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【コミカライズ】筆頭聖女ですが、一日婚で生贄回避します!

作者: 紫嶋桜花

本文

「筆頭聖女には、そろそろ死んでもらうわ」

風に乗ってそんな声が届き、セレナはどきっとした。

都の大神殿の裏庭である。

セレナは趣味の脱走に勤しもうと、地味な服に着替えて部屋を抜け出してきたところだった。

筆頭聖女。誰だっけ。……はい、私です。

……えっ、これってやばいやつ?

慌ててそのへんの植木の陰に身を隠す。声の主はまだこちらに気付いていないようで、話は続いている。

「ちょうど大神官長の巡礼が控えているでしょう。筆頭聖女派のあいつが神殿を離れてるうちに冤罪を着せて、処刑してしまえばいいわ」

どこかで聞いたことのある女の声だ。すぐに男の声が応じる。

「処刑よりも、もっとふさわしい末路がございますよ。生贄にしてしまえばよろしいのです」

「お前! いいことを思いつくわね!」

はしゃいだ声で思い当たった。これ、次席聖女のデリラだ。

セレナは筆頭聖女だが、出身はガチの平民である。

貴族生まれのデリラには、そのせいで何かと敵意を向けられていたけど、まさか死んでほしいとまで思われていたとは……。

しかも生贄って、確か何代か前の大神官長が廃止した、めっちゃ古いしきたりじゃなかったっけ。そんなものまで復活させてこちらを葬ろうとしてくるなんて!

