作品タイトル不明
第230話 地球での六日間
志木さんのおじいさんが、落ち着いた口調で語り出す。
ちょっと長い話だったが、かいつまんで説明すると……。
ぼくたちの山が異世界に消えた、その日。
山があった場所の上空に、あの巨大な黒い球体が出現した。
黒い球体は呼びかけにも応じず、風に流されるようにゆっくりと南下、しかるのち太平洋側に移動した。
二日目の朝には、いまの位置、東京湾の上空で静止したという。
政府やマスコミなどがヘリで黒い球体に近づこうとしたものの、いくら黒い球体を目指して飛んでも一定の距離以上は近づけなかったとか。
なんらかの方法で認識を阻害されているとか、距離の概念がねじ曲がっているとか、テレビの専門家がいっていたとのことだ。
ドローンを接近させてみたところ、不思議なことに機械もこの認識阻害なり経路阻害にひっかかり、近づくことができなかった。
つまりこれは純粋に心理的なものではないとのことで……。
まあ、魔法、ってことなんだろう。
だってあれこそは。
あの黒い球体こそは。
魔王、なのだから。
「いったいあれがなんなのか、政府はさっぱり説明してくれない」
志木さんのおじいさんが、ため息をつく。
ぼくたちは顔を見合わせる。
このひとたちに、あれがなんなのか説明するべきだろうか。
志木さんは、ちいさく首を振る。
説明する必要はない、ということなのか。
それとも説明して不安を煽る必要はない、という意味なのか。
「パパー」
あぐらをかくぼくの膝の上でおとなしくしていたカヤが、長い話に退屈したのかぼくを見上げる。
天使の笑顔を浮かべていた。
ぼくは思わず、相好を崩してしまう。
「どうした、カヤ」
「まおー」
「あー、うん、いまちょっと難しい話をしているから、ええと、志木さん」
志木さんはすぐにぼくの意を汲み、カヤに「あっちのお庭で遊んでみる?」と訊ねた。
カヤは「んーん」首を横に振る。
テレビを指差す。
テレビの画面には、ちょうど東京湾に浮かぶ黒い巨大な球体が映っていた。
全長数キロはある、あまりにもおおきすぎる構造物。
突如として出現した、人類のものではありえない存在。
それと、さきほど渋谷を襲撃したスケルトンが関連づけられてニュースとなっているのも……まあ、当然の帰結なのだろう。
テロップからすると、スケルトンたちを倒した謎の人々のことも、少しは話題になっているようだ。
で、カヤはまっすぐに黒い球体を指差して……。
「まおー、たおしに、いこう!」
「いや、うん、その前にいろいろと……ねえ。ええと、アリス、たまき」
「はい、カズさん! カヤちゃん、ちょっとあっちいこう?」
アリスとたまきが、慌ててカヤの手を引き、隣の部屋に向かう。
志木さんによると、そっちはお仏壇があって、ついでに子供のおもちゃなども置いてあるとのこと。
近所の子供たちに遊ばせるためのものだそうだ。
この家、そういう集会場みたいな機能もあるのかなあ。
古い地域の集まりみたいな。
やっぱ志木さん、いいところのお嬢様だよなあ。
「あの子やそこの外人さんのことは、きかない方がいい……のだろうね」
志木さんのおじいさんが、やさしい声でいった。
志木さんが苦笑いして「そうしてちょうだい」と答える。
そりゃ怪しむか。
そもそもカヤの髪の毛って、青だもんなあ。
着ているものも、ものすごいシンプルな白い貫頭衣だし。
じつはノーパン、なんて知られたら……もはや児童虐待のレベルだ。
「簡単に説明すると、わたしたちは別の世界にいって、ついさっき帰ってきたのよ。渋谷にね。そうしたら、一緒にスケルトンたちもこっちに来ちゃったみたいで……まあ、いろいろあったの」
超ドストレートの剛速球を投げる志木さん。
それに対しておじいさんは、「はあ」と肩のちからを抜く。
「別の世界、ねえ」
「おじいちゃんは、わたしがでまかせをいっていると思う?」
老人はゆっくりと首を振る。
え、信じるの?
