軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

エピローグ

あの激動から月日は経って……ないな。

官邸で凍崎を刺した春河宮勇人を捕らえたのがほんの三日前のことだ。

今日は日本時間で十二月二十四日。

クリスマスイブである。

え? なんでわざわざ「日本時間で」なんて断ったのかって?

俺が今いるのが日本じゃないからだ。

青い海、青い空。

陳腐な表現だが、本当の意味でそう言える場所を、俺は生まれて初めて見た気がする。

インド洋に浮かぶ環礁から眺める景色は、これぞまさにリゾートって感じの見事なものだ。

……どうもボキャ貧で済まないが、本当にそうとしか言いようがない。

「悠人? どうしたの?」

水上に造られたヴィラにはなんと個別にプールも用意されている。

そのプールの中から水着の芹香が顔を出し、俺に声をかけてきた。

赤道近くの日差しを反射して、水に濡れた芹香の肌がキラキラと輝いている。

「いや、つくづくこの世の光景とは思えないな、と」

また俺に都合のいい平行世界に迷い込んでいたり、よくわからん固有スキルの攻撃を受けて幻想を見せられてたりしないよな?

「もう、またそんなこと言って……せっかくなんだから、満喫しよ?」

「……そうだな」

俺は寝転んでいたチェアから立ち上がって、芹香のいるプールに入る。

今俺と芹香がいるのはモルディブのとある環礁にあるヴィラである。

わかってる。なんで俺と芹香がこんなとこにいるのか、だろ?

あの事件の後、日本は予想通り大混乱に陥った。

凍崎の「作戦」のことだけでも十分大騒ぎだったところに、皇族による現役総理大臣の殺害未遂事件が起きたのだ。

しかも、その皇族が国内レベルランキング1位の探索者と来てる。

あの場からはるかさんを連れてばっくれた俺だったが、当然のことながら、当局からは出頭を求める声が矢のように飛んでくる。

はるかさんはアサイラムでほのかちゃんと再会した後に、「責任を取らなくてはならないから」と言って、地上に戻った。

凍崎政権は崩壊寸前というより、既に崩壊したと言っていい。

それでも、次の総理総裁が決まるまでのあいだは今の陣容が維持される。

脅されていたとはいえそこで要職に就いていたはるかさんは、最後まで責任を果たすと言っていた。

はるかさんの抱えるエルフ特有の精神症状はなくなったからな。精神面での不安はないが、それでも重圧のかかる仕事だろう。

この国に義理なんてないだろうに、それでも責任を果たそうと言うはるかさんに、俺は心から敬意を抱いた。

こんな人にほのかちゃん共々言い寄られてたんだから、俺にはもったいなさすぎる話だよな。

まあ、もったいないと言うのは言葉の綾で、芹香さえいれば、俺は第二、第三夫人がほしいなんてかけらも思わないんだけどな。

……おっと、話が逸れてしまったな。

そうして地上に戻ったはるかさんだが、俺は簡単に地上に戻るわけにはいかなかった。

少なくとも、俺は春河宮勇人による総理大臣殺害未遂事件の重要参考人だ。

あの時俺は、濡れ衣を着せられかねないと思ったが、そうでもなかった。

さすがにはるかさんやECRTの東堂たちが状況を見てるからな。

さらに言えば、「詳細鑑定」のログを辿ることで、勇人が凍崎を攻撃したことははっきりとわかる。

今では誰もが「詳細鑑定」を持ってると言っていい状況だけに、言い逃れの余地はない。

まあ、その「詳細鑑定」を国民全員に(例外はそれなりにあり)与えたのは俺だから、俺がなんらかの詐術を働いてる可能性もゼロではないが。

それでも、捜査に当たる警察としては、その場に居合わせ、春河宮勇人を実質的に取り押さえた俺に話を訊きたいのは当然だよな。

総理官邸に単身乗り込んできて犯人を押さえてしまった俺のことを野放しにしていては警察の沽券に関わるとも言えそうだ。

っていうか、そもそも官邸に勝手に侵入したのはどう考えても犯罪なわけで、明々白々の犯罪事実があるのにその人物を放ってはおけないって事情もあるだろう。

俺のしでかした「犯罪」といえば、異世界へのゲートを通ってやってきて、探索者として使われていた異世界人たちを勝手に「保護」――悪く言えば略取誘拐してたことも当然追求の対象となるわけだ。

