軽量なろうリーダー

荷物係のお前も見ただろう?と勇者候補に証人扱いされました。はい、撤退合図を無視して魔物の巣を踏み抜いたところまで全部記録しています

作者: 灯野ましろ

本文

「荷物係のお前も見ただろう?」

その一言で、私は証人にされた。

よりによって、勇者候補レオンの公開裁定で。

「レオンが護衛依頼でしくじって、公開裁判にかけられるってよ」

「マジかよ。勇者候補サマが?落ちたもんだな」

「どうせ斥候のせいだろ。あいつら、ヤバいヤバいしか言わねぇじゃねえか」

「俺、レオンの処分なしに銅貨五枚!」

「じゃあ俺は斥候が泣いて詫びる方に十枚だ!」

「賭けるな馬鹿。……俺はレオン無罪に三枚」

そんな会話が、あちこちから飛んでくる。

辺境都市ラグナベルの冒険者ギルド本館。

公開裁判。正式には、公開裁定。依頼失敗や重大な規約違反について、関係者の証言と記録を照合し、処分の方針を決める場だ。

普段なら、安酒の匂いや今日仕留めた獲物を大げさに語る冒険者の声で満ちた大広間が、今日は半分だけ静かだった。

「半分だけ」というのは、残りの半分が完全に見物気分だったからだ。

ギルドの公開裁定は、正義の場なんかではない。ただの野次馬が大半。残りは自分に火の粉が飛んでこないかを見に来ているだけで、心の底から心配している人は、まずいない。

長机には、四十代半ばの、灰色の髪を短く刈った男性が座っている。裁定官のガルド・レイヴン様だ。ただでさえ顔は怖いのに、怒鳴らない分、余計に怖い。

机の向かいには、Aランクパーティ《暁の剣》の面々が立っている。

「今回の護衛依頼の失敗は、斥候セイルの判断ミスによるものです」

リーダーであるレオンが、迷いなくそう言い放った。

勇者候補の剣士、レオン・グレイバルド。整った顔立ちに高価な装備、いかにも物語の主役といった風貌の青年だ。当のレオン自身も、自分をそう扱っていた。

さらに、彼は続ける。

「セイルは情けないことに臆病風に吹かれ、撤退をしきりに要求してきました。そのせいで隊列が混乱して、商隊に損害を及ぼしました。そんな状況を俺たちは必死に立て直したんです!」

レオンの隣では、任務失敗の原因と糾弾されている斥候のセイルさんが、唇を噛んでいた。 体格の良いレオンとは対照的に、痩せた体つきの青年で、泥まみれの外套を羽織り、腕には包帯が巻かれている。

