軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

84・物思いの夜、前後不覚になった朝。

(今日の夜には、ブレイ様に逢えるんだ……。)

先行隊の知らせを伯母さんから聞いて、私は飛び上がりたいような、恥ずかしいような、何とも言えないくすぐったい気持ちを、押さえながら、窓を拭く手を動かした、

が、押さえるはずの気持ちは、容易に溢れて鼻歌となって漏れ出してくる。

キュッキュと磨く窓ガラスに映る自分の姿に、そうだ、と三つ編みにした髪を摘む。

(いつ言おうかな……。)

赤土と、黒土、松脂と、蜜ろう、ヨモギを混ぜて作った 髪(・) と(・) 顔(・) を(・) 汚(・) す(・) た(・) め(・) の(・) 泥(・) が塗りこめられた髪と頬を触ると、乾いたところがぱらりと落ちた。

(言ったら、嫌われてしまうかな? それとも、綺麗って褒めてくれるかな?)

そんなことを考えて、いや、と思う。 あの人なら目を細めて笑ってくれるはずだ。

大好きな真夏の大空のように、すっきりと澄んだ青い瞳を、雲のような白いまつ毛で滲ませながら。

『あぁ、愛らしいな。』

と。

そんな想像が出来てしまった自分が、とても恥ずかしくて、なのにきゅうっと胸が苦しくなる。

(でも、皆、喜んでくれたし……。)

母さんと、弟妹に好きな人が出来たと伝えた。

みんな、驚いた顔をして、それから、良かったねぇと言ってくれた。

一番驚いていたのは母さんだったが、最近、執事補佐となった兄さんからの仕送りも増え、妹も学校を出て、学校に通うのは弟だけになっていたからだろう。

夜、いつものように寝る前の薬をもっていった時、私の頭を撫でてくれて、幸せになるんだよ。 と言ってくれた。

いや、ぜんぜん! まだ気が早いから! と私は笑って一蹴したが、今日先発隊の知らせを聞いた時、何故かふわふわした予感のようなものを感じた。

今日、私の人生が変わるかもしれない、と。

すると、ついついうれしくて、浮かれた気分は、隠そうとしても隠れてくれない。

裏の劇場から聞こえてくる歌劇の曲を、つい鼻歌で歌いながら、30はゆうにある客室の、客が出て行った後の一掃除をようやく終え、今度は廊下の床拭き、と桶の水を変えるために外に出て……。

そ(・) れ(・) は、 そ(・) こ(・) に、いた。

よいしょと抱えて裏口から宿を出た、私の目の前に立つ豪奢な衣装に身を包んだ男。

『久しぶりだな、ネオン。』

『……っ!?』

心が早鐘を打った。

危険、危険、コイツは、コイツは。

落としそうになった桶を必死に抱え、私は表情を消してその人を見た。

『どちら様でしょうか。 親方でしたら宿の方にいます。 仕事の最中ですので、失礼いたします、旦那様。』

(貴族……何だろう、いやな予感がする。 他人のふりをするの、私は今汚いし、間違って声をかけてた可能性だってある……。)

ふん! と鼻を鳴らして仕事を続けようとする私に、男はにこやかに笑った。

『おや、覚えていないのかい?』

『申し訳ございません。 私は庶民ですので、お貴族様には知り合いはいないのです。 どなたかとお間違えと存じます。 それと、裏口が使えなくなって他のお客様に迷惑ですので、馬車はあちらにお願いできますでしょうか?』

そう言って馬車置き場を指し示した後、失礼します、と、井戸の方へ向かおうとした私を見ていた男は、背後にいる男たちに何かを言った。

すると、もう一台の馬車の方からやってきた2人の男に両腕を掴まれた。

手から落ちた桶から、掃除で汚れた泥色の水が地面に広がった。

『やだ! なにっ?! 仕事の邪魔しないで! 貴方達は誰ですか? 人さらいっ!』

自分の腕を痛くないように、だがしっかりとつかんで離さない二人の男に必死に抵抗する私。

そんな私の目の前まで、胡散臭い笑顔の男は手布を鼻と口元に当てて近寄ってくる。

そこではっきりと 男(・) の(・) 特(・) 徴(・) が見えた。

私達を蔑むだけ蔑んだくそばばぁと同じ青の瞳と、そんなばばぁを止められなかったくそじじぃと同じ……私と同じ、虹を放つ銀色の髪の男。

馬車についた家門は、司法のテ・トーラ家の『司法を表す黄金の天秤を抱く女神』

(思い出した!)

