作品タイトル不明
278.【sideフウカ】幼き日の決意
◇ ◇ ◇
刀を置いてから額の汗を手の甲で拭うと、夏の風が私の肌を撫でるように通り過ぎた。
風が火照った体を冷ましてくれる。
私は夏が好き。
稽古を終えてから、草いきれの匂いを含んだ風を全身で感じることができるこの時間が好きだから。
「……?」
目を閉じながら風を感じていると、不意に微かな音が耳に届いた。
氣を活性化させて聴覚の感度を高める。
すると、先ほどよりもはっきりと聞こえた。
(……泣き声?)
それは、風の流れに溶けるように小さい、けど確かに聞こえてくるすすり泣きの音だった。
草を踏み分けながら、音のする方へと歩を進める。
そして、木陰に隠れるように座り込んでいた小さな巫女服の少女――ナギサの姿を見つけた。
「どうしたの?」
声をかけると、ナギサは驚いたように肩を震わせた。
そのまま恐る恐ると顔を上げる。
その瞳には、今にもこぼれそうなほどの涙が溜まっていた。
「……フウカ、姉さま……」
近づいてきたのが私だと分かると、ナギサは私の元へと駆けてくる。
そのまま顔を私の和服に埋めた。
そんな彼女の背中に手をまわしながら、ゆっくりと頭を撫でていると、
「姉さまぁ、やっぱり私には無理だよぉ……」
ナギサが涙交じりの声で弱音を吐いた。
「……無理って、来月の祭りでやる舞のこと?」
「うん……。私には、才能が、ないもん……。あんな大切なお役目、私一人でなんて、できっこないよぉ……」
ここキョクトウでは毎年八月中旬に、 私の家(東雲家) や ナギサの家(朝霧家) が中心になって霊舞祭という祭りを執り行っている。
子どもの私にはまだ詳しいことを教えられていないけど、この祭りはこの国で一番大切な催しだって聞いてる。
ナギサも今年から役目を与えられて、この祭りで舞を行うことになっている。
その練習は順調ではないみたいだけど、それは仕方ないことだと思う。
舞は祭りの中でも重要な位置付けにある役目。
そんな重責を十歳にも満たない少女に背負えという方がおかしい話。
……最近は、大人たちが何を考えているのか、よくわからない。
少し前までは、聞いたら色んなことを教えてくれてたのに、今は私に隠し事をしているみたいな印象を受ける。
自分でも何故かよくわからないけど、この違和感はすごく気持ち悪い。
私にとってナギサは妹同然の大切な存在。
今の大人たちに期待できないなら、私が彼女を助けないと。
「だったら、一緒にやる?」
「……一緒、に……?」
私の提案を聞いたナギサが埋めていた顔を上げた。
「うん。一人でやるのが難しいなら、私が隣で一緒にやる。私と一緒になら、できるでしょ?」
「で、でも……、それだと姉さまのお役目が……!」
「私の役目は、妖刀を振るだけの簡単なものだから。私が隣で一緒に舞をすることでナギサが頑張れるなら、私も一緒にやるよ」
「姉さま、ありがとう……。私、それなら頑張れる!」
先ほどまでの弱りきったナギサは姿を消し、明るい表情をした彼女がそこにはいた。
「そうと決まれば、さっそく練習しよう。私も必要最低限のことはできるけど、役目を全うできるほどじゃないから、どっちが先に上達するか競争だね」
「うん!!」
これがナギサと交わした最後の約束になった。
そして、私はその約束を、――果たすことができなかった。
◇
熱い。熱い。熱い。
草いきれの匂いを含んだ夏の風が、私は好きだった。
今はそれを感じられる季節のはず。
だと言うのに……、どうして私の鼻を刺すのは、草木が燃えた臭いや、血と鉄の混じった忌まわしい臭いなのだろう……。
空には炎が舞い上がり、夜闇を覆うかのように広がっている。
「どうして、こんなことに……」
「走れ、フウカ!」
私は突然の出来事に呆然としながらも、ハルトに手を引かれながら森の中を駆ける。
今日は楽しい祭りの日だったはず。
日中は民のたくさんの笑い声が聞こえてきていた。
それが今では、聞こえてくるのが悲鳴や怒声に変わってる。
そして、その中には私を探す人たちの声がたくさんあった。
その人たちが私を探している理由は、私を保護するため、では決してない。
――私を殺すため。
この騒動が始まって真っ先に両親は殺された。
ハルトの機転が無ければ、私も既に死んでいたかもしれない。
「クソッ! 森の中に逃げたのは失敗だったか? ここだと【鳥瞰視覚】を十全には――っ!?」
焦りの入り混じった声を漏らしていたハルトが、突然驚いたように息を飲んだ。
そんなハルトの視線の先には、齢六十に届いているとは思えないほどに鍛え抜かれた身体をしている老人がいた。
「先生……」
彼の名は、キリュウ・テンドウ。
私の剣の師でありハルトの祖父。
そしてキョクトウ最強の剣士とも呼ばれている人物。
「ようやく見つけましたよ、姫」
先生は穏やかな笑みを浮かべながらこちらに近づいてくる。
ハルトはそんな彼を射貫くような視線で睨みつけながら口を開いた。
