軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

113 フラッシュバック

「失礼します」

と言って保健室に入るが、保健の先生はいなかった。

その代わりってわけじゃないが、ベッドを区切るカーテンの奥から声がした。

「ひょっとして、蔵式先輩ですか?」

「その声……紗雪か?」

「はい」

と返事が聞こえてから、がさごそと物音。

カーテンが内側から開かれる。

顔を出したのは、べったりした黒髪と紙のように白い肌の後輩女子だ。

夏目紗雪。

図書委員で出会った先輩後輩で、今では俺のパーティメンバーでもある。

見慣れた顔だ。

その、はずだった。

「夏目……」

その後輩の顔を見た瞬間、俺に襲いかかっててきたのは 恐怖(・・) だった。

後悔と罪悪感。

そして、否定しきれない恨みの感情。

ノートの切れ端に書き殴られた文字が、視界いっぱいに広がった。

『どうせ助けられないなら最初からなにもしないでほしかった。先に絶望するなら希望なんて見せないでほしかった。ずっと真っ暗闇だったら耐えられたかもしれないのに、なまじ光を見せられたから耐えられなくなってしまった。もうどうしたらいいかわからない。私をいじめた人たちも、私を中途半端にかばった人も、見て見ぬふりを決め込んだ人たちも、みんな社会的に死ねばいい!!!』

「うっ、ぐええっ……!?」

両手を口に当て、こみ上げてきた吐き気を堪える俺。

「ど、どうしたんですか、先輩!? 顔が真っ青です!」

しゃがみこんだ俺に、慌てた様子で夏目紗雪が駆け寄ってくる。

その手を振り払いそうになるのをなんとか抑える。

が、俺が拒絶しようとしたことは夏目――いや、紗雪にも伝わった。

紗雪もまた、同じパーティで苦楽をともにしてきた仲間だ。

とくに俺のパーティはテレパスであるほのかちゃんのおかげで互いの感情の機微に敏感になっている。

「す、すまん。調子が悪いみたいだ……」

「い、いえ……。保健室に来たのですからそれはそうだと思いますけど。先生を呼んできましょうか?」

「……大丈夫だ。夏目こそ寝てなくていいのか?」

「私のはいつもの貧血です 。それと、夏目ではなく紗雪です」

「悪い。そうだったな」

ほのかちゃんのことは名前で呼ぶのに自分は名字で呼ぶのか、と以前言われ、名前で呼ぶことにしたんだった。

といっても、俺を巡って二人が恋の鞘当てをしてるわけじゃない。

紗雪は、自分には恋愛感情というものがわからないと言っていた。

ただ、だからといって仲間のあいだに入れないのも嫌だと。

氷室純恋のいじめから助けられたことを感謝はしているが、それを負い目に感じてもいて、だからこそ対等なパーティメンバーになりたいのだと……珍しく照れたような顔をして、そんなふうに言っていた。