「違います。俺は、ただ撤退の合図を——」

「またそれか……」

セイルさんの発言を、レオンが呆れたように遮る。

「お前はいつもいつもそうだ。危険だ、罠だ、撤退しよう。斥候がそんな臆病だと、パーティ全体が迷惑する」

野次馬の若い冒険者たちが、うんうんと腕を組んでうなずいた。

「あー、いるいる。すぐに、『危なーい!』って言う斥候」

「斥候って後ろでアワアワしてるだけじゃねえの?」

それを聞いたベテランらしい冒険者が、低い声で口を挟む。

「じゃあお前、次の任務は斥候なしで行ってこい」

「すみません無理です許してください」

「なら黙って見てろ馬鹿が」

私は端の方で、記録書類を抱え直した。

荷物袋には、包帯や靴の予備のひも等、パーティが使用する備品、それから提出前の記録札が入っている。

任務中、レオンには何度か笑われた。荷物係のくせに、やけに記録ばかり気にするんだな、と。

それでも私は、見たものを書き残してきた。

私は戦闘職ではない。自分の身を守ることで精いっぱいだ。私の仕事は、見たものを見たままに記録する。それだけ。

「裁定官殿、証人がいます」

すると、レオンが私に目を向けた。嫌な予感がする。

「今回同行していた荷物係が証人です。あいつも見ていました。おいミリア。こい」

視線が、一斉に私に集まった。

胸が、ずしんと重くなった。 人前で目立つのは苦手なのに、冒険者たちの視線が突き刺さる。役に立つか、足手まといか。戦えない者は、いつもそういう目で見られる。

「ミリア・ノートン、前へ」

「……はい」

ガルド様の呼びかけに、私は書類を抱えたまま、静まり返る場の中央へ歩いた。 レオンはニヤニヤと笑っている。まるで勝ちを確信したような顔をしていた。

彼にとって私は、ただの荷物係でしかない。

任務中は荷物を抱えて後ろをついていき、野営時に物資を数えるだけ。 戦闘中は安全になるまで影に隠れているのだから、依頼中に逆らう力も、立場もない。そう思っているのだろうし、事実そうだ。

「正直に言うんだ。セイルが勝手に怯えて、隊列を乱したとな」

勝ち誇ったレオンを前に、私は一度だけ息を吸った。 長机の端に、指先をそっと置く。木板が冷たい。

「……記録に残っている範囲で、申し上げます」

自分の声が、思ったより小さく聞こえた。

私は書類の端を握り直す。

「隊列を乱したのは、セイルさんではありません。少なくとも、私が見ていた範囲では」

「……はぁ?」

広間から、すっと音が引いた。完全な沈黙ではない。 誰かが椅子を引く音。 小さな舌打ち。 賭けの銅貨を握り直す音。そういうものだけが、やけにはっきり聞こえた。

レオンのニヤついた笑みが固まっていく。

「セイルさんは、魔物の巣の気配を察知して、撤退合図を出していました」

「そんなのは聞いていない」

「……一度ではありません」

私は記録札の端を指でなぞり、読み上げる。

「三度撤退合図を出しています。北側の獣道に入る前に一度目。荷馬車の車輪が泥地に沈む前に二度目。三度目は、大型魔獣の咆哮が聞こえた直後です」

言い終えてから、喉が乾いていることに気づいた。

すると今度は後ろの方から野次が飛んでくる。

「そんなすぐに撤退なんて言われてちゃ依頼にならねえよ!」

「三度なら話が違うだろ」

が、さっきの古参冒険者が低い声で割って入った。

「一度目は警告だ。二度目で危ないと知らせてる。三度目まで鳴ったなら、もう退くしかねぇ。そこまで言われても進むなら、前衛が責任を持つもんだよ」

「でもレオンさん、強いじゃないっすか!」

「強い奴が間違えないんだったら、俺たち全員Aランクだ」

「……」

若い冒険者は口を閉じた。

セイルさんの、包帯を巻いた腕に少し力が入る。

「……出しました。俺は、三度出しました」

「チッ!撤退合図を出したから何だよ!」

レオンが憎々しげに舌打ちして、声を荒げた。

「実際に商隊を混乱させたのはお前だ! あんな場面で弱気なことばっかり言いやがって……士気が落ちて当然だろ!」

それは、確かに完全な間違いではない。

護衛任務で進行が遅れれば、依頼人の信用を失う。日没までに宿場へ着きたい商隊ならなおさらだ。だからレオンは、自分の判断は、少しくらい強引でも正しいと自信を持っていたのだと思う。これまでも、それで上手くいってきたのだから。