「テメェもか、クソジジイ! 天堂家(ウチ) の役目は、東雲家と朝霧家を護ることだろうが! その人間がフウカやその両親に刃を向けているってのは、どういう了見なんだよ!」
先生は臨戦態勢を取りながら糾弾するハルトを見て、感心したような表情をしていた。
「ほぅ……。人の本性は追い込まれたときにこそ垣間見えるものと言われておるが、まさか役目に熱心でなかった孫が、ただ一人、姫を護るために行動しているとは」
「ゴチャゴチャうるせぇんだよ! 裏切り者がっ!!」
ハルトが声を上げながら先生に殴りかかる。
氣を全開まで活性化させた渾身の一撃だった。
それを、先生は、刀を抜かずに鞘のままで難なく受け止めた。
「……ふむ。鍛錬を疎かにしていると思っていたが。これなら合格点を渡しても良いだろう」
「上からモノを言ってんじゃ――」
「少し落ち着きなさい」
「――がっ!?」
ハルトが続けて攻撃を繰り出そうとするも、その前に地面に転がされていた。
一瞬の出来事すぎて、私にも先生の動きが見えなかった。
「儂は姫を殺しに来たわけではない。この国から逃がす手助けに来たんだ」
「逃がす、だと……?」
ハルトのオウム返しに、先生は「そうだ」と相槌を打つと、私の方へ向き直ってから、ゆっくりと頭を下げた。
「――姫。まずはこのような事態を防ぐことができなかったことを謝罪いたします。大変申し訳ありませんでした」
「どうして、こんなことになったの?」
「現状では情報が不足していて正確なことは言えませんが、朝霧家が反旗を翻して、それに愚息たち若い者が追従している状況です」
「朝霧家が……。……っ! ナギサ。ナギサは無事なのっ!?」
自分のことで精いっぱいでナギサのことを失念していた。
彼女もこの戦いに巻き込まれていたら……。
「ご安心ください。現在は屋敷に軟禁されているようですが、命の危険は無いでしょう」
「軟禁……。助けに行かないと」
朝霧家の屋敷に向かおうと踵を返す。
「お待ちください、姫。今は命の危機の無いナギサ様よりも、貴女様の安全確保が優先です」
「どうして? 私も自分の身を守るくらいはできる。先生がいるなら、ナギサを助けられるでしょ?」
「愚息が率いるこの国の兵のみであるなら、儂一人で対処することは可能です。ですが、この一件の背後には間違いなく他の者がおります。現状ではその者らの実力まで測ることが難しい以上、姫をそこへお連れするわけにはまいりません」
「そんな……」
「ここで姫まで失うわけにはいかないのです。ナギサ様のことは、このキリュウが命に代えても護るとお約束します。ですので、お辛いでしょうが、今は生き延びることのみを考えてください」
「…………分かった」
「意見をお聞き入れくださり、ありがとうございます。船は既に手配しておりますのでこのまま北の海岸を目指して進んでくださいませ。――それと、姫にこちらを」
そう言いながら先生は収納魔導具から刀を出現させた。
「この刀って……」
「はい。この国に伝わる国宝、白櫻です」
白櫻と呼ばれている刀は、おとぎ話の時代よりも前から存在している妖刀となる。
この刀には、氣とも魔力とも異なる〝力〟が内包されていて、霊舞祭の時にのみ振るわれている。
「姫であれば、この刀を 真の意味で(・・・・・) 御すことができるでしょう。そして、姫がこの国を取り返しに来られる時、この刀は必ず姫の前に立ちふさがる壁を切り開く力となります」
「国を取り返すとき……」
「そうです。現時点ではこの状況を覆すことが難しいほど、我々は追い込まれています。しかし、貴女様がご存命であれば、この先でいくらでも勝機を見出すことができます。ですので、今は堪えてください。そして、この国を取り返すための力をお付けください」
私は先生の言葉をしっかり心に刻みながら、刀を受け取った。
私は刀を握りしめながら、先生の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「――私は必ずこの国を、ナギサを取り返すために帰ってくる。だから、その時までナギサを護って、先生」
先生が優しい笑みを浮かべて頷いた。
「その命令、しかと承りました。……どうか、道中お気をつけて。貴女様の帰りをお待ちしております」
その会話を最後に、私はハルトと共に北の海岸へと向かう道を走り出した。
頬を撫でる燃え上がる炎に熱された風を感じながら、胸の奥で燃え上がるもう一つの炎を消さないように。
◇
過去の出来事を思い出していると、東の空から太陽が顔を出した。
同時に私の好き だった(・・・) 草いきれの匂いを含んだ風が通り過ぎて行った。
あれから数年。
キョクトウを取り返すために私は、剣術の腕を磨いた。
キョクトウを取り返すために私は、妖刀を御せるほどに手懐けた。
キョクトウを取り返すために私は、オルンを始めとした心強い味方を手に入れた。
「もうすぐ。もうすぐ、キョクトウを取り返しに行ける」
白櫻を握りしめながら呟く。
その声色は、自分でも驚くくらい感情の籠ったものだった。