話は着々と進行する。

「それでは、冤罪の方はお父上にお願いできますかな?」

「ええ、任せてちょうだい。あの女を連れてきた 大神官長(ボケろうじん) の責任もついでに追及してやりましょう」

「ははは、楽しみですな」

「ええ。これで私は筆頭聖女! お前にも地位を約束してあげるわ!」

…………。

二人の笑い声が聞こえる中、セレナはそーっとその場を離れて、いつものように塀の少し低くなったところを乗り越えて、王都の路地に降り立った。

思わず声を吐き出す。

「……………………、やばーーーーー!?」

『やばいよね!?』

すかさず降ってきたのはこの国の主神、女神様の声である。

セレナは女神様と会話ができるのだ。筆頭聖女なので。

「女神様もそう思います!? これ私逃げたほうがいいやつですよね。まだ死にたくない!!」

『だよねえ、逃げていーよ! 逃げちゃえ!』

といったふうに大変軽いが、これはある意味神託である。

これ幸いと、セレナは当面の物資を確保すべく、市場へ向かった。

平民出身の聖女なので、野宿になるのは構わないが、道具類は最低限あるに越したことはない。

何を買おうか、考えながら歩いていると、女神がまた語りかけてきた。

『セレナちゃん、道の向こう、コンくんいるよ?』

「えっ、あ、ほんとだ」

道の向こうの見慣れた長身は、幼馴染のコンラッドだ。

いいとこのお坊ちゃんらしいのだが、子供の頃は命が狙われていたとかで、セレナが育った村にいる剣豪のお爺ちゃんに預けられていた。

数年前、セレナが聖女修業を始めるのと前後して、都で家族と一緒に暮らせるようになったらしい。

今では騎士団に入っているとか。こうやって偶然遭遇することも何度かあった。

相手も気付いたようで、じっとこちらを見ながら歩いてくる。

今日は騎士の仕事は休みなのか、趣味のいい私服を身につけている。

それにしてもいい体つきになったなあ、と思いながら近づいてくるグレーの頭を眺めていたが、話しかけてきてくれるなら助かる。

「コン、久しぶり!」

「おう、また脱走してきたのか? 仕方ないなあ」

やれやれ、といったような顔で笑われた。

「あはは、すみません。こればっかりはやめられなくてねぇ……」

遠い目をしてみたら女神様に突っ込まれた。

『セレナちゃんセレナちゃん、今それどころじゃないでしょ』

「あ、そうだった! コン、旅って慣れてるよね?」

「まあ、遠征とかあるしな。どうかしたか?」

「うん、旅に必要なものを教えてほしいの!」

途端にコンは怪訝なそぶりになる。

「……旅? セレナが?」

「うん」

「詳しく話せ」

旅の目的で持ち物が変わるとかあるのかな、と思って事情を伝えると、コンは険しい顔になり、言い放った。

「……俺もついてく」

「え! 何言ってるの!? お仕事あるでしょ!」

「ちょうど遠征が終わって、長めの休暇が出てるんだ。今日は消耗品の補充に来たところでな」

「休暇って、こっちは『いついつまで逃げる』とかそんな話じゃないんだよ!?」

「わかってる。必要なら団を抜けてもいい」

突然そんなことを言われて、セレナはぶったまげた。

「はあ!?!? 何言ってんの!?」

「それはこっちの台詞だ。セレナは俺の命の恩人だろ。それが今度は命を狙われてるっていうんなら、何をおいても恩を返すのが当然だ」

「そんなこと言ったって、あれは……」

確かに、セレナはコンの命を救ってはいた。

一緒に村で暮らしていた時、女神に教えられて不審者や不審物の存在をコンや剣豪のお爺ちゃんに伝えたことがあったのだ。

「でもあれは、女神様のお言葉をそのまま伝えてただけで……」

「それでも、俺は助かったんだよ」

困惑するセレナの耳に、女神様ののんきな声が聞こえる。

『コンくん、真剣ねえ。でも、女神も賛成かなー』

うっ。

目の前では深呼吸をしたコンが、静かに言い聞かせてきた。

「それに、追手は一人で逃げた若い女を探すだろう。その時に、男女の連れ……ふ、夫婦者だとでも見せかけておけば、誤魔化しやすくならないか?」

『あらまあ』

夫婦者。

その言葉に、天啓が走った。

「もっ、もちろんセレナが嫌なら、兄妹とかでも──」

「それだ!!!!!」

思わずセレナは路上で叫んだ。

「コン、私と結婚してくれない? 一日だけでいいから!!」

「……はあ!?!?!」

『セレナちゃん……いや、面白』

女神は爆笑している。

コンは顔を真っ赤にして絶句していた。

「……えっとごめん。ちゃんと説明するね」

これは誤解を与えたかもしれない。セレナはちょっと反省した。

「聖女の資格に、未婚の女性っていうのがあるのは知ってる?」

「……あ、ああ……いや、なるほど、そういうことか」

思い当たったようで、コンはすぐに立ち直った。さすが騎士。いや関係ないか。

「そそ。逃げた先でもどこでもいいから、神殿で結婚の誓いを立てさせてもらえば、私は聖女じゃなくなるってこと。もちろん筆頭聖女でもなくなるから、そのままデリラが筆頭聖女になれるでしょ」