たとえ異世界人たちの保護のために必要なことだったとしても、本当に必要なことだったのかどうかは、俺が勝手に判断できることじゃない。法的には、俺を一度捕まえ起訴した上で、裁判で決めるというのがまともな判断になるだろう。

で、それが嫌なので、俺は「逃げる」ことにしたわけだ。

といっても、俺が一人の判断で海外逃亡をはかったわけじゃない。

出頭するのが嫌なら、新宿駅地下ダンジョンのバックヤードにあるアサイラムにひきこもっていれば捕まる心配などないわけで、わざわざ海外に出かける必要もない。

今回のモルディブ逃避旅行の言い出しっぺは、なんと夏目青藍 御大(おんたい) である。

死に体の凍崎政権が崩壊して次の政権が立つまでに、政界はかつてない混乱に陥るだろう。

その過程で妙な政治力が働いて、「召喚師」を利用しようという動きが出てもおかしくない。

パスポートは手配するから、ほとぼりが冷めるまで日本から離れたところでおとなしくしていてくれ――。

そんな青藍からの――あるいは青藍が影で接触している人たちからの――要請を受け、俺は師走の東京を抜け出して、インド洋のリゾートアイランドへとやってきた。

問題は、なぜか芹香までついてきてることだよな。

俺はいまだに「パラディンナイツ」所属の探索者だ。

アサイラムを創る時にギルドを抜けたほうが迷惑がかからないのではないかと提案したんだが、芹香の頑強な反対に遭ったのだ。

俺が所属するギルドということで、「パラディンナイツ」も政治的なあれやこれやに巻き込まれてしまっている。

今、ギルドマスターである芹香が抜けるのはマズいはずなのだが、芹香は俺の国外逃亡の話を聞くと、「私も行く!」と言い出した。

灰谷さんまでもが、「骨休めと思って堪能してきてはどうですか? 主に芹香さんを」などといつもの調子で乗ってきて、俺のモルディブ行きは芹香との初海外旅行になってしまった。

でも、芹香についてきてもらってよかったんだよな。

俺は海外旅行はこれが初めてだったんだが、芹香は何度か経験がある。

それに、俺と違って芹香は英語がそれなりに得意らしい。

まあ、今の俺ならスキルを使って言語を翻訳することもできるんだが、リゾートにいるときくらい探索者はお休みでもいいだろう。

といっても、この環礁に到着するやいなや、俺は環礁にある小さなCランクダンジョンを踏破して、【ダンジョントラベル】のためのブックマークをしておいた。

これさえあれば、何かあったときに一瞬でワープして帰れるからな。

出入国記録が狂うからできれば避けたいところだが。

プールでひとしきり遊んだ後で、ヴィラに運ばれてきた夕食を食べる。

水平線に沈んでいく太陽と、赤く輝くインド洋の波間を眺めながら。

こんな贅沢な時があっていいのかと思うほどの、夢のような時間だった。

沈みゆく太陽を眺めながら、海風の気持ちいいプールサイドのブランコ型のソファに並んで座り、俺たちはこれまでのことを語り合う。

といっても、もっぱら芹香が訊いてくることに俺が答えるような形だけどな。

「春河宮勇人は……あれでよかったのかな」

アサイラムに避難する異世界人たちの中には、勇人に激しい恨みを持つ者もいる。

彼らの気持ちを思えば、殺人未遂では微罪すぎる。

もし俺がいなければ、凍崎は死んでいたわけで、勇人のやったことは行為としては殺人に等しい。

殺人未遂というより、殺人既遂。結果としては死ななかったというだけで罪が免じられるのは筋が通らないような気もするんだよな。

かといって、俺が天誅を下してやるとばかりにあいつを殺すのも違うと思う。

「異世界でのことも明るみに出るとは思うよ。これまでは凍崎の『作戦』で国全体が手段を選ばない状態になってたけど、さすがにこれからは現地の状況も伝わっていくんじゃないかな」