この男は、あの男の弟だ。

私を私だと解ってきたのだと、確信した。

ぎりっと睨みつけると、彼は手布を顔に当てたまま私の顔をじっと見た。

『……報告には聞いていたが、本当にそうして身を汚しているのか、汚いな。 まるでドブネズミのようだ。 まぁいい、馬車をもう一台用意しておいてよかったよ。 この娘は後ろの馬車に。 一緒の馬車に乗るなど、ありえないからな。』

『はっ!』

男のその言葉に、私を馬車に乗せるために動く男たち。

『ちょっと! 何するのよ!? 私は今、仕事中なのよ! 人さらい! 最低よ!』

『人さらいではない。 覚えていないのかな? 君が幼い頃、絵本を読んでやっただろう? 私は君の叔父で、君は当家の唯一の宝石姫だったじゃないか。 さ、こんな臭い場所での仕事は今日で御終いだよ、ネオン。 新しい仕事を用意してあげるから、静かに馬車に乗りなさい。 あぁ、馬車を汚さないように、ネオンは布でくるんでおくように。』

『はっ。』

引きずるように私を豪華な馬車の後ろに置かれた家紋のついた馬車に、大きな白い布にぐるぐるに巻かれて放り込まれようとする。

(公爵家に連れて行かれる!?)

『やだ! なんでよっ!? なんでいまさらあんたたちが出てくるの?! あたしや母さんたちを、無一文で放り出したくせに!』

『なぜ? 勝手をするな?』

自分の乗る馬車に乗るために私に背を向けていた男はこちらに近づいて来ると、にこりと笑った。

『今まで勝手をしていたのは誰だい?』

体の奥底まで底冷えするような、綺麗で怖い笑顔でそう言った彼は、あ、いやと、首を少しだけ傾げ、表情を緩めた。

『あぁ、そうだったね、君にそう言われても仕方がない。 すまないね、ネオン。 散々好き勝手をしていたのは放逐されたあの人で、君たちは巻き添えだったのに。 尊い生まれの君を放り出すような真似をしてすまなかったね。 追い出してしまった事、本当に心が痛んでいたんだよ。 だからね、迎えに来たんだ? さぁ、この叔父と屋敷に帰ろう。 あぁ、大丈夫。 君がちゃんと大人しくしてくれている間は、君の大切な家族には、何にもしないからね。』

カッと、目の前が真っ赤になるのがわかった。

『母さんや妹たちに何かしたら許さないわっ! この人でなし! 人間の屑! 何が司法のテ・トー……』

『うるさいな、少し黙らせろ。 あぁ、絶対に傷はつけるなよ。 当家の公爵令嬢、それも宝石姫なのだから。』

『はっ。』

『う、ふぐっ!』

口に、布を入れられ縛られると、私は声も出せなくなった。

(いや、嫌! 今日は……。)

馬車に押し込まれる中、ちらりと見えたのは馬車の中、公爵家の従者の人間に大金を押し付けられる宿屋の親父さんとおばさん。

パチッと目があったおばさんが手を伸ばして何かを叫んでくれたけど、わたしは首を振ってこっちに来ないで、と合図した。

親父さんも、従者に大声で抗議してくれているみたいで、わずかに声が聞こえる。

(……私の事はいいから、その人たちには逆らわないで……ただ、ただ……)

馬車の座席に寝かされる中、私は一筋だけ涙を流した。

(……最後に、一目……)

(会いたかった、なぁ。)

そう、今みたいに頬に涙が流れ落ちる感覚が……

「……ネオン様っ! ネオン様っ! 大丈夫でございますか!?」

扉を叩かれる音に、私ははっと目を覚まし、体を起こした。

ばしゃっと水が跳ねる音がし、ここが浴槽の中であったことを思い出す。

外では侍女が、何度も扉を叩き声をかけてきてくれている。

「大丈夫よ、寝てしまっていたみたい。 心配かけてごめんなさい、もう上がるわ、用意してくれる?」

「……は、はい。 お待ちしておりますね……。」

安堵の息を漏らし、それから返答してくれた扉の向こうの侍女に申し訳なかったと思いつつ、私は自分が入っている浴槽に張られたお湯がずいぶんぬるくなっているのを感じ、かなり寝ていたようだと反省しながら、両手で湯をすくって、顔にたたきつける。

(いやな夢を見たわ……。)

