軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

233 エキチカ突入(1)

◇篠崎ほのか視点

「じゃあ、ほのかちゃんはここで待っててくれ」

そう言い置いて、悠人さんがボス部屋へと入っていきます。

その足取りはまるで「ちょっとコンビニに寄ってくる」とでも言わんばかりの軽さでした。

「……難攻不落のSランクダンジョン、ですよね」

私が今いるのは、東京の副都心、新宿駅構内の地下に存在するSランクダンジョン「新宿駅地下ダンジョン」の第一層のボス部屋前です。

Sランクダンジョンには各層ごとにフロアボスが存在することが知られています。

ゲームで言えば中ボスのような存在ですが、ここはSランクダンジョンです。

Aランクダンジョンのダンジョンボスよりも、Sランクダンジョンのフロアボスの方が圧倒的に格上。

どんなにレベルが高い探索者であっても、ソロで戦いを挑むような相手ではありません。

それなのに、悠人さんの顔に気負いはまったくありません。

この程度の相手には勝てて当然だと言わんばかり――いえ、勝てるかどうかを疑ってすらいないような様子です。

悠人さんがこの新宿駅地下ダンジョンに逃げ込むと言い出した時、私は耳を疑いました。

たしかに、悠人さんは最初、手近なダンジョンを踏破してそこから別のダンジョンに転移する、というようなことを言っていました。

……まず、そこからして意味がわからないです。

手近なダンジョンを踏破する――

これはまだ、わかります。

新宿駅の周辺にはいくつもダンジョンがあります。

Cランクダンジョンならば、悠人さんはソロでも余裕で踏破できるでしょう。

私も、Cランクダンジョンであれば、足を引っ張ることはないくらいの力をつけたつもりです。

Bランクダンジョンであっても、国からもその力を恐れられる悠人さんであれば、単独踏破はできるのでしょう。

私も、若干の不安要素はあるものの、Bランクダンジョンでしたら足手まといにはならないと思います。

Aランクダンジョンとなると、さすがにどうかと思います。

Sランク探索者――たとえば、芹香さんであっても、Aランクダンジョンをあえて単独で踏破することはないでしょう。

いえ、芹香さんはいまや国内レベルランキング最上位の探索者ですから、実力的にはAランクダンジョンのソロ踏破もできるはず。

私、ですか?

天狗峯神社を拠点とする探索者ギルド「 役小角(えんのおづぬ) 」の皆さんとフルパーティを組む前提であれば、なんとか戦力に数えてもらえるかもしれません。

ただ、同じAランクでも下位のダンジョンと上位のダンジョンではレベル帯が全然違います。

下位ならレベル帯は100から。最上位は1000に満たないギリギリのレベル帯になってきます。

今の私では下位のダンジョンについていくのがやっとというところです。

それがSランクともなれば、難しいかどうかという話ですらありません。

そもそも、Sランクダンジョンは、世界を見てもいまだ公式には踏破者がいないとされています。

ソロだろうがパーティだろうが、です。

正確には、北朝鮮の軍属の探索者がSランクダンジョン「白頭山ダンジョン」を踏破したことを宣言したという事例があるのですが、国際的には国威発揚のためのフェイクだろうと言われています。

Sランクダンジョンの重みは、その土地の蓄えてきた歴史の重みだと言われます。

兵馬俑やアレクサンドリア図書館、マチュピチュ遺跡といった海外の有名なSランクダンジョンに挑むことは、その土地に堆積した人類の歴史の重みに挑むことだと言うのです。

国内では安土天空城ダンジョンや首里城ダンジョンが有名です。

そうしたSランクダンジョンを踏破できるのは、歴史に名を残すような英雄英傑に匹敵するレベルの探索者でしかありえない――

そんなふうに言われることもあるほどです。

そう。

Sランクダンジョンは、とんでもなく難しいんです。

もっと言えば、その攻略は絶望的とされています。

そのSランクダンジョンの一角であり、アクセスのよさから世界的にも有名な新宿駅地下ダンジョンを、悠人さんはただ「近いから」というだけの理由で踏破しようと言い出しました。

最初は、追い詰められた悠人さんが自暴自棄になったのかと疑いました。

でも、そうではありませんでした。

私の固有スキル「感応」は、つながりのある他者の感情を自動的に読み取る――より正確には、私と相手の感情を同期させてしまうスキルです。

私が「感応」で誰かの感情を読み取る時、私はそれとまったく同じ感情を自分の胸に感じます。

便利ではあるのですが、他者の抱く感情をダイレクトに受け取るのは危険を伴う行為です。

以前、お母様を狙っていたエルフの王クローヴィスの固有スキルによって、生きながらにしてモノにされてしまった人たちを、このスキルで助けました。

彼らの感情を私の感情と同期させた上で、その感情を暖かなものへと書き換えました。

あれは、私にとってもトラウマに近い体験でした。

彼ら自身が被害者であり、私はその感情を受け取っただけにすぎないのですが、それだけでも魂の凍えるような恐怖を感じ、その後しばらく悪夢にうなされ続けることになりました。

お母様の精霊魔法と、天狗峯神社に伝わる修験者向けの特殊なお祓い、それからもちろん、悠人さんへの想いがあればこそ、乗り越えられた試練でした。

そのことはともかくとして、新宿駅地下ダンジョン――通称エキチカに潜ると宣言した悠人さんの心には、恐怖の陰はありませんでした。

悠人さんは言いました。

「Sランクダンジョンの中まではさすがに追ってこれないだろう」

と。

それはそうだろうと思うのですが、そういう問題ではありません!

