軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

『ラスボラ視線』私は一体何を間違っていたのか。【11/28追加】

「それでは皆様、失礼いたします。 良い夜を。」

見事なカーテシーを披露し、軍旗を翻すようにドレスの裾を翻して、颯爽と食堂から出て行ってしまったネオンの姿を、私はただ立ち尽くして見送った。

いったい何があったのか。

いったい、どうなってしまったのか。

僅かにひりつく左の頬を押さえたまま、私はそこから動くことも出来なかった。

「……だ、旦那様……。」

それは使用人たちも皆一様にそうだったようで、ネオンがいなくなった後もしばらく、皆が呆然としたまま時が流れた。

ようやくジョゼフが私の元にやってきた。

「大丈夫でございますか?誰か、何か冷やすものを。」

「は、はい!」

「いや、いい。僅かに手が当たっただけだ、痛いわけではない。……部屋に戻る。」

「かしこまりました。皆は片づけを。」

もう食事をする雰囲気でも気分でもない。

踵を返し、食堂を出ようとする私を心配げに見つめたジョセフは、そこにいた使用人たちに指示を出すと、部屋を出た私の後を追ってきた。

(なぜ拒絶をされたのか……解らない……。)

執務室に戻り、ソファに体を沈めても、一体何が起きたのかよくわからない。

無意識に手を握り、ちくりとした痛みに手を広げてみれば、そこにはネオンに渡すはずだった、母の指輪が光っていた。

それを見て、つい、喉元に引っかかっていた言葉が漏れてしまった。

「彼女は……ネオンは私の事を好きではなかったのか……?」

チェリーバや叔父上達、それに当家の使用人たちはネオンが自分に好意的感情を持っていて、だからこそ、あぁして身を粉にして我が家を、そして騎士団を支えてくれるのだと私に言った。

勿論、私も彼女の事は本当に好ましく思い始めていたから、彼女のその慎ましくも控えめな、献身というべき行為の気持ちに応えたかった。

なのに。

「そうではなかったと……。 なにが、駄目だったんだ……。」

指輪を摘み、夕焼け色に揺らめく光を放つ宝石を見つめる。

この指輪は、母がこの辺境伯家に嫁いでから儚くなるその日まで、ずっと身に付けていたものだった。

兄に助けられたものの、魔物から受けた傷と瘴気でひと月もの間昏睡状態だった自分がようやく目が覚めた時には、母の姿は屋敷にはなく、冷たい石の下に埋められていた。

父から墓標を見せられ、これが母と言われた意味が信じられず、母の寝室に向かった私は、生前のままのはずなのに、持ち主を失った事でぬくもりの無くなったその室内をただ茫然と見つめた。 母の面影を探すように室内を彷徨い、ベッドの横にあったサイドチェストに置かれた母上の小さな絵姿と、その横に置かれた真紅の薔薇の花、そしてケースに収められたこの指輪を見つけた。

花は母が一番愛した花であり、指輪はいつもつけていたあの指輪だと気づいた私は、ここで、母が亡くなったのを認めるしかなくなった。

当時よりもう少し幼かった頃、母の指に輝くそれを指さして、綺麗な指輪ですねといった私に、母上は嬉しそうに微笑み、貴方のお婆様から頂いた、辺境伯夫人である証なのだと教えてくれた。

そして、内定していた兄の婚約者である令嬢に、手渡すのが楽しみだと言っていた。

そんな母のささやかな夢は、自分が兄を殺してしまった事で閉ざされた。

兄を失った母は悲しみに暮れ、気を病み、亡くなったのだ――自分が殺したのだと思った。

目を覚ましてからしばらくの間、母の絵姿と花、指輪を眺めるために母の寝室を訪ね続け、朝から晩までそこで過ごしていた。

あの日、いつもと同じように母の部屋に向かった自分は、扉に鍵がかけられたことで途方に暮れた。

そして、二度と母の絵姿と指輪を見る機会を失ってしまったと思っていた。

辺境伯家の跡継ぎとして、忙しくなる日々の中で忘れてしまったこの思い出は、父から辺境伯家当主を引き継ぎ、宝物庫に入り、母の絵姿と共にこの指輪を見つけたことで、思い出した。

『辺境伯家を頼む』と兄の婚約者に渡したかったと言った母の気持ちのこもった、辺境伯家の女主人が代々受け継いできた大切な指輪。

いずれ後継を養子にとり、その子に妻が来た時に渡してやろうと思った。

しかし、その前に自分にこの指輪を渡したいと思った妻が現れた。

気高く美しかった母の、そして代々の辺境伯夫人たちの気持ちの詰まったこの指輪を渡し、私の恋心と共に、母の願いも伝えるつもりだった。

婚姻後の契約に縛られながら、それでも健気に辺境伯騎士団と辺境伯家を支えてくれた、慎ましくも強く美しい彼女の秘めた気持ちを受け入れて、契約を破棄したうえで、共に辺境伯家を盛り立てていくつもりだったのだ。

