軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

『ラスボラ視線』初恋の目覚め

私が視察に同行するという事で、当初はかなり驚いた様な彼女は、それでも私のエスコートを素直に受け入れ、共に街を歩いてくれた。

彼女の姿は目立つので、母の形見の魔道具を貸してやると、やや驚いた顔をした後、面白そうに自分を見ていた。

到着したのは、私が最も歩きなれた領地リ・アクアウム。

生まれた時から何一つ変わらない、そんな古めかしい見慣れ、歩きなれた街並み。

「美しい街並みなのですね。」

そんな古めかしい街並みを見た彼女は、子供の様に瞳を輝かせ、それは可憐に微笑んだ。

何がそんなに美しいのか。

わからず首をかしげていた時、私の護衛兼秘書官としてついてくれていたナハマスが、静かに彼女に頭を下げて彼女に尋ねた。

「僭越ながらわたくしがお教えしてもよろしゅうございますか?」

「是非教えていただけますか。」

顔が怖い、と皆からよくからかわれる私と違い、人当たりのいいとされる笑顔で、我が辺境伯家の持ち物である屋敷と、その大通りの説明をナハマスが丁寧にしていると、彼女はさらに目をキラキラさせて、何度も頷きながら話を聞いている。

「この町は、辺境伯家の先代様たちの想いが形になった街なのですね。 素敵だわ。」

(この古めかしいなにもない街の事を、君はそんな風に感じるのか。)

こんな辺境の地に興味がないと思っていた。 なのに、ナハマスの説明に感心したようにそう言う彼女の言葉に私は驚くことしかできない。

十年以上家族から整備だけで出入りもなく、放置されたままの辺境伯邸の建物を素敵だと喜び、小さなころから見続けてなんの目新しさもない街並みを、とても美しいと言う。

彼女の反応に、ナハマスも説明がはかどるようだ。

「大通りと噴水公園では、『鈴蘭祭』という、辺境での戦いの被害者たちへの鎮魂の祈りと、辺境伯領の繁栄を祝う大きなお祭りが開かれるのです。」

(あぁ、そうだった。 もうそんな時期か……報告書が上がっていたな……。)

毎年行われる、鎮魂祭とはかけ離れた騒がしい祭り。 それを思い出し、今年もまたそんな時期かとぼんやり聞いていた私に、彼女の声が小鳥のさえずりの様に飛び込んでくる。

「まぁ、来月じゃないですか!」

「はい。 この大通りは今もその為の花が植わっておりますが、当日は領民たちの手によって飾り付けられ、今日以上に華やかになります。 今年は奥様がいらっしゃって初めてのお祭りとなりますので、領民たちも様々な趣向を凝らしているようですよ。 祭りの前の式典には奥様も旦那様と参加されることとなりますので、是非、楽しみになさっていらしてください。」

「そうなのね、とても楽しみだわ。」

(そうか、彼女は初めての参加となるのか……。 あぁ、しかし何だろうか、この気持ち悪さは。)

ナハマスに向け、キラキラとした笑顔で嬉しそうに鈴蘭祭の話を質問し、返ってきた回答にさらに目を輝かせる彼女に妙なイラつきを感じて、私は足を速めた。

その時。

「きゃっ!」

小さな悲鳴と、彼女の手が離れた寒さに私は足を止めた。

その視界には、彼女が石畳に向かって倒れていくのが見える。

(危ない!)

手を伸ばし、気が付けば彼女の腕をつかんでいた。

「……大丈夫か。」

呆然としている彼女に声を掛ければ、彼女は真っ青な顔色から、すこしほっとした表情でこちらを見た。

「はい……。 ありがとうございます……。」

(……母上……。)

青ざめたその表情が、病床にいる母に似ているように見える。 そして、助けられてよかった、と息を吐いた。

「気を付けろ。 足元を見て歩け、怪我をするぞ。」

小さく震える体に何やら落ち着かなさを感じていると、ナハマスが慌てて大丈夫かと彼女に聞いた。

小さく頷いた彼女は、ひとつ、息を吐いてからナハマスを見た。

「えぇ、大丈夫、よ。 それより申し訳ないけれどお願いが……。 頑張ってついて歩くようにしていたのだけれども、やっぱり駄目だったので……少し歩く速度を落としていただけると嬉しいわ……。」

消え入るようにそうナハマスに彼女は頼むが、エスコートしていたのは私だ。 何故私に言わないのだろうか。

(私には言いにくい、という事か? 何故だ。)

