軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

【ラスボラ視点】悪夢と、食事と、言葉と……

気が付けば、私はいつもそこに立っている。

真っ暗な地面、赤黒い空。

それ以外は何もない世界。

あぁ、またかと思っているうちに、いつものように地面が割れ、そこから白いものが飛び出し、伸びて、私に絡みついてくる。

足をからめとり、腕を縛り上げ、首を締め上げてくる。

絡みついて来るものは増えていく。

そしていつも途中で気付く。

私に絡みついてくる そ(・) れ(・) が、人の腕である事を。

地面からも、空からも。

それは数を増やし、私をからめとる。

腕と腕の間には土気色の顔があるのだが、目玉の代わりに底知れない黒い虚が開いていて、なのにそれから見られていると気づくのだ。

そう気づくと聞こえてくる。

助けてくれ。

苦しい。

寒い。

痛い。

地鳴りのようなその声が聞こえ始めると、呼応するように空から生えた腕の間にある頭の方からも、風のうねりのように、声が聞こえ始める。

子を返せ。

夫を返せ。

人殺し。

領民殺し。

天と、血を、埋め尽くすほどの人の上半身が、私を絡め捕り、責め始める。

どうしていいかわからず、私は首を締め上げられ、手足をもぎ取られそうになりながら、ただそれに耐えるしかない。

何が間違っていたのだろう。

何を間違ってしまったのだろう。

どうしてこのようになってしまったのだろう。

教えてほしい。

助けてほしい。

この苦しい夢から目覚めたい。

誰か、助けてくれ!

「旦那様、大丈夫でございますか?」

夢から目覚めると、うす暗い室内に、慣れ親しんだ家令が心配げに立っているのが見えた。

また、彼が起こしに来てくれたようで、私はゆっくり体を起こし、そこで寝着が汗でぐっしょりと濡れていると気付く。

家令が差し出してくれた冷たい水を飲むと、ベッドから出、浴室に向かい、ひんやり冷たくなってしまった寝着を脱ぎ捨て、ちょうどよい温かさで用意してある湯を浴びる。

息を吐く。

汗を流し、備え付けてある布で水気を拭ったあたりで、見計らったようにやって来た侍女長と私付きの侍女が、用意してあったシャツとトラウザースを着る手伝いをしてくれ、ソファに座れば髪を乾かしてくれる。

その間に家令が用意し、丁度飲み頃になった、酸味と苦みの強い私好みの珈琲をそっと差し出してくる。

「また、うなされておいででしたが……よくお眠りにはなれませんでしたか?」

その言葉に、私は溜息をつく。

「あぁ……」

言えば、髪を整えてくれていた侍女長が、恐れながら、と、声をかけてくる。

「奥様に、帰ってきていただけば、良くお眠りになれるのではありませんか? 眠れなくなりましたのは、奥様がこちらから出ていかれた後からでございますし……」

「いや、いい」

それには、私は溜息をつく。

「契約違反になる。そんなことは出来ん。……大丈夫だ」

「では旦那様、幼い頃にお飲みになっていた薬を飲まれるのはいかがでしょう?」

「……薬……? あぁ、あれか」

ふと、幼いことに気持ちがざわついて落ち着かなくなったり、どうしても苦しくて眠れなくなった時にもらっていた、とうの昔に首をくくって死んでしまった医師が用意してくれた、苦い粉の薬を思い出す。

「しかし、あれをくれていた者はもういないだろう……どうするのだ」

「一服残っているものがございますし、置いて行かれた昔の書付に何を飲んでいらっしゃったのか記録が残っているかもしれません。それをマイシン先生に見ていただき、用意していただけるようお願いしましょう」