「確かにな……名案、なのか……?」

コンは顎をさすっている。その様子を見て、遅まきながら思い当たった。

「あっ、コン、今付き合ってる人いたりする? 前はフリーって言ってたけど……いたらごめん、聞かなかったことにして」

「それはいないから大丈夫だよ。縁談も家のほうで断ってもらってる」

「そっか、それじゃあ……」

期待をこめて見上げると、髪と同じグレーの瞳が細められた。

「……ま、いいよ。やってみよう」

「ありがとう!!」

『うふふふ、婚約おめでとう〜、なのかしら?』

すぐに誓いを立てる予定なので、なんとも短い婚約期間である。

そしたら次はどこで誓いを立てるか、だが……。

「やっぱりすぐデリラに私が聖女じゃなくなったって伝わるほうがいいよねえ……。そしたら、いったん大神殿に戻ろうか?」

「そうだな。持ち出したいものもあるんじゃないか?」

「うん、そんなにはないけどね」

善は急げ。セレナは脱走してきたばかりの大神殿の表門に足を向けることにした。

というわけで、今は大神殿の女神像の前。

王都に住まう数多の男女が誓いを立ててきた、結婚式の定番スポットである。

しかし、今回の式は妻となるセレナに夫となるコンラッド、誓いの立会人を務める大神官長、と最少催行人数に挑戦したような顔ぶれだった。

「いやはや……」

執務室にいたところをセレナに捕まえられ、人払いの上で事情を聞かされた大神官長は目を白黒させている。

とはいえセレナが突飛なことを始めるのには慣れているので、むしろ心配なのはつきあわされているコンのほうだ、といった様子だ。

「……その……お家の方は、よろしいのですかな?」

「ええ。私の身の振り方については、一任されておりますから」

「そうですか。……セレナ、女神様は……」

大神官長は天を見上げるような素振りをしてから、苦笑した。

「……とても陽気に祝福されておられるな」

『それそれ! 超ハッピー! めっちゃ幸運授けちゃう!!』

「……でしたら、口を挟むのは野暮というものでしょう。……お二人は今後、助け合って共に生きることを誓いますか?」

「はい、誓います」

「あ、はい、誓います!」

今後って言われても一日だけなんだけどなー。

そんなことを内心考えていたら、コンにさらっと誓われてしまい、セレナは慌てて追唱した。

「よろしい。これでお二人は女神の前に夫婦として認められました」

『おめでとー、セレナちゃん、コンくん!』

女神は三人だけに見えるように、小さくキラキラを降らせてくれた。

セレナはさっそく、少ない私物をまとめて大神殿を後にした。

廊下ですれ違ったデリラは、気持ち悪いほどにニコニコしていた。多分自分が筆頭聖女になったことが伝えられたのだろう、耳の早いことである。

「明日になったら離婚の手続きしないとね。さすがに、大神殿じゃあれだから……どこにしよう?」

「それよりも、早く安全な場所に移動したほうがいいんじゃないか」

確かに。

「どこに逃げるか、考えてたのか?」

「えっと、まずは村に戻ろうかなって」

「それはやめたほうがいい。俺たちがあそこ出身なのは神殿では知られてるだろ? デリラたちが手を回してないとも限らない」

「あ、そっか……」

デリラ自身はそこまで策謀を巡らせているかわからないが、話をしていた謎の男やデリラのお父上とやらのことまで考えたら、その危険はないとは言えなかった。

「提案なんだが、まずは俺の実家に身を寄せるのはどうだろう。警戒はされてるだろうが、うちも貴族だからうかつには手を出せないし」

「えっ! そんなの悪いよ」

「何言ってんだ」

コンは笑い飛ばした。

「セレナと俺の仲だろ、今更遠慮なんてしなくていいよ。それに、嫁が旦那の実家にあいさつをしに行くなんて、普通のことだろ」

『普通のことよねえ』

女神まで追い打ちしてくる。

「うっ……」

そう言われると、むしろあいさつには行かなきゃいけないような気がしてきた。でも……一日だけの嫁なのに、ありなんだろうか?

