軽量なろうリーダー

手紙一つで五年消えた婚約者が、どうやら無事に魔王を倒したらしい。

作者: 藍槌ゆず

本文

『アネリアへ

まずは君に何も言わずに旅立つことを詫びよう。

だが、この僕の崇高な使命を君に理解できるとは思えなかったのだ。どうか許して欲しい。

僕はこれから大陸の最北端を目指し、見事に魔の王を討ち取った英雄となってから舞い戻ることだろう。

その時、君には僕の伴侶として輝かしい未来が待っている。どうかそれまで耐えて欲しい。

君の愛するクロードより』

五年前、結婚式の前夜にアネリアの家のテーブルに置かれていた手紙は、何度も読み返したせいですっかりよれてしまっていた。

手紙から容易に推察出来るとおり、クロードは馬鹿である。

疑いようもない阿呆である。

魔の王を討つ英雄である勇者には選ばれた者しかなることはできない、なんてふざけた文言を受けて、それはまさしく自分にこそふさわしい称号である、などと言って、意気揚々と村を出ていった。

救い難いほどの馬鹿である。

そこから五年、クロードは戻ってきていない。

とんだ阿呆だ。かける言葉も見つからない。正確に言えば浴びせてやりたい罵倒の言葉はあったけれど、肝心の本人がいないのだから、そんな言葉に意味はなかった。

アネリアは知っている。クロードはとんでもない馬鹿だし、救いようのない阿呆だけれど、決して愚かではない。

勇者――と呼ばれる魔王への贄は、地図上で確認される町村から必ず一人は選定される。クロードが行かなければ、代わりに選ばれていたのは三軒隣のハンスだっただろう。ハンスの家は、半年前に娘が生まれたばかりだった。

クロードは勇者を選定する神官に大仰な仕草で近づくと、自分がいかに勇者として優れているか、また自分よりも勇者に相応しい者は存在しないという旨の持論を三時間もかけて展開したそうだ。伝聞である。

アネリアはその日、風習である花嫁としての洗礼を受けるために、山を越えた隣町へと三日もかけて向かっていたから、結局クロードが勝手に旅立つその日まで、彼がそんな馬鹿げたパフォーマンスにいそしんでいただなんて知りようもなかった。

幸福な花嫁の証であるマリーメロリの花束を抱えて帰ったアネリアに、村の人々は心底同情するような視線を向けた。声もかけた。

あんな馬鹿な男に引っかかってしまうなんて災難だったね、と。

クロードは常日頃からお調子者で、どうしようもなく馬鹿にされていたから、よく知らない人からはそういう評価を受けているのは知っていた。

そして、クロードをよく知っている人々は、痛ましさに耐えきれないとでもいうようにアネリアを見つめていた。

誰もクロードを止めることはできなかったから、申し訳なさからか、村のみんなはほとんどがアネリアに優しかった。

なんだったら、クロードの代わりの伴侶を用意しようとしてくれていたくらいに。

けれども、非常に残念なことに、アネリアは馬鹿で阿呆でお調子者などうしようもないクロードが好きだった。クロードだけが好きだった。この世でたった一人だった。

だから、アネリアは言われたとおりに待つことにした。

このふざけた手紙が、アネリアに愛想をつかさせて新たな男を見つけさせる為に用意されたものだということくらい、アネリアには分かり切っていたからである。

全く、なんて馬鹿な人なんだろうか。アネリアは残された手紙を繰り返し五度読んで、そっと折りたたんで机の引き出しにしまってから、一度だけ小さく暴言を吐いた。

そしてそれきり、五年の間一度もクロードを疑うことなく待ち続けた。

仮に人類が為すすべもなく魔族の餌となるために生活を許されているのだとしても。

魔王を倒すなどという夢物語は幼子にすら許されないのだとしても。

クロードがそう言ったのだから、アネリアは待つことにした。

後を追おうとは思わなかった。クロードはこの村で待っていろと言ったのだ。ならば守るのが筋というものだ。本当は逃げて欲しいのだとしても、結婚式の前日に花嫁を放り出していった馬鹿な男の言うことなど聞く必要は無い。

