軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

105・思い当たる可能性と気鬱

何とも言えない微妙な雰囲気を孕んだまま、お茶の時間を終え、再び一階へ降りると、スラティブや闇魔法による麻酔下での手術等、クルス先生が赴任後に考案され、現在も研究と考察を続けている新規医療品を 除(・) い(・) た(・) 知識、すなわち、この医療院設立のきっかけとなった負傷騎士へ行った『看護』の実態である保清や清潔を保持する事の必要性やその手法、公衆衛生や感染予防の考え方、そしてそれらを行った事による成果を、ベラ隊長と補佐官・記録官へカルテを使用しながら説明し、おおよそ半日に及ぶ視察を終えた。

有難いことにベラ隊長は、先ほどまでやや厳しい意見のやり取りをしていたとは思えないほどしっかりと医療院の視察を行ってくださり、視察後は医療院の外まで見送りに出た私と補佐官であるガラ、そして医療班班長のラミノーに、とても丁寧に『ありがとうございました、大変勉強になりました』と頭を下げてくれた。

やはり宮廷貴族らしく、ここぞというときの引き際を知っている方なのだと思う。

が。

「ふぅ……。」

同じく南方辺境伯騎士団八番隊隊長であり、王宮騎士団の副隊長であるベラ隊長を視察という形で迎えるため、鈴蘭祭ぶりに着用した騎士団隊長服を脱いだわたしは、ひとつ、ため息をつく。と同時にぐらりとした天地が返るような浮遊感と、膝の力が抜ける感覚に襲われて、慌てて傍にあった椅子に手をかけるとそのままどかりと腰を下ろした。

(あぶなっ……倒れるところだったわ。)

俯き、両手で顔を覆えば、額にはうっすらと汗をかいているのが解る。

(回転性の眩暈に冷や汗……貧血……いや、疲労による自律神経症状か? まぁ、確かにすごく疲れたもんね……。)

王都で暮らす宮廷貴族であり、王族や上位貴族の女性を守る王宮騎士団の副隊長を相手にするのに、普段よりもやや気を張りすぎていたのかもしれない。

リラックスするため、目を閉じたままの状態で椅子の背に体を預けると、そのままだらりと手足の力を抜いてからふぅ~っと全身で大きく息を吐く。

いずれすべてのしがらみから逃れてこの地を去る。

前世を思い出したあの日から、それを念頭に行動をしていた。しかし実際には、そんな日がくることなど永遠にないのにと冷めた目で己を見ている自分にも気が付いていて……そんな自分が哀れで可哀想だと悲劇のヒロイン思考に陥りたくないがために、強がっているだけに過ぎない。

本当の 私(・) は、ずっと不安で、ずっと混乱しているままだ。

すうっと、眦から涙が伝った感覚に、慌てて両の手で顔を覆う。

喉元まで上がって来た嗚咽を、大きな深呼吸にすり替えるため、震える口を大きく開けて、声にならないように気を付けながら、ゆっくりと息を吐きだす。

(泣いては駄目だ……止まらなくなる。何か別の事を……。)

大きく口を開けたまま、もう一度深呼吸をしてからきゅっと唇を噛んだ。

(大丈夫。私は大丈夫。ここにいるための責任を果たすのよ。)

そうして思考を切り替えれば、頭の中を駆け巡るのは、今、目の前にある辺境伯夫人としての山積みの問題だ。

(医療院の体裁はひとまずは整った。けれど、闇魔法……つまりこの私がいなければ、この医療院で手術は出来ない……。それでは他所にこの技術を教えることは出来ない)

ベラ隊長に『看護』と『リハビリ』しか説明しなかったのは、ここで行われている『医療行為』が他所で行うのが不可能だからだ。

スラティブは、おそらくは光魔法を使えるであろうクルス先生がいるから扱える、魅了されたスライムを使った医療技術であり、現在最も画期的であろう外科的手術も、私のみが扱える 闇魔法(ますい) と、クルス先生の卓越した外科的手術技術の二つがあってこそ、初めて成り立つ治療法なのだ。