「じゃ、決まりな。俺もいったん、宿舎に寄らせてもらっていいか?」

「うん、それはいいけど……!」

セレナの覚悟が決まらないうちにコンはさくさくと話を進めてしまう。

いやでも、生贄を回避するためとはいえ、お宅の息子さんをお借りしてしまったのだ。

コンの実家の人たちには一度は謝罪をしておいたほうがいいだろう。

セレナはそう考え、心を決めた。

はずだった。

「………………いや。いやいやいや。ここまでの覚悟は決めてなかったからー!!!!!」

セレナは叫んだ。

ここは王都から遠く離れた辺境の地。

目の前にはそれはそれは立派なお城と、城下町が広がっている。

遠目には国境を守る大きな壁。

いや、コンの実家って王都にあるんじゃなかったの? さらっと貴族とか言われたのは気になってたけど……。

「うん、どうした?」

チャーターした馬車の御者に代金を支払っていたコンが、こちらを振り返る。

このロケーションで貴族といったら、どう見てもあのお城の主しかいないことくらい、セレナにもわかる。

「コンって、コンのおうちって、辺境伯家なの!?!?」

「あれ、言ってなかったか?」

「聞いてない!!!!!」

全身で叫んだが、コンは気にした様子もなかった。

「そうだったか。ま、友達の家族に会うと思って、気を楽にして」

「できるかー!!」

「そうそう、俺が村での話をよくするもんだから、みんなセレナには会いたがってて」

「なっ……! 何を聞かせたの!?」

「それは内緒」

「っ!!!!!」

『あははははは!』

セレナはもう言葉も思い浮かばなかったが、女神はずっと笑い転げている。

これは絶対知ってたやつだ。神様だから当たり前だが。

そんなわけでたいそう緊張して城に足を踏み入れたセレナだったが、受けたのは大歓迎だった。

「あらあらあらあらまあまあ、セレナさんね、はじめまして」

目元がコンによく似たこのおばさんは辺境伯夫人とのことである。

「遠路はるばるよくおいでなすった。今、茶を入れさせているからまずはゆっくりなさるとよろしい」

辺境伯閣下は、がっしりした体つきがコンとそっくりである。

「セレナさま……! あの、あの、お姉さまって呼んでもいい……?」

大変に愛らしい、七歳だという少女はコンの妹さんだそうだ。

「あの、すみません……ちょっと待って。あ、と、お茶は、いただきます」

「さくらんぼのパイはお好き? ちょうど今朝料理長が焼き上げたのよ」

「え、好きです……それもいただきます……」

セレナは応接間のソファにぐったりと座り込んだ。赤い花柄のファブリックがかわいらしい、大変趣味のよい応接セットだ。

ほどなく用意された茶器も深い紺色に金で装飾のされた、めちゃめちゃ高そうなものである。カップを持つ手が震えて紅茶が波打った。

「あはは、セレナ、深呼吸して。誰もとって食ったりしないから」

何にウケているのか笑いながらコンがパイを取り分けてくれた。震えながらフォークを刺し、口に入れると品のいい甘酸っぱさが広がった。

やばい、おいしい……。

『おいしそ〜! あとでそれ、女神の祭壇にお供えしてよね!』

おっと。

「このお城にも女神様の祭壇があるんですか?」

答えてくれたのは辺境伯閣下である。

「もちろん。城内に礼拝所がありますよ。王都の大神殿には劣るが、城下に神殿もあります。晩餐までの間、コンに案内させましょう」

「あ、はい、ありがとうございます。って、私もう聖女じゃないんですけど、いいんですか?」

閣下はニコッと笑った。

「誰もそのようなこと、気にしておりませんよ。あなたは息子の恩人で、それが妻になってくださったという。こんなに喜ばしいことはない。……そうだ、代々伝わる神聖具があるのです。もう誰にも動かせないものですが、そちらもご覧になるといいですよ」

