作品タイトル不明
三百六十三話 突発的な模擬戦
前騎士王テレトゥトスと俺が向かい合っている場所は、俺が普段ファミリスと訓練を行っている運動場。
俺たちから離れること十数メートルの場所には、パルベラと子供たちの姿がある。
パルベラは微笑ましそうに俺たちの方を見ていて、子供たちは俺たちが何をするんだろうという目を向けてきている。
あちら側だけ見れば微笑ましい光景なのだけど、俺の前にいるテレトゥトスは静かな佇まいの中に闘志をみなぎらせて剣呑だ。
なんで、こんなことになったんだったかなぁ。
テレトゥトスと戦うことになった経緯を思い浮かべようとして、その直前で俺は大きく跳び退いた。とてつもないほど、嫌な予感がしたからだ。
しかし着地して前を見ても、テレトゥトスが動いた様子はない。
予感は勘違いだったかと思おうとして、テレトゥトスの姿をよくよく見て、それが勘違いじゃないことを看破できた。
ほんの少し、俺が対面に立った時と比べて、ほんの少しだけ剣の切っ先が上がっている。体勢も少しだけ前傾になっている。
あの様子を見るに、恐らくだけど、俺があのまま過去回想に入っていたら、テレトゥトスは俺に飛びかかって斬りつけてきたんだろうな。
油断ならないと気を引き締めると、テレトゥトスの体勢が元に戻り、剣の位置も少し下がった。
明らかな待ちの姿勢――どうやら、打ち込んで来いと言っているようだ。
これで素直に打ち掛かるほど、俺の性根は素直じゃない。
むしろ、さっき跳び退いたことで開いた空間を生かして、テレトゥトスの構える姿を観察することにする。
テレトゥトスの格好は、仕立てのいい服を着ているだけ。鎧はない。手には両手長剣――馬上剣とも表現される剣身が二メートル近くある長い剣。
構えは正面に剣を据える――前世風に言うなら正眼の構え。攻守共にバランスの取れた、正に王道の構えだ。
構えから放たれる威圧感は、途方に暮れるほど圧倒されるもの。
その圧力は、表現の仕方はアレだけど、山に積まれた料理を出されて全て食べろと言われたときのような、達成困難であることが試みる前から分かってしまうぐらい。
……いや本当に、どうしてこんな相手と戦うことになっているんだかな。
やってられないという気持ちが湧くが、あえてそれを押し殺して、俺はテレトゥトスへ勝つ筋道を模索する。
想定する力量は、ファミリスの倍――いや、三人分とする。
三人のファミリスと戦って勝てって、自分で想定していてなんだけど、勝ち目があるわけないじゃないか。
そう自分自身にツッコミを入れていると、テレトゥトスがジリッと前足を少しだけ滑らせて前進させる。
静かに待っていたはずなのに、ここにきて明らかな接近。
しかし俺は狼狽えない。
テレトゥトスがファミリスの三人分の力量だと考えても、一跳躍で攻撃するには俺との距離が離れすぎている。
仮に今飛びかかってこられても、俺は冷静に対処できるし、返す刃で一太刀を入れるぐらいの幸運を掴める公算もつく。
そういった俺の目算が正しいと証明するように、テレトゥトスは飛びかかってこない。
しかし少し間を置いて、またジリッと足音を立てて少しだけ前進してきた。
あと二回、ジリジリと接近されたら、一跳躍で攻撃を受ける危険域になる。
それまでに、俺は行動を決めなきゃいけない。
飛び込んでくるテレトゥトスを迎え撃つか、それともこちらから跳び込んで戦いを挑むかだ。
迎え撃つにしても、跳び込んでいくにしても、どちらにもメリットとデメリットが存在する。
迎え撃つ場合、メリットはテレトゥトスの構えの崩れを狙える点がある。現在、テレトゥトスの正眼の構えは、攻守にバランスの取れている。しかし攻撃を意識した瞬間、構えの攻守のバランスは攻撃に傾く。攻撃に傾くということは、その分だけ防御が疎かになるということ。
現状、俺が攻めかかったところで、あの構えを打ち崩せる公算は低い。なら、攻撃を誘ってテレトゥトスの構えを攻撃に偏重させ、防御が薄くなったところを突くという戦法はありだ。
一方でデメリットは、テレトゥトスに攻撃の主導権を明け渡してしまうこと。
テレトゥトスは、騎士王の名を冠していただけあり、騎士国の騎士の中で一番の力量を誇っていたという。
加齢によって力量に陰りがあるという希望的観測ができなくはないけど、それにしたってファミリス三人分ぐらいの力量はあると考えて然るべき。
そんな圧倒的な実力を持つ相手に戦いの主導権を渡すとなると、俺なんてあっという間にすり潰される可能性が高い。
それこそ、テレトゥトスが攻撃する最中に隙が見えたとしても、防御で手一杯で隙を突く暇がないかもしれないぐらいに。
こちらから飛び込んでいく場合、迎え撃つ場合とメリットとデメリットは逆になる。
つまり、戦いの主導権は俺が握ることが出来る代わりに、テレトゥトスの隙を突いてくる反撃に怯えないといけなくなる。
どちらの戦法にしても、俺の方が実力が下だから、攻守のバランスが取れた戦い方では勝つことが出来ない。
それこそ、攻撃か防御に全ての実力を偏重させる必要がある。