でも、今回はそうじゃない。

私は書類を一枚めくる。

「次の記録を確認します。セイルさんは北側の獣道を避けるよう進言しました。理由は、境界を示す標杭が古く、魔物の縄張りが変化している可能性があったからです」

それを聞くと、レオンがハンッと鼻で笑った。

「荷物係のくせに、よくそんな細かいこと覚えてたな」

「細かくありませんよ。だってその標杭をみんなの前で切り落としたのはあなたじゃないですか。レオンさん」

レオンの笑みが、ぴたりと止まった。

「は? 俺が?」

「はい。魔物の縄張り境界を示す標杭をです」

私は書類から目を離さないようにした。 今顔を見るのは、正直怖くて無理。

「セイルさんは、標杭を確認して、この先は魔物の巣だと説明しました」

そこで一度、言葉が詰まった。

「でも……レオンさんは、日没前に間に合わなくなると判断し、標杭を切り落として北側の獣道へ進みました」

「いや、それは……古い標杭だったからだ!」

「古いかどうかの確認は、されていません」

「うるさい! どうせセイルが怖がらせるために言っただけだろ!」

「ッ……違う!」

セイルさんが顔を上げた。

「……実際、標杭の先からは魔物の巣の匂いがしていた。木の傷も新しいし、危険だと判断したから止めた」

「黙れ!!嘘をつくな!!」

「嘘じゃない!」

セイルさんの声は震えていた。それでも、レオンを見返して続ける。

「俺は撤退合図を出しました。三度です。なのに、あんたはそれを無視した」

「無視したから何だ!!俺たちはこれまでも、それで難所を越えてきた! お前の言う撤退合図を全部鵜呑みにしてたら、Aランクになんかなれなかっただろうが!」

いきり立つレオンの言葉に、空気が少しだけ戻った。レオンを信じたい者が、まだいるようだ。

「まぁ確かに、危険を知らせるだけなら低ランクでもできるし」

「そうそう。実際、レオンが前に出たから助かった依頼もあるんだよなぁ」

私もそこは否定しない。レオンの実力は本物だし、彼が窮地を救った依頼もある。その事実まで消してしまえば、こちらも記録を歪めることになる。

「事実、レオンさんの戦闘能力は、非常に高く評価されています」

私は一度、言葉を切った。

レオンは一瞬だけ顎を上げたが、このあとに続く言葉に、すぐ渋い顔になる。

「ですが今回問題になっているのは、そこではありません。三度目の撤退合図を無視し、レオンさんは切り捨てられた標杭の、さらに奥へ踏み込みました。そして——」

私は喉の奥が乾くのを感じた。

「その直後、地面が沈みました」

「……沈んだ?」

「はい。草や土で隠れていましたが、そこは魔物の巣穴の天井でした。レオンさんが踏み抜いてしまい、巣穴の一部が崩落。中の魔物が一斉に飛び出してきました」

「え、じゃあ、レオンがドジ踏んで巣穴に足を突っ込んだのが原因ってこと?」

野次馬の誰かの言葉に、レオンの顔がカッと赤くなる。

「ち、違う! あれは地面が脆かっただけだ!」

「セイルさんは、その地面を避けるよう言っていました」

「そんなの言い訳だ!斥候なら、もっと強く止めるべきだった!」

言い訳だと責めているレオンの口から、今度は言い訳が出てきた。

けれど、記録には残っている。

「……止めています。三度です」

ガァン!

ガルド様が机を手で叩いた。その音で、周囲が静まる。

「合図笛の発信記録はあるか」

「あります。セイルさんの合図笛に発信記録が残っています。監査記録札にも、反応時刻が残っています」

「発信記録は」

「そちらも残っています」

私は鞄から、監査記録札を取り出す。 音や時間、魔力反応などを簡易的に記録する監査道具である。

万能な道具ではない。ただ、鳴った音の時刻が残るだけ。誰が正しいかまでは分からない。今の私には、それで十分だった。

セイルさんも、震える手で合図笛を差し出す。

「お待ちください」

柔らかい声が入った。《暁の剣》の回復役、リリア・カーネルさんだ。清楚な見た目をした神官の彼女は、胸元で手を組み、困ったように目を伏せる。レオンと恋仲である彼女が割って入ってきたということは、レオンを庇うつもりなのだろう。