そうして、六年目になろうという春。

帰ってきたクロードは、出迎えたアネリアを見るなり呆けた顔で固まった。

どうせ誰も居ないと信じ込んでいるのがありありと分かる仕草で扉を開けたクロードは、ちょうど掃除を終えたアネリアが「あら、おかえりなさい」といつものように口にしたのを見ると、ただいまも言わずに一度、そっと外を振り返った。

そうして、六歩は後ずさって玄関を眺めて、そこにまだアネリアとクロードの連名の札がかかっていることを確かめると、やはり呆けた顔で戻ってきた。

「ど、ど、どっ、どうして居るの?」

「どうしてって? 私とあなたの家じゃない、私がいておかしなことは一つもないでしょう?」

「でも、だって、その、え? いや、」

「それより、晩ご飯はシチューでいいかしら。最近は簡単なものしか作ってないから、あまり用意がないのよね。具材をいくつか買い足してくるわ。お留守番しててくれる?」

「え、あ、う、うん」

クロードは素直に頷いたあと、いつものように、テーブルの右端の椅子に腰掛けた。彼は椅子から半分ほど右にはみ出る座り方をやめられないでいるので、端っこでないとたいそう邪魔なのである。

アネリアは食品庫の中と、用意しておいたスープを確かめると、商店街へと赴いた。クロードの好きな鶏肉は残っているだろうか、と思いながら肉屋を訪ね、念願の肉を手に入れることに成功した。

クロードは見目は細いけれど、あれで結構食べる方だ。せっかく帰ってきたのだし、少し豪勢にしてあげるべきだろう。

「おや、珍しいね。誰かお客さんでも来るのかい?」

「ええ、クロードが帰ってきたのよ。だからお祝いなの」

店主は虚を衝かれたようにアネリアの顔を見ると、すぐに曖昧な愛想笑いを浮かべた。無骨な顔立ちの店主は、優しいけれど気遣いが苦手だ。

心優しい彼は微笑むアネリアに、まさかとうとう気が触れてしまったのか、なんて確かめることも出来なかったようで、いつものように丁寧な仕草で商品を渡してくれた。

アネリアは包まれた肉を、大事に、宝物でも受け取るように抱えると、出来る限り足早に家へと戻った。走ることはない。クロードが帰ってきたくらいのことで。やっぱりきちんと帰ってきただけなのだから。走ることはない。何も特別なことはない。いつも通りの日常である。

いつも通りの日常、だったら困るものだから、彼女は扉の前で五秒ほど立ち止まってから中へと入った。

扉を開けて、クロードがいなくなっていたらどうしようか、と一瞬だけ胸によぎったためだ。

「ただいま、クロード」

「お、おかえり」

クロードは変わらずそこにいた。

ああ、なんだ、とアネリアは思った。思うことにした。

彼は妙に挙動不審だった。理由は明白だったけれど、アネリアは全てを無視していつも通りにシチューを作り始めることにした。全然上手く行かなかった。何も、何一つ上手く切れなかったし、肉は焦げてしまったし、味付けはめちゃくちゃだった。手が震えるので盛り付けを三回もやり直したけれど、勢いよく、落とすのとほぼ同じ動作で皿を置いたアネリアに、クロードは何も言わなかった。いただきますは言った。

「旅は順調だったの?」

「えっ!? あ、ああ……ええと、いや、じゅ、順調、だったかな? うん、多分……」

「そう、良かったわね」

食べ終わる頃に尋ねると、飛び上がったクロードは皿をひっくり返しながら答えた。

ほとんど空だったので、シチューはテーブルに少し跳ねただけだった。

「アネリア、僕、その……」

「おかわりは?」

「え? あ、ああ、ありがとう」

ぎこちない手つきで皿を受け取ったクロードは、お風呂を沸かしてくるわね、と言って部屋を出たアネリアを見送ると、五分後、何故か空になった皿を持ったままやってきて、わざわざごちそうさまを言った。

***

「アネリア! なあおいアネリア聞いたか!? クロードが魔王を倒したんだってよ!」

翌朝、新聞の配達に来たジョナサンが扉を破りそうな勢いでノックしながら叫んだ。ズレた帽子を直すこともなく突っ込んできたジョナサンは、喜びのあまり泣いていた。大号泣だった。

