く術を常に展開していることが多く、神官に嘘を吐くというのは神に対して嘘を吐くことと見做され、大変な不名誉だからだ。

これで、レイモンドは「詰み」だ。

大人しくアリスの仮病を認めても、クラウスに足を運ばせたという事実は残る。認めなければ神を欺こうとしたとして、神前裁判にまで発展しかねない。不貞行為を働いた挙句高位神官に虚偽を申告した、と。

この国の主神殿が祀るのは愛と許しの女神だが、その愛とは無秩序にばらまかれるものではない。ありとあらゆる愛は尊いが、男女の間にある愛はひとつきりだと聖典にも記されている。

どちらにせよ、レイモンド有責の婚約破棄は免れない。

「レイモンド! お前はなんということを!」

「そうよ! はやくリーゼロッテ様に謝りなさい!」

謝ったところで何も変わらないのだが、命綱が切れる寸前の伯爵と夫人が大慌てで駆け寄ってくる。初動が遅い。息子が浮気相手を連れてきた時点で、何らかの措置を取るべきだった。アリスを帰らせてしまえばまだ言い訳はできたのに。リーゼロッテがアリスを招くなど、何か企んでいます、と宣言しているのだから。

「伯爵、どうやらレイモンドくんは平民の娘と添い遂げたいらしい。当然娘との婚約は破棄させてもらう」

「なっ!! そんな訳がないでしょう!!」

「そんな訳がなくとも、平民の娘に貴族の令嬢と見紛うほどのドレスを与え、ことあるごとにリーゼロッテより優先するのだ。病弱な幼馴染が心配だと聞いていたが、クラウス様に治療して頂ける機会に跪いて感謝するでもなく、だんまりではな」

「そんな!!」

金づるを逃がしてなるかと足掻く伯爵夫妻だが、父の声音は変わらない。

最初からこうなるのを見越してアリスも招いたのだから、婚約破棄は確定事項である。

「レイモンド様、良かったですわね。婚約者より大切な幼馴染との愛を貫けますわよ。ただ、残念ながら伯爵家の後継の座は、諦めなくてはならないでしょうが」

「……う」

「はい?」

「ちがうんだ!!」

にっこり笑ってとどめを刺そうと声をかけたのだが、レイモンドは泣きそうな顔でこちらを見た。

何が違うというのだろう。アリスの事は承認欲求を満たすための関係で、恋人ではない? それとも、伯爵家の跡取りから退く気はなかった? そんなことを言いたいのなら、世間を舐めているとしか思えないが。

白けた目で見ていると、静まり返った中で、レイモンドが叫んだ。

「アリスは! 君の為に連れ回していたんだ!! 確かに病弱というのは噓だったけど!! でも一般的にか弱くて可憐な女の子は人気があるから!!」

「……はい?」

「君は、どんなイケメンもスルーするから!! だから!! 女の子が好きなんだろうと思って!!」

「……え、えぇ……?」

まさか愛人としてどうぞ、と、差し出されていた、と……?

そんなばかな。

全く予想もしていない動機に、なんとも居た堪れない空気が漂う。

息子の発言を受け止めきれないのか、伯爵夫妻もぽかんと口を開けている。

「ア、アリスさんは……ご承知の、うえで……?」

「あっはい! あたし、両刀なので! 初対面からめちゃくちゃ美人だ、遊んでほしいって思ってます!」

あっけらかんと頷くアリス。

病弱の演技はやめたらしい。

「ああ……いえ、違いますわ。そうじゃなくて。そもそも、何故そんな真似をなさったのです……?」

まさか、クラウスが言ったように、リーゼロッテ有責で婚約破棄を目論んでいたのだろうか。

「僕は―――ッ!! 男が好きなんだ―――ッ!!」

あーなるほどなるほど? 自分が同性愛者だから、もしかしたら婚約者も同性愛者なのかもしれないって? 男に興味が無さそうで女ばっかり見てるから? じゃあこれもしかして完全なる善意の暴走?

……そんなわけなくない?