「春原は異世界に取材に行ってみたいと言ってたな。あいつらしいよ」

ジャーナリストが異世界に行くのは、地球の戦場に行く以上に危険だろう。

地球の戦場でも危険は多いが、一応はジャーナリストを攻撃してはならないことになっている。

だが、異世界ではそんな地球の常識は通用しない。

「これまでやってなかったみたいだけど、探索者としての素質はあるだろうからな。レベルを上げてから行けば大丈夫だとは思うが⋯⋯」

ジョブ世界では俺’の相方で通っていた男だ。

「異世界と言えば、シャイナは悩んでるみたいだな」

シャイナはアサイラムのことがとても気に入ってるらしいのだが、シュプリングラーヴェンでの祖国復興の望みも持っている。

実質的に日本の異世界植民地のようになってる旧ラマンナ王国を独立させられるかはなんとも言えないな。

凍崎路線への反省が盛り上がったとしても、それはそれとして利権は手放したくないと考える者も多いだろう。

「作戦」が解除されてなお、凍崎の唱えた路線は間違っていないと主張する者もたくさんいる。

「アサイラムはどうするの?」

「正直、悩んでるんだよな。一時的な避難所のつもりだったんだが……」

アサイラムの住人たちをどうするかは悩ましい問題だ。

俺は凍崎さえ引きずり下ろせれば、あとは国で考えてもらえばいいと思ってたんだが、どうもそうすんなりいかなそうな空気もある。

「作戦」が解除された今、異世界移民の受け入れ政策へはバックラッシュが生まれている。

この国に生まれ育っていない文化の異なる者たち――それも、探索者としての実力を持つ者たちを大量に受け入れるのはいかがなものか――そんな論調が生まれてるんだよな。

凍崎の旗振りで迎え入れたくせに、凍崎が倒れると受け入れを渋る。

そんな手のひら返しの被害者が、アサイラムや一般の探索者ギルドに引き取られた異世界人たちなんだよな。

「実際、居心地がいいもんね、あそこ。暮らそうと思えば普通に暮らせちゃいそうだし。楽園みたいだよ」

「まあな」

少しでも圧迫感や閉塞感をなくそうと、あれこれ工夫した結果、アサイラムは非常に暮らしやすい空間になっていた。

唯一の欠点である空が見えないという問題も、幻影魔法で天井に奥行きのある空を表示させるという技術で対処してる。

空が見えないことを克服したとは言えないまでも、エルフみたいな自然を愛する種族からも好評だ。

そうそう。最近になって、ダンジョン内に断時世於神社を出現させる方法が見つかったんだよな。

ヒントとなったのは、ジョブ世界で手に入れた「迷い家の勾玉」だ。

このアイテムを持って階層移動すると断時世於神社にたどり着くというアイテムなんだが、スキル世界ではこれまで機能していなかった。

この「迷い家の勾玉」を研究科の優秀な魔術師たちに解析してもらい、スキル世界用にコンバートする魔導装置を作ってもらった。

その魔導装置をアサイラム内で起動することで、俺はダンジョンのバックヤード内に断時世於神社への開口部を作ることに成功した。

ひさしぶりに会うことができた神様は前よりも元気になっていた。

国論の分裂が民心の分裂を呼び、神様の力が弱っていた。

「作戦」が解けたことでそれが再びまとまりつつあるのだという。

俺は神様をアサイラムの守護神として祀ることを提案し、神様はそれを快諾してくれた。

アサイラムにはいろんな信仰の持ち主がいるから信仰の強制と取られないようにしてるんだが、自然に崇拝を集めるようになってるな。

と、俺がやったことばかり語ってしまったが、もちろんアサイラムの住人たち自身もアサイラムを住みよくするためにさまざまな知恵を持ち寄ってくれている。

「俺自身、アサイラムに愛着が湧いてきてもいるんだよな」

「私もだよ」

「フレンド召喚」での会議で時間に余裕があったときには、芹香や灰谷さんにアサイラムを案内することもあった。

短い時間だが、シャイナなんかとは結構仲良くなっている。

「問題は、アサイラムの存続を日本政府が認めるかどうかなんだが……」

アサイラムは、日本国内にいわば治外法権の「国」を作ってしまってるわけで、政府としてはおもしろくないだろう。

