作品タイトル不明
第47話 紗月、「またな」がまだ耳のどこかに残ってる
目が覚めた。カーテンの隙間から薄い光。まだちょっと暗い。
枕元のみけに「おはよ」って言った。耳の左右が違うの、今日もかわいい。
よし。起きよ。
◇
おにぎり、できた。
ラップを広げて、ぎゅっと三角に整える。今日は梅と鮭。悠真くん、鮭好きだし。
手のひらが、あったかい。ご飯握ったから当たり前なんだけど。
——あ。
文化祭のとき、悠真くんの手も、こんなふうだった。フォークダンスで、ちゃんと握り返してくれて。
そうだ、おにぎり包まなきゃ。
ラップに包んで二つ、かばんの端に入れた。タッパーは悠真くんが持ってきてくれる。おかず、今日は何だろ。最近甘いの多いから、また甘煮とかかな。
みけをかばんに入れた。かばんの端からちょこんと出てる。
鏡の前。コテで毛先を巻く。左はいい感じ。右がちょっと跳ねてる。もう一回。
制服のリボンを直して、マフラーを首に巻いた。チェックの柄。お母さんが昨日出してくれたやつ。
「行ってきまーす」
返事はなかった。お母さんはもう出かけたのかな。
ドアを閉める。冷たい空気。息が白い。
◇
「おはよ紗月。今日寒くない?」
坂を下りたところで玲奈が待ってた。
「寒い! マフラーしてきたよ!」
「あ、かわいい。チェック柄じゃん」
「えへへ、お母さんが出してくれた」
並んで歩く。いつもの道。商店街のアーケードをくぐると、パン屋の小麦堂からいい匂いがした。
「ねえ玲奈、帰りにパン買って帰らない?」
「明日の朝用?」
「うん! メロンパン気になるの」
「紗月、メロンパンいっつも気になるって言って結局あんぱん買うよね」
「……次こそメロンパンにする」
「はいはい」
駅前の信号を渡って、坂を上る。正門をくぐって、本館に入った。
2-Bの教室。入口に立つ。
——いた。窓際の席。
「おはよ悠真くん!」
悠真くんがこっちを見た。
「……おう」
矢野くんが隣の席で「はいはい」って顔してる。
「元気だな朝から」
「元気は大事だよ! ねえ悠真くん、今日のおにぎり鮭だよ!」
「おう」
——今日の「おう」、なんかちょっとだけ低い気がした。
気のせいかな。
「お昼、屋上でね!」
手を振って、教室を出た。玲奈が廊下で待ってる。
「朝からわざわざ報告しに行くんだ」
「報告じゃないよ。おにぎりの予告!」
「同じでしょ」
◇
屋上。風が冷たい。フェンスが鳴ってる。
いつもの場所に座った。悠真くんの隣。壁際はちょっとあったかい。向かいに矢野くんと玲奈。
「はい、おにぎり!」
ラップに包んだ鮭おにぎりを、悠真くんに渡す。
「さんきゅ」
タッパーが出てきた。蓋を開ける。
「あ、きんぴら!」
甘くないやつだ。最近甘いの続いてたから、ちょっと意外。でもきんぴら好き。梅おにぎりかじって、箸を伸ばした。
しゃきしゃきしてる。おいしい。
悠真くんが鮭おにぎりのラップを剥がして、かじった。
全部食べてくれるかな。
……うん、食べてる。よかった。
向こう側では矢野くんがポテチの袋を開けた。
「矢野くん、またコンソメ?」
「たまにはうす塩にしなよ」
玲奈が手を伸ばして、三枚くらいさっと持っていった。矢野くんが「おい」って顔してる。
「玲奈と矢野くん、仲いいよね」
二人が同時にこっちを見た。
「どこが」
「……そんなわけないでしょ」
あれ、怒らせちゃったかな。ふふっ。
悠真くんがおにぎりをかじりながら、フェンスの方に目をやった。
——あ、鳥だ。フェンスの上に止まってる。ちっちゃい。すずめかな。もふっと膨らんでて、寒そう。
「ね、見て悠真くん。鳥。寒くないのかな」
「さあ」
「もふもふだね。かわいい」
「……そうだな」