あれは、宿屋から急に公爵家に連れ去られた時の実際にあった現実を模した夢だ。

あの後、半日ほど簀巻きのまま馬車で揺られ、ついた先は公爵家の領地にある、大きな屋敷……前公爵夫妻が引退後に住んでいたとされる豪奢な本宅だった。

着いたらすぐに着ていた物をひん剥かれ、泥化粧を何度も湯を変え落とされ磨かれ、鼻が曲がるほど臭い化粧をされ、着なれないドレスを着せられて、連れて行かれたサロンで、叔父とその配偶者である現テ・トーラ公爵夫人と会った。

そして言われるままに、養子縁組の書類にサインさせられた。

母と、弟妹を盾に取られていたから、しょうがなかった。

ふぅ、と息を吐き、顔を上げると、私は浴槽から出て、柔らかな手布で体についた湯を拭いた。

そのまま侍女を呼び込めば、気安くなった侍女の一人が入ってきてくれて、顔にも体にも化粧品や薔薇水を塗り込んでくれ夜着を着るのを手伝ってくれる。

しっとりと濡れた髪の毛は、私が一番好きな香りの香油を丁寧にもみ込み、綺麗に整えてくれる。

「あんまりにも出てこられないので、心配いたしましたよ。」

ぽそっと呟かれた言葉に、私は困ったように笑って謝る。

「ごめんなさいね、いろいろあって疲れていたみたいで寝ていたわ。 溺れなくてよかったわ。」

「わ、笑い事ではございませんよ! 本当に心配したのですから!」

ぷりぷりと怒ってくれる母ほどの年齢の侍女は、実は宿屋のおかみさんに似ていて、とても気に入っている。

「本当にごめんなさいね。」

「気を付けてくださいませ。 さ、でき上がりましたよ。 ハーブティをお入れしますので、それを飲んだらゆっくりとベッドでお休みくださいませ。」

「えぇ、そのつもりだわ。」

話をしながら寝室への扉を開けた私は、いつも使っているテーブルの上に飾られた花を見、足を止めてしまった。

「ネオン様? どうなさいました?」

「……あの、花は?」

「今日、庭師が用意したお花でございますよ。 ネオン様好みではないかと随分前から大切に育てていたそうです。」

嬉しそうにそう言いながらお茶の準備をしてくれる侍女。

「そうだったの。 えぇ、えぇ。 大好きな花よ、明日会えたらお礼を言っておかなくちゃ。」

そう言いながらテーブルにつくと、カミツレに蜂蜜をたっぷりと入れられたハーブティが目の前に出される。

「えぇ、言ってあげてくださいませ。 とっても喜びますわ。」

「そうね、目に浮かぶわね。 さぁ、あなたも今日は遅くなってしまったもの、もう休んでいいわ。 おやすみなさい。」

「かしこまりました。 それでは、お休みなさいませ。 ネオン様。」

頭を下げて部屋を出た彼女を手を振って見送ってから、私は目の前に飾られた花にまた、溜息をつく。

「……今日は、何なの?」

そっと、花瓶に生けられた、零れんばかりにたくさんの花を咲かせるそれに触れた。

『アナベルの花を、覚えていますか。』

子供たちを助けてくれた護衛騎士が、私の横を通り抜けた時に残した言葉を思い出す。

「覚えているわ、覚えている……。」

花から手を離した私は、両手で顔を覆って呟く。

「もちろん覚えているわ、貴方が最初にくれた花だもの。」

(こんなところで、あんな状況で、会うなんて考えてすらいなかったわ……。)

変わっていなかった。

高い背も、日に焼けたような褐色の肌も、夏の日のような青い瞳も、その空に浮かぶ雲の様な白い髪も。

穏やかな声も、子供たちを慰めてくれる優しい微笑みも。

彼に抱っこされていた子供たちが綺麗だと言っていた、綺麗に編みこまれた髪に巻き込むようにつけられた装飾品は、旅の無事を約束する守り石だと聞いていた。

それを、花と共に貰った事がある。

今日、アルジの食べていた、蜜漬けの揚げた甘いお菓子だって、仕事中、突然口に入れられたことがある。

そして、目の前にあるアナベルの花は、あの人に最初にもらった花であり、この時期に帰ってきた彼が良くくれた思い出の花だ。

全部全部、あの日、あのまま、家に置いてきてしまった。

もう捨てられてしまっているか、妹たちが持っているかわからない。 ……けれど。

(何もかも、全部、あの日に捨てると決めたのよ、ネオン。)

ぐっと眉間にしわを刻む。

(あの時の、宿屋のネオンはいないの。 私は南方辺境伯夫人で、10番隊隊長のネオン・モルファよっ!)

