軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

174 ああ、あの時の!

――一人暮らしでも引っ越しの挨拶をするべきか?

意外に難しい問題のようで、ネットでも賛否があるようだ。

なんとなくしなければいけないものと思ってたが、最近はそうでもないらしい。

とくに女性の一人暮らしの場合は、余計な情報を与えないようあえて挨拶をしないこともあるという。

困ったときの灰谷えもんというわけで、事前にチャットで確認したところ、

『どちらでもよいと思いますが、どちらかといえば、挨拶しておくことをおすすめします。そのマンションは複数のギルドで共同管理しているものですので、近隣の方とダンジョンや本部でばったり、ということはありえます。そんなときに挨拶をしていないと若干気まずいかもしれません』

……との答えだった。

相手が女性だった場合などもとくに考慮しなくていいという。

このマンションを利用できるのはパラディンナイツといくつかのギルドだけで、信用のない探索者は基本的に住めないから、だそうだ。

そういう言われ方をすると、俺自身も信用を気にしないわけにはいかなくなるよな。

俺が見るからにきょどきょどしててご近所さんと目も合わせないような感じだと、芹香や灰谷さんの信用に傷がつく。

そんなわけで、俺は隣と上下、三戸の住人に引っ越しの挨拶をすることにした。

さいわい角部屋なので隣は一部屋だけで済んでいる。

地味に困ったのがお土産なんだよな。

俺の地元は、東京近郊の特徴のない地方都市にありがちなことに、その土地ならではの名物的なものがあまりない。

しょうがないので洗剤の詰め合わせという実用品にしてしまったが、これで本当にいいんだろうか?