異世界人の保護は国の仕事と言い出して、アサイラムの住人を引き取ると言い出す可能性もある。

当然のことながら、大枚はたいて「買った」異世界人探索者を俺に奪われたことに怒り心頭の探索者たちもいる。

日本国民の「財産」を返還せよ、と主張されれば、法的に対抗できるかどうかは疑わしい。

もし異世界人受け入れに反対する世論ができてしまえば、彼らを元いた世界に帰せという主張も出てくるだろう。

異世界人への差し迫った脅威がなくなった今、緊急避難を主張するのも難しい。

「まあ、政府がなんと言ってこようと、アサイラムに踏み込んでこれない以上、無視することはできるんだけどな」

アナーキーなことを言ってるように聞こえるかもしれないが、俺だってできるものならお国とはうまくやっていきたいと思ってる。

でも、向こうが国としてのメンツにこだわるあまり、事態がこじれたりしたら厄介だよな。

「次の総理の政治判断に期待するしかない……のかな」

と、芹香。

「青藍さんは頑張ってくれてるけど、どうだろうな。さすがに次の総理を本当に決められるわけではないだろうし」

青藍には「次の総理を決めておいてほしい」などと啖呵を切ったが、さすがに本当にそんなことができるとは思ってない。

青藍の政治的影響力は確かなものだが、それだけですべてが決まるほど単純な話ではないらしいからな。

俺としては、凍崎の不正が暴かれた時の政治的混乱を小さくできればそれでいいと思ってた。

「そもそも、この人になってほしいと言えるような政治家が見当たらないんだよな。まあ、それはいつものことかもしれないが……」

今回のことに限らず日本の政治なんてそんなもんだ……と言うのは斜に構えすぎなんだろうか。

「アサイラムの人たちの命運を預けるに足るような人物がいればいいんだけどな」

と俺は、何度となく繰り返した愚痴をこぼす。

「いっそのこと、悠人がなっちゃえば?」

芹香がいきなりそんなことを言ってくる。

「は? 政治家にか?」

「そうじゃなくて、アサイラムの王様になっちゃえばいいんじゃないかってこと。アサイラムは独立します! って悠人がいきなり宣言したら、誰にもどうにもできなくない?」

「それはまあ、たしかに……」

「領土」に誰も侵入できないんだから、そんなのは認めないと言われても痛くも痒くもないわけだ。

経済封鎖されるリスクはあるが、抜け道はいくらでもあるだろう。

「バチカンやモナコ、サンマリノみたいなミニ国家もあるし。ダンジョンの中にアサイラムっていう国ができても、別に日本が領土を失うわけでもないよね」

「……そうだな」

一般には、ダンジョンの内部も、そのダンジョンの位置する国家の国土の一部とみなされてはいる。

だが、ダンジョンの内部には往々にして施政権が及ばない。

モンスターが湧く以上、探索する以外に使い道もなく、事実上放置されてるようなものと言っても間違いじゃない。

しかも、アサイラムは、ダンジョンの通常の内部空間ですらない。

通常は入ることのできないダンジョンのバックヤードに造った空間なのだ。

「記念切手でも売って生計を立てるか?」

「あはは。それもいいけど、真面目な話、悠人ならダンジョン産アイテムを簡単に作れちゃうわけでしょ。その輸出だけでもしゃれにならない収入になるよ」

「まあな。研究科のやってるダンジョン関連の研究成果を一部公表して特許を取ったりもできるだろうな」

下手に日本の法律の枠内でやろうとすると、規制やら政治やらでわずらわしいことになりそうだ。

独立国にしてしまえば、あれこれといらない口出しをされるおそれもない。

「食糧とか日用品とかの確保はどうする?」

アサイラムの内部でも農業の実験をやってるが、すぐには無理だ。

日用品――とくに、スマホやパソコンみたいな精密機器の製造は、アサイラム内では不可能だろう。

「そこはまあ、日本政府と交渉することになるだろうけど。当面の必要物資は先に貯えておいたほうがよさそうだね」

「俺がこっそり買い出しに出てもいいが、いい加減人口的に辛くなってきたところなんだよな」

俺がいなければ回らないようではまともな国家とは言えないだろう。

買い出し部隊に「ステルス」その他のスキルをもたせるか?