ぐっと眉間に力を込め、そう自分に言い聞かせると……ふぅっと、息を吐き、全身の力を抜いた私は、背もたれに体を預け、ハーブティをぐっと一気に飲んだ。

(疲れた。 このまま寝たいくらいだけど……さすがに駄目ね。)

のろのろと体を起こし立ちあがると、私はベッドにもぐりこんだ。

「おはようございます、奥様。」

そう聞こえるはずだった声が、グニャグニャと素直に耳に入って来ず、私はおかしいと思いながらも体を起こそうとし……。

(なぜ? 起きれない……?)

首を傾げた。

「奥様? 起きていらっしゃいますか?」

えぇ、起きているわ。

そう言おうとして声を出そうとして、異常な喉の渇きとひりつきに、気が付いた。

「……きて……つ……る。」

わずかに出した声に、侍女は驚いた様な顔をし、部屋を慌てて飛び出していく。

代わって飛び込んできたのは代わりの侍女で、冷たいハーブ水を、親方さんに造ってもらったシルバーの吸い飲みを使って飲ませてくれる。

「すごい熱ですわ、奥様。 マイシン先生をお呼びしますのでしばらくお待ちを。 今日は絶対に、起きてはいけませんよ! 大丈夫です、離れは死守しますからね!」

はっきりしない意識の中、なんとか頷き、うとうとしながらベッドの天蓋を眺める。

痛い。痛い。

のろのろと体を横向きにし、小さく丸まる。

ズキズキと痛む関節に、あぁ、熱が出てるんだなぁと自分の体を観察する。

(咽喉痛に、頭痛に、関節痛……脱水にならないように水分を取って……あぁ、この世界にインフルエンザなんてあるのかしら……痛いし、寒いし……辛い、わ。)

シーツを抱え込むようにのろのろと抱き寄せながら、私はどうにかして楽な体勢を取ろうとする。

寒い、辛い、苦しい。

死んじゃうのかしら? と思うくらいの体の辛さに、私は一度、意識を手放した。

「過労と風邪だな。 医者の不養生ってやつだな。 薬は最新のものを出しておくから、5日間は安静にしているように。 医療班は僕がきちんと見ておいてあげるからね。 それと屋敷の者にも養生の方法を指示してくる。 いいな、絶対に安静だぞ!」

そう言って、ひらひらと手を揺らして部屋を出ていったクルス先生。

「一番うるさいのは師匠なのに、まったく気づいていませんね……あれでも心配しているんですよ、奥様の事を大変気に入っていますから。……さて」

吸い飲みで薬を飲ませてくれたマイシン先生が私を見る。

「奥様。 貴方は頑張りすぎたのですよ、私も師匠と同じ診断です。 ここ一月の奥様の状況を伺いました。 体を壊すためにやっていたのかと疑ってしまいました。 どうぞ、ゆっくり休まれてください。 いいですね、これは医師としての命令です。」

「……ぃ……。」

声にならない返答に、それでも優しく微笑んで頷いてくださったマイシン先生。

扉の外では私の侍女が、クルス先生に何か言われたのだろう。 やってくる本宅の使用人たちへ、奥様は最低5日間は面会謝絶だからこっちにちかづくな! と叫んでいるのが聞こえる。

「なにか、おありでしたか?」

そっと私の額を触り、熱を見ながらも幼子をあやすようにそう言われたマイシン先生に、私は小さく首を振る。

「なるほど、よほどのことがおありだったのですね。 これでは気も休まらない。 私からも面会謝絶であることをお屋敷と騎士団にお伝えしておきましょう。 しばらくはゆっくりなさるといい。」

その言葉に深く感謝すると、ぽろぽろと涙が零れ落ちた。

声も出せず、体も動かせずに只泣きながら慌てる私に、手布を目元に当ててくださるマイシン先生が頭を撫でてくださる。

「貴族の方は大変だ。 たった19の貴女にいろんなものを背負わせる。 それが貴族の責任だとしても、十分な重責ですよ。 貴方は頑張っていらっしゃる。 さ、ゆっくり眠られるといい。 辛いこと、大変なことは、起きて、元気になってから解決方法を一緒に考えましょう。」

語るように大丈夫と言い続けてくれるマイシン先生の声に小さく頷き、私はとろとろと眠りに落ちた。