「縁子がそういうんだ、そうなんだろうさ」
そういう彼は、やさしい目をしていた。
志木さんを見て、微笑んでいる。
ああ……なんだかこの家における志木縁子という存在の強さ、みたいなものを理解できてしまったかもしれない。
「ありがとう、おじいちゃん。それで、ええと……あの黒い球体以外には、特に変わったこともなかったのかしら」
「そうだねえ、特には……ああ、そういえば」
おじいさんはぽん、と手を叩いた。
「あれあれ、ほら、あれがあったよ。ええと……」
「おじいちゃん、あれ、じゃわからないでしょう」
おばあさんがけらけら笑って、手を振る。
仲がいい老夫婦だなあ。
志木さんはこんなにも素敵な家族のもとで育ったのか。
「そうそう、くらげ! くらげがな、世界中、あちこちの都市を襲ってな! ニューヨークとか、もうたいへんでな!」
「くらげって……まさか、空飛ぶ巨大なくらげ?」
「おお、それだ、それだ」
ぼくたちは、また顔を見合わせる。
フライング・ジェリーフィッシュか。
ルシアが「にゅーよーく、とは?」と首をかしげたので、地球の裏側の街だと教えておいた。
「襲った、ということは攻撃してきたってことなのね」
「おお、唐突に現れて、どかーんと爆弾をな、こう、あちこちにな。ひこーきがやっつけに出ても、ミサイルも鉄砲も、ちっともきかんかったそうでな」
恐れていた通り、やはりあの巨大くらげは物理完全無効化能力持ちか。
魔法ならよく効くんだけど……こっちの世界に魔法使いとか、本当にいるのかなあ。
グレーター・ニンジャの師匠とか、話を聞くに魔法使いっぽいんだけども。
※
お茶を飲みながら、話を聞いた。
各国政府はフライング・ジェリーフィッシュに対処すべく軍を動かしたが、ことごとく敗れ去ったとのことである。
核兵器を落としても、やっぱり無傷だったようだ。
フライング・ジェリーフィッシュは、ゆうゆうと都市部にミサイルを連打し、逃げ惑う人々を虐殺したという。
狙われた都市は、ことごとく焼土と化した。
もっともフライング・ジェリーフィッシュは別に文明破壊や人類絶滅といった大目標で動いていたわけではなかったようである。
一昨日あたり、ふいっと消えてしまったとのこと。
その間も、東京湾に浮かぶ黒い球体は依然としてそこに浮かび続けていて……。
やはり、あの球体がフライング・ジェリーフィッシュとなにか関係があるのではないか、と考える者は多かったそうだ。
とはいえ接近することもできず、ミサイルなどの誘導装置すら無効、ロケット弾頭すらも空間の歪みにより無効化されてしまっては手の打ちようがない。
いっそ東京湾に核を落とすかという過激な意見もあったそうだけれど……。
そもそも「フライング・ジェリーフィッシュには核兵器がきかなかったのに、そのボスとおぼしきあの黒い球体にきくはずもない」という反論には説得力がありすぎた。
つまりは、黒い球体に対して人類はお手上げであった。
そもそもあれが敵なのか味方なのかすらわからなくなってしまい、ただ観察を続けているのが現状とのことである。
「ふーん。つまりおとなしくしていれば向こうも手を出さないんじゃないか、って考えたわけね」
志木さんがせんべいをぼりぼり食べながら、おじいさんの言葉をひとことでまとめてみせた。
ちなみにルシアは、おばあさんが持ってきた水羊羹を夢中になっておかわりしている。
ダメだこの王女さま……もう完全に食欲しか頭にないぞ。
おばあちゃんが笑って、いろいろお菓子を持ってきている。
ダンゴとか金平糖とか、なつかしいお菓子ばかりだなあ。
「貰いもののお菓子が余っちゃって、困っているのよ。遠慮なくどうぞ」
「はいっ」
ルシアはまったく遠慮なく、そしてぼくたちの話も耳に入らない様子でお菓子の山を切り崩しにかかる。
志木さんとぼくは、顔を見合せて苦笑い。
うん、彼女はもうダメだ、放っておこう。
「あの、ひとつ質問いいですか。あんなものが東京湾にあっても、東京のひとたちは普通にしていたように見えますけど」