まあいいか。きんぴら、もう一つもらお。
「紗月」
玲奈の声。なんか、いつもと違うトーン。
「最近なんか変じゃない?」
「変じゃないよ!」
——あれ。声、大きくなっちゃった。
「……それよりご飯食べなきゃ。お昼終わっちゃうよ!」
玲奈がじっとこっちを見てた。でもそれ以上は何も言わなかった。
矢野くんのポテチの袋が風でカサカサ鳴ってる。悠真くんが鮭おにぎりの最後のひとくちを口に入れた。
おにぎり、全部食べてくれた。
うん。
◇
六限のチャイムが鳴った。
玲奈と一緒に2-Bの前まで来た。
「悠真くん、帰ろ!」
悠真くんが「おう」って立ち上がった。
四人で正門を出る。風が冷たい。手がかじかむ。
「たい焼き食べたいなぁ」
「勝手に食え」
「えー、一緒に食べた方がおいしいじゃん」
「俺もいるんだけど」
矢野くんが後ろから言った。
「矢野くんもだよ! 四人で食べよ!」
「遠慮する」
「玲奈は?」
「帰ってから食べる」
「……みんな冷たい」
悠真くんの横を歩く。コートの袖が、たまにぶつかる。
駅前で矢野くんが「じゃな」と手を上げた。
三人になった。商店街を抜けるとき、小麦堂の前を通った。——あ、パン。朝、玲奈と買って帰ろうって言ってたっけ。
十字路。
「じゃーね。寄り道しないで帰りなよ」
「えー、しないよ! またね玲奈!」
手を振った。玲奈が角を曲がって、見えなくなるまで。
二人きり。
住宅街に入ると、静かになる。
悠真くんが隣にいる。半歩前。いつもの速さ。靴の音がコツ、コツ、って響いてる。
なんか、ほっとする。隣を歩いてるだけなのに。
なんだろ。
風が吹いた。冷たい。ポケットに手を突っ込んだ。
——あ。
花火のときは、こんなに寒くなかったな。石段に並んで座ってて、すごく静かだった。
そういえば、来週テストか。英語どうしよ。
「ねえ悠真くん、テスト勉強また四人でやる?」
「……まぁ、別にいいけど」
「やった! 今度は矢野くんのポテチ、玲奈の分も買ってこよっか」
「余計なことすんなよ」
「えへへ」
住宅街の角を曲がった。悠真くんのコートの袖が揺れてる。
——掴もうとした。
あれ。
指が止まった。ほんの一瞬。息も。
……なんだろ。
まあいいか。
袖を掴んだ。
「ほら悠真くん、あっちにたい焼き屋あるんだって!」
「だから勝手に食えって」
「一人で食べてもおいしくないの!」
「……はいはい」
悠真くんがため息をついた。でも袖はそのまんま。
たい焼き、あんこがあつあつだった。
◇
坂の下。街灯がついてた。
「じゃあまたね、悠真くん! テスト勉強、約束だからね!」
手を大きく振った。悠真くんが「またな」って言った。短くて、低くて、いつもの声。
ふふっ。
悠真くんが歩き出す。背中が、だんだん小さくなっていく。
——風が、冷たかった。
胸の、このへんが。きゅっ、とした。ちょっとだけ、体が縮こまった。
「……寒っ」
マフラーに顔を埋めた。息が白くて、マフラーの中がすぐあったかくなる。
坂を上がる。途中でふと振り返った。
悠真くんは、もう見えなかった。
◇
「ただいまー」
返事はなかった。
靴を脱いだ。足の裏が冷たい。階段を上がって、自分の部屋のドアを開けた。
かばんを下ろして、みけを枕元に戻した。朝入れて、夜戻す。いつものこと。
ベッドに座った。
……今日も、楽しかった。
おにぎり、「さんきゅ」って。それだけだったけど。
うん。それだけで、よかった。
手を見た。朝、おにぎり握ったときの、あの感じ。もうとっくに冷めてるはずなのに。
悠真くんの「またな」が、まだ耳のどこかに残ってる。
いつもの声。いつもの言葉。なのに。
なんだろう。胸のあたりが、ちょっとだけ、あったかい。