作品タイトル不明
331.【sideルダイン連邦】出征
四聖暦六三〇年十月一日の早朝。
場所はルダイン連邦の軍港都市ソナイル。
海に浮かぶ軍船へと兵士たちが次々に乗り込んでいた。
その近くで数名の議員と軍の高官たちが整然と並んでいる。
彼らの黙礼をもって船隊の出立を見守っていた。
この場に居る全員は、表情を硬くしながらも同じ意思を共有している。
――《魔王》の手からキョクトウを取り戻す、と。
そんな光景を、ルダイン連邦議長であるグンナル・シュテルンが少し離れた場所から冷淡な眼差しで眺めていた。
「……遅い」
低く呟いた彼の背後から、足音が近づく。
振り返ると、赤い髪を海風に靡かせた愛くるしい見た目の少女が、眠たそうに目をこすりながら歩いてくる。
彼女は【シクラメン教団:第三席】《焚灼》――ルアリ・ヴェルト。
「これでも早く来たほう」
不機嫌そうにルアリは返すと、欠伸をひとつ噛み殺し、港の上空をじっと見上げた。
「それより。なんで転移阻害の結界、張ってるわけ? 無駄に移動する羽目になったんだけど」
「……転移阻害?」
グンナルの瞳が細くなる。
「そのような結界は展開してない。港の防御結界は通常運用のままだ」
「ふぅん。じゃあ誰の仕業?」
ルアリはつまらなそうに肩をすくめた。
グンナルは短く考え、答えを切り替える。
「長距離転移に不具合が出ているなら、こちらで調べておこう。――今は出立が先決だ」
そう言ったとき、軽い靴音が五つ、規則正しく響いた。
そこに居たのは、赤い外套を纏った成人して間もない五人の少年少女。
まだ幼さの残る目には仄暗い光が宿っている。
「何、コイツら」
ルアリが露骨に眉をひそめる。
「東の大迷宮を攻略した者らだ。今回の武力派兵に、儂の〝眼〟として同行してもらう」
少年少女は一様に無言で会釈した。
ルアリは興味なさげに視線を滑らせ、また欠伸をした。
「相変わらずだの」
グンナルはため息を押し殺す。
「任務の説明中くらいは真面目に聞いてほしいものだ」
「真面目に話聞いてたら疲れる。この身体、燃費悪いから。疲れなんか吹っ飛ぶほど燃える内容なら真面目にやる」
ルアリは事も無げに返す。
そのとき、肩章に金線の走る軍人が足早に近づいてきた。今回の航行指揮官である提督だ。
「議長閣下。全船、出征の準備が整いました」
軍人は踵を鳴らし、胸に拳を当てて礼を取った。
「よろしい」
グンナルは連邦議長の仮面をかぶり応じると、続けて命じる。
「この六人を旗船に乗せなさい。彼らは私の直轄だ」
「はっ。しかし――」
軍人は言いよどみ、渋面になる。
次の瞬間、その瞳から焦点がすっと抜け、薄い靄がかかったように虚ろになった。
「……承知いたしました」
軍人はわずかな間をおいて、表情を引き締めると、考えを改めた。
「貴官の使命はなんだ?」
グンナルが試すように問いかける。
軍人の口角が、ゆっくりと吊り上がった。
「《魔王》を討ち滅ぼすことです。仲間を何人喪おうとも、キョクトウを炎の海にしようとも、必ずや 本計画(・・・) を成し遂げてきます」
その声音には、一切の迷いがなかった。
グンナルが満足気に頷く。
『友好国を救う』という大義名分を掲げた出征の檄とは噛み合わない言葉。
彼の口にする言葉は明らかに不適当であると言える。
提督に付いていくかたちでルアリと五人は軍船に乗り込んだ。
船笛が響き、錨が巻き上がる。
旗船が回頭し、後続が列を成す。
船列が海面を切り裂き、航跡が幾筋も伸びていく。
数名の議員と高官はただ黙して、敬礼と共に見送った。
◇
グンナルは船隊をしばし見送ると、踵を返した。
その足で軍港から外れたとある建物へと入る。
厚いカーテンで日を遮った一室の扉を、グンナルは静かに開けた。
部屋の奥で長椅子に座る女が、顔を歪めて右目を押さえている。
「……無理をさせて悪かった、フィリー」
「ふふ。結局、貴方も――わたくしが居ないとダメなのね」
苦痛に耐えながらも、フィリーは皮肉を忘れない。
その口調はいつものように軽く、だがその背中には、細い肩を軋ませるほどの緊張が張りついていた。
未だに、自身の中に取り込んだ邪神の魔力を御しきれずにいるのだ。
それでも彼女は、さきほどの提督のほか、議員や高官にまで【認識改変】を施していた。
フィリーの右目の奥では、涅い魔力の残滓が絶えず脈動していた。
グンナルはしばし彼女を見つめ、言葉を飲み込む。
やがて踵を返し、静かに扉を閉めた。
重い音が響くと同時に、部屋には息を詰めたような静寂だけが残る。
フィリーは瞳を閉じ、長い吐息を一つ洩らした。
「……さて、次はどのような混沌を見せてくれるのかしら」
その小さな呟きは、誰の耳にも届かぬまま闇に溶けた。
◇
海を切り裂きながら、連邦の軍船は着実に東へと進んでいた。
兵士たちは持ち場に就き、索具を確認し、魔導機関の調整に追われながらも――視線の端が、ひとつの場所に吸い寄せられていた。
甲板中央。
そこでは、赤色の髪の少女が日光を浴びながら無防備に昼寝をしていた。
炎を司る悪魔――《焚灼》ルアリだ。
提督からは「彼女たちには一切の干渉をするな」と命じられている。
そのため、誰も声をかけることはできず、兵士たちはただ、どうして子どもがこの戦船に乗っているのかと、胸の奥に小さな疑問を抱えたまま作業を続けていた。
やがて、航行を続ける船隊の先、靄の向こうの陸影がぼんやりと現れる。
それは、目的地――キョクトウ。
兵たちの表情が引き締まり、甲板の空気が張りつめる。
その時、見張り台から鋭い声が上がった。
「う、海の上に――人が!」
視線が一斉にそちらへ向かう。
波間の向こう、太陽の照らされた蒼い海原に、まるで水面の上に立つように、銀髪の女性――シオン・ナスタチウムが浮かんでいた。
彼女の琥珀のような澄んだ瞳が、まっすぐに船隊を見据えている。