そんな不安を抱えながら、俺は上下の部屋を訪れた。

上は、俺よりちょっと歳上の女性探索者。下は、高校を出たばかりだという若い男の探索者だ。

どちらも「これはご丁寧に」といった無難な受け取り方をしてくれた。

最後に隣の部屋を残したのは、失敗した場合にいちばん面倒だと思ったからだ。

出入りするときにいちばん出くわしやすいのは隣の部屋の住人だからな。

上下の部屋で慣らしを済ませ、万全の態勢でボスに挑む。

それが俺の用意してきた必勝法だ。

上下の部屋への挨拶を無事に済ませた俺は、余勢を駆って階段を昇る。

俺の自室の隣りにあるボス部屋の扉の前に立ち、深呼吸をすること一回。

インターホンに指を伸ばしかけたところで、

「――うちに何か御用ですか?」

と、背後から声をかけられた。

しまった……。

これは想定外だ。

在宅の場合と不在の場合は想定してたが、チャイムを鳴らそうとしたところでバックアタックを喰らうことは考えてなかった。

はるかさんが以前、探索者たるもの日頃から索敵を怠るべきではないと言ってたが、今の俺はそれをすっかり忘れてた。

「あ、いや……その、隣に越してきた者、です」

予想外の事態にうろたえながら、俺はなんとかそう返す。

振り返って、声の主に目を向ける。

二十代半ばくらいの女性だ。

わりときれいな人だが、化粧っ気はなく、人の多いところでは目立たなそうな感じだな。

こう言っちゃなんだが、荒事を生業にしてる探索者にはあまり見えない。

どちらかといえば、一般企業で事務職をしてそうな囲気だ。

取り立てて特徴のない、どこにでもいそうな女性だよな。

人のことをとやかく言えるほど俺にも特徴なんてないと思うが。

しかし、

「あれ……?」

なぜか、その女性に見覚えがあった。

だが、それがどこだったかが思い出せない。

……見覚えがあるような相手は、もう出きったと思うんだけどな。

凍崎純恋のように高校以前の顔見知りでもないし、ジョブ世界でのように認識を阻害されてるわけでもない。

「あの……どうされました?」

女性が怪訝そうに訊いてくる。

ヤバい。これ以上キョドってると、怪訝が不審に変わりそうだ。

「……いや、なんでもないです。その、隣に越してきたので、ご挨拶を、と思いまして」

と、練習してきたテンプレ文をしゃべる俺。

「ああ、それはどうも、ご丁寧に」

「これ、つまらないものですが……」

俺は洗剤の詰め合わせを彼女に渡す。

つまらないものですが、は贈り物をするときに謙遜して使うものだと思うが、実際洗剤というのはマジでつまらないものだよな。

まあ、この場合、へたに形として残ってしまうものより消えるもののほうがいいわけだが。

あとに残ってほしいのはちゃんと挨拶をしたという実績だけだ。

「あら、ありがとうございます。……えっと?」

受け取りながら、なぜか女性が首を傾げた。

女性は俺の顔を覗き込んで、

「……ひょっとして、どこかでお会いしたことがありません?」

驚いたことに、俺と同じことを思ったらしい。

「俺もそんな気がしたんだけど……」

と、思わず敬語を崩してしまう。

「顔、ではないですね……。声に聞き覚えが……? っ! ま、まさか……」

女性が目を見開き、俺にぐいと詰め寄ってくる。

「ど、どうしたんです?」

「あの……勘違いだったら申し訳ないのですが……。光が丘公園ダンジョンで私たちを助けてくれた方ではありませんか?」

「えっ……、あ、ああ!」

たしかに!

言われてみればそうだ。

ダブルフラッド(新宿駅地下ダンジョンの浅層フラッドと光が丘公園ダンジョンの同時フラッド)のときに、俺は彼女のことをたしかに見てる。

光が丘公園ダンジョンの最奥にいた、「羅漢」の生き残りの一人である。

彼女のことは印象に残ってる。

無謀な「レベルドレイン」を強行しようとした凍崎純恋にレベルを吸われそうになってた奴に代わって許しを乞い、その後凍崎純恋へのクーデターが起きたときには他のスーツ連中が凍崎純恋を殺すのを(正確にはボスに殺させようとするのを)止めようとしていた。

彼女たち数人の生き残りを助けたあとで俺はダンジョンボスのホビットスモウレスラーを倒してフラッドを終息させ、彼女たちを連れてダンジョンを出た。

ダンジョンの外で、回収した「羅漢」探索者の遺体と凍崎純恋のアイテムを彼女に託し、俺はかっこつけたことを言って立ち去った。

……って、しまった。

あのとき俺は「烏天狗のお面」をつけていた。

だから、今ここで人違いだとシラを切ることもできたのだ。

「やはり、あのときの黒天狗様なのですね!?」

俺の反応に、彼女は確証を得てしまったらしい。

それにしても、黒天狗様って。

そういえば凍崎誠二も俺のことを黒天狗と呼んでたけども。

ダブルフラッドの光が丘公園側の解決者として知らない間に有名になってしまったみたいだな。

……まあ、いいか。

バレてまずいことをしたわけじゃないし。

それに、今となっては、奥多摩湖ダンジョンのダンジョン崩壊を止めたことや、クダーヴェに弾道ミサイルを宇宙空間で迎撃させたことのほうがずっとヤバい。

しかもそっちのほうは、お面もなしの「パラディンナイツ所属の探索者」がやったことになっている。

一部政府の詳しい連中にはそれが俺だということもバレてるな。

そう考えると、ダブルフラッドの話がバレたところで今さらだ。

「……他言はしないでほしいんだが」

「そ、それはもちろんです。すみません、余計なことを言ってしまい……」

彼女が申し訳無さそうに頭を下げる。

……そんな態度を取られると俺が困る。

「これまでお礼を申し上げる機会もなく、大変失礼いたしました。あのときは、本当に有難うございました。あなたが危険を冒してくださったおかげで、私を含め、何人もが命拾いをしました」

と、さらに深々と頭を下げる彼女。

義理堅い人なんだろうとは思ってたが、こんな廊下で頭を下げられても困るぞ。

「あ、いや……俺だって事情があってやったことだし……」

俺は彼女を宥めようと口を開く。

だが、すべてを言い切るその前に、

「――おまえ! 僕の姉さんに何をしてる!?」

俺の後ろ側の廊下から、若い男の声が飛んできた。