そうなるものだと確信していた。

なのに、彼女は私を強く拒んだ。

傷病人があふれかえった惨劇の場でも毅然と背を伸ばし、笑顔を浮かべて弱ったものに手を差し伸べていた彼女が、まるで魔物に遭遇したか、傷から溢れ出した臓物でも見たかのような表情で、指輪を差し出し、求愛のキスをしようとした私を強く拒否した。

気持ち悪い、と、悲鳴をあげて。

それだけでも十分に衝撃だったのだが、問題はその後だった。

私の事を好いていてくれていると信じていた彼女は、その実、私の事など何とも思っていなかった。

私の事は書類上だけの夫であり、辺境伯騎士団の上官としか見ておらず、あれほどまでに騎士団と領民に心を砕いてくれているのも、私への恋情からではなく、ただ貴族の夫人としてのお役目であるからだ、と、言い切った。

「……一体どういう事だ……。」

私の事が好きではなかった。

私のために仕事をしていたのではなかった。

それでは、と、思いを伝え、あの日からやり直すつもりで、一から始めよう、契約を破棄しようと申し出れば、そういう問題ではないのだと一蹴された。

『そもそもが違うのだ』と、はっきり言われたが、何が違うのか私にはわからない。

確かに彼女には初夜のベッドで白い結婚を言い渡した。

しかし私は本当に、彼女が言ったようなひどい言葉を突き付けたのだろうか。

(あの時、私は彼女になんと言ったかを思い出さねばならないだろう……。)

婚姻した夜の事を思い出し、先ほど言われたネオンの言葉と照らし合わせる。

『モルファ辺境伯様には申し訳ありませんが、私は、私の親兄弟を守る為、テ・トーラ家の娘として、モルファ家に嫁がされました。 ゆえに、様々な政的・商的利点があること以外にこの結婚に興味はありません。 また、お貴族さまの青い血に裏切られ、虐げられ続けた生き方をしてきた為、そう言った血脈の方と、愛や恋などといった浮ついたモノをしたいとも思いません。 したがって私が貴方様を愛することは絶対にありえません。』

彼女の言葉を思い出せば、私の心に鋭く突き刺さる。

言葉がこんなに苦しいものだと初めて知った。

しかも、そんな言葉が、私が初夜のベッドの上で彼女に対し言った言葉だという。

(ならば、苦しくともちゃんと向き合わなければならない。)

そう思い、あの日の事を思い出そうとするが、いくら考えても思い出されるのは、夫婦の寝室のベッドの上、身を清め、静かに自分を待ってくれていた美しいネオンの姿ばかりで、己が彼女に言った言葉が思い出せない。

彼女はこの世界に音声や映像を残せる機械があればよかったのに、といった。

そして私も、もしそんなものがあるのなら欲しいと思う。

(あれが『最初』で、ここからどうやり直すのか考えろ、と彼女は言った。この言葉さえなければ、妻としてその勤めを全うするつもりだった、とも。 という事は、彼女は結婚式の夜に、私が言った言葉に傷ついたという事だろう……。私は一体どんな言葉を言ってしまったのだろうか……。)

彼女が嘘を言うような軽薄な人間ではないことはすでに分かっている。

という事は、彼女の言う通りに自分はあの夜、彼女に対していった言葉を忘れてしまっているのだろう。

あの日の記憶も、良い考えも浮かばぬままにため息をつく。

(私は彼女に対し、一体何を言ったのだろう……。そうだ、契約書だ。)

結婚式の翌日に交わした契約書の存在を思い出した私は、鍵のついた引き出しの奥に入れていた契約書を机の上に取り出し、読み直しながら、じっくり考え、自分が放った言葉を思い出した。

じわじわと思い出せば、やがてそれは鮮明になる。

『辺境伯家の利益のために結婚したが、結婚にも恋愛にも、お前にも興味はない。 死と隣り合わせの生き方を幼い頃からしているためか、愛や恋などといった浮ついたものもわからないし、興味もない。 したがって君を愛することは絶対にない。 最低限の社交時に、仲睦まじい夫婦としてすごしてもらう以外は、なにも君に求めるつもりはない。 後継は分家から優秀な子をもらうつもりなので子作りも無用だ。 君には毎月小遣いとして給与を支給するので、その範囲内であれば、子を作ること以外は好きにしてもらっていい。』

そこまで思い出し、ジョセフから受け取っていた彼女の調査票と照らし合わせて、彼女の言葉の意味を思い知った。

(なるほど……酷い言葉を言った。 確かに彼女の言うとおりだ。)

しかし、と思う。

何も思っていない相手にこれを言われても、傷つくことなどあるだろうか、と。自分の様に恋い慕う気持ちを持つ中で言われたのではなく、政略結婚で、私に何の感情もない中で言われたのであれば、彼女にとってこの言葉はショックでも何でもなかったのではないか、と。

現に彼女はあの日、泣くでもなく、私に離れに住むことのへの許可を申し出、翌日にはこのように契約書まで作って出て行ったのだ。

(それとも、実際は傷ついていたが、貴族の矜持……強がりだったという事か?)