光と闇。希少な属性を持つ者が二人でかかって行う技術など、後の事を考えれば決して迂闊に口外できるはずがない。

(他所に知識を提供するならば、麻酔については代替となる魔法、もしくは薬剤の開発が確実に必須。クルス先生とトラスル隊長の研究の成果が待たれるわ。外科的技術に関しては、クルス先生に弟子を取っていただいて、一から医者を育てるしかない。そしてそれは看護師も同じ……辺境の学舎で優秀な子に目をつけているけれど、無理強いだけはしたくない……。

それからバザー……一度目は大成功だったけれど、それは鈴蘭祭のお祭りムードと物珍しさ、そして私の肝煎であると事前に広めていたから。そうではない平常の状態で二回目、三回目と繰り返して修道院の方にバザーの開催に必要な、資金・会計管理の運営の方法を覚えてもらう必要がある。それに入場異物。大好評のケーキも、権利は保護したけれど真似をされる可能性は高い。それに同じ物ばかり売っていれば珍しいものではなくなり、客から飽きられて足が遠ざかる可能性は高い。回数を重ねるごとに新商品……素朴なマフィンやスコーン、それに合うコンポートを瓶詰にして売るか……アイシングやキャンディ、エディブル・フラワーを使って、菓子の装飾に趣向を凝らす方法もいいわね。

あとは孤児院と、学舎、それから街の医療院……大きな基礎は出来たし、領民からの受け入れも評判も良いけれど、まだまだ改善すべきところはたくさんある……。それから後は……最も大問題……。)

その瞬間、再びぐにゃりと足元の天地がひっくり返ったような感覚に陥り、ぎゅっと目をしっかりと閉じて堪えた後、ふぅっと腹の底からゆっくりと息を吐いた。

(一番大きな問題は、自分から白い結婚を言い出したにもかかわらず、契約破棄と関係のやり直しを求めて来る旦那様と、後押しする使用人。それからまだ会った事もないモルファ辺境伯一族……。)

そう考えた瞬間、今度は遠くからきぃんと金属を叩いたような甲高い音が聞こえはじめ、それを止めたくて、無駄なことだと解っていても、顔を覆っていた手で両方の耳を押さえた。

周りの音を遮断したせいか、さらに強調されるように聞こえる耳鳴りに、体調不良の一端であるストレスの最大の原因がそれであることを思い知らされる。

(でもこの問題からは絶対に逃げられないから、立ち向かうしかないわ。)

ベラ隊長の言い分はよくわかっている。

王都に住まう宮廷貴族である彼女は、生まれ育ったこの辺境を心から愛し、それゆえ自分が言っていることが大変に理不尽だと理解してなお、私に頭を下げ願った。

少なくとも彼女には、私が考えるのと同じ、この南方辺境伯領に訪れる可能性のあった最悪のヴィジョンが見えていたのだろう。

旦那様が団長として就任し、私が医療院を開設するまでの5年。

一見美しい湖の底に積み重なる汚泥の様に沈殿するのは、旦那様のねじくれ曲がった信念によって命を失うか、同等かそれ以上の苦しみと悲しみを味わった騎士と家族――領主が守らなければならないはずの領民の無用の嘆きとそこから生まれる怒りの感情。

異常ともいえるあの悲惨な状況が続いていれば、虐げられた騎士やその家族(領民)は、団長である旦那様、そしてその一門がその地位にあるのを良しとせず、この地を捨て他領へ逃げてしまうかもしれない。

しかし最も怖いのは、逃げることも出来ない者達による最悪の未来。

(領主への暴動……。)

はぁ、と、溜息をつく。

5年もの間それを抑えていたのは、辺境伯騎士団の圧倒的な軍事力だろう。

ラミノーやエンゼは、生活のため、負傷兵の扱いと自身の将来に絶望しながらも、我慢していたと言っていた。

領民たちもそうだ。

騎士団が圧倒的な力を持つ魔物や他国からの侵略者、近隣のならず者から、田畑や家族の命を長らく守ってくれているからこそ、苦汁を飲む形で我慢していたのだろうし、暴動が制圧されてしまった場合、連帯責任で家族が巻き込まれることに恐怖を感じ、行動に移せなかった可能性もある。

そう、ここが辺境でなければ、もっと早い時期に噴出していたのかもしれない。

(……そう言えば。)

