作品タイトル不明
第47話 中等部本校舎制圧作戦7
校舎のすぐそば、アスファルトの上。
ぼくの目の前に、黒い犬がいる。
犬といっても、その身体は灰色狼とは比べ物にならないほどおおきい。
全長三メートルの巨体。
っていうか、こんなにでかかったのかよ、こいつ……。
ぼくがカラスの偵察で見たときは、身体を丸めていたから、気づかなかった。
いまは直立して、全身をピンと伸ばしている。
そのルビーの双眸が、ぼくを睨みすえる。
まずい。
完全にロックオンされている。
ぼくが狙われている。
こいつが、名づけた通りに神話のヘルハウンドだとすると。
ついでに、これまでの情報から考え合わせると……。
ヘルハウンドが、口をおおきくあける。
赤黒い舌の奥で、炎がちろちろ燃えていて……。
すう、と息を吸う。
喉のすぐ下にある袋のようなものが、風船のように膨らむ。
普通の犬にはない、奇妙な器官だ。
ゆえに理解する。
あれこそが……。
「カズさん!」
アリスが駆け寄ってこようとする。
だけど彼女はまだ、落下したばかりでバランスを崩している。
たまきも同じだ。
ぼくの使い魔の灰色狼たちもだ。
だからいま、ぼくを守れるひとはいない。
それでいい。
いまこの攻撃だけは、ぼくに来て欲しい。
「レジスト・エレメンツ:火」
ぼくは自分に魔法をかける。
その直後。
ヘルハウンドの口から放たれた紅蓮の炎が、ぼくの全身を焼く。
熱い。
ぼくは悲鳴をあげて、のたうちまわる。
防御魔法をかけて、この灼熱なのか。
皮膚が燃える。
髪が焼ける音がする。
ぼくは目を手でかばう。
喉が苦しい。
肺のなかが焼けつくようだ。
ぼくは一歩、二歩とあとずさり……。
「エア・ブラスト」
ミアの声。
新鮮な空気が、ぼくの肌を叩く。
顔をあげ、おおきく息を吸う。
そして、横を見る。
ヘルハウンドの口から吐き出された炎が、強い風によってへし曲げられ、近くの木々を焼き焦がしていた。
ヘルハウンドが、憎々しげにミアを睨む。
ぼくから視線をそらし、身を低くして、ミアに飛びかかろうとする。
だが、その前に。
「このおっ!」
たまきが俊敏に飛び出す。
大斧を振りかぶり、ヘルハウンドに肉薄する。
彼女の全身は、まだ赤い霧に包まれている。
ヘイストの効果が続いている少女は、ヘルハウンドが対応するよりはやく距離を詰める。
対して巨大な黒犬は、側面から襲い来る脅威に対応し、一歩、下がろうとする。
だが、遅い。
たまきが大斧を振りおろす。
ヘルハウンドの前脚、薄皮一枚を裂く。
青い血が飛び散る。
その血が、炎となって燃え上がる。
一部はたまきのジャージにまとわりつく。
「なっ、なんなのよ、これっ」
たまきは慌てて地面に転がる。
ジャージをアスファルトとこすりあわせて、火を消そうとする。
ヘルハウンドは、その隙に一度、距離を取り……。
おおきく息を吸い込もうとする。
「させませんっ」
今度はアリスが、ヘルハウンドに突進する。
よし、いまだ。
ぼくはたまきに駆け寄り、彼女の肩に手を置く。
「レジスト・エレメンツ:火。これで少しは対応できるはずだ」
見れば、ジャージの炎が沈火している。
ぼくの魔法のおかげか。
効果てきめんだ。
「あ、ありがとう、カズさん」
たまきのむき出しの首筋が、わずかに焼けただれていた。
回復魔法で治癒できる程度の傷であるが、ひどく痛々しい。
ちくしょう、ぼくの仲間に、なんてことしやがる。
たまきは息を荒げて、立ち上がる。
ぼくをちらりとみて、うなずく。
それからヘルハウンドと戦うアリスを見る。
アリスは槍のリーチを利用して、鮮血の炎がかからない距離での刺突を繰り返していた。
ヘルハウンドとしても、リーチのある槍との戦いはいささか不得手のようで、決定打を出しきれていない。
とはいえ、ヘルハウンドの動きは素早い。
少しでもアリスが気を抜けば、懐に入り込まれるだろう。
アリスもそれがわかっているから、ヘイストを最大限に利用して、一定の間合いを保ち続ける。
炎のブレスがきても、あの距離なら、かろうじて横に逃げられるかもしれない。
そういう微妙な間合いだ。
戦巧者のアリスだからこそできる間合いなのだろう。
って、ほんとアリスって、戦うのが上手いよなあ。
いまさらながら、ぼくは感嘆する。