それに、「手近なダンジョン」を踏破できたとして、他のダンジョンに転移する、というのは一体どういうことなのでしょうか?

悠人さんは私を小脇に抱え直すと、新宿駅の改札をひらりと飛び越え、厳重に警戒されている一角へと近づきます。

エキチカへの入口は、他のダンジョンのような黒いポータルではありません。

新宿駅の構内にダンジョンの開口部ができており、構内からそのままダンジョンの内部につながるという、かなり危険な構造になっています。

当然のことながら、開口部は警察と探索者協会によって厳重に監視されています。

この開口部を放置していたら、駅の利用者がそのままダンジョン内に迷い込んでしまうおそれがあるからです。

実際、少し前のフラッドでは、構内に新しい開口部ができてしまい、修学旅行生がダンジョン内に迷い込むという事態になったそうです。

さいわいにも、協会の探索者――というか私も知っている芹香さん――が緊急出動し、遭難者をすべて救助したと聞いています。(*1)

その時に開いたという開口部も、もちろん今では監視下に置かれています。

駅の改札の電子カード読み取り装置を大型化したようなものに、踏切の遮断桿のようなものがついた大きな機械が、新宿駅の構内の奥にありました。

入出場を電子カードで管理しているそうですので、機能的には大きいだけの改札のようなものです。

人は何にでも慣れるものらしく、観光客らしき人たちが新宿駅の新しい「名物」となった「ダンジョン改札」を自分のスマホで撮影しています。

しかし、その視線はいつもよりずっと熱がこもったものでした。

「俺もいつかは……」

「異世界からの移民でパーティを組んで……」

「宝くじを買うより確実だ」

「探索者として成功できれば儲けもんだよな。もし死んだとしてもモンスターに殺されるんなら一瞬だろ」

まさか今からSランクダンジョンに入ろうというわけではないと思いますが、以前通りかかった時とは目の色が違いました。

ダンジョン改札を警備している警察官たちも、いつもより心なしか厳しい顔で見物人を警戒しています。

ですが、彼らをじっくり観察する時間はありません。

「悪いな、通らせてもらう!」

悠人さんが私を抱えたまま叫びます。

「止まれ! 入場には協会への届け出が――」

にわかに殺気立って警察官たちが立ち塞がろうとしました。

しかし、彼らが道を塞ぐより早く、悠人さんがダンジョン改札を突破します。

もともとこの改札は、自分の実力への過信や自暴自棄、自殺目的などでエキチカに潜ろうとする探索者を止めるためのものです。

力づくで突破するのを止めるような構造にはなってません。

「隔壁を下ろせ!」

駆け抜けた後ろから尖った声が聞こえました。

ダンジョン改札の奥、ダンジョンの開口部へと通じる通路の先で、重い何かが動くような音がしました。

通路の天井から床に向けて、分厚い隔壁が下り始めます。

ダンジョンからのモンスターフラッドを防ぐための分厚い隔壁は、一枚だけではありません。

通路に沿って何枚も――これでもかというほどの数が用意されています。

「ちっ、めんどうな!」

悠人さんはさらにスピードを上げました。

数枚の隔壁は余裕で潜り、一枚を滑り込むようにして抜けましたが、最後の一枚は間に合いません。

悠人さんは、完全に下りてしまった隔壁に、私を抱えていないほうの手をかざします。

「余罪に問われそうだな……っと!」

それだけで、隔壁が奥に向かって弾け飛んでしまいました。

隔壁は空中で分解され、ただの粉塵となって開口部の前に漂うだけです。

魔法……だと思いますが、確信はありません。

悠人さんは詠唱をしていませんでした。

魔法の詠唱を不要とするようなスキルの存在は予言されていますが、実際に所持している探索者はまだいません。

ひょっとしたら秘匿している探索者はいるかもしれませんが、少なくとも一般に知られている限りでは存在しません。

「……時間は稼げたか?」

悠人さんが後ろをちらりと振り返ってつぶやきます。

背後では何重にも隔壁が下りています。

隔壁を上げることはできるのでしょうが、床にしっかりと固定される仕組みのようですので、すぐにとはいかないでしょう。

あの特殊部隊の人たちが特別な権限を持ってるとしても、ダンジョン改札の警察官に話を通すのには時間がかかるはずです。

「さ、ここからはダンジョンだ」

悠人さんはそう言って、私を地面に下ろします。

「だ、大丈夫なんですか? Sランクダンジョンなんですよ!?」

悠人さんが不安を抱いていないとわかっていても、頭では納得がいきません。

悠人さんは、強い。

そのことは十分わかっているつもりでした。

それでも、初見のSランクダンジョンを、事前の準備もなしに実質ソロで、私という足手まといを連れて踏破できるとは思えません。

それなら、悠人さんが何か大きな勘違いをしていて、誤った自信を持っていると考えたほうが納得がいくほどです。

……もちろん、そんなことはありえないと思うのですが。

「大丈夫だ。Sランクダンジョンなら、過去に踏破したことがある。……この世界のじゃないけどな」

悠人さんの言葉は、自信たっぷり、というよりは、単に事実に言及しただけという感じでした。

「追っ手が来ないうちに先に進もう。ある程度進めばもう追いつかれる心配はなくなるはずだ」

悠人さんはそう言って、迷わずダンジョンを奥へと進みます。

そして、私は目の当たりにすることになりました。

さっき私は、悠人さんは何か勘違いをしているのではないか、と思いました。

でも、違いました。

勘違いをしていたのは、私でした。

悠人さんは、強い。

私のその認識は間違っていました。

今なら、こう表現します。

――悠人さんは、ありえないくらい、桁外れに強いのです。