「商隊の負傷者が増えて、私は治療に追われてました。誰が悪いかなんて、あの場で分かるはずがありません。でも、セイルさんが皆を不安にさせたのは事実でしょう?」

少なくとも、記録上は公平な証言とは扱いにくい発言だった。

「では治療報告の方も確認します」

「……はい?」

「商隊の負傷者の二名につきまして、セイルさんは戦闘直後に報告しています。そしてリリアさんは、それを軽傷として処理しました」

「えぇ、大したケガではありませんでしたから」

「一名は右腕の骨折。もう一名は魔物毒による発熱です」

「ッ!!……私が、間違えたっていうんですか?後から悪化しただけでは?」

「商隊側の治療師は、帰還時点で重傷相当と診断しています」

リリアさんの顔から、少しずつ血の気が引いていく。

「おい、台帳」

「は、はい……」

受付嬢のネリスさんが、ガルド様へ支給品台帳を手渡す。声は少し震えていた。支給された高級治癒薬が、どれだけ返却されたかなども、台帳には全て残っている。

「支給された治療薬の使用報告と、負傷者名が一致していません。セイルさんからの負傷報告時刻も、こちらに控えがあります」

「そ、それは……!!ほら!戦闘中でしたし、記入漏れくらいは——」

「記入漏れか虚偽報告かは神殿にも報告してから判断する。今は、護衛依頼の失敗原因の確認だ」

ガルド様の言葉に、リリアさんはレオンへ助けを求めるように手を伸ばしかけた。けれど、レオンは彼女を見ようともしない。

「俺は治療報告までは知らない」

「……レオン様?」

リリアさんを切り捨てるように放ったその言葉に、さっきまでレオン側だった若い冒険者たちも態度が変わってくる。

「面倒になってきたな」

「薬の話まで出ると、ウチんとこもまずいかも……」

「やべ! 俺、前に使った湿布の報告してない」

「それはぶっちゃけどうでもいい」

「よくねぇよ! まずいって絶対!」

ヒソヒソと、そんな話も聞こえてきた。

「……荷物係の分際で、ベラベラベラベラ生意気な……!」

レオンの声が低くなり、私に近づいてきた。 さすがに剣には手をかけていないが、威圧だけなら十分だった。

怖くて仕方がないが、それでも言わなければならない。

「お前、任務中もそうだったな」

レオンが吐き捨てる。

「荷物係のくせに、誰が何を言ったか、いちいち書きつけていた。気味が悪いったらありゃしない。俺たちは命を張って戦ってるのに、お前は後ろで紙を汚していただけだ」

その言葉で、ああ、この人は本当にそう思っていたのだと分かった。

「お前は荷物を運んでいればいいんだよ。斥候の真似事も、裁定官の真似事も必要ない。自分の立場をわきまえろ」

「……はい、私は荷物係として同行しました」

レオンの口元に、勝ち誇った笑みが戻る。

「なら——」

「同時に」

私は、書類を抱える手に力を込めた。

「ギルド本部監査官補佐として、今回の依頼記録を担当していました」

「……。え?」

その言葉が落ちた瞬間、銅貨を弾いていた音まで止まった。

レオンだけでなく、その場にいた誰もが、すぐには次の言葉を出せなかった。

ガルド様だけが、最初から知っていた顔で机に手を置いている。

すると、隅の方から声が出た。レオン側で見物していた若い冒険者の声だ。

「後出しじゃね?だって、本部の監査って、隠して同行してたんだろ?そんで今さら全部記録してましたー。って、なんかずるくねえか?」

それを聞いたレオンの顔に、わずかに希望が戻る。

「そ、そうだ!聞いていないぞ! 監査だと知っていれば最初から——」

「知っていれば、標杭を切らなかったと?」

私が尋ねると、周囲の視線がレオンに集まる。彼はすぐには答えなかった。

「それは……監査だと分かっていれば、当然、慎重に——」

「見られていない依頼では慎重にしない、ということですか」

「そんなことは言っていない!」

さっき「後出し」と言った若い冒険者が、気まずそうに目をそらす。それを見た古参冒険者が、鼻で笑っていた。

「近頃、ラグナベル支部では《暁の剣》に関する苦情が増えていました。撤退判断の無視。報告書の不一致。同行者への責任転嫁。これらの事実確認のため、私は荷物係兼記録係として同行しました」