美しいお皿にパイを取り分けてもらって、礼拝所まで案内してもらう。

数歩先を歩いていたコンがこちらを振り返って、首を傾げた。

「どうした? ……浮かない顔して」

「うん……えっと……」

捧げ持った皿の重みを感じながら口を開く。

「ご家族に、一日だけの結婚って言えなかったなって」

というか、この辺境伯領にたどり着くまでに数日過ぎている。一日だけのはずが、ずるずると引き伸ばされていた。

できれば、すぐにでも城下の神殿で離婚を成立させたいところだけど……。

コンは頬をかいた。

「そっか。……そりゃセレナからは言いづらいし、もやもやするよな。……ごめん、俺からちゃんと伝えておく」

セレナは慌てる。

「え! 違うよ、全部私の都合なのに……! ごめん、自分で言えるから」

「いいからいいから。家族のほうが言い出しやすいことってあるだろ。……ほら、まずは女神様にお供え持ってこうか」

「あ、うん……いや、大丈夫だからね?」

重ねて伝えるが、コンは笑ってセレナの先を歩くだけだった。

……そんなやり取りがあったが、礼拝所に着いたら吹っ飛んでしまうぐらい驚いた。

「すごい……綺麗!」

礼拝所というには立派すぎる、広々とした空間だ。

柱は精緻な彫刻を施された大理石でできており、奥の女神像は柔らかく微笑み、衣服のひだまで美しい。その頭上には色とりどりのステンドグラスが陽の光を透かしている。

「お供えはこっちだ。おいで」

教えられた台の上には見事な刺繍を施された布がかけられ、黄金の器に季節の果物が並べられていた。女神も大喜びである。

『や〜んいつもありがと〜! ねっ、パイも早くそこに置いて。めっちゃ楽しみにしてたの〜!!』

「あ、はい」

そっとお供えすると、空中から小さなキラキラが降ってきた。本当に楽しみにしていたらしい。

「お喜びいただけたようだな、よかった」

「うん、果物もいつもありがとうだって」

「そうか」

コンが嬉しそうで、セレナもちょっとほっこりした気持ちになった。

「そしたら……神聖具か。こっちに飾ってあるんだけど、見るか?」

「ん、見たい」

神聖具は、聖女や神官たちが動かすことのできる道具である。

どれもはるか昔に作られたとされるもので、中には直接神々から与えられたものもあったという。

大神殿ではセレナもいくつかの神聖具の管理を任されていたが、今頃はデリラの役目になっているだろうか。

礼拝所の横に扉があり、コンが鍵を開けて招き入れてくれた。

中には、小さな部屋がいっぱいになるほどの装置が鎮座している。

「わ……」

『すごい……!』

感激で声を震わせたのは、女神だった。

『なんてこと、動かせない神聖具って言っていたのに……。この子、今にも動かせそうなくらい、しっかり手入れされてるじゃない』

「え、動かせるんですか?」

『そうよ! ある程度の力がある聖女や神官なら……セレナちゃんだってできるんじゃないかしら。ね、そこのパネルに手を重ねてみて!』

セレナはそっと、言われた場所に手をかざしてみた。

途端に、ブゥン……と装置が音を奏で始める。

「わっ!?」

『ねっねっ、できたでしょ!』

「動いたのか……?」

女神ははしゃぎ、壁際でセレナを見守っていたコンも驚いている。

「えっ、女神様、これどんな神聖具なんですか? こんな大きさのもの、私見たことないです」

『結界を張るためのものね〜。このサイズはほら、城壁が見えたでしょ? あれを保護するためのものよ』

「あの城壁を、丸ごと保護……!?」

コンがうなずいた。

「俺もそう聞いている。国境の小競り合いは今は落ち着いているが、またいつ敵が攻めてくるかはわからない。その時にこれが動かせたら、かなり有利に運ぶことができるぞ」

「えっ、そんな大事なもの!? 動かしちゃってよかったの!?」

「ああ……そもそも、こいつが動くってこと自体が、抑止力になる。平時の交渉でも有利に働くかもしれない」

「ええっ……」

動かす前に言ってほしかった……!

『しっかり手入れしててくれたこの家の人たちのおかげねぇ。文字通り、無用の長物だったでしょうに、いつかこうやって動かせる人が来てくれるまで、 神(わたしたち) を信じて待っててくれたのね……』