いや、アサイラムを国にするのなら、非合法活動が前提っていうのは避けたいな。

「日本政府は交渉に乗ってくるか?」

「最初は突っぱねるかもしれないけど、最終的には乗るしかないんじゃないかな? 安全保障上の脅威もある中で、悠人を敵に回すわけにはいかないし」

「いざとなればクダーヴェを出して脅せばいいか」

そんなことで喚び出したらクダーヴェはへそを曲げるかもしれないが。

「っと、そうだ。暗くなってきたから、あいつを喚び出してやるか」

日が沈んだから、もう人目につくこともないだろう。

俺はヴィラの海側に開けたほうに、クダーヴェを召喚した。

『む? 敵はいないのか?』

久しぶりに登場した神竜は、戸惑ったように周囲を見回した。

「敵がいるわけじゃないんだが、せっかく遠くまで来たからおまえもどうかと思ってな」

『ほう。なんとも美しい場所であるな。この世界に斯様な場所があったとは』

「一応、威圧感は抑えておいてくれよ」

『うむ。ほう、その娘も久しぶりではないか。悠人とは随分と仲睦まじそうだな』

「おひさしぶり、クダーヴェさん。悠人とはラブラブだから邪魔しないでね?」

『おや、これは失礼した。せっかくだ、俺はこの一帯を飛び回って来よう。ここのところ翼を伸ばす機会もなかったからな』

「喚び出しておいてすまないな」

春河宮勇人と戦う時には召喚する可能性もあるかと思ったんだが、クダーヴェを呼ぶまでもなく片付いてしまった。

最近クダーヴェを喚び出す機会がなさすぎて申し訳ないと思ってたんだよな。

『たまにはこういうのもいいだろう。戦士には骨休めも必要だ』

クダーヴェはそう言うと、巨大な翼に空気をはらませ、高空へと舞い上がっていった。

「ちょっと肌寒くなってきたね」

「たしかにな」

いくら南洋の楽園といっても、日が沈んでしまうと肌寒い。

芹香が俺にもたれてきた。

「……どうした?」

「ううん。最近一緒にいられなかったから……」

「ああ、そうだな」

「悠人は寂しくなかったの?」

「それどころじゃなかった」

「そこは寂しかったって言うところじゃないかなぁ……」

「いや、実際寂しかったよ。寂しかったというより……なんだろうな。こう、芹香を抱きしめたくてしかたがないというか……って、何言ってんだ、俺は」

「ふふふ。いいんだよ、好きに抱きしめても」

「そうだな」

俺は芹香の肩と腰に手を回すと、芹香の身体を抱き上げた。

「きゃっ」

「続きは中で話そうぜ」

「お話もいいけど、他のことがしたい、かな……」

暗い中で芹香の潤んだ瞳がヴィラの照明を反射して輝いている。

「どっちもしよう。時間はたっぷりあるからな」

「夢みたい……」

芹香が俺の首に腕を回してしがみつく。

「俺もだ」

俺は芹香を抱えたままヴィラの中に入ると、大きすぎるほどのベッドに芹香をゆっくり下ろす。

「女の子の運び方に慣れてきてない?」

「それは芹香のおかげだろ」

以前酔い潰れた芹香を運んだことはあるが、いちばん距離を運んだのはほのかちゃんだな。慣れてるとすればほのかちゃんを運んだ経験が生きてるわけなんだが。

「あー、ほのかちゃんのこと考えてるでしょ」

「おまえが言い出したんだろ」

「私、結構やきもち焼きみたいなんだよね」

「全然意外じゃないけどな」

芹香は俺のことをずっと待っててくれたんだからな。

想いの強さ、重さは、そういうことに鈍い俺にもよくわかる。

俺の実家の近所にはあの初めて入った雑木林ダンジョンがあるが、よく考えるとあのダンジョンはのんの謂れもないところにある。

俺と芹香にとっては幼い頃の思い出の場所だが、それだけだ。

それだけの場所にダンジョンができたのはなぜか?