家令の言葉に、私は頷いて、それから深く息を吐いた。

「そうだな、それがいいか……」

「旦那様。軽食の準備が出来ましたが、どうなさいますか? このままお起きになりますか? それとももう一度お休みになりますか?」

「……起きる」

「畏まりました。では、食堂へ参りましょう」

そのまま、家令と侍女長、侍女を伴って食堂へ行けば、大きなテーブルの上には所狭しと、一人分の朝食とは思えぬ量の様々な食事が並べられている。

「本日は何をお召し上がりになりますか?」

いつもの席に座り、給仕を行う侍従の問いかけに私はテーブルの上の食事を見、首を振った。

「いや、気が進まないな……」

そう私が言えば、侍従やメイド達がテーブルの上の食事を全て片付けたうえで、家令が紅茶を入れながら尋ねてくる。

「今朝は旦那様のお好みになる物を用意できず、申し訳ございません。何か、お食べになりたいものはございますか?」

「そうだな……では」

ふと、その時。

脳裏にネオンの顔が浮かんだ。

いつも穏やかに微笑んでいるネオンを思い出し、大きな胸の痛みと共に、すこしの温かさを感じて、私は顔を上げた。

「……ネオンは」

「はい?」

「ネオンは、いつも何を食べていたのだろうか」

気になって呟けば、家令は私の前に紅茶を置き、侍従に何かを申し伝えた。

「いま、奥様が召し上がっていた朝食を用意させますので、お待ちいただけますか?」

頷けば、その言葉からほどなくして、皿が運ばれてくる。

「どうぞ、旦那様」

そこにあるのは、野菜を挟んだだけのサンドイッチと、果物と野菜のサラダ、スープの三つだけ。

「……たったのこれだけか?」

「その様でございますね。料理長に確認なさいますか?」

「……あぁ」

家令の言葉に頷けば、彼は侍従に声をかけ、すぐに料理長がやってきた。

「お呼びでございますか? 旦那様」

「聞きたいのだが、ネオンの朝食はこれだけか?」

「さようでございます」

「辺境伯夫人の食事だぞ? これだけしか出していなかったのか? ネオンの事をお飾りだと虐げていたのか?」

私の声に、料理長は首を振った。

「それは違います、旦那様。こちらは、奥様からご指示いただき、毎日お出ししていたものでございます」

「どういうことだ」

「当初はお好みもわかりませんでしたし、どのくらいお召し上がりになるかもわかりませんでした。そこで旦那様の朝食と同じ物を同じ量だけお出しいたしました。そうしたところ、食べもしない物と量を作るな、領民が作ってくれた大切な食材を無駄にするなとおっしゃい、話し合いの結果、朝食はその季節の野菜を挟んだサンドイッチ、野菜と果物のサラダ、スープをお出しする、となったのでございます」

「では、毎日同じものを食べていると言うのか」

「さようでございます。さらに申し上げれば、昼食は騎士団で病人と同じ食事を【検食】としてお召し上がり、夕食も、パンを2つと旦那様にお出しするメインディッシュの内の一皿、サラダとスープ、それからデザートでございます。また、野菜も果物もその時が旬のものを中心に使うように申し付かっております。旬のものは栄養が他の時期に比べ豊富で、市場にも大量に出回るから節約もできる、一挙両得だと仰って。病人食もそのように作るように指示されました。確かにそうしてみれば料理の味も変わり、皆にも好評で、しかし経費は抑えられており、奥様には感服いたします」

その言葉に愕然とした。

こんな質素な食事を食べながら、辺境伯家の経費の削減から、騎士団に作った医療院の食事にまで気をまわしていたなどと。

(それに比べ私の食事はどうだ)

先ほど、何一つ手を付けられず片付けられた朝食。前菜からメインディッシュまで全てそれぞれ違うものが最低3品は用意され、その中から好きな物を選んで食べていた。一口だけ食べて気に入らないからと別の皿に手を出すこともある。

