軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第47話 紗月、「またな」がまだ耳のどこかに残ってる

目が覚めた。カーテンの隙間から薄い光。まだちょっと暗い。

枕元のみけに「おはよ」って言った。耳の左右が違うの、今日もかわいい。

よし。起きよ。

おにぎり、できた。

ラップを広げて、ぎゅっと三角に整える。今日は梅と鮭。悠真くん、鮭好きだし。

手のひらが、あったかい。ご飯握ったから当たり前なんだけど。

——あ。

文化祭のとき、悠真くんの手も、こんなふうだった。フォークダンスで、ちゃんと握り返してくれて。

そうだ、おにぎり包まなきゃ。

ラップに包んで二つ、かばんの端に入れた。タッパーは悠真くんが持ってきてくれる。おかず、今日は何だろ。最近甘いの多いから、また甘煮とかかな。

みけをかばんに入れた。かばんの端からちょこんと出てる。

鏡の前。コテで毛先を巻く。左はいい感じ。右がちょっと跳ねてる。もう一回。

制服のリボンを直して、マフラーを首に巻いた。チェックの柄。お母さんが昨日出してくれたやつ。

「行ってきまーす」

返事はなかった。お母さんはもう出かけたのかな。

ドアを閉める。冷たい空気。息が白い。

「おはよ紗月。今日寒くない?」

坂を下りたところで玲奈が待ってた。

「寒い! マフラーしてきたよ!」

「あ、かわいい。チェック柄じゃん」

「えへへ、お母さんが出してくれた」

並んで歩く。いつもの道。商店街のアーケードをくぐると、パン屋の小麦堂からいい匂いがした。

「ねえ玲奈、帰りにパン買って帰らない?」

「明日の朝用?」

「うん! メロンパン気になるの」

「紗月、メロンパンいっつも気になるって言って結局あんぱん買うよね」

「……次こそメロンパンにする」

「はいはい」

駅前の信号を渡って、坂を上る。正門をくぐって、本館に入った。

2-Bの教室。入口に立つ。

——いた。窓際の席。

「おはよ悠真くん!」

悠真くんがこっちを見た。

「……おう」

矢野くんが隣の席で「はいはい」って顔してる。

「元気だな朝から」

「元気は大事だよ! ねえ悠真くん、今日のおにぎり鮭だよ!」

「おう」

——今日の「おう」、なんかちょっとだけ低い気がした。

気のせいかな。

「お昼、屋上でね!」

手を振って、教室を出た。玲奈が廊下で待ってる。

「朝からわざわざ報告しに行くんだ」

「報告じゃないよ。おにぎりの予告!」

「同じでしょ」

屋上。風が冷たい。フェンスが鳴ってる。

いつもの場所に座った。悠真くんの隣。壁際はちょっとあったかい。向かいに矢野くんと玲奈。

「はい、おにぎり!」

ラップに包んだ鮭おにぎりを、悠真くんに渡す。

「さんきゅ」

タッパーが出てきた。蓋を開ける。

「あ、きんぴら!」

甘くないやつだ。最近甘いの続いてたから、ちょっと意外。でもきんぴら好き。梅おにぎりかじって、箸を伸ばした。

しゃきしゃきしてる。おいしい。

悠真くんが鮭おにぎりのラップを剥がして、かじった。

全部食べてくれるかな。

……うん、食べてる。よかった。

向こう側では矢野くんがポテチの袋を開けた。

「矢野くん、またコンソメ?」

「たまにはうす塩にしなよ」

玲奈が手を伸ばして、三枚くらいさっと持っていった。矢野くんが「おい」って顔してる。

「玲奈と矢野くん、仲いいよね」

二人が同時にこっちを見た。

「どこが」

「……そんなわけないでしょ」

あれ、怒らせちゃったかな。ふふっ。

悠真くんがおにぎりをかじりながら、フェンスの方に目をやった。

——あ、鳥だ。フェンスの上に止まってる。ちっちゃい。すずめかな。もふっと膨らんでて、寒そう。

「ね、見て悠真くん。鳥。寒くないのかな」

「さあ」