「それはとてもめでたい話ね。わざわざ知らせてくれてありがとう」

アネリアはにっこりしながら新聞を受け取った。大きな見出しには、クラグ村の出身である勇者クロードが、魔族の長を討ち取りこの世に平和をもたらしたのだと記されていた。素晴らしいことだ。まさに救世主である。

記事によれば、クロードは人類の中でも稀有な光魔法の持ち主で、彼の意志に応え異界から訪れた聖剣によって、現行人類には対処不可能とされていた筈の魔王の首を斬り落とし、魔族を滅したのだそうだ。

奇跡の男、伝説の勇者、救世の新王など、大仰で重々しい称号がクロードの名前の横に並んでいた。

「良かったなあ! 良かった良かった! これであいつもアネリアを娶りに戻ってくるに違えねえ! 王女様と婚約しただなんて、嘘っぱちに決まってらぁな!」

ジョナサンはあまりに泣いていて前方不注意だったので、結局、部屋の隅で縮こまっているクロードには気づかないまま出て行った。

新聞を畳んだアネリアが目を向けると、彼は抱えていたシーツを丸めたもので、そっと顔を隠した。

救世の新王こと奇跡の男、またの名を伝説の勇者様は、朝から寝室のシーツを替える仕事に勤しんでいたのだ。これから洗濯に向かうのが、彼の為すべき使命である。

「クロード」

「違うんだ」

「まだ何も言っていないわ」

「断ってきた」

「そう」

シーツを盾にした勇者様は、頷いたアネリアが朝食の用意をしようとキッチンへ足を向けると同時に、のそのそと割り込んできた。

「王女様は、ただ世界を救った勇者と結婚したいだけで、僕が好きな訳じゃないんだ」

「そうね」

「あと、あの、旅の仲間は男だけだったし、途中でも会ったり、なかったし、みんな全部終わった後に来ただけで、そう、勇者の僕が好きなだけで、つまり、アネリアとは違って、いや、もう、アネリアも違うかもだけど、」

「クロード」

「はい」

聞き捨てならない台詞が聞こえた気がしたので、アネリアは畳んだばかりの新聞紙を、とりあえず丸めた。そうでもなければ、フライパンを手に取ってしまいそうだったためである。

「クロード、あなた、」

今なんて言ったの? という、凍りつくような響きのアネリアの言葉は、再び突き破るような勢いで訪ねてきたジョナサンの声にかき消された。

「あ、あ、アネリア! てぇへんだ!」

涙と鼻水まみれのジョナサンは、ほとんど悲鳴のような声をあげた。

「うちん村に、王女様が来とる!!」

豪奢な馬車から現れた美貌の少女は、第三王女のプリシラ様だった。素敵で可憐なお姫様は、手入れはされているが古く小さい二人の素朴な造りの家に踏み入ると、挨拶もそこそこに語り始めた。

飾り立てられた言葉の全てを取っ払ってまとめると、『勇者となったクロードは、王女である自分と結婚するのが民のためになる』というのが、王女様の主張だった。

国王陛下もそれを望んでいるのだと。そして、こんな端の方にある小さな村など、いくらでも、どうとでもできてしまうのだと。

可憐な麗しの王女様は、あくまでも可愛らしい声と美しい言葉で告げた。

クロードは丁寧に、自分はアネリアと婚約を結んでいるのだと答えた。

そう。忘れていた訳じゃなかったの、と思ったので、アネリアは一度、丸めた新聞紙をテーブルに置いた。

王女様は扇で口元を隠したまま、引き連れた従者たちに向けて目だけで笑った。

「でも、お二人は婚姻の儀式の前だったのでしょう? 五年も経てば婚約など無効になって当然ですわ。義理堅いクロード様にとっては心苦しいのは理解できますが、わたくしには到底、その方が世界を救った英雄に相応しい女性だとは思えませんわね」