「僕は、女性とはそういったことが、できなくて……ッ。だから、リーゼロッテには愛人を持たれても仕方がないとは、思っていて」

「……」

「なのにリーゼロッテは男に興味が無さそうで。もしかしたら同じかもしれないと。だから愛人候補としてアリスを連れて行ってみたら」

「……」

「普通そんなことをしたらブチギレられそうなものなのに、全然怒らないから。やっぱりそうなんだって」

「……」

「だから! 僕とアリスが結婚なんて! 絶対嫌だ!!」

「あたしも嫌だなー。レイモンド、好みじゃないし」

のほほん、と頷くアリス。

だが、周りの空気は凍り付いている。突然の暴露に全員の気持ちが追いついていない。

リーゼロッテは、口元に開いていた扇を、ぱちん、と閉じる。

「わたくしが女性を眺めるのは、ドレスショップを経営しているから、ですわ」

「エッ!!」

「美男子に目を留めないのは、おじ、クラウス様を見慣れているから、です」

「あぁ……確かに……」

納得、というように、レイモンドの視線がクラウスに刺さる。

そりゃ、クラウスに比べればどんな美男子も十把一絡げの芋だ。

「えっ、じゃあ、僕がやったことって……?」

「斜め上の、大失敗、ですわねぇ」

べしゃっ! と頽れるレイモンド。

善意の空回りといえど、流石にこんな大失敗は心に来たのだろう。

少々哀れすぎるが、性癖を暴露したのは彼自身である。今後は冷たい目線を向けられるだろうが、頑張って欲しい。

リーゼロッテが気を取り直して声をかけようとしたとき、レイモンドが力強く腕を突き上げ天を仰いだ。

「やっっっっっった―――!!!!!!」

めちゃくちゃ喜んどる。

「これで! これで僕は平民だ!! さよなら嫡男の座!! ありがとう世界!! 頑張れティナ!!」

ティナは彼の妹の名だ。そりゃ、レイモンドが嫡男から外れるなら、自動的に妹が継ぐことになるけれども。

「後継を儲ける為に女性と致さなくていい!! ハッテン場に堂々と行ける!! 自由だ!!」

まぁ、こんなに大々的に本音をゲロってしまったら、平民になるしかないだろうけれども。

ボロボロ涙を零しながら、身体全体で喜びを語っている。

息子の醜態に、伯爵夫妻はおろおろするばかりだ。

当然だろう。息子が正直になりすぎてしまったときの対処法など、どこであっても誰であっても教えてくれない。

「……伯爵、そういうこと、だから。慰謝料は、可哀想だから最低額にしてあげよう」

「……ハイ、アリガトウゴザイマス……」

「ゴメイワクヲ、オカケシマシタ」

伯爵夫妻はカクカク頷いて、差し出された書類に言われるままサインした。

もし婚約当初から平民落ちまで視野に入れていたなら、レイモンドの行いにも理由があったのだな、と納得できてしまった。格上の令嬢相手になんて無礼を、と思っていたが、それを咎めて欲しかったのだ。だから本来なら有り得ない無礼を続けていた。

最悪結婚しても、リーゼロッテが愛人を持つのを認めようとまで思っていたらしいし、レイモンドの本質は悪人ではないのかもしれない。ズレているが。

彼も、頑張っていたのだなぁ。

その方向性は若干間違っていたけれど。

公衆の面前で叩き潰そうと覚悟してこの夜会を準備したが、こういう形で叩き潰そうと思ったわけではない。

明日から様々な方面から聞かれるだろうけれど、実は同じ趣味なのでは? などと誤解されたくないなぁ、とリーゼロッテは遠い目をするのだった。

翌日、神殿からクラウスが訪れた。

「お疲れ様でした。昨日はよく眠れましたか?」

「ええ、よく眠れました、と申し上げたいところですけれど……まだ、疲れが残っている気がしますわ」

「それは大変だ」

ほわり、とクラウスの手から光が滲み、リーゼロッテを包む。こんなに簡単に治癒術を使っていいのかは疑問だが、確かに身体は楽になるので有難い。

疲れが残っているのは心の方で、身体じゃないが。

「婚約は無事に破棄されたそうなので、そのお祝いを」

「まぁ、ありがとうございます。おじさまにもご迷惑をおかけしましたわ」

「なんとなく予想はできていましたので構いませんよ。―――いえ、全く予想外のこともありましたが」

「……そうですわね」

二人そろって少し俯く。

仕方ないじゃん。あんなの予想できるか。

「それで、約束していたお返しの事なのですが」

「はい。伺いますわ」

「結婚しましょう」

「……?」

昨日から予想外ばっかり続く。

「ご存じの通り、神殿に所属する神官には婚姻の自由が認められています。勿論婚姻を禁じて神殿に入る神官もいますが、私は禁じていません」

「そう、なのですか?」

こくりと頷くクラウス。

確かに、神官が何を禁じて神殿に入るかは個人にゆだねられているらしいので、クラウスが結婚できてもおかしくはないのだが。

「私は飲酒を禁じて神殿に入ったのですよ。いつかこんな日がくるといいなぁ、と思っていたというか」

「こんな日、ですか?」

「そう、リーゼに求婚する機会が、くると良いなぁ、と」

クラウスは第一王子が立太子したのを機に姓を捨て神殿に入ったのだが、それは5年前のこと。

少なくともその時には、リーゼロッテは好かれていた、らしい。

「私とは年が離れていますし、ただの魔術の師としか見られていないのだろうと、半ば諦めていたのですが―――貴女が婚約した相手がアレだったでしょう?」

「アレ、でしたわね」

「きちんと求婚して、答えを貰いたいと思ったのです。あんな相手に、リーゼを奪われるくらいなら」

「……」

初めて会った時から、なんて綺麗な人だろうと思っていた。

容姿が整っていることよりも、その清廉潔白さ、無垢さが美しいと、ずっと。

その気持ちの中に憧れ以上が無かったと言えば噓になる。

身分も違えば立場も違う。背負うものも見ているものも、何もかも違うのだろう。

けれどそれでも、もし隣で歩いて行けるなら。

「……喜んで、お受けしますわ、クラウス様」

「!」

「ですが、お父様の説得は頑張ってくださいませ」

「あぁ……」

商売のこととなると冷酷だが、家族を溺愛している父の了承を得てもらわなければならない。

それでも最終的には認めてくれる筈だ、と、リーゼロッテは笑った。