女神はこころなしか涙声である。セレナはそれどころではない。

「じゃ、じゃあ……大神官長に連絡して、動かせそうな人をここに送ってもらって……」

「……セレナじゃだめなのか?」

「わっ、私はもう聖女じゃないし」

「──セレナ」

「それに……いつまでもここにお世話になるわけにも」

『セレナちゃん』

「いかな……はいっ?」

『コンくん見てあげて』

女神に促され、そちらを振り返ると。

コンがひざまずいていた。

「えっ、どしたの!?」

「……誤解されたくないから、先に言っとくんだが。これはセレナが聖女で、神聖具を動かせたからとか、そういうわけじゃなくて」

そして懐から、何かのケースを取り出した。

「──ずっと前からお慕いしていました。私と結婚してくださいませんか」

ケースが開けられると、そこには黄金のリングが輝いていた……。

えっ。

「結婚……はもう、してるよね……?」

ついそんなボケともツッコミともつかない返しをしてしまう。

コンはひざまずいて指輪を捧げ持った姿勢のままで苦笑した。

「ありがたいことにな。……けど、緊急避難のためじゃなくて、俺はセレナと名実ともに夫婦になりたいんだ」

名実ともに……。

ぼっと自分の頬が熱を持った感覚がする。

「そんな、え、ずっと前からって、いつから」

「村にいた頃からかな。でも、セレナは聖女になっちゃって、結婚ができなくなったから……」

「……そんなに前から……」

全然気づかなかった。

『セレナちゃん。お返事は?』

女神にうりうりと催促され、口ごもる。

「えっ、えと……」

「……ああ、駄目だったらいいんだ。きっぱり断ってくれて構わない。セレナがそんなふうに俺を見たことがないっていうのは知ってるし……」

そう言ってさっぱりと笑うコンを見て、胸がきゅうっと苦しくなった。

「だ、駄目なんてことない! でも……」

『でも?』

「私なんかで本当にいいの? コンはほら、こんなすごいお城の若様なんでしょ」

そう言うとコンは目を丸くした。

「え、脈あるのか。……じゃなくて。セレナのほうがすごいじゃないか、女神様と話せる人なんてめったにいないぞ」

思いがけないことを言われた。

「え、神殿にはいっぱいいたけど……?」

「そんなこともないんじゃないかな」

『そんなこともないわね』

両側から否定される。

「えっえっ」

「でも、さっきも言ったけど、俺はセレナが女神様と話せるから好きになったんじゃないよ。そのいつでも明るいところとか、行動力とか、そういうのに、子供の頃から本当に救われてきたんだ。だからこれからも、俺の隣で笑顔を見せてほしい」

臆面もなくそんなことを言われて、セレナのほうが恥ずかしくなってくる。

「なあ、セレナの気持ちを聞きたいな。俺のことどう思ってる?」

ついにまっすぐ聞かれて、セレナは自分の心に聞いてみた。

……うん。

「……コンは、頼りになるし、そばにいてくれるなら嬉しい…………」

コンははにかんで笑う。

「そっか。じゃあ、これは受け取ってくれる?」

「……、はい……、よろしくお願いします」

「ありがとう!!」

コンは立ち上がり、ぎゅっとセレナを抱きしめると、その指に金の指輪をはめた。

ぱあん、ぱあん!

城の外に花火のようなキラキラが打ち上がる。

「ちょ、ちょっと、女神様!?」

『お祝いごとでしょー!? 領民にもお知らせしたっていいじゃない!』

「よくない、恥ずかしい……」

「ははは、結婚式は盛大にやろうな」

「うええ……」

その頃、辺境伯夫妻も盛大な式の手配を始めていたと、すぐに知ることになるのだった。

さて、王都である。

意気揚々と筆頭聖女に就任したデリラだったが、その執務にはさっそく暗雲が垂れこめていた。

「なんで動かないのよ! 壊れてんじゃないの!」

今日もそんなヒステリックなわめき声が、儀式用の部屋の外まで漏れ聞こえてくる。

「デリラ様、虹の神聖具、まだ動かせないんですって……?」

一般の神官や聖女も不安そうにささやきあっていた。

「そうみたいですよ。小さな虹も出せないようじゃあ……」

「雨乞いの神聖具を動かすなんて、できそうにもないわね……」

「……なるほど。セレナは辺境伯家で、幸せに過ごしておるのですな」

大神官が神託を得るための特別な部屋。

そこで香を焚き、供物をそろえて、大神官長が瞑想をしていた。

大神官長ですら、このような手順を踏まねば女神と言葉を交わすことはできない。

たまに女神の姿を見たり、一方的に神託を与えられることはあったが、その程度だ。

セレナはそれほどまでに特別な存在だった。

在りし日を思い出す。女神から、当時管轄していた地域の村に、『私と声を通わせられる子がいるのよ』と告げられ、セレナを迎えに行った日のことを……。

あれから十数年。セレナには、聖女として窮屈な生活を強いてしまった……いや、しょっちゅう脱走していたようなので、そうでもないだろうか?

いずれにせよ、セレナが幸せをつかんだというなら、それは大神官長にとってもこの上ない喜びである。

「デリラに感謝せねばならぬやもしれぬな」

そうつぶやいて大神官長は皮肉げに笑った。あの娘が、神との対話どころか、神託も得られない身であることも、彼は女神に教えられて知っている。

女神は語る。

『聖女が結婚できないっていうのも、女神が言い出したんじゃないのよねー。生贄と一緒! やめちゃってもいいんじゃない?』

「御意に。……そろそろ、神殿も大掃除の時期でしょうな」

世俗の権力だけで娘を聖女として送り込んだ貴族や、その娘に触手を伸ばしてきた勢力を一掃するのは今だろう。

すっかり片付けが済んだら、未来の辺境伯夫人を今は空位の大聖女としてお迎えするのもいいかもしれない──。

「いやはや、老いぼれには荷が重いですが、最後の大仕事として気合いを入れ直しますかな」

『またまたぁ、謙遜しちゃって』

一人と一柱の含み笑いが、香の煙を静かに揺らしていた……。