軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

1話 そして、姉は死んだ

誰が殺したの?

“それは、私”

■■は言った

荘厳な教会。

代々続いた貴族や王族の葬儀を幾度も見届けてきた、格式高い建物だ。高い天井に、磨き上げられた石床。正面の祭壇奥には金の装飾が施され、揺れる燭台の灯りを受けて鈍く光っている。

広い堂内のただ中で、ひとりの少女が立っていた。一本の百合を胸に抱くようにして。

月光を透かしたかのような銀色の髪。ヴァイオレットの瞳は夜の底を映し、どこか幼さを残しながらも、整いすぎるほど端正な面差しをしている。今にも折れてしまいそうなほど細い腕と、黒布に包まれた華奢な身体。その全身が、喪の色に沈んでいた。

彼女の名はロザリー・ホワイト。

由緒ある侯爵家の令嬢である。

ロザリーは百合へと顔を寄せる。口づけるように、そっと。

甘く、やわらかな香りが、胸の奥まで染み渡る。

別れを託して、震える指先が花を手放す。白い百合は音もなく宙を舞い、棺の中へと吸い込まれていくように落ちていった。

やがて、別の誰かが同じ仕草をなぞる。また一輪、さらに一輪と、白い花が重ねられていく。

降り積もるそれは花でありながら、まるで言葉にならなかった祈りのかたちのようだった。

「どうか……安らかに」

囁きは、誰の耳にも届かぬまま溶けていく。

ロザリーは黒いドレスの袖口を、きつく握りしめたまま、棺の中を覗き込む。

そこに横たわる姉は、あまりにも穏やかで、やさしい顔をしている。

……“悪役令嬢”と呼ばれ続けた姉の、最後の姿。

怒りに歪んだことなど、一度もない唇。

人を貶めるために動いたことなど、ないはずの手。

誰よりも弱い者に寄り添ってきた、温かな人。

(そうよ。少し考えれば、分かる事だったわ。……姉さまが、悪役令嬢だったはずがない)

ロザリーの喉が、きゅ、と小さく鳴った。

「リリアーヌ……ねえ、さま……」

声にすれば崩れてしまうと知っているから、きちんと名を呼ぶこともできない。ただ、指先を強く握りしめる。

百合の香りが、ふいに強くなった気がして、視界がゆらりと歪んだ。

礼拝堂の空気は、花の香りで満ちているというより、もはや溺れているかのようで、吸い込むたびに喉の奥がひりつく。甘く、濃く、そしてどこか残酷な匂いだった。

立っているだけで、くらっとする。

(ーーこの匂いは、姉に似ている。)

美しく、気高く、そして息苦しいほど、孤独な匂い。

胸の奥に、押し殺してきた記憶が、波のように押し寄せる。

金色の陽だまりを縫うように歩く後ろ姿。

振り返れば、鈴を転がしたような澄んだ笑い声。

手を引かれて庭園を駆け回った幼い日々。

「……っ」

堪えきれず、頬を一筋、熱いものが伝った。

音もなく落ちた涙は、棺の縁に、小さな光を残す。

そのしずくを、姉は知らない。

もう、伏せられた瞳は何も映さない。

百合の海の中で眠る姉は、ただ安らかで、ただ静かで、そして――

どこまでも、やさしかった。

そしてロザリーは、心の中でだけ、静かに誓う。

(姉さまの汚名はわたしが晴らしてみせる。そして姉を殺した人間をわたしが見つけ出して、この手で――)

***

後に悲劇として刻まれるその日。

王城の大広間は、祝祭のために華やかに彩られていた。

磨き上げられた大理石の床には、幾重にも吊るされたシャンデリアの光が星屑のように降り注ぎ、金と銀の輝きが波打つ。

色とりどりのドレスに身を包んだ令嬢たちは花のように笑み、貴族の子息たちは優雅な所作でその手を取る。ピアノとヴァイオリンの旋律が溶け合い、甘やかな空気が広間全体を満たしていた。

本来ならば――

王太子アレクシスと、その婚約者の令嬢の、

未来を祝福する夜になるはずだった。

「リリアーヌ!! 本日この場をもって、貴様との婚約を破棄する!」

高らかに言い放たれた宣告は、刃のように広間を裂いた。

その瞬間。

ざわめきが、ぴたりと凍りつく。

磨き上げられた大理石の床に映るシャンデリアの光も、祝宴の余熱を帯びた甘やかな空気も、色彩を奪われたかのように褪せていく。

先ほどまで流れていた音楽さえ、遠い幻だったかのように思えた。

その宣告を下したのは、王太子アレクシス・レオカディア。

燦然と輝く金髪に澄んだ蒼眼、神が彫刻したとしか思えぬ端正な顔立ち。

その隣に寄り添うのは、ストロベリーブロンドの令嬢だった。涙を滲ませたその瞳は、どこか怯えているようにも見える。

「……理由を、お聞かせいただけますか?」

静まり返った広間で、ただ一人、凪いだ声が響いた。

婚約破棄を突きつけられた当人――侯爵令嬢リリアーヌ・ホワイトだった。

艶やかな銀髪は優美に結い上げられ、紫水晶のような瞳が真っすぐにふたりを見据えていた。身に纏う濃紺のドレスは、華奢ながらも女性らしい曲線を際立たせ、その気品と知性を一層引き立てている。

