作品タイトル不明
第十九章 復讐の始まり
來栖がいなくなってからの時の流れは早く、メノウが殺されたという感傷に浸る余裕も与えられないまま一週間が経過した。時間のほとんどはノアの地下施設内にいた住民、レジスタンスの者たちに裏で起こっていた真実を伝えるのに費やした。
最初は、ほとんどの者が信用しなかった。逆に獣牙族をノアの施設内に引き入れた鏡たちを敵視し、捕らえようと動く者もいたが、『なら……こいつに全部聞いてみろよ』と、ボロボロになったバルムンクを一同の目の前に突き出し、心の余裕の一切ない鏡の鋭い眼光を浴びせられたレジスタンスたちに立ち向かう勇気を持った者はいなかった。
それから鏡たちは、時間をかけてレジスタンスたちにことの真相を伝え始めた。
信じさせるには実際にそれを行っていた現場を見せる方が早く、來栖が破棄したセントラルタワー内を、バルムンクに案内させてレジスタンスの一同に見せつけた。
既に放棄されたセントラルタワー内でその場所を見つけられるのは時間の問題と考えたのか、セントラルタワー内で行っていた事実をレジスタンスの連中に伝えるのを手伝わせるために來栖が置き土産として残したのかはわからなかったが、バルムンクは素直に案内を行った。
まるで、案内させることを含めて來栖の考え通りかのような状況に違和感を覚えたのは、まだ鏡たちの記憶に新しい。
そして、レジスタンスの全員にことの真実を伝えたその結果、ほとんどの者の心が折れた。
自分たちが行ってきたことの全てが、身内から出たサビを消すために行ってきたことだったのだと、立ち直れないほどに落胆した。愛する者を失い、かけがえのない友を失い、それでも戦い続けられたのは絶対的な明確な敵が存在したからだ。その敵が自分たちの身内だったという事実は、今まで失ってきた者たちを含めて何のために戦ってきたのか一同を迷わせた。
それでも前へと進もうとする者はいた。真実を知ったうえで、そこからまた世界を取り戻すために走りだせばいい、終わりのない戦いをしていた真実を知らないまでの自分たちよりマシだと考えるタカコたちのような者もいた。
それを理由にしない者たちの中にも、立ち直った者はいた。だがその者たちを奮い立たせたのはただの復讐心だった。世界を取り戻す目的よりも、愛する者たちを利用され殺されていたことに憤怒し、怒り狂い、ただただ來栖に対して復讐を決意する者たちもいた。
「……何故、俺を殺さない? 案内を終えた今、俺はもうここに不要のはずだ」
地下施設であるノア内の中でも光のほとんど届かない牢屋のような一室で、普段身に着けている鎧を外された土木工事を仕事にしているかのような体格の大きい身体を持った大男、バルムンクが、目の前に運ばれた食事を見つめながらそうつぶやく。
「今殺して何になるんだ?」
昔、身に着けていた青い服を脱ぎ棄て、死神を連想させる黒い服に身を包んだ鏡がその言葉に反応して振り向かずに足を止めると、感情の籠っていない淡々とした声でそう返した。
緊迫した空気が二人の間に流れる。いつも穏やかで見る者を安心させるような表情を浮かべてきた鏡からは余裕が消え去り、その顔にはどこか冷たい雰囲気が纏われていた。
逆に、いつも自信に満ち溢れていたバルムンクの顔はすっかり目的を失ったかのように憔悴し、よく観察するとその瞳は食事ではなく虚を見つめている。
「お前は少なくとも……俺を憎んでいたはずだ。殺そうともしていたはずだ」
「勘違いしてるな。憎んでるし、こんな状況になってもセントラルタワーの隠された場所を案内するだけで、お前たちがやろうとしていたことを話さないお前をふざけんなって思ってるよ」
「なら何故……俺を生かす? 俺は何があっても喋らん。なら殺す以外にないはずだ。俺を生かしておいても食い扶持が増えるだけだぞ?」
その時、鏡が振り返る。そこから見下ろすように注がれた眼光は、かつてバルムンクが見た真っ直ぐな心を感じられた鏡とは異なる、どこか不穏な恐ろしさを感じとれるものだった。
「一つ良いこと教えてやるよ。あんたをこの部屋に入れてから……ここの部屋のドアに鍵は一回もかけてないんだぜ?」
「……どういうことだ?」
「いつでも逃げてくれていいってこった。なんならレジスタンスの連中に顔でも見せにいけよ」
「お前……何とも思わないのか? お前の大切な仲間を奪ったのも、お前たちを都合よく扱っていたのも、この世界にモンスターや異民族を放っていたのも俺たちなんだぞ?」
「そうしなきゃいけなかった理由があるんだろ? それがなんなのかはあんたが喋らないから知らないけどな。どっちにしたってどうだっていいんだよ……あんたを殺したところで何かが変わるわけじゃない。俺は……満たされない。そう、本当に殺さなきゃいけないのは……」
言いかけて鏡は踵を返して部屋から出る。宣言通り鍵もかけないまま去って行った鏡を後に、バルムンクは突然息をブハっと吐き出した。そして、呼吸を繰り返して息を整えながら、必死に生きていることの喜びを噛みしめた。
「なんという……男だ」
同じ空間にいただけで、息の詰まるような緊張と恐怖がバルムンクに押し寄せていた。
「どういう男なんだ? 見たことがない……器が大きいのか? いや、あの顔はそんな領域を超えていた……最早、興味を失ったかのような……」
自分を殺さないのが、そんなことをしても無駄だからこれからのために動いて欲しいと協力を要請しているわけでもなく、ただただ野放しにするだけ。ただの放置。許されたわけでもなく、かといって拘束されているわけでもない。
それがバルムンクには、「殺されずに逃げ切れるなら自由にやってみろ」という鏡の圧倒的な余裕に思えてしまい。思わず身体を震わせる。
「なんて様だ……この俺が?」
気付けば、バルムンクの手は緊張と恐怖による汗にまみれていた。
「來栖はあの男を確かめると言っていたな……確かにその価値はあるのかもしれない。あの力は尋常じゃない……だが、あの顔は……」
どうして來栖がセントラルタワーを破棄し、自分をここに置いて行ったのかの理由をなんとなく理解していたバルムンクは頬に冷や汗を垂らす。
來栖は、間違いなく鏡たちを処分するつもりだった。だが、途中でその力の巨大さに気付き、どこまで通用するのか試そうという考えに切り替えたのだとすれば、どうしてここを放棄してロシアに行ったのか、鏡たちをロシアに来るように促したのかは納得できた。
自分をここに残し、まだ見せていなかった真実を見せることである感情を湧きださせ、誘きよせるための動力にしようとする意図もわかった。だからこそ素直に案内もした。
そして結果的に全て、恐らく來栖の思惑通りに進んだ。
「だがそれは……失敗だったかもしれないぞ……來栖」
最早、止まれない地点にまであの村人の感情は辿り着いてしまったのかもしれない。そんな嫌な予感を抱きながら、バルムンクはその狭い一室の中で全てが終わるその瞬間を黙って待つことにした。
あの村人の前では、自分は無力に等しかったから。