それが当たり前だと思っていた。

私は、簡素なスープにスプーンを付けた。

飲めば、温かいスープはとても優しい味がして、美味しいと素直に感じ、ふと、両親と兄、そして私が微笑みあって食べていた食事を思い出した。

テーブルの上には今よりもずっと少ない数が並んでいたが、母も兄も笑顔で美味しいと言い合い、嫌いなものに顔をしかめる兄に、母は領民が作ってくれたものだから頑張って食べなさいと言い、嫌いな野菜を丸のみにした私に、よく頑張ったと笑顔を向けてくれていた。

そんな母の誉め言葉が嬉しくて、苦手なものも美味しいと思うようになり、出された物を丁寧に食べていた。

(そうだ)

あの頃の食事を思い出す。

決して今が裕福というわけではなく、辺境伯領が異常に豊作なわけでもない。

しかしあの頃は、目の前に出された前菜にスープ、パン、メインディッシュ、そしてデザートを、家族と共に美味しいと感じ、食べていた気がする。

どれも、今の食事よりも品も量も少なかったのに、とても美味しかった。

ではいつからだ? と思う。

ここに来れば、大きなテーブルに所狭しと並ぶ暖かいもの、冷たいもの、珍しいもの、希少なもの。様々な趣向を凝らした私の好きな物が、当たり前のように並べられ、好きなもの、量だけを食べるようになったのは。

「……私の食事は、いつから今の状態になったのだ?」

「それは、坊ちゃま……いえ、旦那様がお一人でお食事を取られるのに慣れず、食が極端に細くなってしまった時期に、我らが試行錯誤し、お好きな物をお好きなだけ召し上がっていただこうと、このような形に」

言われて思い出す。

目の前に出された料理に、不味いと言ってスプーンを投げた。

嫌いなものだと皿をひっくり返し、冷たくなっていると料理を放り出した。

誰もいなくなった食卓で、ただ一人食べる食事が味気なく、寂しく、辛くて、今思えば、八つ当たりをしていたのだろう。

そしてそんな自分のために、当時の家令や侍女長、乳母、料理人。皆が母と兄を亡くしたばかりの私を悲しそうな目で見つめ、何とか食事をさせるため、次々と私に、兄の、母の好きだった料理を急いで作らせ持ってこさせ……そんなことが続いて、いつの間にか、私は最初から大量の食事が並べられ、その中からその時食べたいものを食べたいだけ手を付けるという食事をするようになったのだ。

王都でも珍しい氷菓子や、西方の国の珍しい果実、南方の甘い飲み物……すべて私のために、皆が集めてきてくれた物ばかり。

そうまでして集めたものを食べずにテーブルから払い落としても、彼らは私の事を責めず、新しいものを用意してくれた。

彼らはずっと、自分をそうして大切にしていてくれたのだろう。

目の前の食事を口にする。

一口ずつ、ゆっくり口に運び、噛み砕いて、飲み下す。

苦みがどうしても好きになれなかった野菜も、様々なものが入っているため噛むときの感触がちぐはぐで食欲を失っていたサラダも、血の匂いが鼻について嫌いだった肉も。

一つずつ、丁寧に食べていく。

――お前、貴族だからってどんだけ偉いんだよっ! 街には食うに困る奴だっているのに!

まるで閃光のように、ひとつの言葉が鮮明に脳裏に走った。

あれは誰だっただろうと考えて思い出す。

他家から行儀見習いを兼ね侍従見習となった少年だった。

私の食事の給仕をしているとき、ところどころだけ食べて部屋に戻ろうとした時、彼は自分に向かってそう叫んだ。

まだ当時執事見習いだったジョゼフが、彼を抱きかかえて出て行き、その後、彼を屋敷の中で見ることはなくなった。

(いや、彼だけではない……?)