「ふざけるな!コソコソと卑怯だぞ!」

「監査対象者に、事前告知する調査ではありません。荷物係なら自分の言うとおり証言するだろう、という判断も含めて監査対象です」

私はそこで、一度だけ書類を持ち直した。

「どのみち、依頼記録は裁定後に提出する予定でした。ですが、証人として呼ばれた以上、ここで答えるしかありません」

どこかで、誰かが小さく吹き出した。もうレオンを恐れる空気ではない。

私は書類を閉じた。ガルド様は、面倒なものを見るように一度だけ眉間を揉んだ。

「はぁ……。ミリアの証言のみでは裁定しない。記録品と改めて照合する。」

私たちは、それぞれの記録を机の上に置いた。

監査記録札。合図笛。支給品台帳。依頼報告書。

一つだけなら、言い逃れはできたかもしれない。けれど、全部が同じ方向を向けば、嘘は逃げ場を失う。

ガルド様は順に確認していった。

「合図笛、三回。時刻は監査記録と一致。三度目の合図直後、強い振動音。崩落音。魔物反応増加。標杭を切った件については、剣の付着物の確認と現場検証を行う。今ここで結論は出さない」

レオンの肩からフッと力が抜けた。助かった、とでも思ったのだろう。

だが、ガルド様は紙を一枚めくって、こう続けた。

「ただし、撤退合図の無視は確認できる。報告書には、その記載がない。セイルの独断で隊列が乱れたとある」

ガルド様は紙面から目を上げ、レオンを見た。

「誰が書いた」

「……俺です」

「なら責任者もお前だ」

短く冷たい言葉に、言い訳の入る隙間がない。

レオンはギリギリと不満げに歯を食いしばった。

「違う。俺は……最短で宿場に向かおうとしただけだ。商隊だって急げと言っていた。俺のせいじゃない!」

「依頼人に急げと言われたことと、撤退合図を無視したことは別件だ」

「俺はAランクだぞ!」

その言葉が出た瞬間。

「あーあ、言っちまったな」

後ろの方で、誰かが呆れたように笑った。

けれど、レオンは続ける。

「勇者候補でもある!俺がどれだけギルドに貢献してきたと思ってるんだ!?大型魔獣も討伐したし、指名依頼だって何度も——」

「確かに記録にある」

ガルド様は、表情を変えずに返した。

「功績は功績として残っている。素晴らしい成果だ」

レオンの表情が、わずかに緩む。だが、紙はまだ置かれない。

「だが、違反は違反として残る」

緩んだ顔が、またすぐに引きつった。

「そんな……!俺は勇者候補だぞ!ギルドの推薦だって受けている。それを、たかが荷物係ごときの記録で、俺を処分していいと本気で思ってるのか!?」

誰も答えなかった。

さっきまでレオンに賭けていた冒険者たちが、無言で銅貨を懐に戻していく。

「ミリア・ノートンは、ギルド本部監査官補佐だ。そして記録札は、本部登録済みの証拠資料である」

「……っ」

レオンの唇が震えた。反論の言葉は、出てこない。

「規約第十二条、依頼遂行中の重大判断違反。第十六条、撤退合図無視。第十九条、報告義務違反。第二十三条、同行者への虚偽責任転嫁。レオン・グレイバルド。Aランク資格を一時停止。査定会終了まで指名依頼凍結。勇者候補推薦は、ギルド推薦枠から取り下げる」