彼女とナハマスが話をしていると、もやもやとした気持ち悪さが、心に降り積もるのを感じる。

「奥様がご一緒なのにとんだ無礼を……」

「いいえ、普段女人が付いて歩くことはないから当然ですわ。 私こそ、お役目の邪魔をしてごめんなさい。」

(だからなぜ、それを私に言わないのだ。)

あれだけ私に様々なことを言い、医療院や慈善事業をやると言うだけの胆力のある彼女が、何故私ではなくナハマスに謝ったり、頼んだりするのかがわからず、私は彼女に言った。

「歩くのが早いと、先に言えばいい。」

そう言えば、彼女はいつもの柔らかい微笑みを浮かべたまま、私を見た。

「旦那様は他に何か大切なお話をされていたようでしたので、ご遠慮したのですわ。」

「そうか。」

(私に言わなかったのは、執務を邪魔しないよう気遣ってくれていたのか。)

にこっと微笑みを浮かべてそう言った彼女の気遣いに、私は先ほどまでの噛みあわない何かが消えた気がした。

そう考えればなるほど。 あの時は彼女の独断で行動を始めていた時だったが、今私たちは、辺境伯夫妻として執務中だ。

妻として、私に気遣ってくれたのか。

そう思えば、心はほんのりと温かくなる。

それからは、ナハマスも私も、彼女に合わせてゆっくりと歩く。 いや、正直かなり遅い。

それでも、彼女の気遣いを無にしないように、と私は彼女を見ていた。

街の中心地、女神公園についた時には、彼女は感嘆の声を上げた。

「これが噴水公園なのですね。 女神像が美しいわ。」

ナハマスが女神公園や、周囲の公共施設の説明を行ったところで、ここからは別行動になる、と私と彼女に告げた。

「……旦那様はお屋敷に行かれる御用事があるとのことでしたので、ここからはわたくし共がお護りいたします。」

(そうか、私はあそこの視察をする予定だったか……しかし……ナハマスは彼女と行くのか……)

そっと、胸を押さえる。

(なんだろう、彼女とは離れがたい……。)

そう思っていると、彼女は私の手からするりと手をはなし、ゆっくりと綺麗な所作で頭を下げた。

「では、旦那様、あり……」

「私も行く。」

とっさにそう言ってしまった私に、下げていた頭を上げ、私の方を見て瞳を揺らした。

「え……? 旦那様? 御用事はよろしいのですか?」

私を気遣い、そう聞いてくれる彼女の後ろに、慌てて護衛たちに指示を出すナハマスが見える。

このまま君たちを一緒に行かせるのは嫌だとは言えず、私は彼女をじっと見る。

「嫌なのか?」

そう聞けば彼女は首を振り、にこっと微笑んで、また私を気遣う言葉をくれた。

「そうではありません。 旦那様の御用事はよろしいのでございますか?」

その微笑みに、先ほどまでざらざらと溜まっていた気持ち悪さが消えていく。

(あぁ、なるほど。 この穏やかな笑顔が、私の心を穏やかにしてくれるのか。)

何物にも代えがたいな、と思いながら、私は彼女をエスコートする手を出した。

「いい。 君が何を見るか、興味がある。」

「ありがとうございます。」

そう言って微笑んだ彼女をエスコートしながら、私は彼女の望むまま、見慣れた街の様々な場所を見た。

市場調査を行いたいと言い、貴族の令嬢が足を踏み入れぬような市場へ意気揚々と向かえば、私から離れ、ナハマスと共に店先に並ぶものの値をメモに取ったり、店番をするものと話をしている。

見慣れた野菜についてかなり真剣に確認しているかと思えば、辺境伯領にしかない穀物の名前を知っていたり、その使用用途を聞き、驚いたりメモしたりもしていた。

こうして見ていると、彼女はいつも優しく微笑み、勤勉で、穏やかな気質のようだ。

まるで母の様な、優しさの塊のような女性だと、思う。

(彼女に関しては、見識を改めねばならないようだ……)

貴族の令嬢が好む贅沢や華美なものを好まず、令嬢ならば興味をもつどころか嫌悪し、近寄る事もしないような庶民の市場や戦場の現場が己のある場所だとでもいうように、その存在感を放つ。

政略に巻き込まれ、無理やり嫁がされた領地の事を一番に考え、自らが動き、亡き母の慈善事業までをも引き継ぎ、前に進み、いざとなったら私に物怖じすることなく、鋭い意見をしてくる頭の回転の速さもある。