聞けばこれまで、彼女はおよそ争うということを嫌う少女であったという。
彼女の戦いのセンスは、これまでまったく眠ったままだった。
昨日、唐突に、それは開花した。
いま、アリスはギリギリのところでヘルハウンドを抑え込んでいる。
とはいえそれも、長くは続かないだろう。
「たまき!」
「うん! アリス、交代!」
たまきがヘルハウンドに突進していく。
アリスは入れ替わるように戦いから離脱し、少し離れたぼくのもとまで戻ってくる。
「か、カズさん、やけどが!」
「ああ、気にしなくていい。それよりも……レジスト・エレメンツ:火」
アリスにも耐火のバフをかけておく。
ちなみにミアは、ぼくよりさらに後ろに下がって、森に逃げる志木さんたちを見ている。
って、そうか。荷物を抱えた志木さんたちは。
さっき、森に火が放たれていたけど……。
ぼくは周囲を見渡す。
幸いにして、ヘルハウンドの炎のブレスは、志木さんたちからだいぶ離れたところに着火したようだ。
それでも、生木を一瞬で燃やしてしまうのだから、たいした炎である。
たぶん、校庭の人間キャンプ・ファイアも、こいつがつくったんだろう。
いまならわかることだ。
あのときキャンプ・ファイアの光景に恐れおののいておらず、きちんと考察しておけば……。
いや、いまさらいっても仕方のないことか。
それより、いまは目の前の戦いに勝つことだ。
もたもたしていると、オークたちがもっと押し寄せてくるだろう。
その前に……。
うん、待てよ?
ぼくはふと、気づく。
こいつはたしか、ジェネラル・オークの近くにいたはずで。
だったら、やつは。
ボス感たっぷりだった、あのジェネラル・オークは……。
「あ、まず」
ミアが頭上を見上げる。
「カズさん、逃げる」
ミアの言葉に、ぼくは上を見ず、森側へ駆けだす。
アスファルトから、むき出しの地面に飛び出す。
突き出た石に足をひっかけ、みっともなく転倒する。
そのままごろごろと転がる。
とにかく距離を取ろうとする。
はたして。
轟音と共に、さっきまでぼくが立っていたアスファルトが真っ二つに割れる。
小石が飛び散り、その一部がぼくの頬を叩く。
見上げれば、特別大柄な黒い肌のオークが、片膝をついてそこにいた。
右手には、銀の剣を手にしていた。
ひときわ巨漢のオークが、ゆっくりと身を起こす。
ジェネラル・オーク。
正真正銘、ここのオークたちのボスが、ゆっくりと周囲を睥睨する。
おおきく息を吸い込み……。
やばい、来る。
ぼくは咄嗟に、さきほど新しく覚えた付与魔法を行使する。
「ディフレクション・スペル」
付与魔法ランク5のディフレクション・スペルは、近くのパーティ・メンバーひとりにかける魔法だ。
対象が次に使う魔法の効果範囲を拡大し、それがパーティ単体を対象にする魔法であれば、パーティ全体を対象とするようになる。
そしてこの場合、必要な魔法は……。
「ミア!」
頼む、気づいてくれ!
はたして。
ぼくより敵から距離を取っていたミアは、冷静な声でその魔法の名を告げる。
「サイレント・フィールド」
ジェネラル・オークが、咆哮するべく口をおおきくひらき……。
それにかぶさるように、沈黙の結界が広がる。
よしっ!
ミア、よく気づいた!
いや、きみは前からやる女だと思っていたさ。
オタクなら、こういうとき、モンスターがどういう行動を取るかわかると信じていたさ。
沈黙の魔法によって、ジェネラル・オークの咆哮は封じられ……。
た、はずだった、のだが。
ジェネラルは、口をおおきくひらいたまま。
空気が、ビリビリと震動する。
ぼくは焦る。
ありえない。
そんなはず、ない。
だって、いまぼくたち全員のまわりには、沈黙の魔法がかかっていて……。
だがジェネラル・オークの咆哮は、そんなもの関係ないとばかりに、魔法そのものを吹き飛ばす。
耳を弄する叫び声が、周囲に響き渡る。
それは魂そのものを吹き飛ばすような、強烈な大咆哮で……。
近くにいたぼくとアリスの身体が、吹き飛ばされる。
ぼくたちふたりは、むき出しの土の上をごろごろ転がる。
なんだ、これ。
どうなってるんだ、こいつは。
魔法がきかない?
いや、魔法が破られた?
でたらめすぎる。
規格外すぎる。
ぼくは顔をあげる。
ジェネラル・オークは、ぼくを見て、ぞっとするほど凶悪な笑みを浮かべた。