勇者候補推薦の取り下げ。

Aランク資格停止よりも、 指名依頼凍結よりも、それがレオンにとって、いちばん深く刺さっていた。

レオンの唇がわずかに開く。けれど声は出なかった。

「一時停止?剥奪じゃねえのか?」

「剥奪じゃないから怖いんだよ。これから全部洗われるってことだろ」

そんな声があちこちから漏れるなか、ガルド様はさらに続けた。

「《暁の剣》は現構成での高位依頼受注を停止。再編申請がない限り、実質解散扱いとする」

「そんな……」

「次に、リリア・カーネル」

ビクッとしたリリアさんの指が、胸元の神官章を握りしめた。

「治療報告の不一致は神殿へ通達。再審査終了まで、ギルド高位依頼への回復役登録を停止」

「そんな……私はただ、レオン様の判断に従っただけで……」

「治療報告は回復役の職務だ」

ガルド様は紙から目を上げない。

「以上」

ガルド様は紙を伏せた。

リリアさんはその場で泣き崩れた。だが、誰も彼女を抱き起こさない。レオンも彼女を見ていない。自分のランクと推薦を失ったことで、頭がいっぱいなのだろう。

「続いて、セイル・ヴァン」

セイルさんが、弾かれたように顔を上げる。

「今回の撤退判断は適切。護衛依頼失敗の原因とはならない。斥候としての評価を再査定する」

「……ッ!はい……!」

「希望があれば、移籍申請を受け付ける」

「うちは慎重な斥候を歓迎するぜ。突っ込むだけの前衛はもう足りてる」

後ろの方で、先ほどの古参冒険者が軽く手を上げると、周囲から小さな笑いが漏れた。ただ、その笑いの中にも、少し下世話な声が混じる。

「セイル、移籍金結構つくんじゃねえか?」

「今なら拾い時かもな」

「お前、さっきまで臆病者って言ってただろ」

「評価は更新されるものだ」

「便利な言い方すんな!手のひらクルックルじゃねぇか」

セイルさんは一瞬だけ目を見開き、それから深く頭を下げる。

一方、処分を言い渡されたレオンはその場で立ち尽くしていた。

「ふざけるなよ……」

「俺が、ここまで来るのに何年かかったと思ってる。勇者候補なんだぞ。ギルドの推薦だって、やっと……やっと掴んだんだ!それを、荷物係の分際で……」

彼の目が私に向き、剣の柄に手が伸びた瞬間、複数の衛兵が前に出た。

レオンの手が止まる。その手が止まったことで、彼がもう何もできないのだと、誰の目にも分かってしまった。

「俺は悪くない……俺が悪いんじゃない!セイルがもっと強く止めていれば、リリアが治療をちゃんとしていれば、商隊が急げなんて言わなければ……!」

言葉を重ねるたびに、彼を見ていた者たちの目から熱が消えていく。さっきまでレオンの名を呼んでいた若い冒険者すら、目を伏せ黙り込んでいる。

誰も、もう彼を勇者候補として見ていなかった。

「私は、聞かれたことに答えただけです」

「それが余計なんだ!」

「それを余計だと思うなら」

私は少しだけ間を置いた。

「次からは、証人に呼ぶ相手を選んでください」

あちこちで、クスクスと笑う声が聞こえる。

レオンは何かを言い返そうとした。だが、ガルド様が衛兵に命令する方が早かった。

「レオン・グレイバルドを別室へ。本人が興奮している。本部職員立ち会いのもと、事情聴取を行う」

「待て!俺はこんなの認めない!」

「認めるかどうかではない。確認を行う」

衛兵たちが、レオンの両側に立った。レオンは振り払おうとしたが、広間に味方はいなかった。

リリアも、自分のことを見捨てた彼の袖を掴んでいない。

「ミリア!お前、自分が何をしたか分かっているのか!」

「もちろんです」

連れていかれる直前、レオンが私を睨んできたので、私は記録書類を抱え直して素直に言った。

「依頼中に起きたことを、記録しました」

レオンは何かを言い返そうとしたが、もう言葉が出てこなかった。衛兵に促され、別室へ連れていかれる。

