作品タイトル不明
第86話 水攻め
投石器の前に戻ってすぐ、ぼくは使い魔たちに撤退命令を下し、ケンタウロスナイトの背に飛び乗る。
ケンタウロスナイトが領主の屋敷に向かって走り出す。
ウィンド・エレメンタルたちもついてくる。
水攻めが始まった以上、ことは寸刻を争うのだ。
すぐに屋敷の壁が見えてくる。
二体のウィンド・エレメンタルに抱えてもらい、浮き上がる。
ケンタウロスナイトには、壁の裂け目までまわりこんでもらう。
ちらりと見ると、ケンタウロスナイトの行く手にホブゴブリンの緑の姿が見えた。
「ついでに、蹴散らしてくれ!」
「承知」
頼もしい言葉が返ってくる。
こいつに任せておけば、だいじょうぶだろう。
ぼくはウィンド・エレメンタルたちによいしょと身体を引き上げてもらい、壁を飛び越えて中庭へ転がり込む。
そこに百人ほどの人々が集まっていた。
兵士らしき、男たちも三人ほどいる。
剣や槍を手にして、うずくまっているけど。
あちこち包帯を巻かれていて、その包帯が赤黒く染まっている。
まともに戦えるひとはもう、戦って散ったってことかな。
そりゃ、戦力差的にもそうだろう。
でも彼らの頑張りがあったからこそ、いまのいままで、ホブゴブリンたちの襲撃を押しとどめることができたわけだ。
ぼくらが来るなんて彼らはこれっぽっちも知らなかったわけだけど。
なにもかもが偶然だけど。
そりゃ、こんな状態でミアが「助けてやる」なんていっても、悪魔の誘惑だよなあ。
そんな状態で、ミアはよくやったといえる。
で、そのミアはと見ると、現地民の老婆が、彼女の肩に包帯を巻いているところだった。
胸もとがはだけている。
ぼくは慌ててミアから視線をそらした。
ひとりの中年の女性が、ぼくの前に進み出てくる。
ぼくに対して、深く深く頭を下げる。
「わたしたちは、あなたがたに従います。どうか、わたしたちをお救いください」
その言葉には、深い深い、畏敬の念が感じられた。
ミアが短時間でどんな言葉を使ったのかは、わからない。
でも彼女は難事を見事にやりとげた。
それだけで、充分だ。
そのミアは、治療を終え、女性のすぐそばに立ち、ぼくを見る。
ゆっくりとうなずく。
「カズっち、お願い」
「ああ。いまから、あなたがたを運ぶひとたちを呼び出します。サモン・サーヴァント・チーム」
執事とメイド、合計百人が出現する。
町のひとたちが目を丸くした。
三人の兵士たちも、唖然として口をぱくぱくさせている。
さて、時間がない。
なんだか東の空から、轟と風が唸る音が聞こえてくるのだ。
ああ、もうぼくにもその音は聞こえる。
破滅が迫ってくる。
まもなく、この町は終わりを告げる。
ぼくは残るMPを振りしぼり、ディフレクション・スペルからマイティ・アームをかけた。
執事やメイドたちの筋力を底上げしておかなければならないからだ。
拡大化された魔法により、執事とメイドたちの両腕が輝きに包まれる。
そのタイミングで、ちょうどケンタウロスもやってきた。
「主よ、ホブゴブリンを三体、殺してきた」
「わかった、ありがとう」
兵士たちが警戒しているが、ぼくとフレンドリーに話す様子を見て、少し安心したようだ。
まあ、ここで時間をとるわけにもいかない。
「ミア。予定変更、ウィンド・ウォークじゃなくてフライにしよう」
「ん、了解」
ぼくは急いで、今度はミアにディフレクション・スペルをかける。
ミアはぼくたちと使い魔、そしてサーヴァント・チーム全体にフライをかける。
執事やメイドたちの身体が、ふわりと宙に浮いた。
ウィンド・ウォークをやめた理由は、移動速度の違いだ。
階段を上るように上昇していくウィンド・ウォークでは、逃げるのに間に合わなくなる恐れがあると判断した。
フライの場合、鳥が飛ぶ速度で移動できるから、こちらの方が圧倒的にはやい。
執事とメイドが、さっと人々のなかに入っていって、各々ひとりずつ抱え上げ、空に舞い上がっていく。
わりとシュールな光景である。
兵士たちは、皮鎧のせいでちと重い。
ひとりあたりふたりの執事に抱え上げられる。
三人しかいなくてよかった。
ぼくは自分で空を飛ぼうかと一瞬、考えたが……。
「カズっち。自分の能力のなさを認めるのも勇気」
「ちくしょう、貴重な助言ありがとうよ!」
ミアに指摘され、おとなしくケンタウロスナイトの背にまたがる。
はいはい、運動神経ゼロですよ、すみませんね。
ちなみに、ぼくが召喚した執事とメイドたちは、見事な身体コントロールで、ひとひとり抱えて上空へ舞い上がっていっている。
ミアが、風魔法ランク3、コントロール・ウィンドという魔法でちょうどいいころあいの上昇気流をつくり出しているのもおおきい。
この魔法、使い道は限定されているけど、かゆいところに手が届く感じだなあ。
ケンタウロスナイトが皆の先頭を追い抜き、ひときわ上空へ。
順々にあがってくる執事やメイドたちを見下ろす。
それから、東の山を見る。
山の緑を押しつぶしながら、茶色い壁が盛り上がる。
山に茂る森を割って、茶色い水の壁がせりあがってくる様子を、発見する。