首をかしげるが答えは出ないまま、自分の心だけがじくじくと疼く。

(いや、やめよう。 ここまではとりあえず考えた。彼女はここからだといった。私は彼女という人間に触れて気持ちが変わったのだ。ならば彼女も、私という人間を知ってくれれば、変わってくれるのではないか?しかしそれはどうやって……。)

一緒に出掛けたのは職務であったと言われれば、そうでなければいいのかと思案する。

「……休暇を取って、どこか旅行へいけばいいのか……?」

そう思いながらため息をつくと、扉をノックする音がし、侍女長のコリー・ドラスがセービングカートを押して中に入ってきた。

「旦那様、お茶をお持ちいたしました。」

「あぁ。」

契約書を片付けた机の上に差し出された紅茶を手にしようとして、机の上にあった指輪に目が行った。

「……」

ティーカップに伸ばした手で指輪を摘み、ケースに戻して蓋を閉める。

「旦那様。 お預かり致しましょう。」

「ジョセフか。 そうだな、これを前と同じ場所に仕舞っておいてくれ。」

「かしこまりました。」

一体いつからいたのか……と思いつつ、指輪の箱をジョセフに渡すと、ティーカップを手にした。

「……彼女は、私の事を何とも思っていないと言ったな……。」

つい、自分の口からこぼれた言葉に自分で傷つきながら、そう呟くと、部屋を出ようとしていたジョゼフは足を止め、体の向きを変えた。

「きっと、奥様も混乱していらっしゃったのではないでしょうか。 その、本日の事は、大変に急な事でしたので。」

幼い頃から知っている家令はそう言うが、彼女のあの表情を正面から見てしまっては、彼の言葉はただの慰めでしかなく、彼女の言う事が正しいのだろうと思う。

「私は何処で間違ったのだろうか。」

自嘲めいた笑いが漏れてしまうが、本当に答えがわからない。

「すこし、よろしいでしょうか、旦那様。」

「あぁ。」

紅茶を入れ、傍で控えていた侍女長に頷くと、彼女は静かに頭を下げた。

彼女は母の侍女をしていたこともあり、家令のジョセフと同じく私の事もよく知っており、よく人を見ていると思う。そんな彼女はそれでは、と、口を開いた。

「奥様のご様子は結婚式の日から拝見しておりますが、特にお変わりにはなっていらっしゃらないかと思います。結婚式の夜に客室で眠る、と言われた時も、特に悲しいと言った表情はしていらっしゃいませんでした。むしろ気が楽になったというお顔をしておいででした。旦那様に何も求められていない『お飾りの妻』を言い渡され、翌日から離れでのんびりとお過ごしになっておられた時は、正しく『お飾りの妻』を務めていらっしゃったと思います。そんな奥様がお変わりになられたのは、ジョセフさんに騎士団への視察を打診され、お出かけになってからです。あの時、ことの子細を奥様からお聞きしました。奥様はあの時、騎士団の傷病者のために『お飾りの妻』であることをお辞めになったのだと私は思います。」

「なるほど。」

侍女長の話に頷く。

「しかし、今日の事と何の関係があるのか?辺境伯騎士団の仕事と、私の妻であることに特に関係はないだろう。現に彼女も、そのように言っていなかったか?」

私の言葉に、侍女長は静かに頷いた。

「辺境伯夫人のお務めとして旦那様と共にいると仰っていました。ですから、旦那様への感情は、それ以上でもそれ以下でもない、と。ですが、奥様は辺境伯領の領民と辺境伯騎士団の騎士達のためにお心を砕かれ、自身を擲ってでも状況を変えようとなさっています。そんな奥様が、あそこまで旦那様を拒絶なさるのには、何かあると思うのです。」

「なにかとは何だ?」

「……それは……」

顔色を曇らせたコリーに私はティーカップを置いてもう一度訪ねる。

「なんだ? わかっているならはっきり言えばいい。」

「……奥様があのようにおっしゃったからには、私の口から御答えを申し上げるのはよろしくないと思います。奥様もおそらくは、旦那様自身でお気づきになる事を待っておられるのではないか、と……。」

「自分で? 私がか?」

「はい。」

そう言って口をつぐみ頭を下げたコリーだが、ここまで言っておいて、私が一番聞きたかった答えは教えてくれないらしい。

(そこまで言ったのなら、はっきりと答えまで言えばいいものを。自分で気づかなければならないなど、時間の無駄ではないのか?そこまで言われた方が気になるではないか。答えを教えないのなら、わざわざ言わなければいいものを……。あぁ、そういえば、女というものは察してほしい、気づいてほしいという、思わせぶりな秘め事の様な駆け引きが好きといっていたが、そういった類のものか?)

そこまで考えて、私は溜息をついた。

「……はっきり言ってくれた方が、楽なのだがな。 女とは不可解なものだ……」

溜息をついた私は、残った紅茶を飲み干すと、困った顔のジョセフと、顔を伏せたままのコリーに部屋から下がるように伝え、ジャケットを放り出した。