軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

過去篇 参  22 岬にて

7月、シュウキ・ツェツィは娘アドリアナと共に、海へやって来ていた。

講義は『夏休み』である。

1週間ほどの休みとし、2人は1日掛けて海岸の村、フトラを訪れたのである。

村からほど近い岬に立ち、シュウキとアドリアナは海を眺めていた。

「うわあ、すごい! これが海なの、お父さん!」

生まれて初めて見る海に、アドリアナは興奮しっぱなしである。

「ああ、そうだよ。これが海だ」

久しぶりの潮風。シュウキは目を細め、青い大海原を見つめた。

「 足摺崎(あしずりざき) にちょっと似ているなあ……」

今はもう帰ることのできない、遙かな故郷の風景を思い出したシュウキ。

灯台こそ建っていないが、その風景は四国南端の岬、足摺岬によく似ていた。

余談だが、シュウキが住んでいた頃は『 足摺崎(あしずりざき) 』と呼ばれており、『 足摺岬(あしずりみさき) 』となったのは昭和40年、1965年からということだ。

「お父さん、この眺め、好き?」

潮風に金色の髪をなびかせながらアドリアナが尋ねた。茶色の目は輝くように明るい光を 湛(たた) えている。

「ああ、気に入ったな」

海から目を離さずに答えるシュウキ。アドリアナはそんな彼の横顔を見つめていた。

* * *

「しょっぱーい!」

「ははは、だろう?」

シュウキとアドリアナは岬から海岸へ下り、海水浴としゃれ込んでいた。

もう13歳になるアドリアナは、胸にも布を巻いている。

そんな愛娘を見つめるシュウキは、いつか、この娘を 攫(さら) っていく男が現れるのだろうか……などと、益体もないことを考えていた。

「ねえ、お父さん、泳ごうよ」

ぼーっとしているように見えるシュウキを泳ぎに誘うアドリアナ。

「ああ、そうだな。波があるから被らないように気を付けるんだぞ」

「はーい!」

シュウキの泳ぎは基本平泳ぎである。海という広い水の上で長時間泳ぎ続けるのに適した泳ぎ方だ。

「背中が日焼けしたら治癒魔法掛ければ治るからな」

「うん、わかった!」

日焼けも火傷の一種であるから、初級の治癒魔法で平癒するのだ。

2人は並んで泳ぎだした。

「あ、ほんとだ、顔を出して泳ぐのもすっごい楽!」

「だろう? 遠泳というのはこうして泳ぐんだぞ」

小学生の頃、学校行事でシュウキは遠泳をしたことがある。

およそ10キロという距離を、クラスごとに隊列を作って泳いでいくのだ。

周囲には、近所の漁師が厚意で船を出してくれているので、体調が悪くなっても安心である。

但し、途中で脱落した者は、クラス内でのヒエラルキーで最下位に落ちてしまうのだが。

途中、校歌を歌ったり、点呼があったりもする。

その際、頭は上げっぱなしということになり、子供たちは皆こうした泳ぎ方を習熟していくのである。

「塩水だから比重が少し重いんだよね? それで浮きやすいわけなんだね」

「そのとおりだ」

並んで泳ぎながら、シュウキはアドリアナが知識を生かせていることに喜びを覚えた。

緯度的には大陸のかなり北寄りに位置するとはいえ、7月の日射しは強く、海の水も温んできている。

2人は1時間ほどのんびりと泳ぎ続けた。

(……この時間がいつまでも続けばいいのにな)

(2人だけのこの時間……時がこのまま止まればいいのに)

奇しくも、父娘揃って似たようなことを考えていた。

* * *

「あいたたたた! 背中がひりひりする!!」

その夜、宿屋に設けられた浴室に、アドリアナの悲鳴が響き渡った。

「……『 治療(キュア) 』! 『 治療(キュア) 』! 『 治療(キュア) 』!」

背中の日焼けした箇所がよく見えないので治癒魔法を連発し、ようやく痛みが治まってきたアドリアナだった。

「お父さんと一緒に入りたかったな……」

アドリアナが10歳になったその日から、シュウキは一緒に風呂に入らなくなったのである。

「……大きくなんか、ならなくてもいいのに……」

ずっと子供のままでいられたら、シュウキを独り占めできるのに、と思うアドリアナ。

だが、それは不可能。だったら。

「お父さんと2人っきりのこの旅行、楽しまなきゃね」

シュウキは風呂上がりの火照った身体を、宿の中庭にあるベンチに座って夜風にさらしていた。

背中の日焼けにはアドリアナに治癒魔法を掛けて貰っている。

とはいえ、実際のところ、シュウキは『痛み』を感じてはいなかったのだ。

交通事故により轢死一歩手前で異世界に渡った影響で、駄目になった身体の部位は魔素による補完がなされており、その部分は劣化しないのである。

いや、劣化だけではなく、変化に類する一切を受け付けない。

傷などは負うが、感染症にはならない。また、炎による火傷は負うが、紫外線程度では日焼けを起こさない身体なのである。

(だが、それもいつまで保つか……)

最近、特に内臓の不調を感じるようになってきたシュウキである。

(せめてあと数年、アドリアナが成人するまで保ってくれたら)

己の後継者としてのアドリアナが完成するまで、あと2年、とシュウキは見込んでいた。

その時アドリアナは15歳。この世界では成人の歳である。

(それまでは石にかじり付いても生き抜かねば)

そんな、悲愴とも言える決心を、シュウキがあらためて心に刻んだ時。

「お父さーん!」

風呂から上がったアドリアナが、シュウキの背中に抱きついてきた。

「おいおい、暑いぞ」

「うふふ、我慢して。この旅行の間だけは、あたしだけのお父さんなんだからね!」

アドリアナの屈託のない笑い声に、シュウキも笑みを浮かべる。

「幾つになっても甘えん坊だな、アドは」

「2人きりだからよ」

そう言ってアドリアナは、シュウキの背から離れ、隣に腰を下ろした。

「月が綺麗、ね」

東の空を見れば、月が昇ってきたところだった。

「ああ、そうだな。夏にしては珍しく空気が澄んでいる」

いつもなら、昇ったばかりの月は赤っぽい色をしているのに、今夜は白い光を放っていた。

「しかし、あの月も不思議な天体だな……」

「お父さんのいた世界では満ち欠けしたのよね?」

既にアドリアナは、父シュウキが異世界からやって来たということを聞いて知っており、その世界の月は満ち欠けすることや、その理由なども教えられ、理解していた。

「ああ。見かけの大きさももっと大きかったしな」

そんなシュウキに、アドリアナは思い切った質問を投げ掛ける。

「……帰りたい?」

だが、シュウキは静かに首を横に振った。

「いいや。……昔は帰りたいと思ったものだが、今となってはこの世界が私の故郷だ。アドリアナのいるこの世界が、な」

だが、そう言い切ったシュウキの横顔がどこか寂しそうなことをアドリアナは感じ取った。そして。

「お父さん、あたし、頑張るね」

『 賢者(マグス) 』、シュウキ・ツェツィの愛娘、アドリアナ・バルボラ・ツェツィは、決意を新たにしたのであった。