アネリアは我が身の有り様を、ただ静かに確かめた。

確かに、五年間質素に倹約を続けたアネリアの姿は、輝かんばかりの美少女と呼ぶにふさわしい王女様に比べれば、見劣りするものでしかないだろう。

それに、五年間苦労し続け、命を懸けたクロードと比べて、自分はただ、この村で彼を待っていただけだ。

その苦労に見合うものを差し出せるとは思えないのだから、反論の余地もなかった。

アネリアに差し出せるものなど、この身ひとつと、心からの愛情でしかない。

そんなものを示したところで、王女様は納得しないだろう。もちろん、この家を取り囲む彼女の従者たちも。

と、その時。

クロードの右手が、突如として光り出した。

目も眩むような閃光だ。この家の薄い壁など突き破りかねないほどの。

高い悲鳴が上がり、護衛の幾人かが王女を庇ったところで、部屋の中心に立っていたクロードが、右手に持った黄金の剣を掲げた。

「何と言うことだ! 聖剣が反応している!」

クロードは何処までも大仰に、大袈裟に、かつ信じられない程の大声で告げた。多分、三軒隣にまで聞こえる程の声で。

「王女の心が悪に侵され、魔族の呪いを受けた悪の心に反応しているのだ!! 婚約者のいる人間へそのような申し出をなさるとは、まさに魔族に魅入られたとしか思えぬ言動! いかん! このままでは王女は第二の魔族となってしまう!! プリシラ様! その悪き心を抑えるのです!! でなければ、僕は果たすべき使命に従い、貴方様を斬り捨てる他なくなってしまう!!」

「はっ、な、なん、なんですって! このわたくしが、」

「いけません!! 王女様!! 悪き心に打ち勝つのです!! そして、同じく魔に魅入られし父君に正義とは何か、善とは何かを説くのです!! でなければ斬る!!!!」

クラグ村の者ならば、一瞬で気付いたことだろう。

ああ、クロードがいつもの馬鹿をやっている、と。

「聖なる心を持つ僕の愛は、この世でただ一人! アネリアにのみ向けられるものなのだ! この剣に誓って!!」

だが、今の彼は、まさしく勇者である。世界を救った唯一の男である。どんな大仰なことを言おうと何を宣おうと、奇跡の男が断言したのならば、それはもはや絶対不変の真実である。

顔も見えぬほどの光に押し負けた王女様一行は、あれこれと何やら言い訳をしたのち、逃げるように帰っていった。

単純に、とても眩しかったのかもしれない。あるいは、こんな馬鹿には付き合いきれないとも思ったのかもしれない。

一行を追い出し、馬車が去っていくのを確かめたのち、クロードは部屋へと戻ってきた。

光る剣を持って。

「眩しいわ、クロード」

「あ、ごめん」

クロードが軽く剣に触れると、すぐに光は止まった。

そしてそのまま、剣すらも光の粒になって消えてしまう。聖剣というのが特別な武器であるのは、確かなようだった。

「ねえ。まさか、本当に魔の心に反応していたの?」

「いや? ただ光らせただけ」

ここ押すと光るんだ、とクロードは再び取り出した聖剣の裏側を見せてくれた。小さな赤い宝石がついていて、確かに、そこを軽く押すと、聖剣は瞬く間に光り出した。

真似をして触らせてもらうと、光は消えた。つける。消す。つける。消す。とても眩しい。

「これはどういう機能なの?」

「え? いや、ただ光るだけ」

そこから更に五度繰り返したのち、アネリアの口からは、堪えきれない笑いが漏れた。

なんだか、おかしくてならなかったのだ。本当に。全てがどうでもよくなるくらいに。

声をあげて笑い始めたアネリアに、クロードは頭を掻きながら言う。

いや、一応、本物の聖剣で、魔族は一瞬で倒せるし、でもこれに関しては光るだけで、僕だって色々試したけど、やっぱり光るだけだし、なんか分かんないけど、一応みんなにも見てもらったんだけど、でもさ、などなど。

ちっとも英雄らしくない物言いで続けるクロードに、アネリアは笑って、笑って笑って笑い倒して、それから泣いて、やっぱり一度だけ新聞紙でクロードをぶって、最後に優しくキスをした。

その後、二人は五年前の結婚式をやり直し、挿しっぱなしで枯れていたマリーメロリの花束は、めでたく新たに咲き直した。

ついでに、聖剣はリビングの室内灯になった。

調光可能で、結構便利なのだ。