だから防御する際にはテレトゥトスの攻撃を一つ一つ神経をすり減らしながら防御し続けないといけないし、攻撃する際には一気に勝ちをもぎ取るように猛烈に攻め切らないといけない。
俺は攻めか守りかの戦い方のどちらが楽かを考えて、片方の戦法を選び取る。
「綱渡りなんだよなぁ……」
俺が溜息を吐きたい気分で呟くと、テレトゥトスの足元がジリ、ジリ、と二回鳴った。これから一気に一跳躍の距離に近づく気なんだだと、否応なく察してしまう。
俺はテレトゥトスの身体がぐっと力を溜めて跳びかかる素振りを見せた瞬間、こちらから先に跳びかかるべく神聖術を発動し、地面を蹴った。
これほど離れた距離だと、俺の実力じゃ一度跳びかかったところで、こちらの剣の間合いにテレトゥトスを捉えることはできない。
だからこそ、テレトゥトスが跳びかかってくる寸前――いや、俺が神聖術を発動したタイムラグを挟んだことで、ほぼ同時に互いに互いに跳びかかる形に持ち込んだ。
テレトゥトスの方から近づいてくれることで、俺の跳びかかり一度だけで剣の間合いに飛び込むことができる。
「ほう」
俺とテレトゥトスが物凄い速さで近づく中で聞こえてきたのは、感心とも呆れともとれる溜息のような声。
もちろん俺の声じゃなく、テレトゥトスのもの。
少しだけ出し抜けたかもと思いつつも、俺の意識は直ぐに攻撃に集中する。
「すうぅぅぅ――」
思いっきり空気を吸い込み、口を閉じて息を止める。これは呼吸で動く胸の動きで、剣を振る腕の振りが鈍らないようにするためだ。
そして、肺の中にある空気の酸素を消費し尽くす前に、攻撃で攻め切ると腹を決める。
「んうぅぅ!」
閉じた口の中で俺の喉が鳴る中、剣での攻撃を始める。
振り下ろし切り上げ喉突き籠手狙い胴払い袈裟斬り足狙い。
間断ない連続攻撃――休まずに行う高い強度の運動によって、俺の肺の中の酸素が消費され、どんどんと息苦しくなっていく。
口を開けて空気を交換したいが、それを行った瞬間に、俺はテレトゥトスの反撃を貰って敗北する。
その未来が間違いないことは、俺の連続攻撃をあっさりと長剣の腹で受けきっているテレトゥトスの姿を見れば、誰の目からも明らかだった。
分かっていたことだけど、ここまで通じないと心が折れそうになる。
しかし一度初めてしまったからには、俺が攻め切るか、俺が攻め疲れて剣を落とすか以外で、決着はできない。
それこそ、息苦しさから攻撃の手を止め、その隙に反撃を貰って負けるなんて、情けない結果で負けるのだけはダメだ。
肺の中の酸素は底をつく寸前。
意地で攻撃を続けているけど、酸素供給がなくなったことで手足がボイコットを主張し始め出す。
このまま行けば、あと数秒後に全身の筋肉が、俺の意思とは関係なしに、動きを鈍らせると直感する。
そして動きが鈍くなった瞬間に、テレトゥトスの反撃を食らって、決着となってしまう。
その未来を回避するにはどうすればいいかを素早く考え、直感的な思いつきを実行することを選択する。
俺は渾身の力で大上段から斬りかかりつつ、大口を開けて肺の空気を交換する。
「ぶはっ――」
たった一呼吸の短い時間、俺の攻撃が緩んだ。
その瞬間、俺の手から剣が上へと弾き飛ばされた――俺の剣を防御したテレトゥトスが力任せに剣を振り上げたことで、握力が鈍っていた俺の右手から剣が飛んでしまったのだ。
「もう少し粘れ」
叱咤ともとれる声を放ちながら、テレトゥトスは俺に攻撃しようとする。
テレトゥトスの長剣の軌道は、振り上げた状態から振り下ろすもの。
一応は峰打ち――長剣の腹で俺を打ち据えようとしてくれているようだ。
俺は剣の威力を少しでも殺すため、あえてテレトゥトスの懐に入り込むように、身体を前へと傾ける。
そのままいけば、俺の右肩のあたりに、テレトゥトスの剣が振り下ろされる。
しかし俺の体に剣が当たる直前で、テレトゥトスは後ろに跳んで距離を離した。
千載一遇の好機を投げ捨てるような行動だけど、俺は俺の目論見を外されたことに気付いた舌打ちする。
「チッ。バレていたか」
俺は起死回生の一手を打ちそびれたことを嘆きつつ、再び身構える。
俺の右手は先ほど、剣を飛ばされたことで空になっている。
しかし左手には、短剣を握っていた。そう、ありし日にパルベラからもらった、騎士国王家の紋章が入った、あの短剣を。
先ほど、あのままテレトゥトスが攻撃してくれていれば、俺は右肩に峰打ちを食らう代わりに、左手の短剣でテレトゥトスの手首に一撃を入れることが出来ていた。
痛み分けとするにしては、これが実践なら俺は袈裟斬りの一撃を受け、テレトゥトスは手首を着られるだけ。
どちらの方が重傷かは明白だけど、俺の実力で先代の騎士王に一撃を入れるには、これぐらいの不平等な交換は当然払うべき代償だった。
いやまあ、俺の考えは見透かされて、こうして起死回生の手を回避されちゃったんだけどね。
そして、剣を失って短剣だけになった俺には、もう騎士王を仕留める手段はない。
後は、短剣一つで騎士王の攻撃を可能な限り防御し続けるしか、生き残る道はないのだ。