「もふもふだね。かわいい」

「……そうだな」

まあいいか。きんぴら、もう一つもらお。

「紗月」

玲奈の声。なんか、いつもと違うトーン。

「最近なんか変じゃない?」

「変じゃないよ!」

——あれ。声、大きくなっちゃった。

「……それよりご飯食べなきゃ。お昼終わっちゃうよ!」

玲奈がじっとこっちを見てた。でもそれ以上は何も言わなかった。

矢野くんのポテチの袋が風でカサカサ鳴ってる。悠真くんが鮭おにぎりの最後のひとくちを口に入れた。

おにぎり、全部食べてくれた。

うん。

六限のチャイムが鳴った。

玲奈と一緒に2-Bの前まで来た。

「悠真くん、帰ろ!」

悠真くんが「おう」って立ち上がった。

四人で正門を出る。風が冷たい。手がかじかむ。

「たい焼き食べたいなぁ」

「勝手に食え」

「えー、一緒に食べた方がおいしいじゃん」

「俺もいるんだけど」

矢野くんが後ろから言った。

「矢野くんもだよ! 四人で食べよ!」

「遠慮する」

「玲奈は?」

「帰ってから食べる」

「……みんな冷たい」

悠真くんの横を歩く。コートの袖が、たまにぶつかる。

駅前で矢野くんが「じゃな」と手を上げた。

三人になった。商店街を抜けるとき、小麦堂の前を通った。——あ、パン。朝、玲奈と買って帰ろうって言ってたっけ。

十字路。

「じゃーね。寄り道しないで帰りなよ」

「えー、しないよ! またね玲奈!」

手を振った。玲奈が角を曲がって、見えなくなるまで。

二人きり。

住宅街に入ると、静かになる。

悠真くんが隣にいる。半歩前。いつもの速さ。靴の音がコツ、コツ、って響いてる。

なんか、ほっとする。隣を歩いてるだけなのに。

なんだろ。

風が吹いた。冷たい。ポケットに手を突っ込んだ。

——あ。

花火のときは、こんなに寒くなかったな。石段に並んで座ってて、すごく静かだった。

そういえば、来週テストか。英語どうしよ。

「ねえ悠真くん、テスト勉強また四人でやる?」

「……まぁ、別にいいけど」

「やった! 今度は矢野くんのポテチ、玲奈の分も買ってこよっか」

「余計なことすんなよ」

「えへへ」

住宅街の角を曲がった。悠真くんのコートの袖が揺れてる。

——掴もうとした。

あれ。

指が止まった。ほんの一瞬。息も。

……なんだろ。

まあいいか。

袖を掴んだ。

「ほら悠真くん、あっちにたい焼き屋あるんだって!」

「だから勝手に食えって」

「一人で食べてもおいしくないの!」

「……はいはい」

悠真くんがため息をついた。でも袖はそのまんま。

たい焼き、あんこがあつあつだった。

坂の下。街灯がついてた。

「じゃあまたね、悠真くん! テスト勉強、約束だからね!」

手を大きく振った。悠真くんが「またな」って言った。短くて、低くて、いつもの声。

ふふっ。

悠真くんが歩き出す。背中が、だんだん小さくなっていく。

——風が、冷たかった。

胸の、このへんが。きゅっ、とした。ちょっとだけ、体が縮こまった。

「……寒っ」

マフラーに顔を埋めた。息が白くて、マフラーの中がすぐあったかくなる。

坂を上がる。途中でふと振り返った。

悠真くんは、もう見えなかった。

「ただいまー」

返事はなかった。

靴を脱いだ。足の裏が冷たい。階段を上がって、自分の部屋のドアを開けた。

かばんを下ろして、みけを枕元に戻した。朝入れて、夜戻す。いつものこと。

ベッドに座った。

……今日も、楽しかった。

おにぎり、「さんきゅ」って。それだけだったけど。

うん。それだけで、よかった。

手を見た。朝、おにぎり握ったときの、あの感じ。もうとっくに冷めてるはずなのに。

悠真くんの「またな」が、まだ耳のどこかに残ってる。

いつもの声。いつもの言葉。なのに。

なんだろう。胸のあたりが、ちょっとだけ、あったかい。