ひょっとすると、芹香の「願い」によるものなんじゃないか?

そんなふうにも思うんだよな。

「後になって、やっぱり幻滅したとか言っても遅いからな」

「もう、悠人は自信なさすぎだよ。私がそんなこと言いそうに見える?」

「見えない」

「じゃあいいじゃない」

「好きだ、芹香」

「私も、悠人のことが好き」

ベッドの上にあがり、俺は芹香に覆いかぶさって、芹香の唇に自分の唇をそっと触れさせた。

そのあとのことは――語るのも野暮だよな。

「あのさ」

シーツを胸元まで引き上げて、芹香が言う。

「なんだ?」

「私が重くなったら……ちゃんと逃げてね?」

「逃げないよ」

「いいんだよ。息苦しいなって思ったら、逃げていいから。たぶん、結構束縛激しいから、私」

「だけど――」

「その代わり、恥ずかしがらないで。息苦しいから自分を守るために逃げた、それだけ。戻ってもいいなと思ったら、恥ずかしがらずに当たり前のように戻ってきて。私も距離の取り方を考えるから」

「そうか……心に留めておくよ。芹香が嫌になることなんてないと思うけどな」

「うん、私も、悠人が嫌になることなんてないと思う。でも、縛り合うようなの、悠人は好きじゃないと思って」

「ありがとう。さすが俺のことをよくわかってくれてるよ」

自分のことを自分以上にわかってくれる人がいるのは奇跡みたいなことだ。

芹香がいれば、俺も逃げずに――ではなく、自信を持って時に戦い、時に逃げることができるだろう。

追い詰められた誰かの逃げ場になることだってできるはずだ。

忘れてはいけないのは、俺はダンジョンが出現しなければ詰んでたはずの人間だってことだ。

自力では脱出できない穴蔵に落ち込む危険は誰にでもある。

世の中からそういう詰み筋が完全になくなることはないのかもしれない。

まるで巧妙に隠された落とし穴のように、人生のあちこちに危険な罠が潜んでる。

今はうまく行ってるように見えたって、この先どうなるかなんてわからないことがほとんどだ。

だからこそ、どうしようもなくなる前に逃げなければ。

だが、目の前で微笑む彼女だけは、絶対に手放すことなく一緒に逃げたい。

芹香ならきっとついてきてくれるはずだ。

いくら俺が逃げることのプロだと言っても、芹香を置いて逃げることだけはありえない。

「もう絶対離さないからな」

俺はシーツの中で芹香の手を強く握り締めた。

《特殊条件の達成を確認。固有スキル「逃げる」のスキルレベルが最大になりました。》

Congratulations !!! ────────────

特殊条件達成:「固有スキルをスキルレベル4以上まで上げた上で、おのれの魂の限界を乗り越える。」

報酬:固有スキルのスキルレベルが真の最大値6になる。

────────────────────

《「S.Lv2 現実から逃げることができる。」の使用条件が不正です。》

《「S.Lv2 現実から逃げることができる。」が使用できなくなりました。》

Skill──────────────────

逃げる

S.Lv1 戦闘から逃げることができる。

【使用不能】S.Lv2 現実から逃げることができる。

S.Lv3 困難から逃げることができる。

S.Lv4 その場から逃げることができる。

S.Lv5 skipped

S.Lv6 手を繋いで逃げることができる。

【NEW!】S.Lv6 手を繋いで逃げることができる。

手を繋いだ相手とともに二人だけの世界に逃げることができる。二人だけの世界からは元の世界の任意の時点・地点に帰還することができる。ただし、いずれかがが誕生する前の時点に遡ることはできない。

使用条件:

………………

…………

……

「おいおい、またとんでもない能力が出てきたな」

どうやら俺の探索には、まだまだ続きがあるみたいだ――

『ハズレスキル「逃げる」で俺は極限低レベルのまま最強を目指す ~経験値抑制&レベル1でスキルポイントが死ぬほどインフレ、スキルが取り放題になった件~』

――FIN.――