なんだ、あれ。
あれが……堰止められて放流された川の水なのか。
どうやったら、あんな風になる。
「ウォーター・エレメンタルを使役する魔術師が」
ミアがぼくのもとまで舞い上がってきて、そういった。
「そうか、あれは……魔法を使っているのか。領主の配下の水魔術師か……」
「森の精霊使い、と呼ばれるひとたちのひとりとか」
「精霊使い……エレメンタル特化? それとも、そう見せているだけとか?」
「わたしたちとは、根本的に魔法体系が違うっぽい?」
そうかもしれない。
モンスターを倒してレベルアップし、スキルポイントを得るというのがぼくたちだけの特権だとすれば、魔法体系だっておおきく違う可能性がある。
それにしても……すごいことをするな。
精霊を自由に操ると、水をあんな風に操ることができるってわけか。
大量の水が、壁のようになって、山を駆け下りてくる。
その先端が、森のそばの監視塔に接触し、高さ十メートルはありそうな監視塔をひと呑みにする。
町の壁までは、もうすぐだ。
「避難を、はやく!」
執事とメイドたちが叫んでいる。
下を見れば、ひとりの若い女が、いまさらのように屋敷へ走っていた。
「わたしの子が、まだ戻って来ないの! 探しにいったマールも、まだ……」
メイドたちが慌てて追いかけている。
ミアが一度地面に降りようとする。
ぼくはミアの肩を掴んで、止めた。
「ダメだ」
「でも、カズっち」
「時間がない。あとはサーヴァントたちに任せよう」
それより、とホブゴブリンたちの方を見る。
彼らは、はたしてどうしているのかと……。
町の西側を見て、唖然とする。
公園に集まったホブゴブリンたちが、なにやら輪になっていた。
輪の中心で、隊長らしき装備のいいホブゴブリンが、朗々となにか呪文のようなものを謳いあげている。
隊長ホブゴブリンの全身が赤黒く輝き出す。
そして……隊長ホブゴブリンの目の前にある空間が、まるで魚眼レンズでも通したかのように、歪む。
空間の歪みから、ゆっくりと、ピンク色の肉ともいうべき物体がはい出してくる。
直観的に理解する。
あれは……。
「グロブスター……」
ミアが生唾を飲み込む。
その全身が、震えていた。
ぼくはケンタウロスナイトの背から手を伸ばし、ミアを抱き寄せる。
「カズっち……」
「だいじょうぶだ。……だいじょうぶ」
「ん。……そだね、あれも、もうすぐ、水に沈む……」
ふたたび東に視線を移せば、巨大な水の壁は町の東部を飲み込みながら屋敷に近づいてくる。
だが……いまだ、屋敷に入っていった女性が出てこない。
彼女を待っているのか、中庭には、まだ待っている老人がふたりもいる。
まずいな、もう本当に時間がないぞ。
ぼくとミアが、上空から叫ぶ。
急ぐよう促す。
それを聞いて、サーヴァントの執事が説得を始める。
老人のひとりが、仕方がないと、自分を抱えて運ぶよう執事に頼む。
彼を抱えて、執事が空へ舞い上がり……。
直後、だった。
屋敷を囲む壁を越え、ひときわ勢いを増した水の壁面が、屋敷を一瞬で呑みこむ。
庭にいた老人も、そして舞い上がったばかりの老人も、そして彼らを運ぶ者たちも、一瞬で泥水のなかに消える。
ミアが、押し殺した悲鳴をあげる。
ぼくは彼女の身体を抱きしめながら、ケンタウロスナイトに命じ、さらに高く舞い上がらせた。
一行の先頭に立って南の丘を目指す。
ちらりと、遠ざかっていく町の方に振りかえる。
ホブゴブリンたちも、残った二体のジャイアントも、そしてグロブスターも、すべて巨大な洪水に呑みこまれていた。
かなりの準備と囮と犠牲者を必要とした罠は、見事に成功したのだ。
領主の采配は、見事だと思う。
たぶん志木さんとは、にこやかに握手できるんじゃないかと思う。
テーブルの下で蹴り合いながら。
本当に、もう、うん、クソ喰らえだ。
ああもう、ちくしょうめ。
ぼくはミアの細身の身体を、きつく抱きしめる。
「カズっち、痛い」
「あ……ごめん」
ミアは、唇をきゅっと噛んで、ぼくを見上げる。
泣きそうな顔になっていた。
ぼくは胸に強い痛みを覚えた。
いましも、彼女がどこかへ消えてしまいそうな、そんな錯覚。
ぼくは、あとのことなんてなにも考えず、反射的に。
ミアの震える唇に、ぼくの唇を押しつけた。
ミアが目をおおきく見開く。
ぼくはすぐ、はっとなって顔を離す。
「ごめん、いまのは、その」
「ん。……ありがと」
「いや、だから、これは……」
「わたしが、壊れてしまいそうだと、思った?」
うん、その通りだ。
そうなんだけど……ミア、きみは……。
「ん。だから、ありがと、だよ」
「それって、ミア、本当に……」
「けっこう、いっぱいいっぱいだった」
でも、とミアは、はにかんだ笑みを浮かべる。
「カズっちのおかげで、少し、楽になったよ」
そのとき、背後でまばゆい輝きがあがった。
振り返ると、町の中心部付近から太い光の柱が立ち昇っている。
なんだ、あれは。
ぼくは気づく。
あれはたしか、ホブゴブリンたちが集合していたあたりだ。
グロブスターが出現していたあたりだ。
いったい、なにが起こった。