扉が閉まると同時に、《暁の剣》の公開裁定は、それで終了した。終わってしまえば、広間はまたいつもの騒がしさを取り戻す。

「俺も依頼報告書ちゃんと書くわ」

「いやお前はまず字を読めるようになれよ」

「代筆頼むから大丈夫さ」

「内容も盛ってんだろ」

「少しだけだよ」

「少しも盛るなアホ!」

そんなくだらないやり取りに、近くの受付嬢が小さくため息をついた。こういう雑な会話の方が、ギルドらしい。

受付嬢のネリスさんは、台帳を抱えたまま私の近くに来た。

「ミリアさん。ありがとうございました」

「私は、記録を確認しただけです」

「それでもです。私だけでは、言えませんでした」

その言葉には、少し悔しさが残っていた。

「窓口でAランク相手に強く出るのは、簡単ではありません。次からは、違和感があれば監査部に回してください」

そして二、三言話した後、ネリスさんは、少しだけ泣きそうな顔で笑って受付に戻っていった。

すると今度は

「ミリアさん」

セイルさんが近づいてきた。包帯の巻かれた腕を押さえ、ぎこちなく頭を下げる。

「助かりました。あなたがいなければ、俺は冒険者を辞めるところでした」

「私は、記録を確認しただけです」

真正面から礼を言われると、何とも言えない気持ちになる。

セイルさんは小さく笑った。

「それでも、誰かが見ていたって分かっただけで、救われることもあります」

返す言葉に迷った。こういう時、気の利いたことは言えない。私は記録係で、監査官補佐だ。人を励ます仕事ではない。

けれど、書類には残らないこともある。声の震え。握った拳。誰かがようやく息を吐く瞬間。そういうものも、たぶん、現場には必要なのだと思う。

「セイルさんの撤退判断は、正しかったです」

それだけは、記録を見なくても言えた。

「次のパーティでは、三度目の合図まで待たずに止まってもらえるといいですね」

セイルさんは、今度こそはっきり笑った。

「そうします」

次の日の朝、ガルド様に呼ばれた。場所は裁定室ではなく、二階の監査部の小部屋だった。

机の上には、いつも通り書類が積まれている。私はその山を見て、少しだけ落ち着いた。剣より、酒場より、こういった紙の山の方が性に合っている。

「ミリア・ノートン」

「はい」

「正式監査官への昇格推薦を出す」

「……昇格、ですか」

私は固まった。

「今回の記録と証言は十分だった。現場同行も問題ない」

「ということは、現場同行が増えるのでしょうか」

「間違いなくな」

予想通りの答えだった。……できれば外れてほしかったけど。

「資料室勤務の時間は」

「当然減る」

少し黙ってしまった私に、ガルド様が珍しく口元を動かす。

「不満か?」

「いえ。職務であれば」

「顔には書いてある」

「……記録には残さないでください」

「フッ……検討するよ」

ガルド様はそう言って低く笑った。

それから更に数日後。

《暁の剣》は、現構成での活動を停止した。

レオン・グレイバルドの勇者候補推薦は取り下げられ、Aランク掲示板から名前が外された。リリアさんは神殿に戻され、再審査を受けることになったと聞く。セイルさんは先日声をかけられた古参冒険者のパーティに斥候として迎えられた。

ギルドでは、妙な噂が広まった。

地味な荷物係の前で嘘をつくな。あれは本部の目だ。荷物袋より、記録札の方が重いらしい。

――最後の噂は、少しだけ間違っている。荷物袋の方が、だいたい重い。

ただし、人生を左右する重さなら、記録札の方が重いかもしれない。

依頼記録を確認する。これは誰かを破滅させるためではない。かといって、誰かを救うためだと胸を張るのも違う。

私の仕事は、見たことを消さないこと。聞かれたことに、記録の範囲で答えること。

だから、書く。

報告書に書けない事実など、依頼中には存在しないのだから。