王都で暴動が起こったと聞いたことはないが、王都からほど近い男爵領でそれが起こった事があった。実際に見たわけではなかったが、私が働いていた王都の宿屋兼酒場には、領地から出稼ぎに来ていた荒くれ者の男達が多くいて、まるで自分たちの武勇伝のように話していた出来事。

領民に伸し掛かるのは、重税による生活苦。

そんな彼らの苦しみに相反し豪遊する領主家族。

日に日に増していく苦しみはやがて憎悪となり『貴族に歯向かう=死』だと解っていてなお、それぞれに用意出来うる限りの農具や工具を握り絞め、男爵の屋敷に乗り込んだ。

民衆に暴動を起こされた男爵家は王家によって取り潰され、領地は王家の預かりとなったことで税も下がり、民の生活は少しずつ上向いた。

その結果を生んだ領民たちを、根性がある、よくやった! と褒め称える声に、そういうものなのだと私も思いながら料理を給仕して回った。

しかしその後、公爵家に引き取られて教育を受ける中で、養母であり、教師でもあった公爵夫人から、貴族の義務を果たさないとこうなるという事例として、暴動が起きる前の男爵一家と領民たちの生活や財政状況などの多岐にわたる詳細な資料と共に、領主だった男爵、次期当主である子息は惨殺、夫人と令嬢は命を奪われることだけはなかったが、心身に深い傷を負い、修道院(にある静養所)に生涯身を置くことになった事、暴動の首謀者たちは貴族への不敬と社会に混乱を招いたとして、一族郎党処刑の後、晒されたという説明をされ、そうならないためには貴族としてどうすればよいかと前世で言うレポートを書かせられたのだ。

武勇伝として聞いていた話の真実を教えられた私は、ひどく苦い気持ちになり、その後数日は食事は喉を通らず、夜も眠れなかった。

あの時はその衝撃に深く考える余裕もなかったが、今考えれば、公爵夫人はモルファ辺境伯家が抱える問題を全てとは言わずとも知っていて、勉強させたのではないかと思い、同時に背すじが冷える思いがした。

(考えたくないけれど、契約通りにお飾り妻の旨味だけ享受していたら、同じ運命になるところだった……。今でこそ、この騎士団本部の騎士達とリ・アクアウムの民は私のことを『敵ではない』と認識してくれていてるし、暴動を起こすことは無いかもしれないけれど……あぁでも、私の手が届かない各地方は分からない。)

ここは、モルファ辺境伯領の中央部に位置する。

もしも周囲を取り巻く分家がそれに加担していれば、私などは逃げるまもなく拘束されるだろう。

(……今も、他人事だと思えないわ。)

降ってわいた恐怖に身を震わせ、耳をふさいでいた手で我が身を抱えて首を振った時、硬く閉じたままのまぶたの裏に、再び白い雲を思わせる髪がよぎる。

(待って……っ。)

叔父に捕らえられたあの日、諦め手放したはずのそれに、一瞬でも触れられそうな気がして慌てて手を伸ばし、次に見えた医療隊の隊員や患者たちの笑顔に、ハッとしてその手を反対の手で静止する。

(いいえ、ダメよ。)

つかんだ手に力を込める。

あの日、全てを飲み込んだ日に、自分で捨てる事に納得したのだと言い聞かせる。

一つ、大きく息を吸って、吐き出して。

ゆっくりと、閉じたままだった目を開けた。

もう地面はゆるがない。

(大丈夫、私には守るべき人と居場所がここにある。)

パン! と、頬を叩いて立ち上がる。

「よし、仕事しましょう!」

気合を入れなおした私は、窓のカーテンを閉め、扉にも鍵をかけると、着ていた白のシャツを脱ぎソファの背に投げ捨て、チェストの引き出しから綺麗に洗濯し畳まれたスクラブをぱんっ! とひろげ袖を通す。

左肩に入った、すでに見慣れた騎士団のエンブレムに触れてから、私は扉のノブに手をかけた。

ふと、壁にかけられた鏡を見ると、そこに映る私の顔。

恐怖でややゆがんだ顔をしてはいるものの、そこに迷いはないとわかると、扉を開け、一歩、廊下へと足を踏み出した。