まあ、そのくせ俺のことはいまだに「蔵式先輩」と呼ぶんだけどな。

……というのが、この世界における俺の記憶だ。

だが、それとは完全に矛盾する記憶が、俺の脳裏に蘇っていた。

紗雪の顔を見た瞬間に溢れ出した激烈な負の感情。

人がこんな感情を抱くことがあるのかと思うほどに強烈で、制御不能の感情だった。

おかげで、思い出した。

「すまん。ほんとに具合が悪いみたいだ」

俺は青ざめた顔のままもごもご言って、顔を伏せたまま保健室を出る。

紗雪の顔を見る勇気がなかったからだ。

「え、体調が悪いならここで休んでいったほうがいいのでは……」

紗雪の戸惑った声に答えもせず、俺は保健室を後にした。

誰も来ないところ、と考えて、俺は屋上にやってきた。

屋上への扉には鍵がかかってるが、鞄のマジックバッグから「錆びた鍵」を取り出して開ける。

「錆びた鍵」はダンジョンで手に入れたアイテムで、構造の簡単な錠を問答無用で開けられるという便利な品だ。

物騒なアイテムだけに、もし売りに出したら大変な値がつくだろう。

それを入れてるマジックバッグも小型で容量の多い希少品だ。

捨て値でさばいても豪邸が建てられるほどの額になる。

……まあ、こんなアイテムを売りに出したら、取り引きが成立する前に国から戦略探索物の指定を受けて買い上げられることになるだろうけどな。

戦略探索物として有名なのはエリクサーだが、一定以上の容量を持つマジックバッグも地味に指定の対象となっている。

「マジックバッグ、か」

元の世界では、俺は「アイテムボックス」のスキルを使ってたはずだ。

それは、俺だけの話じゃない。

「アイテムボックス」はほとんど誰にでも取得できるスキルだった。

そのせいか、マジックバッグは国の戦略探索物には指定されていなかった。

他にも、大きく違うことがある。

元の世界では、他者のステータスを見るには「簡易鑑定」「鑑定」「看破」のようなスキルが必要だった。

この世界のように細目で見つめるだけで他者のステータスが見えるなんてことはなかった。

「それを言ったら、ジョブなんてシステムがある時点でおかしいんだけどな」

この世界に、スキルはない。

この世界にあるのはジョブだけだ。

ジョブに包摂される技能やアビリティは存在するが、それらはスキルとは異なる仕様になっている。

だが、そんなことはどうだっていい。

元の世界と、この世界の最大の違い。

それは、

「夏目が自殺していない……」

屋上の空を睨んで、俺はつぶやく。

いやらしいほどに晴れ渡った五月の空。

青春という言葉を体現するかのような空だった。

「ようやく思い出してきたぞ。俺は奥多摩湖ダンジョンの崩壊を止めるために崩壊したダンジョンに乗り込んだ」

崩壊の阻止には成功した。

こっちの世界の俺――高校生Sランク魔剣士の俺は「どうやって!?」と驚くが、事実は事実だ。

ちなみに、こっちの世界でもクローヴィスが奥多摩湖ダンジョンを崩壊させようともくろむ事件が発生してるが、そっちはギリギリのところで阻止したらしい―― 俺たち(・・・) が。

「たしか、そのあとだ。神様が俺への報酬として 空隙(ブランク) を使って望みを叶えると言い出した」

俺は……そうだ、スキルを統合するスキルがほしいと言ったはずだ。

「でも、それはシステム上無理だから、それに近いボーナスを出すために、俺専用の修行用ダンジョンを造ってくれるって話になった」

ところどころ記憶に穴があるが、ここまでわかればこれがどんな事態かも想像がつく。

「……夏目が自殺しなかった世界、か。くそっ、どこまでも都合のいい世界だな」

激情にかられ、近くの壁を拳で殴る。

「……なかったことにしていいはずがない。それだけはやっちゃいけないんだ」

俺がひきこもりになったきっかけは氷室純恋によるいじめだが、そこから抜け出せなくなった原因は、夏目紗雪が自殺したことだ。

しかも、死後に紗雪の遺書がSNSに流出した。

それを目にしたときの、後悔、恐怖、怒り、罪悪感……そして絶望。

はっきり言って、俺の心はそのとき壊れた。

立ち直るためにいちばん簡単なのは、「なかったこと」にすることだったろう。

元々かばう義理もない程度の関係性しかなかったんだ。

かばいきれずに自殺され、死後に遺書で非難されたとしても、見て見ぬ振りをしなかった分だけマシなはずだ。

がんばってかばおうとしたが、力が及ばず最悪の事態になってしまった。

でも、できる限りのことはした。

だから、俺は何も悪くない。

そんな言い訳をこしらえて事件をなかったことにしてしまえば、俺もいくらかは立ち直れたかもしれない。

だが、それだけはできなかった。

「受け止めようと、思ったんだ……」

客観的に見ても、俺に落ち度はなかったと思う。

それでも、自分の選択の結果を受け止めたかった。

当時の俺はあまりに真面目に、あまりに重たく事態を受け止めすぎたのかもしれない。

今になってみればそうも思えるが、そのときは視野が狭くなっていた。

あるいは、自覚してた以上に自責の念に囚われてたのかもな。

「で、今回のこれか……」

ほのかちゃんが俺の一個下の高校の後輩で、彼女でもある世界。

クラスメイトたちから無視されるどころか、クラスの中心人物に収まってる世界。

高校生ながら国内レベルランキング第4位のSランク探索者として一目置かれ、ちやほやされてる世界。

そして、夏目紗雪へのいじめを力づくで解決し、彼女が自殺せずに生きている世界。

「はあああ……落ち込むな」

こんな都合のいい世界、あるわけがない。

この世界は、あまりにも 俺にばかり(・・・・・) 都合がよすぎるんだ。

この世界に飛ばされる前の記憶と合わせれば、これがどんな事態かは想像がつく。

俺は息を大きく吸い込むと、

「――見てるんだろ、神様! 俺はこれが幻覚だと気づいたぞ!」

と、屋上に響く声で叫んでいた。