「あら、可愛い……。」

かと思えば、庶民が喜んで食べる屋台に目を奪われたり、露店の小さな土産物に目を輝かせたりする子供のようなところもある。

不思議な娘だ。

そのような形で、様々なものをじっくり観察する彼女に合わせたため、昼食の時間が予定よりも遅くなった。

何がそんなに気になるのだろう、と、昼食をとったレストラン、デザートが運ばれてきたところで、冷たい氷菓を食べ進める彼女に聞くとびっくりしたような顔をした。

「君は、随分と歩くのが遅いのだな。」

「歩く速度、でございますか?」

やや首を傾げた彼女に、私は言う。

「ナハマスにゆっくり歩くように指示をしていただろう? 普段であればあのような視察、昼までかからない。(何がそんなに君の興味を引いたのだろうか。)」

そうすると、彼女は困ったように頭を下げた。

「私の足の遅さでお手数をおかけしました。 申し訳ございません。」

彼女の謝罪の意味が、私にはわからなかった。

「いや、(何にそんなに興味があったのか聞いただけで)謝ってほしいわけではない。」

「……さようでございますか、それは申し訳ございません。」

再び頭を下げた彼女に、謝る必要はないことを告げて尋ねる。

「いや、そうではない。 なぜそんなに歩みが遅いのか気になっただけだ。(何がそんなに物珍しかったのだろか……?)」

そう思って問うたのに、返ってきたのは意外な質問だった。

「旦那様は女性をエスコートなさったことはないのでしょうか。」

(エスコート……?)

腕を組み、私は素直に答える。

「他の辺境伯家の当主に頼まれて、その令嬢のエスコートをした程度だな。」

「なるほど。 では、女性と町歩きなさったことがないという事ですね。」

ほっとしたように小さく息を吐いて、彼女は小さく首をかしげて私に問う。

「旦那様、今日私をエスコートしてくださったときに、どう思われました?」

「どう、とは?」

何を問いたいのかわからず問い返すと、彼女は困ったように話し始めた。

「私は、旦那様は随分と大きい方だと思いました。 エスコートしていただく手も少し高めに意識しなければ、少しつり合いが取れず不格好に見えるな、と。」

「あぁ、そういう事か。 (ならば私は君を)小さいと思う。」

そう、私よりも随分と小さい。 身長もだが、手も、足も、彼女と隣り合って歩いたのは結婚式以来初めてであったために気が付かなかったが、腕をつかんだ時にも、これほどまでに女性とは華奢で柔らかなのだとびっくりした。

「小さい、でございますか?」

「あぁ。 頭はずいぶん下にあるし、手も、足も、私と違って随分小さいな、と思うな。」

「では、そういう事でございます。」

「なに?」

「旦那様は言われてお気づきになったかと思いますが、私は平均女性よりやや小さい方だと思っております。 そして旦那様は恵まれたお体でいらっしゃいます。 ですからすべてに大きな差があるのです。 物をつかむ量も、口に運ぶ一回の食事の量も、歩く一歩の長さもです。」

ティカップをソーサーに置いて、彼女はにっこりと笑みを深めた。

「ですから、歩く速度が遅い、ではなく、私と旦那様、元々の歩く速度が違うだけ。 最初は頑張ってついていっておりましたが、躓いた際に少しゆっくり歩いていただくようにお願いしたのは、旦那様の歩く速度では、私は少し走ってついていくような状態だったから、ですわ。 旦那様は夜会で令嬢をエスコートしたとおっしゃっておいででした。 その際は、着飾った令嬢に合わせて、ゆっくりと支えながらお動きになるでしょう? 街歩きなどの際のエスコートも、それと同じと考えていただけたらと存じます。」

「……なるほど。」

(そう言われれば確かに。 もともと私は歩きが早い方であるし、あのように小さな体では追いつくのも大変だっただろう……)

考えればわかる事だったのか、と私は反省し、彼女に頭を下げる。

「それは申し訳なかった、気を付けよう。」

「い、いえ。 ですから、これからは視察は……」

「さて、ではそろそろ行こうか。 次はどこに行くつもりなのだ?」

「……図書館でございましょうか。」

「なるほど、 共に行こう。」

店を出て、意識して彼女の速度でゆっくり歩けば、見えなかったものが見えていた。

彼女が顔をほころばせる小さな花。

視線を奪われる屋台や店先の商品。

私ももう少し背が低ければ、もっと小さなものも大きく見えるのだろうかと思うと、何やら切ないような、胸が締め付けられる思いがした。

(君の目を通してれば、見慣れた街も、綺麗に見える気がする。 そして、見えなかった世界が見えてくる)