突如突きつけられた宣告にも、リリアーヌは背筋を伸ばし、一糸乱れぬ態度で立っていた。

「お前はアンジェリカに度重なる嫌がらせを行った! その非道なる振る舞い、もはや看過できぬ!」

「怖かったですわ、殿下……」

甘えを含んだ声とともに、アンジェリカは身を寄せ、豊かな胸元を押し当てるようにアレクシスの腕にすがりついた。

アレクシスは彼女を庇うように抱き寄せ、正義を成したとでも言うように満足げに頷いた。

「わたくしは……そのようなことは、しておりません」

そう返すリリアーヌ。弁明というより、事実をそのまま告げる声だった。

しかし、アレクシスはきっぱりと言い放つ。

「まだそんな事を言うのか! こちらには証人もいるんだぞ!」

追い打ちをかけるように、周囲から声が上がる。

リリアーヌの友人であったはずの男爵令嬢が、一歩、前へ出た。

「私たちは、その場をこの目で見ています」

「私もです!」と別の令嬢が声を上げる。

さらに、今度は一人の令息が進み出て証言した。

「アンジェリカ嬢が苛められていた現場に、リリアーヌ嬢の私物が落ちていました!」

次々と突きつけられる、証言と証拠。

祝福の場であったはずの大広間は、いつの間にかリリアーヌを裁くための、冷酷な法廷へと変わっていた。

そこへ一歩、アンジェリカが前へ出る。

胸元を押さえ、震える肩を必死に支えるように立つその姿は、あまりにもか弱く見えた。

掠れた声が、広間に落ちる。

「殿下……。私は、リリアーヌ様が一言謝って下されば、許そうと思っていましたの。それなのに……」

言葉が途切れ、唇が震える。

「リリアーヌ様! どうか、罪を認めて……謝ってくださいませっ」

大きな瞳から零れ落ちる涙。それはアンジェリカが受けた被害を想像させるための、完璧な小道具だった。

貴族たちの間に、ざわめきが広がる。

「なんて可哀想なアンジェリカ様……」

「嫉妬して、あんなか弱い令嬢に、よくもまあ……」

ひそやかなはずの囁きは、波紋のように広がっていく。

同情と非難が入り混じった声は、姿なき刃となって、リリアーヌの背に突き立てられた。

そして――貴族たちが幾重にも連なるその列の、最後尾。

喧騒からわずかに切り離された場所で、ただ一人、その光景を見つめていた少女がいる。

リリアーヌの妹、ロザリーだった。

声を上げることも、割って入ることもできない。喉は凍りつき、足は地に縫い止められたまま動かず、その場に立ち尽くすことしか許されなかった。

アレクシスが、冷たく告げる。

「謝罪もせぬのかっ! お前のように陰湿ないじめを働く非道な女に、王妃の座は相応しくない。よって――リリアーヌ・ホワイトとの婚約は、ここに破棄する。新たな婚約者は、アンジェリカとする!」

「……殿下」

それでも、リリアーヌは顔を上げた。

その瞳は揺れていなかった。傷つき、追い詰められ、それでも誇りだけは手放すまいとする強さが、そこにあった。

「それでも――わたくしは、やっておりません。やってもない罪を、認める訳にはいきません」

重ねられた否定は、あまりにも真っ直ぐだった。

だからこそ、その言葉は、喧騒に満ちた大広間の中で、異物のように浮いて聞こえた。この場で、彼女はただ一人、孤立していた。

「ふん。ここまで証拠があがっていながら、まだ言い逃れをするとは……醜いな」

吐き捨てるようにそう言ったアレクシスの声音には、もはや迷いはない。

「こいつを連れていけ!」

その一言で、空気が裂けた。

控えていた近衛兵たちが一斉に動き、鉄靴が石床を打つ重たい音が広間に響く。無言のまま、兵がリリアーヌの両脇に立ち、腕を取った。彼女は抵抗しなかった。

ロザリーは、何ひとつ言葉を発することもできないまま、近衛兵に挟まれて遠ざかっていく姉の背中を見送るしかなかった。

そして、その夜。

リリアーヌは、人知れず――

自ら命を、絶った。