スプーンを止めると、スープの上澄みに映る自分と目があう。

――ラスボラ様、お兄様の事は残念でした。しかし、だからこそ、ラスボラ様は領主としてしっかりなさる必要があるのです。

そう言ったポーリィも

――ラスボラ。そろそろ王都の学園に入る時期だろう? ここは俺が守っていてやる。だから行ってこい、そして、外の世界を見てくるんだ。

そう言って肩を叩いたカルヴァの伯父上も

――ラスボラ、学園に行かないのなら一緒に勉強をしよう! え? 痛い!? 少し手をひっぱったくらいじゃないか、大丈夫だ、ほら、外に出るぞ。

そう言って、いつも身を潜めていた図書館から私を連れ出そうとしたシグリットの伯父上も。

――ラスボラ。もっと目を養うのだ、そのままではお前は駄目になるぞ。父上のように立派な騎士団長になりたければ、鍛錬し、己を強くもて。

そう言ったティウス叔父上も。

――あたしは、あんたみたいな何の面白みもない、意気地もない、感情もない、守られてばかりの甘ったれとはいっしょに居られない。強くなりな、フィデラ兄さまの様に!

そう言ったベラも……

――隊長、私は怖いのです。傷ついた騎士達に、私は何が出来るでしょう、どうすればよいのでしょう。お願いです、どうか、もう少しでいい、他者を思いやるお気持ちをお持ちください。自分を置き換えて考えてみてください。そうすれば自ずと、相手の気持ちはわからずとも、やってはいけない事が解るようになるでしょう。

そう言った医師も。

そして。

――ラスボラ。お前は南方辺境伯である私の、唯一の息子! お前が騎士団を統べなければならないのだ! それなのになんだ、その体たらくは! それでもお前は辺境の騎士か!? いつまで泣いている! いつまでいなくなった者に謝り続けている。お前がするべきことは、いなくなった者に恥じることのない人間になる事だ! 今のお前のように、あれは嫌だ、これは嫌だと言っているうちは、お前には南方辺境伯の座も、辺境伯騎士団長の座も譲るわけにはいかん! お前の他にも後継は育っている。心して己を鍛えるのだ!

図書館に篭り、母と兄の墓石にしがみつき、騎士団に行くことが出来なくなった時に叱責してきた父上も。

手からスプーンが落ち、スープの表面が大きく揺れて私の姿がかき消された。

気が付かなかった。

いつの間にか皆、いなくなった。

騎士団には皆がいる。

だが、私の周りには誰もいない。

顔を上げ、辺りを見回す。

そこには、変わらない辺境伯家の使用人たちが、皆心配げにこちらを見ている。

時折新しい者が入るだけで、ほぼ変わっていないのだが、そういえば、と思う。

この屋敷にはいつから、誰も来なくなったのだろう。

『貴方方がそうやって皆で真実や辛いもの、苦しい現実、そして本当に心配し、旦那様のために心を鬼にして接してくれた人たちを遠ざけ、長年にわたり甘やかした結果が今言った多くの犠牲を生んだのです!』

ネオンの言葉が頭の中でガンガンと反響する。

胃に入れたものが上がってきて、苦しくなって、私はナフキンを手に取ると口元に当てた。

「旦那様!」

慌てて駆け寄ってくる使用人たちを空いた手で制すると、私はそのまま自室へと一人でもどる。

時折、胃から上がってくる酸っぱいものに足を止め、顔をしかめ、飲み下し、また、進む。

『全ての辛いもの、苦しいもの、背負うべきものを理解させず真綿でくるむように旦那様を甘やかし続けた結果、その真綿で首を締め上げたのは貴方達です。』

振り返れば、此方を心配そうに見る使用人たち。

いつも、自分が何も言わなくても、全てを用意し、全てに心を配り、全てを整えてくれている腹心たちが。

何故今日は、異質なものに見えたのか。

私は胃の中の物をすべて吐き出し、床に膝から崩れ。

大きな声をあげ、駆け寄ってくる使用人たちの口から洩れる私の身を案じる声を聞き、優しい言葉のはずのそれが、何故、怨嗟のように聞こえるのかと疑問に思い、そして。

(あぁ、またあの悪夢がやってくる)

それに怯えながら、ゆっくり意識を失った。