「そりゃあ、電車が動いていれば会社に出るし、いまは学校が休みというわけでもないしね」
ああうん、そうですね。
電車が動いていたら出社しないとダメだもんね、サラリーマン……。
貫禄の社畜大国である。
ぼくたちが現れるまで、渋谷の街が以前と変わらぬ様子だったっぽいのも、そういう日本人の、よくも悪くも危機感のなさの表れってやつか……。
それが結果的に、スケルトンによる虐殺を招いた。
あのときぼくたちが退治しきれなかったスケルトンは、かけつけた機動隊によって排除されたとのことである。
そのあたりの映像はテレビで放映されてないんだけど……。
犠牲者とか、かなり出たんじゃないだろうか。
警察たちのちからでは、スケルトンをまったく押さえられていなかった。
警察官も虐殺されていた。
あれに対抗するには、自衛隊とかが出張るしかないように思う。
なにせあれがナイト・スケルトンだとするなら、向こう側の世界で各国の精鋭たちすら苦戦するような化け物なのだから。
いや、それでもたぶん、武器ランクが5程度だと思うけどね。
ぼくたちにとっては雑魚も雑魚なんだけどね。
ひょっとしたら武器ランク6相当かもしれないけど、ぼくたちがインフレしすぎていて、もはや5と6の差がほとんどわからないんだよなあ……。
「でもさすがに、あんな化け物が渋谷に現れたなら……明日からは休みになるかもしれないねえ」
「あ、そりゃそうですよね」
「きみたちが退治してくれたんだろう。ありがとう」
あっさりとバレテーラ。
いやまあ、さっき志木さんが「スケルトンもいっしょに戻ってきちゃった」っていっちゃってるし、少し考えればわかることか。
カヤの姿もテレビに映っていたし……。
彼女は特に特徴的な蒼い髪をしていてごまかしようがない。
正直、これから外に出歩くなら、カヤの髪は幻術やらカツラやらでなんとかしなきゃいけないだろうなあ。
目の色が緑なのは、まだなんとでもいいわけつきそうだけども。
彼女がききわけよく変装を受け入れてくれればいいんだけど……って、ああ、ミアの子か……大喜びしそう。
いや、当然ながらぼくの子でもあるんだけど。
なにせ出会ったのはついさっきだから、ぜんぜん実感がない。
なついてくれている妹みたいな感覚が半分以上である。
「あのかわった髪の子は、その……向こうの世界の」
「えーと、それがホント説明難しい感じなんですけど、カヤはぼくの子供、らしいです。向こうの世界の住人は、そこでお菓子を食ってるルシアです」
おじいさんは目を丸くしていた。
そりゃまあ、ばりばりぼりぼりと夢中になって煎餅をかじっているルシアを見ているとねえ。
たしかに髪は綺麗な銀色で、目は赤くて、耳が尖っていて、いかにもーな感じなんだけど……やってることが、あまりにも、こう。
「きみの子供、ということは……あっちの部屋で蒼い髪の子と遊んでいるふたりのどっちかが、母親なのかね」
「えーと、母親だと思わしきヤツは、いろいろあって、いまいっしょにいません。あ、でもふたりともぼくの恋人です。そこのルシアも」
「カズくん。そのへんまで説明するとややこしいと思うわ。ええと、おじいちゃん、あまりそのあたりを気にしないでくれるとありがたいんだけど」
おじいちゃんは苦笑いして頭を掻いた。
「若いってのはいいねえ」
「そういう納得のされかたをするのも、ちょっと、うーん」
「で、縁子もきみの恋人なのかね」
「違います」
ああもう、話が進まない。
とりあえず仕切り直しさせてもらって、もうちょっと情報収集をしたいんだけど……。
唐突に、犬の遠吠えが聞こえてきた。
いや、犬の遠吠えのフリをしたあれは……。
門の外で、魔法で隠れてもらっていたクァールの鳴き声だ。
なにかが来る、という合図である。
やれやれ……これは、どういうことなんだろうね。
ぼくは志木さんと視線を合わせ、ちいさくうなずきあう。
「おばあちゃん。さっき、どこに電話していたの」
志木さんは、鋭く訊ねた。
うん、まあ、そういうことなんだろうなあ。