今までの感じたものだけで決めつけて、それを押し付け、思いあがっていたのは私の方だ、と反省する。

図書館に行けば、本を借りたいと言ったようだ。

彼女は普段の生活でも、あまり金を使わない。

清貧。 聖女の様な生活をしているのかと錯覚するほどだ。

本くらい買えばいい。

騎士団で頼めばいいと言えば、彼女はありがとうございますと頭を下げた。 しかしナハマスによれば、それでも彼女は借りたい本をかなり厳選していたといい、借りられない物は後日、とメモを取っていたと聞いた。

なぜそれほどまでに謙虚で、奥ゆかしいのだろうか。

そして何かを望むときは、すべて自分のためではなく、他者のため、領民のため、弱き者のためなのだ。

彼女は本当に勤勉であり、領民、騎士の事を考えて行動する、賢くも慎ましやかな賢女なのだろう。

(少しで良い……そのように真剣に、私の事も考えてほしいものだ……。 ……ん?)

そう考えると、少し胸の痛むのを感じた。

(なんだ? 今の感覚は。)

そのまま屋敷に戻ったが、一度消えたもやもやしたような、ざらついたような嫌な感触が戻ってきていたことがどうにも気持ち悪く、それに気づき、心配してくれた最も気安い相手であるアミアとプニティに告げたところ、彼らはがっくりと頭を項垂れた。

それから、自分たちのせいだ、すまん、となぜか頭を下げられ、協力してやるから頑張ろうな、といろいろ言われた。

どうやら自分は彼女相手に『恋』というモノをしている、らしい。

らしい、というのは、私にはそれがどんなものかわからないからだ。

だが、相手の事を知りたい、優しくしたい、笑ってほしい、人に笑っては欲しくない、誰かと仲良くしてもらいたくないという矛盾し、混沌した自分でもわからない感情を、一人の相手にだけに対して感じると言うのであれば、それを一言で言い表す最的確な言葉だ、と真面目な顔で言われた。

(そうか。)

ようやく得心が言った。

(私は彼女に恋をしているのか。)

そう思えば、兄や母がいなくなった後、冷たく冷え切っていた自分の底が、温かくなる感じがした。

それからは、皆の協力もあり、彼女と過ごす時間は増えた。

街の視察に行く回数は増え、商会へ行き、孤児院や教会に行き、昼餐を共にする。

少なかった会話も、回数を重ねれば少しずつ増えてきた。

彼女はいつも、私の目の前で、隣で、穏やかに微笑んでくれていた。

その中で、『恋』というものはすこしずつ、私にもわかる形になっていた。

彼女に微笑まれると、心が穏やかになる。

患者と接している彼女を見ると、誇らしい気持ちになる。

「……鈴蘭祭が終わったら、契約破棄を申し出ようと思う。」

執務室で書類を片付けながら言った私に、ジョゼフは驚いた様にやや目を開き、そして何度も頷いた。

「はい、はい! 旦那様。 大賛成でございます! ネオン様は大変によく出来た奥様でございます。 旦那様のためにも、辺境伯家、騎士団のためにもそれがようございます。」

「……そうか。」

ものすごい熱量でジョゼフに言われ、私は少々びっくりしたが、普段無口な彼の、彼女を称賛する言葉は止まらなかった。

「はい。 奥様は、いつも領地の事、領民の事をお考えになり、最も良い方法で皆を守ろうとしてくださいます。 先の奥様にも似た、大変に心優しいお方でございます。 今は契約で縛られていらっしゃいますゆえ、私共とも一線を画して接しておいでですが、それも奥様の賢さ故。 奥様は女主人として十分な素質がおありであり、我々一同も奥様をこのお屋敷でお支えしたいと常より思っておりました。 それで旦那様、奥様にはいつ、お話になられますか?」

いつもよりもかなり饒舌なジョゼフに笑いがつい漏れてしまったが、私はそれには思案する。

「いま彼女は医療院の事、鈴蘭祭の事等で手一杯だろう。 ……そうだな、鈴蘭祭の夜、夕食に招こうと思う。」

「かしこまりました。 奥様のお好きなお料理を用意して、使用人一同、お迎えしましょう。」

「あぁ、頼む。」

私は、瞼の奥に微笑む彼女の姿を浮かべ、心が満ちていく不思議な気持ちに安らいでいた。